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第5話 感情と思考と意志とクワガタムシ

 小さな虫にも意志がある。きっとある。

 私はそう思う。


 学者たちの間では「虫は感情も思考も意志も持ち合せない」という意見が大多数のようだ。

 本当にそうなのだろうか?


 私が虫も意志を持っていると思ったのは、そう思える一匹のクワガタムシに出会ったからだ。



 そのクワガタムシは死にかけていたのだと思う。コンビニ入口のマットの上で仰向けにひっくり返っていた。(メス)のコクワガタだった。

 微動だにしないかに見えたが、よくよく観察していると脚の先がピクリと動いた。

 生きている。私はこのコクワガタを保護することにした。


 私はクワガタムシを、いつも(メス)なら姫様と呼ぶ。(オス)なら親分だ。


 今回の姫様は擬死(ぎし)をとても得意とする、とても臆病なコクワガタだった。ちなみに擬死とは死んだフリのこと。



 家に戻った私は、まず、姫様の部屋をバケツの中に作った。

 食事はメイプルシロップに微量の滋養強壮ドリンクを混ぜたものを与えたが、姫様は全く元気が無く食欲も見せなかった。


 翌日。そっと姫様の様子を伺った。姫様はひっそりとメイプルシロップを舐めていた。少し体力が回復したのかと嬉しく思った。

 だが、姫様は私の存在に気付くと動きを止めた。指でチョンと(つつ)くとコロンと仰向けに転がって固まった。

 まだ体力回復には早かったか?

 しかし、そこで私はふと気付いた。


『これは擬死だ!』


 昆虫の中には己の身に危険を感じると死んだフリをする(しゅ)がいる。

 クワガタムシもそういった種の中の一つだ。


 姫様の擬死は素晴らしかった。

 私を見ると、とにかく死んだフリをする。名女優だ。

 もしかしたら、一番最初の瀕死の状態も演技だったのだろうかと思ってしまう。


 体力が回復しているなら山に帰そうかと思ったが、私の前ではいつも死んだフリをするから本当の体力の回復度合いが分からない。

 山に帰すことは迷い躊躇(ためら)った。


 ある時、私は死んだフリの真っ最中の姫様をバケツの部屋から出し、広い床の上に置いた。

 姫様は擬死に夢中でピクリとも動かない。私も姫様の横にゴロンと寝転んで(しば)し様子を伺った。

 数分後、姫様が動き出した。何処へともなく歩き進んでいく。足取りは意外と軽やかで元気だ。少しご機嫌そうにも見える。

 何処へ行くのだろう? と思いつつ、私の中にささやかないたずら心が湧き起こった。

 姫様は何も考えずに歩き進んでいるだけだろうか? という素朴な疑問もあった。


 それでは、いたずらと検証だ。


 前進する姫様の前方に一枚の紙切れを敷いた。姫様が真っ直ぐに前進して紙切れの上に乗った瞬間、私は紙切れを180度反転させた。


 これで元の居場所に逆戻りだぜぃ! と思った私だったが、そこで姫様は驚きの行動を見せた。


 姫様は紙切れの上で自分の身を反転させて、最初に(おのれ)の向かっていた方向に向き直って進み出したのだ。


 偶然か?


 私はもう一度、同じことを繰り返した。

 そしてもう一度。


 結論を言おう。

 姫様は何度進む方向を反転させても、最終的に同じ方向を目指した。


 私は察した。

 私の個人的で勝手な結論。


『姫様は確実に己の意志を持っている!』


 ここでいう「意志」とは「心に決めた行動を貫く」という意味だ。

 意志があるということは目的があるということと同意義だと私は思うから。


 では、姫様が心に決めている行きたい場所とは、いったい何処(どこ)なのだろう?

 私は姫様の後をついて行った。


 姫様が目指していたのは、壁際の箪笥(タンス)の下にある(わず)かな隙間だった。そこに潜り込むつもりでいたらしい。


 そんなところに隠れられたら困るからと、私は姫様を摘まみ上げてバケツの部屋へと戻した。

 姫様の部屋は土の代わりに微量に湿らせたティッシュが敷きつめてある。

 姫様はその敷きつめられたティッシュに頭だけを突っ込んで、背中を丸めた姿勢のまま動かなくなった。

 どうやら落ち込んでいるらしい。少なくとも私にはそう見えた。うん、きっと落ち込んでいる。しっかりと感情も持っているのだ。


 時々、姫様はバケツの部屋から脱走しようと、バケツの側面をジタバタと這い登ろうとしている。

 実を言うと、姫様の部屋に屋根は無い。羽ばたけば脱出できるのだ。

 ツルツルのバケツ側面はどんなに頑張っても登れないが、飛べばそれだけで抜け出すことができるのだ。


 どうやら、残念ながら思考力は弱いらしい。


 姫様は臆病だ。とてもとても臆病だ。いつまで経っても私のことを怖がり懐かない。いつも死んだフリをする。もしかしたら実は反抗期なのかも知れないが。


 クワガタムシは、ヤンチャだったり、暴れん坊だったり、怖がりだったりと、色んなタイプがいる。


「それは虫の個体差だ」

と言う人もいる。


 私は、「それは虫の個性だろう」と思う。


 思考力は弱いかも知れないが、きっと感情と意志は持っている。様々な性格を持つ者がいて、それぞれが思い思いの行動を()る。


 だから私は、虫たちと過ごす一時(ひととき)がとても楽しいのだ。 

 懐いてくれたらもっと嬉しいのだが。


◆◇◆


 昆虫が複眼で認識できる距離は約30cm前後で視力はとても弱いと言われているようです。しかし、姫様が一心不乱に目指した箪笥の下の隙間までは約1m半ほどの距離がありました。

 私には、姫様の複眼が意外と遠方までしっかり見えているように感じました。


 この話に登場した姫様は第3話のクワガタ姫とは全く別の姫様です。

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