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身近に暮らす小さな隣人たち  作者: Tatsu。


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第23話 今年も私の下に訪れたクワガタ姫様

 極寒の季節にパチンコ店の入口手前で1匹のバッタを見つけたのは今年初頭の冬のこと。

 だが、今は酷暑の8月。今ではその場所はコガネムシたちが(たむろ)する夜の集会場となっている。

 群がっても静かでおとなしいコガネムシたち。だが、その中に1匹、一回り大きな身体(からだ)を仰向けにひっくり返らせ脚をバタつかている真っ黒な虫がいた。

 何だろう? ……と、よくよく観察してみると、頭には小さなハサミが付いている。


 あっ! これは(めす)のクワガタムシだ!


 仰向けで必死になって脚をバタつかせているこの彼女に私は人差し指を差し出した。

 彼女は私の指先にしがみつくと、そのままおとなしくなった。


 さて、どうしたものか。弱って衰弱しているのなら保護するところだが、今回の彼女は、ただたまたま仰向けになって起き上がれなくて脚をバタつかせていただけのこと。起こしてあげればそれで問題は解決だ。

 だが何故か、夏になれば毎年、恒例行事のように私の前に勝手に現れて、ひっくり返っては脚をバタつかせるクワガタムシたち。


 よし、これも何かの縁だろう。(しば)し私の部屋で(くつろ)いでいくがいい。


 連れ帰っておもてなしをすることにした。


 家に着いた私は、まず、このクワガタムシの種族の判別をすることにした。

 クワガタムシの雌の見極めはその道に詳しい人でないとかなり難しい。

 現在 分かっていることは体長が約34mm程ということと、ミヤマクワガタではない、ということだけ。

 身体のサイズから考えてコクワガタということはまずあり得ないだろう。おそらくはヒラタクワガタかノコギリクワガタのどちらかだ。


 そう聞いたら多くの人は「どちらでもいいだろう」と思われるかもしれないが、私にとっては大事なことだ。

 何が大事なのかって?

 ヒラタクワガタとノコギリクワガタでは寿命が大幅に違う。

 ヒラタクワガタは越冬するが、ノコギリクワガタは一夏(ひとなつ)だけの短命なのだ。

 ヒラタクワガタならば数日ゆっくり寛いでいってもらうが、ノコギリクワガタならばそんなにゆっくりとおもてなしをしている猶予はない。つまり、対応の仕方が変わってくる。

 ネットのクワガタムシサイト等で色々と調べてはみたものの、どうにも判別がつかない。私の憶測ではノコギリクワガタのような気がするが、決め手となる証拠が(つか)めない。


 種族の判別ができないから、このクワガタムシのことはいつものように『姫様』と呼ぶことにした。


 せっかく私が部屋に招いたのだ。 姫様を退屈させてはいけない。 私が姫様の種族の判別を調べている間、姫様には食事をしてもらおう。


 だが、私の気持ちとは裏腹に、部屋に入った姫様が真っ先にしたのは「死んだフリ」だった。

 手足を広げて仰向けになったまま微動だにしない。

 いや、ジッとよぉく見ていたら触角だけが僅かに動いている。


 姫様、まだまだ演技が甘いぞ。そんなことでは女優失格だ。


 そんなことを思いながら、姫様の口元にティッシュに湿らせたキャラメルオレを差し出した。

 いつもは珈琲牛乳なのだが、今日はキャラメルオレだ。理由はただ、私がキャラメルオレを飲みたかったからだ。

 だが、今日のキャラメルオレはプロテイン入りだ。

 姫様はこれから秋に向けて産卵しなければならないし、産まれてくる子供たちが生活するための朽ち木も探さなければならない。だからそれらの行動をするための栄養源が必要なのだ。

 呑気にヤンチャに喧嘩に明け暮れて「勝った」だの「負けた」だの言いながら樹液を舐めている頭の悪い(おす)のクワガタムシとは違うのだ。


 だが、姫様はキャラメルオレを舐めてはくれなかった。

 慣れない環境に戸惑っているのか? それとも緊張しているのか?


 しばらく観察を続けたが、姫様は死んだフリを一向に解除してくれない。

 今度はシュークリームのクリーム部分をティッシュに付けて口元に押し付けてみた。

 反応した。舌を伸ばしてクリームを舐め始めた。


 なんだ。キャラメルオレは口に合わなかっただけだったか。


 シュークリームは舐めるものの、それ以外は基本、死んだフリだ。

 私はいつもの如くバケツの中に姫様の部屋を用意して姫様をそこに入れると、そのまま私も眠りに就いた。


 朝、姫様の部屋を覗くと姫様は歩き回っていた。どうやら緊張は解けたようだ。

 姫様をバケツの部屋から広いスペースに出してあげた。

 また死んだフリをされた。

 いや、もしかして……、本当に調子が悪いのか? 慣れない場所に連れて来られて衰弱してしまったか?


 しばらく姫様の死んだフリを観察していると、やがて姫様はゆっくりと歩き出した。そしてその「ゆっくり」は「猛烈な歩き」へと変化していく。


 なんだ。元気じゃないか。良かった良かった。

 死んだフリで私を騙すとは、姫様、君はもう立派な女優だよ。


 しかし、姫様は基本的にはいつも、私の前では背中を丸めて萎縮するようおとなしく静かにしている。

 結局、種族は分からず終いだが、姫様は早急に山に帰すことにした。


 最後のおもてなしは蜂蜜(はちみつ)だ。


 姫様の口元に少々の蜂蜜を用意した。

 姫様は蜂蜜に興味を示さないようだったので、そのままバケツの部屋は蓋をして、私は二度寝に入った。


 数時間後、目覚めた私は姫様の部屋を覗いた。蜂蜜は綺麗に無くなっていた。

 姫様を広いスペースに出してみた。

 歩く。歩く。元気に歩き回る。

 いや、顔を見るともう必死の形相だ。

 逃げる。逃げる。「元気に歩く」ではなく、「必死に逃げる」が正解だ。逃げることに関しては超凄く元気だ。


 あぁ、私の気持ちは伝わってないんだな、と感じた。

 私はただ、美味しい物を食べて喜んでもらいたかっただけなのだ。


 よし、山に帰ろう。

 変人な私のおもてなしに無理に付き合うよりも、山にいるであろう彼氏の所に帰ろう。

 変人の下からは一刻も早く逃げ出そう。


 クワガタムシは基本的には臆病な昆虫だ。ごく稀に人間を恐れることなくおもてなしを嬉しそうに食べてくれる個体もいるが、そんな個体は多くはない。


 クワガタムシには自然の山が一番だ。山に天然のシュークリームなんてモノは無いが、それでも姫様には山の暮らしが一番良いだろう。


 もう人間界のネオンの明かりに釣られて街に出て来るんじゃないぞ。


 一期一会。姫様は故郷であろう静かな山へと帰っていった。


◆◇◆


 今回の姫様はとても臆病で私から逃げることばかりを考えているように思えました。

 昨年のミヤマ姐御は常に威嚇を怠らずにずっと怒り続けているように思えました。

 でも、一番最初にこの作品に登場したコクワ姫様はとても愛嬌のある可愛いクワガタムシでした。

 クワガタムシにも様々な個性があるんだろうな、と私は感じています。



挿絵(By みてみん)


↓ 死んだフリを実演中の姫様

挿絵(By みてみん)


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