第22話 蟷螂拳宗家正統伝承者 カマキリ殿
私の住むアパートの駐車場に、一匹の彷徨うカマキリがいた。
鮮やかな黄緑色の体長7cmほどのカマキリだった。マイカーでの買い物から帰宅した時の出来事だった。
幼かった頃、卵から孵化したばかりのカマキリの幼虫を見かけたことがある。
カマキリは生まれた時から見た目のその姿はそのままカマキリだ。だが、体色は黒色をしている。そして、生まれたてのカマキリはお尻から蜘蛛のように糸を出す。
そんなカマキリの幼虫が、卵鞘と呼ばれる泡状のスポンジのように固まった卵の塊から沢山ぶら下がって地上に降りようとしていた。
幼虫のカマキリはとても可愛らしいが、成虫になったカマキリはふてぶてしくてとても攻撃的だ。
私はこの駐車場を彷徨うカマキリに心が釘付けになった。
私の好奇心に捕われた虫は、私の出すちょっかいから免れることはできはしない。
カマキリ殿、暫し私とのお遊びに付き合ってくれ。
調度、手には愛車のキーがあった。そのキーをカマキリ殿の顔に近づけてみた。
カマキリ殿は私の行動に敵意を感じたのか、殺気を感じたのか、鎌を持ち上げ私を睨みつけてきた。カマキリのファイティングポーズだ。
カマキリ殿は鎌を身構えて身体をゆらゆらと左右に揺らし始めた。
ん? この動き、見たことあるぞ。
中国武術の蟷螂拳だ。
カマキリを真似る人間の蟷螂拳ではなく、本家本元のカマキリの本物の蟷螂拳だ。
ではでは、蟷螂拳宗家正統伝承者の生粋の蟷螂拳、見せてもらおうではないか。
私は愛車のキーを剣のようにカマキリ殿の眼前に振りかざした。カマキリ殿は威嚇姿勢のまま、大きく後ろに仰け反った。仰け反って仰け反って、仰け反り過ぎて頭が背後の地面に届いてしまっている。凄いブリッジだ。
だが駄目だ。拳士たる者、退いてはならない。臆してはならない。臆して後退しようものなら相手に付け込まれるだけだ。
カマキリ殿、一度仕切り直すこととしよう。
私が攻撃の手を止めるとカマキリ殿は背筋を真っ直ぐに、最初の威嚇の姿勢へと戻った。
では、再び参る!
私は愛車のキーを剣ようにカマキリ殿に振りかざした。
次の瞬間!
カマキリ殿は鎌を振りかざしながら、キーを持つ私の手に向かって突進してきた。凄い速度だった。
驚いた私は思わずキーを手から落としてしまった。
カマキリ殿はすかさず落ちたキーの上に跨がり、私を睨み付けた。
「お前、臆したな。これが実戦の真剣勝負だったなら、今頃お前の命は無かったぞ」
……と、カマキリ殿が言ったかどうかは定かではないが。
流石は蟷螂拳宗家正統伝承者だ。この勝負は私の負けだ。
ちなみに後で知ったことだが、蟷螂拳には相手との間合いを一気に縮める箭疾歩と呼ばれる歩法があるという。
先ほどの突進、きっとカマキリ殿はこの技を使用したのだろう。
いい勝負ができた。敗北はしたが私は満足だ。
本来ならばこの後は私からのおもてなしタイムとなるところなのだが、どうにも私は肉食の虫が苦手だ。カブトムシやハエトリグモに珈琲牛乳をあげるのなら一向に構わないが、カマキリは肉食だ。おもてなしだと言って他の虫の生命を差し出すことは私には気が引ける。
遊んでもらって何のお返しも無いというのも申し訳ないが、カマキリ殿、今回はおもてなしは無しということで勘弁してほしい。
私はカマキリ殿の脚元からそっと愛車のキーを抜き取って回収した。
カマキリ殿は私から敵意が消えたことを察したのか、後ろ向きに振り返ると、てくてくと遠ざかるように、何事もなかったかのように歩き出した。
この勝負はもう過ぎ去った過去のものだ、とでも言わんばかりに。
だがカマキリ殿よ。武勇伝を語るがよい。
「俺は自分の何万倍もある、剣を手にした人間に勝利したのだ!」と。
行雲流水。
それは、空を行く雲のように、川を流れる水のように、成すがままに生きるということ。
群れることなく自由気ままの孤高に生きるカマキリ殿。
行雲流水。それは正にカマキリ殿の生き様のことなのだと私は思った。
◆◇◆
カマキリは攻撃力が高くて好戦的な昆虫です。
人間相手でもちょっかいを出せばファイティングポーズを取って威嚇してきます。
カマキリの本家蟷螂拳を見たい方は是非ちょっかいを出してみてください。
でも、噛み付かれないように注意してくださいね。




