第19話 おならネタ 一発芸人のカメムシ殿
何処から部屋に忍び込んだのか、一匹のカメムシがカーテンに引っ付いていた。
「おぉ、待っていたぞ、カメムシ殿よ」
実は私はカメムシ殿が来訪してくれるのをずっと待っていたのだ。
私は少し前に、ひょんなことからカメムシが自身の放った悪臭の臭いで失神することを知った。
お笑い芸人のネタのようなその習性を自分の目で確かめてみたくて、私はカメムシ殿の来訪をずっと楽しみに待っていたのだ。
ちなみにカメムシという呼び名は、見た目が亀のような体型だということから『カメムシ』と名付けられた。
私からしたら、両肩に肩パットを入れたちょっとお洒落な昆虫にしか見えないのだが……。
カメムシは昔からよく、『へっこき虫』などという別称で呼ばれてきた。
臭い臭いを出すことから〝屁をへる虫〟という意味で、別称が『へっこき虫』だ。
カメムシの臭いを私自身は特に気にしたことはないのだが、知人に言わせるとその臭いはかなり強烈なものらしい。
この臭い臭いは元々は自身を衛るための武器なのだが、カメムシは狭い空間に閉じ込められることでもストレスを感じてこの臭いを発するという。
では、見せてもらおうではないか。カメムシ殿の持ちネタ〝屁っこき失神〟を。
いや、待て。せっかくカメムシ殿のほうから私の部屋に来訪してくれたのだ。
まずはおもてなしだ。
私のおもてなしの定番といったらコレ。
「カメムシ殿、珈琲牛乳を飲むかい?」
ここでふと、気になった。
珈琲に含まれるカフェインは昆虫の種によって様々に及ぼす作用が違う。
果たして、カメムシにはどのような作用があるのだろうか。
おもてなしの前にちょっとスマホでググってみた。
えっ!?
驚いた。カフェインはカメムシにとっては毒らしい。
カメムシ駆除にインスタント珈琲の粉を蒔いて使うこともあるらしい。
客人に毒を振る舞うことはできない。
カメムシ殿、申し訳ないが、今回はおもてなしは無しだ。
何の賄いもできないが、カメムシ殿の一発芸〝屁っこき失神〟を是非、拝見させてくれ。
ということで、カメムシ殿にはペットボトルの蓋の中に入ってもらい、ラップで封をすることで閉じ込めさせてもらた。
とても窮屈な空間だ。屁をすればすぐに臭いが充満するだろう。
私はカメムシ殿が自身の放つ悪臭にすぐに意識を失ってひっくり返るものだと思っていた。
カメムシ殿は最初こそは戸惑うような様子を見せて小まめに動き続けていたが、10分ほど経つと、そのうちに動きが止まった。
これは自身の屁の臭いのためのダメージなのか?
そう思った時、カメムシ殿が奇妙な動きを始めた。
両前脚で触角を掴んで、その両前脚を根元から先端の方向に伸ばすように動かしている。
これは!? この動きは!?
もしかして……。触角の手入れか?
窮屈な空間に慣れてリラックスしてしまったのか?
だが、極狭いペットボトルの蓋の部屋は臭い臭いで充満しているはず。
私は約30分間の観察を続けた。
いったいどういうことだ。
カメムシ殿は一向に失神する気配はない。むしろ本当にリラックスしているように見える。
私はカメムシ殿を解放することにした。
ベランダから外に出すと、カメムシ殿は自由な空を何処かへと飛んでいった。
私は再びカメムシについてググってみた。そして、カメムシ失神についての動画を見つけた。
動画を見る限りではカメムシが自身の臭さに目を回して失神するまでには約60分の時間を要した。
そうか。私の検証時間では短か過ぎたのか。
さらにググって調べると、1匹よりも複数まとめて狭い空間に入れたほうが沢山の屁をへって最終的に皆が失神するらしい。
翌日、私はカメムシが集団で群がる場所を見つけ、そこから3匹のカメムシを部屋に招待した。
人間も3人揃えばコントができる。やっぱりピン芸人よりトリオ芸人だろう。
この3匹のカメムシトリオを再び窮屈なペットボトルの蓋の中に封じ込めた。
今度は本当に狭かろう。この極窮屈な空間で屁をへればカメムシでなくとも、きっと失神は免れないだろう。
今度は気長に観察しよう。目標は60分だ。
再び私の検証という名の挑戦が始まった。
3匹のカメムシトリオは、最初は忙しなく動き回っていた。 きっと、困惑と戸惑いの状態なのだ。
40分ほど経過すると3匹の動きが止まった。
リラックスだろうか? だが、ラップの上から指で突くとまた動き始める。しかし、すぐにまたその動きは止まってしまう。
これはリラックスではなく見える。例えるなら、睡魔に襲われている人間の動きに近い。おそらくは意識が薄らいでいるのだ。
指で突けばまた動き出すのだが、心なしか脚が少しピクピクと痙攣しているように見える。
これは失神への布石か?
私は検証を続けた。
60分が経過した。しかし、今まで以上に動きが鈍くなっているようには感じない。
更に30分、累積検証時間90分が経過、カメムシトリオは一向に失神しない。
どういうことだ? 何故、失神しない。 窮屈な空間は臭かろうに。
ここで私はカメムシ殿の臭いというものがどんなものか気になった。
興味本位でペットボトルの蓋からラップを少し捲ってカメムシ殿の臭いを嗅いでみた。
うわっ! なんということだ!
少し鼻にツンと感じるものはあるが、私には全くカメムシ殿の臭いが分からなかった。
私の嗅覚は阿呆なのか?
本当に、なんということだ。
捲られたラップの隙間からはカメムシトリオが慌てて脱出しようとしていた。間違いなく狭い蓋の中は臭いのだろう。
今回の検証での一番の驚きは、カメムシ殿の屁の臭さを感じ取れなかった私自身の嗅覚だった。
おかしいなぁ……。自分の屁は十分臭く感じるのになぁ。
いったい私の嗅覚は何なのだろう。一番の不思議だ。
私はカメムシトリオをベランダに連れていった。
お別れの刻だ。
カメムシトリオはてんでにバラバラの方角に飛び立っていった。
ちなみにカメムシは外敵から逃げる時は皆がバラバラの方角に逃げる。これは仲間が外敵に一網打尽にされないための彼らなりの智恵だという。何気に頭のいい虫だなと感じた。
後になって、ふと思った。
芸人というものは、それが仕事で芸を演じているのだ。
カメムシ殿たちに何のおもてなしもできなかった私。
「無料で我らの一発芸〝屁っこき失神〟を見れると思うなよ」
きっと、自由の空に飛び立っていったカメムシ殿たちはそんなことを呟いていたに違いない。
◆◇◆
カメムシの放つ悪臭は屁ではなく、実際は脚の付け根の臭腺から分泌される油状の液体です。
この液体はカメムシが自身の身を衛るための自己防衛物質であり、アルデヒドという毒性の成分が含まれています。
外敵を追っ払うための唯一の武器なのですが、臭いを嗅ぐと間抜けなことにカメムシ自身にも効いてしまいます。
カメムシ一族の種は実に幅広く、夏に忙しなく鳴く蟬や、尻尾で呼吸する水中生物のタガメなども、カメムシ一族の一門です。




