表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/26

第17話 私に冷たいハエトリ姫

 啓蟄(けいちつ)の日を過ぎて一週間が経った。

『啓蟄』とは、(こご)える季節を終えて暖かな春の陽気に虫たちが起き出す日のことをいう。

 先日、ゴロゴロと寝そべって漫画を読んでいた私の目の前にハエトリグモが現れた。

 実は、このハエトリグモには三週間ほど前に一度、出会っている。


 少し前の、二月の凍える日の深夜、私の部屋の壁でモソモソと(うごめ)く一匹の蜘蛛(くも)の姿があった。それがこのハエトリグモだった。

 寒さのために身体が(かじか)んで思うように動けないようだった。 


 身体の色は薄茶がかったグレー色。この身体の色は女の子だ。言うなればハエトリ姫だ。


 性的二型(せいてきにけい)といって、虫には雄と雌とで身体的特徴が異なるものがある。

 ハエトリグモもそういった(しゅ)で、民家でよく見かけるアダンソンハエトリの場合は、身体の色は雄が黒で雌がグレー色をしている。


 私は以前、蜘蛛が珈琲に酔うということを知り、それ以来、ハエトリグモを見かけたら珈琲でおもてなしをする、ということが私の定番となっていた。


 というわけで、早速、珈琲を用意した。さぁ、ほろ酔い気分を味わってくれ。

 だが。ハエトリ姫は、逃げる。逃げる。

 どうにもハエトリ姫は逃げることに必死で珈琲を飲むどころではないようだ。

 最終的にはしつこい私に負けて珈琲を飲むことになるのだが、その後、ハエトリ姫はヨロヨロと千鳥足になりながらも、時々立ち止まっては前肢で顔を何度も(ぬぐ)っていた。

 今までのハエトリグモのように意味不明な愉快な行動を取ったり、愛嬌たっぷりに私を見つめてくるような仕草は全くない。


「ねぇ、ちょっと! そこの人間さん! 飲みたくもない珈琲(お酒)を無理やり私に飲ませないでちょうだい!」


 そんなことを言われている気がした。

 その後も何度も何度も、あまりにも嫌そうに顔を拭うので、私にも何だか罪悪感が湧いてきた。

 いや、少なくとも楽しい思いはさせてはいないだろう。


 申し訳なく思った私は「嫌な思いをさせてごめんなさい」と、ハエトリ姫を最初に居た壁にそっと戻した。


 その後、パッタリと見かけなくなったハエトリ姫だったが、今回、三週間ぶりに私の目の前に再びヒョコリと顔を見せた。


 この三週間を何処で過ごしていたのかは知らないが、私の部屋はハエトリグモは出入り自由(フリーパス)なので、また訪れてくれたことは単純に少し嬉しい。


 前回は嫌な思いをさせてしまった。

 今回はちゃんとおもてなしをしよう。ふざけることなく。

 本気でそう思った。


 以前にネットでハエトリグモ愛好家の方がペットのハエトリグモを可愛がる様子を録った動画を観たことがある。

 それによると、ハエトリグモは砂糖水が大好物らしい。

 動画の中のハエトリグモは主人から逃げることもなく、砂糖水の染み込んだ綿棒にしがみついてチューチューといった感じで砂糖水を飲んでいた。


 ソレ、私もやってみたい。

 ハエトリ姫よ、今回は逃げることなく私のもてなす砂糖水を喜んで飲んでくれ。


 早速、動画と同じように砂糖水の染み込んだ綿棒を用意した。

 そして、ハエトリ姫の目の前に差し出した。


 さぁ、美味しいぞ。心行くまで飲んでくれ。


 だが。再び、逃げる。逃げる。

 ハエトリ姫はひたすら逃げる。


 きっとまだ、砂糖水を口にしたことがないんだな。一口飲めば気に入ってもらえるはずだ。


 私はハエトリ姫の逃げる方向に先回りして、砂糖水付き綿棒をハエトリ姫の顔に押し当てようとした。

 だが、前肢でガードされた。そしてまたそっぽを向いて逃げ出した。


 せめて一口飲んでくれ。絶対に気に入るから。


 何が何でも一口飲ませてやろうと私は少々、意地になった。

 そして無理やり砂糖水付き綿棒をハエトリ姫の顔に押し付けた。


 しかし。気に入ってはもらえなかった。

 というか、必死になって逃げていった。


 もういいよ、もう……。

 せめて一口くらい飲んでくれたっていいじゃないか。

 ただ、「美味しい~」って素振りを一目(ひとめ)、見たかっただけなんだ。


 私のおもてなしは叶うことはなかった。

 ハエトリ姫は部屋の端へと逃げていった。


 そしてそれから数日が経過した。

 今現在、私がハエトリ姫の姿を見かけることは全くない。


『しつこい男は嫌われる』

 昔からよく言われている言葉だ。


 きっと私はしつこ過ぎて嫌われ、逃げられたのだろう。

 というか、私はいつも虫に対して悪ふざけが過ぎるから、虫たちにとっては大迷惑な人間なのだろう。


 いやね、私に悪気は無いんだよ。本当に。ただ、ちょっとだけ君たちと一緒に面白可笑(おもしろおか)しい時間を過ごしたいだけなんだ。


 えっ? それが大迷惑だって?

 あぁ、きっと、そうなんだろう。

 だが、おもてなしにはいつも身体に悪い物は出してないだろう。


 私の部屋はハエトリグモに関してはいつでも出入り自由なのだ。

 これに懲りずにまた私の部屋を訪れて欲しいと思う。


 私はいつでもハエトリグモの来訪を歓迎するつもりで待っているのだから。


◆◇◆


 江戸時代、ハエトリグモは『座敷鷹』と呼ばれてハエトリグモの愛好家に飼われていた、という記録があります。

 当時の愛好家たちはシャレた容器にハエトリグモを飼い、仲間同士で集まって、誰のハエトリグモが一番速く(ハエ)を捕らえるかなどを競って楽しんだそうです。

 いつの時代にも、ハエトリグモを可愛らしいと感じる愛好家はいるようです。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 良いですね、私もくも好きです!きっと超絶恥ずかしがり屋で人見知りのお姫さまだったんですよ、三度目の正直で次回こそは、一緒にティータイムを楽しむことができるはず…。 [一言] 独特の観点と読…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ