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第11話 優しいヒラタ番長

 九月。夏から秋へと移りゆく季節の中で、私は自宅のベランダでクワガタムシを見つけた。

 洗濯物を取り込もうとベランダに出た時に、彼はそこにいた。ヒラタクワガタだ。

「困ったよぉ」、そんな困惑したような顔をして、ベランダの片隅を蜘蛛(くも)の巣に引っ掛かりつつ、壁にぶつかりつつ、右往左往していた。


 夜行性のクワガタムシが真昼の民家のベランダを彷徨(うろつ)いているとは。もしかして迷子なのか?


 とりあえず、保護することにした。


 ヒラタクワガタという名称は、「見た目の容姿が平べったい」というところから来ている。

 性格としては喧嘩好きで気性が荒らく、その反面、警戒心の強い臆病さも(あわ)せ持っている。

 クワガタムシの中では最大種であり、時にはオオクワガタをも越えるサイズの個体も存在する。もちろん、喧嘩の強さもトップクラスだ。


 オオクワガタをクワガタ界の王とするなら、ヒラタクワガタはクワガタ界の暴君なのだ。


 保護した彼は体長は5cm(センチ)、ヒラタクワガタとしては中型だ。だが、闘えばきっと、昨年保護した隻腕(せきわん)のミヤマ親分よりも強い。


 暴君に相応(ふさわ)しくと、「番長」と呼ぶことにした。


 番長の強さはいったいどれほどなのだろうかと、少しいたずら心が湧いた。

 番長の頭をチョンと(つつ)く。番長は大顎(ハサミ)をグワッと広げて威嚇の体勢に入る。私は大顎(ハサミ)の隙間に指を入れてみた。

 だが……。番長は(はさ)もうとしない。大顎(ハサミ)の隙間で指を震わせてみると、一瞬だけ噛んだ。甘噛みだ。


 (おび)えているのか?

 それとも私を気遣っているのか?


 もしかしたらお(なか)が減っているのかもしれない。少し元気もないようだ。


 食べ物を与えようと思った。……。手元に何もない。

 私のおもてなしの定番はコーヒー牛乳なのだが、この日は生憎(あいにく)、コーヒー牛乳を切らしていた。


 買い物に出掛け、ハチミツとコーヒー牛乳を購入してきた。


 まず最初に蜂蜜をあげると凄い勢いで喰いついた。空腹だったらしい。

 ここで私は仕事に出勤する時間になってしまったため、番長には即席のバケツの部屋を用意して、私はそこに蜂蜜とコーヒー牛乳を置いて仕事に向かった。

 仕事から帰った時には元気な姿を見せて欲しいと思った。


 深夜に帰宅。番長の部屋を覗くと、番長はコーヒー牛乳を舐めていた。

 私の部屋に訪れる虫たちにコーヒー牛乳の人気は高い。

 だが、本音を言えば蜂蜜を舐めてもらいたい。コーヒー牛乳ではお腹を壊しそうだ。


 蜂蜜を番長の口に当ててみた。番長は何故か顔を(そむ)けて蜂蜜を口にしない。


 もしかして蜂蜜はクワガタムシにNGだったか? と思い、ネットで調べてみた。


 結論。蜂蜜は駄目なわけではないが食後に口の周りで固ることがあり、それを嫌うらしい。

 だが、やはりコーヒー牛乳は番長の身体(からだ)に良くはない。


 翌日、メイプルシロップとユン○ルを購入。

 この滋養強壮薬、今まで保護したクワガタムシは皆、コレで元気を取り戻した。

 困った時のユン○ル頼みだ。

 メイプルシロップにユン○ルを2滴ほど垂らしたものを番長に与えた。


 しっかり体調を回復してくれ、と願いながらこの日は仕事に向かった。


 深夜に帰宅。番長の部屋を覗いた。

 番長は私のことを見上げていた。

 おそらくはコーヒー牛乳を舐めていたのだろう。

 メイプルシロップではなくコーヒー牛乳の隣から私を見上げていた。


 元気は戻っただろうか?

 番長をバケツの部屋から出してみた。

 番長は広い空間を歩き回る。元気は少しだけ戻ったみたいだ。だが、前脚以外の跗節(ふせつ)が麻痺して動かないようで、気になった。


 跗節(ふせつ)とは、昆虫の脚の鍵爪(かぎつめ)のある先端部分のこと。跗節(ふせつ)が麻痺したクワガタムシは衰弱していることが多い。


 番長を仰向けにしてみた。

 元気のあるクワガタムシは仰向けになると脚をジタバタと動かすのだが、番長は左の中脚と後脚の動きが悪い。

 これでは山に帰っても木登りできそうにないな、と思った。


 実はこの2日の間に、番長の里親(さとおや)になりたいという人が現れた。仕事の取引先の業者の方だ。

「クワガタは何匹か飼っているけど、今、ヒラタはいないんだ。譲って欲しい」

とのことだった。


 内心、正直言って躊躇(ためら)った。

 私は番長を、元気になったら山に帰すつもりでいたのだ。

 ヒラタクワガタは寿命の長いドルクス属だ。越冬すればまた来年の夏がある。

 越冬を考えるなら、番長は冬眠の間の栄養を身体(からだ)に蓄え、越冬できる居場所も探さなければならない。寒い季節になる前に山に帰してあげなければきっと困るだろう。


 だが、はたして今の番長の体力で、寒い冬を乗り越えることができるだろうか?


 最初は「しっかり面倒を見れる人でないと譲れないよ。」と話した。

「譲ってもらえるならすぐに移せるように堆肥(たいひ)を入れた飼育ケースを持ってくるから」という返答だった。

 現在飼われているクワガタムシたちは充分可愛がられているようだ。


 私は昆虫の育成には詳しくない。ただ、虫好きなだけの人間だ。番長を飼育するとなると、正直な話、適格な世話の仕方に自信がない。


 これがミヤマクワガタのような短命の(しゅ)だったなら、悔いなく生きて欲しいと山に返しただろうが、番長にはまだ先がある。寿命ではない。

 衰弱したまま山で命を落とすよりも、人間の世話になりながらも生き長らえたほうがいいだろう、と判断した。

 番長を譲ることに承諾した。


 帰宅して番長の部屋を覗いた。またコーヒー牛乳の隣から私を見上げていた。

 大顎(ハサミ)に何か極少のガラス玉のようなものが付いていた。取り除いてみると、それは蜂蜜なのかメイプルシロップなのか、液状の物が乾いて固まった物だった。

 こうなることを嫌うんだな、と思った。

 頭をチョンと(つつ)くと大顎(ハサミ)をグワッと広げた。その隙間に指を入れてみる。やはり挟まない。

 思いきり噛みついてくれたほうが私は元気を感じて嬉しいのだが。


 きっと番長は優しくて、いいヤツなのだ。


 翌日、番長を里親さんに引き渡す日が来た。


「ちゃんと可愛がってもらうんだぞ」と番長に声をかけた。


 小さなお菓子の空箱に少し湿ったティッシュを敷いて、その中に番長を入れた。慣れない環境に何かを察したのか、番長はおとなしかった。


 仕事場に連れていき、里親さんに引き渡した。番長は萎縮したように静かだった。

 たった三日間の同居生活だったが、別れをとても名残惜(なごりお)しく感じた。

 だが、私の部屋を訪れた虫たちには、もてなして、私の悪ふざけにちょっと付き合ってもらって、そしてまた自分の居場所に帰ってもらうことが私にとっては丁度いいのだ、きっと。


 数日経って、里親さんから報告をもらった。

「凄く元気になったぞ。脚も麻痺してないし、()ぶし、自分で土にも潜るぞ」

との話。

 小学生の息子と一緒に世話をしているという。

 この方に世話してもらって良かった、正解だった、と思った。


 息子さんの名前は悠人(はると)君という。

 この場を借りて二人にお礼を言いたいと思う。


 里親さんと悠人君、番長の面倒を見てくれてありがとう。元気を回復させてくれてありがとう。

 これからも末長く可愛がってあげてください。

 お願いしますね。


 しかし、私はどうして毎年、クワガタムシを拾うのだろう?

 以前に保護して脱走したコクワガタの姫様が山で何か噂話を流しているのだろうか? などと考えてしまう今日この頃である。


◆◇◆


 ヒラタクワガタとコクワガタは共にルーツをオオクワガタに持つ(しゅ)で、長く生きる個体は数年生きます。

 喧嘩しないおとなしい個体のほうが長生きする傾向にあるようです。体力の消耗が寿命に関係するようです。

 ヒラタクワガタは基本的に暴れん坊なので、他の二種に比べて少し寿命が短めのようです。


挿絵(By みてみん)


 悠人君の名前を掲載することには親御様の御了承をいただきました。 m(_ _)m

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― 新着の感想 ―
[一言] 元気になって良かったですね。 弱っている生き物は、やはり飼い慣れている人にお任せするのがいちばんなのかもしれませんね。 今時はカブトムシやクワガタムシを野生で捕まえるのは難しいと聞きますが、…
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