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第10話 珈琲とハエトリグモ

 ハエトリグモが部屋に現れた。

 ちょうど、私が外出しようとした時のことだった。


 実は少し前に、私はある事実を知った。蜘蛛は珈琲に酔うという。蜘蛛にとってカフェインは、人間にとってのアルコールに匹敵するというのだ。

 これは20年ほど前から知られていた事実だというが、私は全く知らなかった。


 あまり時間に余裕があったわけではないが、私はこのハエトリグモをおもてなしすることにした。


 本音を言ってしまえば、「珈琲に酔う」の話の真実が知りたくて、私はハエトリグモが部屋に来訪してくれるのをずっと待っていたのだ。


 ちなみに、蜘蛛が珈琲に酔うことを発見したのは、アメリカ人のピーター・ウィット氏という虫好きな人物だ。

 彼が自身の飼っていた蜘蛛に軽いジョークで珈琲を飲ませたところ、その蜘蛛はお酒に酔ったような奇妙な状態に陥ってしまったそうだ。その話をどこぞの研究機関が聞きつけて事実の確認立証をしたという話だ。


 では今回、私がおもてなしするハエトリグモはどんな行動を見せてくれるのだろうか。


 命名は『ハエトリ殿』だ。


 ハエトリ殿は言わずと知れた蜘蛛流忍者だ。若くてとても元気が良い。私を警戒しているようで、ピョンピョンと激しく跳ねて逃げようとする。そんなハエトリ殿をとりあえず、コンビニ弁当の空容器に封じ込め……、いや、空容器御殿にお招きした。


 ハエトリ殿は空容器御殿のおかず入れ側に居場所を確保しているので、私はご飯入れ側に無糖珈琲を小匙(こさじ)一杯ほど垂らした。


 それでは検証の開始……、いや、おもてなしの始まりだ。


 さて、どうしたら珈琲を飲んでくれるだろうか?

 小さな身体(からだ)のハエトリ殿のことだ。うっかり珈琲に溺れるような事故が起きては大変だ。


 どうしたものかとハエトリ殿をしばらく眺めていると、ハエトリ殿は空容器御殿の内側を落ち着きなくキョロキョロピョンピョンと跳ねだした。突然の出来事にきっと警戒心は最大値なのだろう。ここで無理に珈琲を飲ませようとして更に警戒されたくはない。

 と思っていたら、ハエトリ殿が突然、(みずか)ら珈琲溜まりにパチャンと飛び込んだ。そして動かなくなった。そのまま微動だにしない。


 溺れたか!? いや、珈琲は溺れるほどの深さはない。ハエトリ殿の足元が少し濡れる程度の量だ。だが、万が一があってはいけない。

 私はティッシュペーパーでハエトリ殿の身体から珈琲を拭き取った。するとハエトリ殿はすぐにピョンピョンと跳ねだした。

 だが……。


 あれ!? なんか変だ。おかしいぞ?


 さっきまで一回の跳躍で5cm(センチ)以上の距離を跳ねていたのだが、今は3cmにも満たない飛距離だ。しかも、跳ねる向きがままならないように見える。前進しようとして上方向に跳ね過ぎたり、着地の体勢が覚束無(おぼつかな)かったりと、戸惑っているように見える。時間はまだ、珈琲にパチャンから一分ほどしか経過していない。


 ハエトリ殿は跳躍を数回繰り返すと、跳ねるのをやめてゆっくりと歩きだした。その歩調にスムーズさを感じない。千鳥足だ。時々身体(からだ)を傾けて足を止める。

 そんな状態でも私から逃げようとしていることが伺える。

 まぁ、当然だろう。ハエトリ殿は最初はただご機嫌に私の部屋を散策していただけなのだ。そこを突然、弁当の空容器に捕獲され、珈琲に酔い、更には今、興味津々の私にティッシュを(よじ)って作った紙縒(こより)(つつ)かれているのだから。

 だが、私に悪気はないのだよ。本当に興味津々なだけなのだ。


 せっかくのおもてなしだ。もっとリラックスしてもらいたい。


 私は、幅5cmのロール状のガムテープをハエトリ殿の頭上からカポッと被せた。ハエトリ殿にとっては高さ5cmの牢獄だ。

 私はハエトリ殿の心が落ち着くまでの少しの間、ハエトリ殿を見守ろうと思った。


 するとハエトリ殿はすぐにガムテープの芯の内側を這い登って、ガムテープの最上部に辿り着いた。そして身体を傾けた体勢で立ち止まり、私をジッと見つめてきた。私もハエトリ殿をジッと見つめる。

 するとハエトリ殿は右半身の足を持ち上げて(こす)り合わせ始めた。珈琲を飲んだ直後からよく足を(こす)り合わせる動作を見せるのだが、その仕草が今は見様によっては脇腹をボリボリと()くオッサンのようにも見える。


 私の個人的で勝手な結論。


『蜘蛛は珈琲で本当に酔っぱらう! そしてハエトリ殿は酔っぱらいだ! 紛れもなく酔っぱらいオヤジだ!』


 ハエトリ殿が酔ってご機嫌なのかは定かでないが、酔ったハエトリ殿を観察できた私は超ご機嫌だ。


 するとふいにハエトリ殿がガムテープの上から飛び降りた。不十分な跳躍だった。密かに私はハエトリ殿が着地でズッコケることを期待した。そして一瞬、我が目を疑った。

 ハエトリ殿の落下速度が空中でスローダウンしたのだ。

 転ばぬ先の杖。ハエトリ殿は跳躍の瞬間間際、(みずか)らの糸を命綱として跳躍地点に結んでいた。その糸を利用することで上手く体勢をコントロールして無事に着地したのだ。

 さすが、蜘蛛流忍者だ。その行動に抜かりはない。


 ハエトリ殿もだいぶリラックスできてきたようだ。だが、私にはもう時間の余裕がなくなってしまった。

 しかし、ハエトリ殿を部屋から追い出そうとも思わない。


「ハエトリ殿、私はもう時間がないから行くが、ハエトリ殿は心ゆくまでゆっくりしていってくれ」


 私はハエトリ殿の居場所を部屋の隅に移動しようと、ハエトリ殿の前に手を差し出した。意を汲んでくれたのか、ハエトリ殿は私の手に乗ってくれた。


 私はハエトリ殿を手に乗せたまま立ち上がった。すると突然、ハエトリ殿が私の(てのひら)から飛び降りた。腰ほどの高さだった。

 次の瞬間、私の足元の辺りから小さなコツンという音が聞こえた。

 最後の最後に着地に失敗してズッコケたようだ。

 忍者と言えど、ハエトリ殿はやはり立派な酔っぱらいだった。


 ハエトリ殿、最後のズッコケ、私の期待に見事に応えてくれてありがとう。


◆◇◆


 カフェインは虫たちにとってかなり特殊な成分のようです。

 カフェインを摂取すると蜘蛛は酔い、甲虫類は興奮状態になり、蜜蜂は記憶力を向上させることが分かっています。

 人にとってお酒の飲み過ぎが体に毒のように、やはり、虫たちにとってカフェインの摂りすぎは体に毒となるようです。

 虫をペットとして飼われている方、カフェインの与え過ぎにはご注意してくださいね。




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