第9話 みのむしは和の風流
『みのむし、いとあわれなり。
鬼の生みたりければ、親に似て
これもおそろしき心あらんとて……』
これは平安時代に書かれた枕草子の文章の一節である。
千年の昔の随筆家、清少納言によって書かれたものだ。
みのむしは短歌や俳句などにも数多く詠われている。
古来より、みのむしは人々の暮らしに馴染み深い身近な隣人であった。
少々、みのむしの紹介をしたいと思う。
みのむしとは、ミノガと呼ばれる蛾の幼虫のことだ。
枯れ葉や枯れ枝に粘性の糸を絡めて袋状の巣を作り、木の枝にぶら下がる。
幼虫の作る巣が藁で作った雨具「簑」に似ているため「みのむし」と呼ばれるようになった。
私が幼い頃には、よく自宅の庭の柿の木の枝にもぶら下がっていたものだ。しかし最近はめっきりと見かけなくなった。
近年のみのむしは何処に生息しているのだろう?
調べてみようと、少しググってみた。
そしてそこで私はユニークな動画を見つけた。
そこにあったのは、引っ越しをするみのむしの姿だった。
私はみのむしのことを、只只、木の枝にぶら下がっているだけの虫だと思っていた。
しかしその動画の中のみのむしは下半身に簑をぶら下げ、枝に前脚で掴まりながら、のそのそぶらぶらと移動していた。
お気に入りの場所を見つけたらそこに簑を固定するらしい。
見た目はまんまイモムシなのに、その行動はユニークすぎる。
ふと、人間にも似たような状況があることに気付いた。
冬の寒い朝のこと、私はトイレに行きたくなって目が覚めた。布団から出るのは寒い。寒いのは辛い。トイレは必須だから行かねばならない。
布団に包まったままトイレまで這っていくことはできないだろうか。
いや、強者ともなれば、きっと布団に包まったままの姿でトイレに向かうだろう。
コタツに潜り込んでいる人にも同じ心境の者はいるだろうと思う。
実はみのむしについての詳細はあまり分かってはいない。未記載種と呼ばれるものもまだまだたくさん存在する。
未記載種とは学術論文などで正式に分類学的記載が行われていない生物種のことだ。「新種」とほぼ同意味の言葉として使用される。
そうか、未記載種か……。
布団という名の簑。コタツという名の簑。
そうだ。きっとそうに違いない。
私の個人的で勝手な結論。
『実は人間も未記載種のみのむしだった!
そのことに多くの人たちは気付いていないだけ!』
間違いない。身体に何らかの被覆物を纏っている生物はみのむしだけなのだ、おそらくは。多分。きっと。
昔、みのむしは子供たちの良き遊び相手だった。
みのむしは簑を奪われるとすぐに新しい簑を作り始める。
その時に様々な材料を与えると、みのむしはその材料を基に新しい自分の簑を作る。例えば、細かく切った色とりどりの色紙を与えれば実にカラフルな簑を作る。
子供たちはみのむしにそれぞれの風変わりな簑を作らせて楽しんだ。
私も幼い頃に新聞紙柄の簑を作らせたことがある。しかし今思えば可哀想なことをしたと思う。
出来上がった新聞紙簑は「とりあえず寝れればいい」といった感じの柔なテントのようなものだった。
みのむしにとって簑とは、たくさんの時間を費やして少しずつ補強を重ねた大事なマイホームであり、外敵から身を守るためのシェルターであり、冬を無事に越すための大切な砦でもあるのだ。
現在、そのみのむしが大変なことになっている。その数を激減させ、絶滅の危機に陥っているというのだ。
私が柔な新聞紙簑を作らせたから、というわけではない。
原因はみのむしに寄生するヤドリバエという蝿だ。
みのむしは農家にとっては木々の葉を食べる害虫だ。
中国では果樹をみのむしの被害から守るため、みのむしの天敵であるヤドリバエを農園に放った。農園経営のための手段だった。
このヤドリバエが30年ほど前に、日本に紛れ込んでしまったのだ。
防衛手段を持たないみのむしは、みるみるうちにその数を激減させた。
今では絶滅危惧種に指定している地域もある。
みのむしは農家にとっては確かに害虫なのかもしれない。
しかし、私は思う。
みのむしは他の生物を襲わない。仲間同士の喧嘩もしない。一生のほとんどを木の枝にぶら下がって過ごし、只只葉だけを食べ、成虫になったら子孫を残してその生涯を終える。
闘うための毒も武器も持たない、実に穏やかで平和な虫なのだ。
これから先の未来も、みのむしが外敵と闘うための手段を獲得することは無いだろう。
おそらくはこの日本という国の創成期から近代まで、ずっと人々の身近な隣人として暮らしてきたみのむしだ。
日本の風流を護ってきた虫なのだ。
ここで滅んでしまうのは忍びない。
みのむしが安心して暮らせる理想郷は現れるのだろうか。
子供たちがみのむしと遊び、人々が枝にぶら下がったみのむしを見つけて秋の訪れを感じる。
そんな日本の風流を失ってはならないと私は思う。
◆◇◆
日本では環境省が先導する「生息域外保全」と呼ばれる取り組みがあります。
絶滅危惧種を保護して安全な施設で育成、増殖し、生きものを絶滅から救う、という取り組みです。
しかし、昆虫類の保全技術は全般的に立ち遅れているというのが現状です。