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人に謳う讃美歌  作者: エクスマ
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襲撃

 ~オペレートルームにて~


「カノ!現在一番近い場所にいる戦闘員は誰だ!」

「アカリさんです。通信機器も回復してきたみたいなので救援要請を出しますね。」

「ああ、よろしく頼む」

「分かりました、今つなぎます!」


カノの指がすさまじい速さでキーボードの上を走る。


「コネクト完了、アカリさん、聞こえますか?」

『ごめんカノ君!無線機がちょっとうまくつながらなくて…どうしたの?』

「現在、饕餮管理区域に天使の侵入を確認しています。最も近い戦闘員はアカリさんしかいませんので、至急救援に向かってください!」

『おっけー、そういうことね!すぐ行くよ!いったん切るね!』


ぷつんと無線が切れる音と同時にカノは体から力が抜けていくのを感じた。それでもキーボードにのせた手を下ろすことはない。


「間に合ってくれよ…あれ?この反応は…局長、少しいいですか?」

「どうした、見せろ」

「はい。この反応、『異邦人』個体名字瀬光の生体反応なんですが…」

「…栗氷の作業場か…動き始めたぞ?!一体どこへ…まさか!カノ!廊下中の障壁を起動させろ!ネフィリに誰も出させるなとも伝えろ!」

「は、はい!………そんな?!隔壁、応答なし!ネフィリさんへの無線もつながりません!局長…これは、一体…?」


困惑するカノの問いかけに答えずに、局長と呼ばれた女性はただその拳を固く握りしめた。


「カノ、アカリへ伝達を。字瀬光の保護に全力を注げと伝えろ」

「はい!…すいません、聞こえますかアカリさん!現在、『異邦人』個体名字瀬光が外へ向かっています。直ちに対象の保護、および無事の帰投をお願いします!…はい、ご健闘を」

「アカリへの伝達は終わったな?…カノ。栗氷の部屋と無線をつないでくれ」

「はい。――接続完了しました。開きます」


同時に空中にホログラフが浮かび上がった。多少のノイズは走っているが、アラバキの姿がはっきりと映し出されている。


『あいよ開きましたきょくちょー。どのようなご用件で?』

「とぼけるなよ、字瀬光を外へ出したのはお前だな?隔壁にまで干渉して、一体何がしたい?そこまでして私たちを危険に陥れたいか?」

『なわけないじゃないですか…おれは彼が外に出たいって言ってたから手ぇ貸しただけっすよ。で、用件はそれだけっすか?もう切りますよ』

「アラバキ!お前が私たちを恨むのは分かる。だが、それで彼を危険に陥れる必要はないだろう?もし彼が天使になりでもしたらどうするんだ!客人をいたずらに危険にさらすなど、あってはならん…!お前には散々教えただろう!」

『…ふん、『人として』みたいな台詞を言わなかった点は評価できるね。でも、あんたは何もわかっちゃいない。あいつは自分の意志で行くって決めたんだよ。おれが止めても駄目だったんだ。それよりさあ、何?今更母親ヅラして説教か?おれが部隊にいたころに比べて随分丸くなったじゃねえか。笑えるぜ』

「私はお前にしてきた仕打ちを忘れることはない。口が裂けてもお前の親だとは言えんからな…だがな、それとこれとは話が別だ。無断で非戦闘員を外に出したことについては後程凶裁所に報告しておく。弁明を考えておけ」


アラバキは苛立たしげに舌打ちをすると、ぶつんと無線を切った。


「…局長」

「ああ、すまない。カノはアカリの補佐に注力してくれ」

「了解しました。アカリさん、そちらへ数体大天種が向かっています。対応をお願いします」


モニターに映し出された天使の反応はざっと20体。権天種を囲むようにして、天使種と大天種が要塞の如く配置されている。


「間に合ってくださいよ…」


椅子に背中を預けながら、カノは祈る様につぶやいた。


 雨が降りしきる中、傘もささずに全速力で走りつづける。これだけの雨を浴びているというのに、服は重さを増すことはない。かなり防水性能がいいようだ。靴もまた水が入らないようになっている。


「…あれか」


視界の先に、空に浮かぶ一体の天使が見えた。艶めかしい女性の裸体に接続されたグロテスクな魚の尻尾、背負う一対の翼は真っ白で頭上には輪のような物が浮かんでいる。間違いなく、権天種の個体だ。その周囲には球体から人型まで、多種多様な天使が逃げ遅れた人を襲っている。だが俺の目的はアカリとの合流だ。


「シェルターへ急げ、部隊の到着を――」


逃げ遅れた人の誘導を行っていた1人が天使に頭を弾き飛ばされた。弧を描いて飛んだ頭が地面に転がる。その光景は、周囲の人間に恐怖を伝播させた。


「――――!」


もはや言語化不可能なレベルにまで混ざり合った言葉が狂気を孕んで空気を震わせた。自分たちを誘導していたリーダーを失った彼らは、各々の思うままの方向に逃げ出した。その先に天使がいようとかまわずに。


「そっちは駄目だ、早くシェルターに入れ!」


集団の中にいた青年の1人が声を上げたが、パニック状態になった彼らには届かない。それぞれ全員が天使の餌食になった。天使は人間たちを一掃するのではなく、1人1人丁寧に殺している。楽園奏者(アヴェスレター)を握る手に力がこもる。しかしここで俺が出たところであの人たちを助けられるのか?…いや、ほかの天使の相手をして死んでは世話がない。俺は俺の目的を果たさないと。


「くそっ、全員やられた…!生き残らなきゃ…ひいッ?!」


青年の目の前に天使が舞い降りる。球体の天使種だが、楽園壊し(エデンヘンドラー)のない人間が倒せる相手ではない。天使の身体から棘が伸びる。あれでさっきも的確に心臓を刺し貫いていた。このまま俺が動かなければあの青年も死ぬ。


「俺はッ…」


俺は、あの青年を見殺しにするのか。仕方がない。俺だって死にたくはない。自分の命が最重要なのは人間の性だ。俺には自分の命を全うする権利がある。


「…ある…のか?…ッ!」


そう考えた瞬間、脳内にいくつもの光景がフラッシュバックする。かろうじてわかるのは、そこは自分の家で、白い壁に赤い血痕がこびりついているということだけ。ただ、一つだけ思い出した。俺は、罪人だ。自分の命を全うする権利など、とっくに失っている。


「うッ…ああああああ!」


脚に力を込め、大地を蹴った。同時に楽園奏者(アヴェスレター)の柄を持ち手に押し込む。それに呼応して斧部分が槍部分と結合し、鎌へと形を変える。そのまま天使を鎌で薙ぎ払った。天使の外殻にひびが入り、中にある白い球体が露になった。瞬時に持ち手のトリガーを引く。結合していた斧が定位置に戻り、再びハルバードとなった楽園奏者(アヴェスレター)を球体めがけて突き込んだ。導かれるままに、楽園奏者(アヴェスレター)を振るった。


「La―――」


儚げな音色を響かせ、天使は崩れた。その亡骸は土の上にぱらぱらと降り積もる。


「はあっ…無事…ですか?」

「あ、ああ…ありがとう。君は…連絡にあった異邦人か。ともかく助けてくれて感謝する。一緒にシェルターまで行くか?」

「………いえ、俺は残った天使の相手をします。倒せないかもしれないけど、やらなきゃいけないから…」

「…危険だと判断したらすぐにこっちにこいよ!この借りは必ず返す!」


青年は地面に取り付けられた地下へと続く扉を開け、中へ入っていった。恐らくあの中にシェルターとやらがあるんだろう。だが、俺はその安寧の地に入る資格はない。


「邪魔だ」


俺はいち早くアカリのもとへとたどり着かなければならない。最短のルートを、この武器が教えてくれる。だが進路上には多数の天使がひしめいている。俺はその中に踏み込み、ハルバードの杭部分を天使の輪にひっかけ思いきり振り飛ばした。何体かの天使を巻き込み、天使は崩れた瓦礫の中に突入する。


「よし…」


足を止めずに管理局の北東、アカリがいた場所へ向かう。天使たちが俺を敵と認識したのかわらわらと集まってくるが、今は相手をしている暇はない。天使が放ってくる針のような攻撃は速度が遅く、十分俺でも回避ができる。なぜかは分からないが、楽園奏者(アヴェスレター)を持ってから体が少し軽い気がする。

 集まっているのは球体の天使種ばかりで、大天種らしき影はあまり見られない。ありがたいことこの上ないが、カノの放送では大天種も侵入したと言っていた。少々不安だ。


「あいつか…!」


そこまで高く浮いていられないのか、権天種と思わしき天使が地面に付かない程度の高さに浮かんでいる。天使種と比べて体はかなり大きく、一見鈍重そうな印象を受ける。魚の尻尾のような部分が異様に膨らんでいるが、それ以外はリシュルに見せてもらった画像とほぼ同じだ。


「a――――」


笛の旋律のような繊細な音が響き渡るのと同時に、周囲の天使種が一斉に権天種のもとへと集まり始めた。何をするのかと観察していると、なんと権天種の女神像の胸が大きく開き、天使種を中へ入れ始めた。天使種が胸の中に入っていくたびに、尻尾のふくらみが躍動する。


「…何してるんだ?」


一定数天使種をため込んだところで、権天種は羽で自分の体を覆い尻尾の部分が発光し始めた。何をしようとしているのかは分からないが、周囲の天使種は権天種に吸い込まれ数が少ない。回り込むなら今が好機だ。

 俺は権天種に感知されないようそっと一歩を踏み出した。ゆっくりと権天種の横をばれないように通る。何とか隠れられそうな瓦礫までたどり着けたが、それと同時に権天種も動き始めた。その体からふわりと光の玉が浮かび上がり、権天種を中心に広がった。


「…あれ、触れたらやばいよなあ…」


いかにも触れたら爆発しそうな光の玉が、ずらりと並んで俺の進路を塞いでいる。飛び越えるのも難しそうだ。退路も光の玉によって断たれた。ここで、権天種をどうにかしないといずれ見つかる。…やれるだろうか。俺に、倒せるだろうか。


「やってみるしか、ないのか…?」


心の中でまだ迷っている。安寧の地に入ることなどできない罪人などとかっこつけておきながらこのザマだ。罪人だと自覚しているなら、その埋め合わせをするべきだ。

 俺は隠れていた瓦礫から飛び出し、ハルバードを権天種のふくらみ発光する尻尾に突き込んだ。権天種の尻尾はかなり柔らかく、その一撃で穴が開いた。そこから大量の光る液体が迸る。粘性の高いそれは地面に落ちてなおまだ躍動している。


「a――――――!!」


権天種は女神像を思い切りのけぞらせ耳をつんざくような高い咆哮を発した。どうやら今の一撃はそれなりに効いているようだ。


「ならこのまま…!」


再びハルバードを構え、今度は女神像の大体心臓のあたりを刺突する。しかしその一撃は突如として空から落ちてきた人型の大天種に阻まれた。陶磁器のようにつるりとした体には人間で言うところの指が見当たらず、目も口もない。


「新手か…!」


ハルバードの穂先が大天種の腕に阻まれ火花を散らしている。よく見ると腕にガントレットのようなものがついていた。

 ガントレットではなく、当てやすい胴体めがけてハルバードを打ち込む。流石にこれはガントレットで防がれたが、天使も即座に攻撃に移行できない。その隙に楽園奏者(アヴェスレター)の柄を押し込んで鎌へと変化させ、左腕の関節部めがけて薙いだ。

 狙いはわずかにずれたが、確かに刃先が肉へと食い込む感触。しかし天使はガントレットのついた手で鎌を掴み、食い込んでいた鎌を押しのけた。このままでは俺自身が天使に引っ張られる。そうなれば生身の俺は一瞬で天使に叩きのめされるだろう。


「ッおお!」


勢い任せに鎌を振り回し、鎌を掴んだ天使を瓦礫に叩きつけた。しかしこの一撃は予想していたのか、天使は鎌を離し俺から距離を取った。地面に着地すると同時に一瞬で距離を詰めてくる。

 振るわれる一撃は鋭く、そして重い。楽園奏者(アヴェスレター)によって強化された俺の力でも衝撃を殺せない。攻撃の余波だけで体の節々が悲鳴を上げている。


「面倒だな…」


ハルバードで押し返すようにして大天種と距離を取る。アカリのもとへ行くにも、あの大天種をどうにかしないと恐らく邪魔される。勝てるかと聞かれればやるしかないとしか言いようがないのだが、正直不安だ。俺に、できるだろうか。


「やるっきゃないでしょ…!」


楽園奏者(アヴェスレター)を構え、大天種と相対する。権天種が攻撃してくる気配はないし、邪魔さえなければいけるかもしれない。

 しかしこのときの俺は知らなかった。権天種の持つ力を、そしてその恐ろしさも。


「ra――――」


まるで讃美歌の如き歌声がその場に響き渡った。音の発生源は権天種だ。その権天種からあの光る粘性の高い液体が流れだしている。液体は一直線に大天種に向かい、大天種に吸い込まれていった。液体を取り込んだ大天種は淡い光をまとっている。


「何を…ッ?!」


瞬きの間に俺の目の前に大天種が距離を詰めてきていた。振るわれる腕の一撃はさっきよりも速度が増し、重みも増している。とっさに構えた楽園奏者(アヴェスレター)が跳ね上げられた。あの液体を取り込んでから明らかに力を増している。


「くそっ!」


がら空きの頭部めがけて楽園奏者(アヴェスレター)を振り下ろす。しかしその穂先は虚しく空を切った。いつの間にか大天種が俺の懐に潜り込んできている。急いで楽園奏者(アヴェスレター)を引き戻し攻撃を防ごうとしたが、その隙間を縫って大天種の肘が胸に刺さった。


「うぐっ…!」


強烈な一撃で息が詰まり、一瞬呼吸の仕方さえ分からなくなる。早く倒さなければという焦りが俺の思考を狂わせる。早く倒さなきゃと、俺は楽園奏者(アヴェスレター)を振り上げた。

 あろうことか大天種が目の前にいるこの状況で、だ。そう認識したときには既に遅く、大天種の腕ががら空きの俺の胴を打ち抜いていた。


「がッ…」


内臓を抉るような一撃に苦悶する。立っていることすら出来ず、吹っ飛ばされて地面に転がった。今まで経験したことのないような苦しさが襲ってくる。呼吸すらままならず、立ち上がることもできない。必死に息を吸い込むとカラカラの口内がさらに乾き、苦い唾液の味が広がった。


「…げほ」


口元をぬぐい、震える両膝に鞭を打って足に力を入れる。しかしどうしても立つことはできず地面に崩れ落ちた。その間にも大天種は距離を詰めてくる。立ち向かうことはおろか逃げることすら出来ない。

 動けない俺の頬に大天種の蹴りが突き刺さった。またも無様に地面に転がされ、這いつくばった。口の中が切れたのか血の味がする。蹴られた衝撃で頭がぐらぐらしてまともに働かない。


「俺の…武器、は…」


手探りで周囲を探るがそれらしきものはない。顔を少し上げると視界の端に銀色の光が見えた。力の入らない脚の代わりに這いつくばったまま腕だけで進む。権天種を倒しその天使核を手に入れる。こんなところで躓いていたらそんなことは夢のまた夢だ。タイムリミットまであと3日しかないというのに。

 もちろん天使が俺の事情を考えて止まってくれるはずもなく、すぐに捕まえられた。指のない腕が足に絡みつき、宙に釣り上げられる。事態を把握するより先に俺の身体が地面に叩きつけられた。子供が玩具を振り回すように、何度も俺を地面に叩き付ける。ちらりと見えた大天種の顔に、三日月のように裂けた暗闇が広がっていた。


「ぐあ…」


痛みと衝撃が体中を駆け巡り、耐え切れずに呻き声をこぼした。既に右目は腫れ、視界はほぼ左目頼りだ。しかしいつの間にか大天種は俺を振り回さなくなっていた。その代わり今度は足ではなく首を掴まれている。もはや抵抗する力は残されておらず、ただ大天種の動きだけを見ていた。大天種が片腕を引き絞る。顔面に大天種の腕が迫る。その腕が俺の顔面を粉砕するより先に何かが空から降ってきた。


「せえやあああああ!」


裂帛の気合とともに大天種の頭上に巨大な槌が振り下ろされた。甲高い金属音が鼓膜を刺激する。同時に俺の首から大天種の手が外れた。


「げほっ…誰…だ…?」


見えている左目で状況を把握する。頭に槌を振り下ろされた大天種は押しつぶされまいと踏ん張っている。そしてその槌を振るっているのは、赤茶色の髪に琥珀色の瞳、頭のゴーグルがトレードマークの佐田雲アカリだった。当初の目的は達成できたが、俺がこの状態では協力などできるはずもない。


「かったいなあ…いい加減、沈めッ!」


アカリの振り下ろした槌が重みを増したのか大天種がさらに沈み込む。しかし少しづつアカリの槌が押し上げられているのが視認できた。


「Luaaaaa…!!」


地の底から響くような声とともに、アカリの槌が押しのけられた。アカリ自身も跳ね飛ばされたが、飛ばされる前に俺の襟をつかんでいたようでアカリの隣に落ちた。


「なるほど…権天種に強化されたのか…面倒だなあ」

「あ…アカリ…その…」

「なんで光がここにいるのかは今は聞かない。それよりもここから逃げることが先決だからね。あと5分で任務に出た部隊が戻ってくるはずだ。それまでは耐えなきゃだけど」


アカリが槌を構え、地面を蹴る。もう視認できないレベルの速度で大天種の背後に回った。振り下ろされた槌が大天種の頭に直撃する――前にその一撃はガントレットで防がれた。


「何のッ!」


瞬間槌から白い光が一瞬溢れだし、大天種の両腕のガントレットを粉砕する。砕かれたガントレットから夜空のような美しい模様が見え隠れしている。あれが天使本来の肉体なんだろうか。勿論大天種もただ攻撃を受けたのではない。

 渾身の一振りを終えたアカリには隙が生じる。大天種はその隙を待っていたかのように、アカリの腹を砕けた腕で打ち抜いた。アカリの身体が宙を舞い、思いっきり吹っ飛んだ。しかし俺のように無様に転がるようなことはなく、空中で体勢を立て直し瓦礫を踏み台に再び大天種めがけて突撃する。


「…まじか」


俺が一撃で仕留められたというのに、もろに食らったアカリは全然効いていないように見える。基礎的な耐久力が俺とは段違いなんだろう。訓練の成果というやつかだろうか。だが俺がどれだけ鍛えてもああはならない。


「せいやッ!」


気合とともに振るわれた槌は大天種の脇腹を捉え、踏み留まる暇すら与えずに吹っ飛ばした。間髪入れずアカリは宙に舞った大天種へ追撃を仕掛けた。地面に叩きつけられ身動きが取れなくなった大天種にアカリは槌を振り下ろす。叩き潰された大天種はしばらく槌の下敷きになりながらも蠢いたが、すぐに動かなくなり砕け散った。砕けた残骸の中央にひび割れた真っ白な球体が鎮座している。あれが天使核だろうか。


「ふう…まさか権天種の強化が施された個体と戦うことになるなんてね…一発喰らっちゃったし、俺もまだまだかな。で、光は何してんの?」

「俺、は…権天種の天使核を、食わなきゃいけなくて…だから…アカリと…」

「ふうん。まあそうなった理由は帰ってから聞くし説教もその時にするけどさ。どこやられた?一応応急手当くらいなら俺でもできるよ」


いそいそと服に付いたポケットからアカリは注射器のようなものを取り出した。同時に手巾で俺の顔に付いた血や泥を拭ってくれている。


「腹と、見ての通り、顔だ…すまない」

「謝罪も帰ってから聞くから。今は静かに」


アカリは俺の袖をまくり、注射器のようなものを突き刺した。鋭い痛みが一瞬駆け巡るが、すぐに収まった。それと同時に殴られた体の痛みが引いていく。


「うん、ちゃんと効いた。とりあえずほかの部隊が戻るまでの間は俺がここを持たせないとね」


アカリが槌を構える。いつの間にか周囲に天使が集まり始めている。


「カノ君、聞こえてる?」

『はい。聞こえています』


アカリは耳に手を当てて話している。無線か何かなのだろう。通話相手はカノのようだ。


「目標は確保したよ。あとどれくらいでみんな戻ってくる?」

『予測ではあと300秒後にそちらに到着します。いまだそちらに天使が集まり始めているので注意してください。…え?あ、アカリさん!ベリアレさんは今日出ていなかったみたいなので活動可能時間が最大です!今すぐそちらに向かうとのことです!』

「おっけー、それまでは任せておいて!…とはいったものの…この数、どうしたもんかなぁ…」

『アカリさん、権天種が周囲の信仰濃度を上昇させ始めました!天使の集合が加速しています、気を付けて!』

「うへえ、先に片付けるか…!」


アカリは腰を低く落とし、槌を構える。それと同時にアカリの身体が一瞬銀色の光に包まれた。権天種がアカリに気付いたのか翼を大きく広げた。その隙にアカリは権天種に急接近する。


「la――――」


権天種の周囲に白い針が浮かび上がり、アカリめがけて射出された。恐らく人間の身体能力ではおよそ避けることのできない軌道で襲い来る針をアカリはよけていく。地面に突き刺さった針はまるで意志を持っているかのように軌道を再び変え、背後からアカリに襲い掛かった。


「アカリ…!」


思わず叫んだ時には既にアカリの身体は動いていた。勢いよく飛び上がり権天種を飛び越すことで権天種自体を盾にしたのだ。


「iaaaaaa―――――!!!!」


耳をつんざくような叫び声が響き渡った。針を全身に受けた権天種は体のあちこちが破れ白色の液体が零れ落ちている。アカリは間髪入れず悶える権天種に槌をぶち当てた。権天種は何度も地面にぶつかり跳ねながら周囲の天使種を何体か巻き込んで転がった。権天種の下敷きになった天使は抜け出せていないようだ。


「いくよ…!」


アカリが槌の持ち手に付いたトリガーを引く。すると槌の先端、球体の部分が展開し凶悪な杭がその姿を現した。地面を蹴り上げたアカリの身体が跳び上がり、その杭を重なった天使に打ち下ろす。杭の先端が権天種の女神像めがけて振り下ろされるより早く、権天種の尻尾と女神像が分断された。


「くそっ…!」


アカリの槌は切り離された尻尾と下敷きになった天使を砕くだけにとどまった。切り離された女神像は背中に生えた翼でどこかへ飛んで行ってしまった。


「逃がしちゃったか…」


呟きながらも近寄ってくる天使種を槌の一振りで殴り飛ばす。天使種は地面に落ちる前に砕け散り、光る残滓をまき散らした。天使核もろとも砕かれたらしく、あの真っ白な球体は見る影もない。


「俺は…足引っ張ってるな…」


痛む体に鞭を打って、何とか立ち上がる。楽園奏者(アヴェスレター)だけでも一応持っておこう。せめて助けてもらえるだけの時間は稼げるようにしなければ。最も、助けてもらう前提だが。

 何とか落ちていた楽園奏者(アヴェスレター)を手にし、瓦礫に背中を預けた。背後からの襲撃さえ防げればそれなりに対処できるだろう。加勢したい気持ちもあるが、今の俺が加わったところで足手まといにしかならない。歯がゆい気持ちではあるがここは大人しくしておくほうが賢明だ。


「いてて…」


アカリに打ってもらった薬が痛みを緩和しているとはいえ、まだ痛い。それでも楽園奏者(アヴェスレター)を軽く振るくらいの余力はある。

 などと意気込んでみたものの、天使は俺に見向きもせずに全てアカリへと集まっている。まるで俺のことが見えていない…いや、それ以上にアカリに引き付けられているようだ。新しく集まってくる天使も、全てアカリへと殺到する。それらを着実にいなしていくアカリだが、少し疲労の色が見えてきた。ほんの少し、ちょっと呼吸を整えただけ。そこに隙が生まれた。


「アカリ!後ろ!」

「え…」


空気を取り込むたびに痛む肺を無視して叫んだ。ちょうどアカリの背後に迫っていた天使種が、今まさにアカリめがけて突進しようとしていた。翼が螺旋状に捩じられ、角のようになっている。あれを喰らえばアカリと言えどただでは済まないだろう。アカリが俺の声に気付いて振り返るが、今からでは間に合わない。


「くそっ…」


今から楽園奏者(アヴェスレター)を投げれば間に合うだろうか。しかしそれで撃墜できるとは限らないし、何より今の状態では狙いが外れアカリに当たる可能性もある。俺は饕餮を持っていないから、アカリに傷を与えてしまう。

 1秒にも満たない逡巡のうちに、天使の凶刃がアカリに迫る。意を決し、楽園奏者(アヴェスレター)に手をかけた。しかし、俺が楽園奏者(アヴェスレター)を投げるより先に彼方から飛来した閃光が、天使を射抜き撃ち落とした。


「援軍か…」


どうやら間に合ったようだ。恐らく先の閃光はベリアレの物だろう。武器庫でラムルエを捉えた光の矢と酷似している。しかし、息をつく暇もなく天使はアカリのもとへ集まっていく。光の矢が集まる天使を撃ち落としていくが、それでも天使の数は一向に減らない。


「っあ…」


天使の中心で、アカリの膝が折れた。槌を支えにして倒れないようにして入るが、息は荒く体中に傷が見て取れる。好機と見たのか天使たちが一斉にアカリへと殺到する。その中には天使種だけではなく大天種も数体混じっていた。

 アカリが顔を上げ、槌を振り上げようとした瞬間、凛とした声が空から戦場に響き渡った。


「――"堕翼(だよく)天閃刃(てんせんじん)"」


空から稲妻が落ちてきたと見まがうほどの轟音と光がアカリの目の前に落下してきた。同時に周囲の天使がことごとく輪切りにされ、霧散する。


「――たかが神の量産品、私の部下に手を出さないで」


ヒュンと小気味よい風切り音とともに剣を振るう人影。ライトブラウンの髪、紅玉の如き瞳、頬に走った切り傷は紛れもなくリシュル・ルシアその人だった。


「ふう、何とか間に合ったみたい。よく持ちこたえたわね、アカリ」

「たいちょお…有難うございますぅ…うえ」

「ちょ、こんなところで泣かないでよ…そうだ、アカリ。おバカなお客人様は確保した?」

「うん、そこにいますよ」


おバカなお客人という点を全く否定されなかったことについて軽くショックを受ける俺。しかしながら否定できない材料がそろいすぎて何も言えない。


「全く…何やってるの光」

「す、すみません…」

「貴方が死ねばそこから天使が生まれる。それがどれほど危険なことかはわかっているでしょう?自分だけは大丈夫なんて思わないことね。まあ今はこのくらいにして…カノ!周囲の反応は?」

『はい、現在数体の天使がそちらに向かっていますが既に帰還した部隊と交戦中です。皆さん、特にアカリさんは侵食が進んでいるかもしれないのでお早目に帰還してください』


さっきから活動可能時間だとか侵食だとか、外にいると何かが体を蝕んでいるといった旨の話をしているがいったい何のことだろうか。


「はあ…来たばっかだけど帰還するわ。アカリ、周囲の警戒を。カノ、クリアリングをお願い。天使の反応があったら教えて」

『了解しました。…現在地から管理局までの道のりに天使の反応は見受けられません。援軍の皆さんが倒してくださったようですね…帰還終了までこちらも警戒は続けますが、万が一、ということもあり得ます。気を抜かないでくださいね』

「はーい、こちらアカリ。シェルターから民間人一名が外に出ていますが問題なしでしょう。ほかにもぞろぞろ来てます。天使がいなくなったので皆さん安心して外に出られているようです。信仰濃度もだいぶ落ち着いてきましたし、帰りましょうか」

「分かったわ。カノ、これから帰還するから衛生部隊の手配をよろしく。アカリはおバカさんに肩を貸してあげて」

「いや大丈夫です、俺1人で歩けますよ…」

「―そう。ならいいわ、行きましょう」


リシュルはすたすたと歩き始めた。アカリもそれに並んでついていく。俺は置いていかれないように早歩きで2人を追った。抱えた楽園奏者(アヴェスレター)がかなり重いが、泣き言は言ってられない。


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