邂逅-3
部屋まで案内されたところでリシュルは自分の部屋に戻っていった。部屋はメルクのいた牢獄とは大違いで、普通にベッドがあり冷蔵庫まで完備されている。まるでホテルの一室のようだ。バスルームもある。ちなみに水は出なかった。
「まあ…寝れば覚めるかもな…」
まだ夢であるという可能性を捨てきれていないようだ。この肌に感じる温度も、手が触れたものの感触も、すべて本物なのに。何にもやる気が起きなくてベッドに寝っ転がっていると、部屋の扉がノックされた。
「はい」
「お、お邪魔します…えへへ来ちゃった」
「アカリ…君だっけか。怪我、大丈夫なのか?」
「う、うん。俺たち怪我の治りは饕餮のおかげで早いから。ああ別に呼び捨てでいいよ。というわけで佐田雲アカリです、よろしく!君の名前は?」
そう言ってアカリは手を差し出してきた。人懐っこそうな目が俺を見つめる。服装は病人服ではない、俺にも渡されたあの服を着ている。
「字瀬光だ。名字でも、名前でも…どっちでもいい」
俺は差し出されたアカリの手を握りながら言った。予想以上に強い力で握られて少しびっくりした。
「それで、何かあったのか」
「あー…えっと何もないんだけど…光に話を聞きたくてさ。君がもともといたっていう世界のこととか。君が今までどういう暮らしをしてきたのかとか…あ、いやならいいんだ。俺、人と距離図るの苦手でさ。もし不快に感じたんならもうしないよ」
「いや、別に。まあ、俺の身の上話なんてそう面白いことなんてないぞ」
「それでもいいよ。俺は、君の話を聞きたいんだから」
「じゃあ、立ち話もなんだし部屋入るか」
アカリは柔らかく笑う。しかしリシュルは『アカリも心を開いてくれると思う』と言っていた。これほど好青年といった言葉が似あう人間もいないだろうに、なぜだろうか。
「どこから話そうかな…ああ、そうだ。家族について話すか。俺、一人っ子だったんだ。母親と父親と叔父さんの4人暮らしだったんだ。大学にも行かせてもらってたし、それなりに友達もいたんだぜ。まあこれと言って変わってたことなんてなかったな。アカリはどうなんだ?」
「ん、そうだなあ…俺もあんまり変わってたことなんてないよ。友達は結構いたし、周りの人も優しかったしね。まあ、友達はみんな攻撃部隊とか強襲部隊とかに昇進しちゃったけど…でも、たまに会って話はするんだ。いい人ばっかりだよ。光にも紹介したいなあ」
「俺は完璧に部外者だしなあ…てか俺が補給部隊に入隊したことって他の人間に伝わってんのかな…アカリの友達が帰ってきて何も知らされてなかったら俺どうなるんだろ」
「隊長がそこはうまくやってくれてると思うけどね。そうだ、光は隊長のこと、どう思った?」
どう思った、と聞かれてもあまり答えられない。何せ今日会ったばかりなのだ。
「あー…そうだな。しっかりした人だとは思ったよ。ちゃんとここに住んでる人たちのことを考えてる。俺を殺せって命令したのだってそのためだしな」
「そうだね…隊長は俺みたいな落ちこぼれを見捨てないでいてくれてるし、ここに住んでる人たちのことを第一に考えてる。まあ、教官としては鬼なんだけどね…多分俺の友達の中にも隊長にしごかれた人何人かいるよ」
「アカリもそうなのか?」
「うん。体の動かし方から武器の使い方まで、全部教えられた。俺が使ってるのは槌なんだけど、それを振れるようになったのも隊長のおかげなんだよ」
随分とアカリはリシュルに心酔しているようだ。それに見合うことを今まで積み重ねてきたんだろう。確かにリシュルには人を引き付ける何かがあるような気がする。
「あ、ごめん…光の話を聞きに来たのになんかいっぱいしゃべっちゃって…俺、話下手ってよく言われるんだ。治したいんだけど…全然治んなくて…」
「そうかな、俺は別にそう思わなかったけど。俺話繋げるの苦手だけどアカリと話してるときは全然途切れなかったしな。だから気にしなくてもいいと思うぞ」
「そうかな?ならいいけど…あそうだ。光、これあげる」
アカリはそう言って何かのアルミ缶を渡してきた。ラベルには『四凶印缶珈琲』と書いてある。恐らくは普通の缶コーヒーなんだろうけど、ここの技術がいまだに未知数なので飲むのがためらわれる。…饕餮を持ってない人間に毒とかないよな?
「ああ、いやならいいよ。コーヒーは嫌いな人もいるし」
「ああ、いや貰うよ。ありがと」
せっかくだし、ここで飲んでみよう。ちょうど喉も乾いていたし。もし毒が入っていたとしても、それなら近いうちに俺が死ぬことに変わりはないはずだ。なぜなら同じような食材が出回るこの施設の中に住んでいる以上、俺もこの施設の食材を口にしなければならないからだ。
缶コーヒーのプルタブ開けると、元居た世界のコーヒーと同じ香りが広がった。味も同じ。全く変わらない。
「…うまいな。これここで売ってるのか?」
「あー…うん、売ってるよ。ミズキさんに頼めば買える。あ、そうだ。四凶内の案内とかもしないとね。これから時間ある?」
「ん、今は…8時か。時間はあるからお願いしてもいいか?」
そういうとアカリは嬉しそうに微笑んだ。破顔一笑とはこのことか。
「じゃあ行こう!いろいろ知っとかないと明日困るし、ここの人の顔覚えてもらったほうがいいだろうし。よーし、行くよ!」
アカリは俺の手を引いて部屋を出た。なんだか楽しそうだ。俺もつられて顔が緩んだ。アカリと一緒にいるとなんだか気持ちが緩む。
一通り四凶内部を見て回ったところで、時計は9時を指していた。俺とアカリは今食堂にお邪魔している。割と広く、飲み物に関してはソフトドリンクの類からアルコールと思われるものまである幅広い品ぞろえだ。食事も日替わりで種類も多い。ちなみに食堂の料理人はミズキという名前らしい。外があれだけ荒廃しているのに、この施設内は妙に資源が豊富だ。
「なあ、四凶の外って荒れ果ててるよな?なんでこんなに四凶内の食材は豊富なんだ?」
「四凶内に農場があるらしいんだ。そこでいろいろ作ってるんだって。まあ俺も実物を見たことはないんだけど」
農場か…しかしそれであれば海産物はどうしているんだろう。海にはまだ魚がいるんだろうか。それとも完全養殖でやりくりしているんだろうか。いくら四凶が広いといってもそれだけの食糧を生産するのは難しいのではないだろうか。
「ああそうだ。ここ四凶っていうだろ?ここ以外にもう3つ同じようなところがあるから四凶なんだ。まあどこでも食材不足は深刻だったから、食えるだけでも幸せなんだぜ?それも農場のおかげだし、出どころなんていいじゃん」
「そうかな…まあそうか」
考えても分からないことだ。歩き回って乾いた喉を、水でうるおそうとコップを取るのと同時に、食堂全体に響く騒々しい声が聞こえてきた。
「ミズキちゃーん!帰ってきたぞーっ、ビールくださーい!」
「うるせぇぞジュンキ。近所迷惑だちったあ黙れ」
「かーっ、相変わらず口うるさいなあアスターレ…任務で疲れたんだからミズキちゃん成分を補給したいんだよ。これはそのウォークライってやつだ」
「なわけあるか。おい、ベリアレもなんか言ってくれ」
「…」
「ダメだこりゃ、何にも聞いてねえ」
食堂に入ってきたのは3人の男女。1人は黒髪に黒い隊服、割とがっしりした体格の男だ。2人目は茶髪に黒い隊服を着崩した、いかにも不良といったいでたちの男。偏見だが…元居た世界では関わり合いになりたくないタイプだ。3人目は白髪に黒い隊服というモノクロカラーの少女。モノクロというのは比喩ではなく、靴、スカートまで白と黒で統一されている。
「ジュンキさん、お帰りなさい。ビールですね少しお待ちください。アスターレさんとベリアレさんは何がよろしいですか?」
「俺は天水でいい」
「…ニガヨモギリキュール…ロックで」
アスターレとベリアレは俺たちの席の隣に座った。テーブルは一続きだから一応相席という形になるんだろうか。
「お、アカリじゃねえか!どうしたんだよこんな時間に。ん、見ねえ顔がいるな。しかも饕餮がない…ははあお前が噂の異邦人か。どうだ、一杯」
「…いいのか?」
「おうよ。互いを知りあうんなら酒の席から、だ」
そういってジュンキはどこからか缶ビール…のようなものを取り出し、俺の目の前に置いた。流石に毒は入っていないと思うのだが、警戒せざる負えない。いや、アカリの缶コーヒーを受け取っている以上警戒してももう仕方ないのではとも思うのだが…
「…警戒してんのかもしれねえけどそりゃ無駄だ。何せ俺たちはお前を殺すことは固く禁じられてるからな。だから安心して飲め」
「…すまない、変に警戒しちゃったな」
俺は目の前の缶を口に近づける。途端にビールとは全く違う酒の香りが俺の鼻を刺した。大学の飲み会で嗅いだことがある…この匂いは。
「よりによってストレートか…」
軽く缶の中身を口に含み、コップの水でそれを胃の腑に落とす。酒の味を語れるほど飲んだことはないが、それでも今飲んだ酒がうまいことは確かだ。ただ、それがうまいからといって缶ビールのように渡すのはどうかと思う。度数が最低でも30%後半を超えているのに…
「よく飲み方を知ってたな」
「そりゃ大学の飲み会でいつ飲まされても大丈夫なように一通りの飲み方は頭に叩き込んでおいたからな。ここで役立つなんて思わなかったけど」
「ダイガク?ってえのは分からんが…よーし気に入った!今日は新しいメンバーが四凶に来たってことでかんぱーい!んっ、はぁーッ!今日もこの一杯のために生きてるぜ!」
既に出来上がりつつあるジュンキの対面の席で、ベリアレは少しづつ酒の匂いがしないロックのリキュールをのんでいる。その隣のアスターレはまるで興味がなさそうに頬杖をついていた。何やら隣にいるアカリにすら気付いていないようだ。
「ところでお前、なんていうんだ?ああ、まずはこっちが名乗ったほういいよな。俺は三河ジュンキ。そっちのがアスターレ・イシュルダ。でこっちのが冬野ベリアレ。よろしくな」
「おい、何勝手に人の名前教えてんだ」
「いいだろ別に。これから一緒に行動すんだからさ」
「ちっ…」
「で、お前は何て言うんだ」
アスターレのこちらをにらむ目が怖い。そんなことお構いなしにジュンキは俺に聞いてくる。もうどうにでもなれと俺は腹をくくった。
「字瀬光だ。よろしく」
「光か。じゃこれからよろしく頼むぞ!」
ジュンキは俺のコップにビールジョッキ軽くぶつけた。
ジュンキからもらった缶ビールよろしく缶ウイスキーをちまちま飲んでいると、アスターレとアカリが話していた。なんだか聞こえてくる内容が不穏なので耳を傾けてみる。
「お前、今回の任務で死にかけたらしいな」
「は、はい…本来力天種のいない領域のはずだったんですが力天種が出現して…それで…やっぱり俺には力天種一体満足に相手できないんです。毎日訓練しても、全然強くなれなくて…」
アカリはそう言って自分の手に視線を落とした。俺にはなぜか、その時アスターレが舌打ちをしたように聞こえた。本当に小さな、注意して聞かなければ気づかれないような、そんな小さな音。
「アスターレさん、俺どうしたら…みんなみたいに強くなれますか…これじゃ、何も守れ」
「ここで一つ言っとくぞ。お前はこれ以上強くならん」
アスターレはアカリの声を遮るように言った。
「え…?」
「聞こえなかったか、お前はこれ以上強くなれないっつったんだ。ここが限界点なんだよ。いい加減現実を見やがれ。毎日訓練しても強くなれない?ならそこがお前の限界なんだろうよ。そんなこと言ってっからいつまでたっても昇進できねえんだよ」
「っ…アスターレさん!」
俺は思わず立ち上がってアスターレに詰め寄った。当のアスターレは心底めんどくさいといった表情を全面的に押し出している。
「あ?なんだお前」
「さっき言った通り字瀬光だ!あんな言い方ないだろ、あんたはアカリにどうしてほしいんだよ!」
「どうしてほしい?んなことお前に関係あるのか?どうでもいいだろそんなこと。そもそもだ、部外者がわめくんじゃねえ。こっちは毎日疲れてんだよ…クソ天使供を血祭りにあげるのに必死でな」
「だからってアカリを不満のはけ口にしていいわけじゃないだろ!俺が部外者だからってはぐらかすな、そもそも俺はもう正式に――」
「黙れ」
アスターレの怒気のこもった声に怯んだ。次の瞬間、体に重く強い衝撃が撃ち込まれた。俺の腹部にアスターレの腕が手首ぐらいまで埋まっている。少し遅れて息苦しさと痛み、吐き気が襲ってきた。
「く…ぁ…」
「お前が正式に配属された?そうかそれはよかったな。で、一つ言っておく。俺たちはお前を殺すなとは言われたが…殺さなきゃいいんだよ」
アスターレが拳を引き抜くと、支えを失った俺の身体は膝から崩れ落ちた。痛い。人に殴られるのなんていつぶりだろうか。もう忘れて久しかった暴力の痛み。それは決して生きていると実感できる痛みではなく、ただただ苦しく痛いだけだった。
「つまり俺たちはお前を半殺しにはできるわけだ。そもそも、俺にあんなこと言うのはお前くらいだろうな…実力差をわきまえろ。力がすべての最悪な原始世界なんだここは」
うずくまって必死に呼吸をする俺を、アスターレは冷たく見下ろす。その言葉が一つ一つ俺に刺さる。そうだ、俺はこの世界じゃ最下位のカーストにいるんだ。
「さてと、どうしようか?その五月蠅い口を一生開かなくさせてやろうか?それともその邪魔な足を切り落としてやろうか?それとも無駄なことを考えらんねえように頭、潰すか?あいや、頭潰したら死ぬか」
「ま、待って!」
アカリの声が聞こえた。顔を上げると俺の目の前にアカリがいた。両手を広げて俺の前に立っている。
「アカリ、なんでお前がそいつを庇う必要がある?」
「光は、俺のことを守ってくれたから…死にかけた俺を助けたのは光なんだ。悪いのは俺だから、光のことは見逃してくれませんか」
「…その異邦人に情が移ったわけではないんだよな?」
「借りは返さなきゃいけませんから。情に流されず義理堅くあれ、それが四凶の教えのはずです。異邦人から受けた借り一つ返せなくては四凶の面子に関わります。アスターレさんも分かっているでしょう」
「…もちろんだ。情が移っていないのならいい。そいつが天使化したとき、問題なく介錯できるのならそれでいい。そういえば今日初めてここに来たのか、そいつ。だったら仕方ないか…」
アスターレはまた軽い舌打ちをして席に戻っていった。それよりも天使化というのが気になる。俺があの天使たちみたいになるのか?確か死んだ人間の死体が天使になるとメルクは言っていた。俺も死ねば天使になるんだろうか。
「大丈夫?立てる?」
「あ、うん…悪い、突っかかって」
「でも嬉しかったよ。光が俺のために怒ったの。ちなみにこの3人、ここじゃ一番上の階級だからあんま変なこと言わないでね。光がジュンキさんと話してるときずっとタメ口だったから結構ハラハラしてたよ」
アカリは俺にこそっと耳打ちをする。ちらりと目を向けるとジュンキは既に机に突っ伏していて、アスターレは相変わらず、ベリアレも分厚い本を読んでいる。アスターレとベリアレはともかく、ジュンキが一番上の階級だとは思えない。
「今日はこのくらいにしとこうか。明日また、時間あったら案内するから」
「ああ、分かった」
明日からここでの生活が始まる。これは夢でも幻覚でもない、現実だ。俺はこの世界から脱出する方法を見つけなければ一生このまま。こんなところでうずくまっている時間はない。
「なんとしてでも…帰ってやる」
例え神がいるのだとしても。もし神がそれを許さないのなら、その神を殺すだけだ。…しかし神殺しとは、自分でも大それたことを考えたものだ。まあいい、一度決めたのだから後戻りはしない。