邂逅-2
暗闇。それが意識がはっきりしてきて知覚した最初の景色だった。意識があるということは助かったんだろうか。それとも俺は死んでいてここは死後の世界という奴なんだろうか。
「なわけねえだろ…」
重い瞼を開けて、体を起こす。あたりを見回すと、そこは白い、病室のような部屋だった。俺はベッドに寝かされているようで、布も取られて病人が着るような服に着替えている。ここが病院なら、もしかしたら帰ってこれたのかもしれない。恐らくさっきのは俺が事故か何かにあって気絶していた時間に見た夢だ。
「…」
あの夢の最後では、俺は背中を切られて終わった。あんなにリアルな夢は見たことがない。
「夢…だよな」
「?どうしたの?」
聞き覚えのある声が隣から聞こえた気がした。俺の中で、見るなと誰かが叫んだが、俺の意志に反して首が動く。そして声のした方に、顔を向けた。
「…君は…」
「ああ、さっき君を殺そうとしたものです…そんなことしたのに助けてくれてありがとね。ああ、警戒しないで。君は俺を助けたってことですぐには殺されないし、今俺は何もできないから」
ベッドから体を起こした少年は両手を広げて敵意がないことを示した。病人服の隙間から、赤く染まった包帯が見える。赤茶色の髪と琥珀色の瞳を持った少年は人懐っこそうな顔で笑う。
「…夢じゃなかったか…」
「?」
「いや…その怪我…大丈夫なのか」
「ん、大丈夫かといわれるとちょっと大丈夫じゃないかも。でも君が庇ってくれたおかげで隊長が助けるの間に合ったみたいだし、何とかなりそうではあるよ。それよりなんで隊長は君を殺せなんて言ったんだろ…俺は馬鹿だからそういうの分かんないや」
にへ、と柔らかい笑みを少年は浮かべた。そんな少年の額には、やはり角のようなものが生えている。
「ところで君、饕餮が生えてないけどどこから来たの?」
「どこから、って言われると…それよりそのとうてつってのはなんなんだ?それとここはどこなんだ?」
「んむ、饕餮は俺たち人類が進化の過程で得た天使に対抗して同族を傷つけないための器官だよ。で、ここは人類の生き残りの街、四凶だけど。ていうかほんとに知らない?」
さっきからちょくちょく天使という単語が出てくるが…あのヒトガタの何かのことだろうか。あれが天使?俺の想像する天使とはだいぶ違う。そんなことを考えていたら、病室の扉が開いた。
「アカリ!無事?!」
病室に入ってきたのは1人の少女だった。ライトブラウンの髪を肩まで伸ばし、ルビー紅玉の如き瞳を持った少女はアカリに歩み寄るとその肩をがっちりつかんだ。頬に切り傷がついているのを見る限り、この少女はなかなかに大変な人生を送ってきたんだろう。普通あんな傷が付くなんてことはそうない。
「うん、俺は大丈夫だよ隊長。それよりなんで俺にこの人を殺せって言ったんです?」
「おいおい説明するわ。さてと、そちらにいる男の子がアカリを庇ってた人間…よね。まずは感謝を。アカリを助けてくれてありがと。それとごめんなさい。そんなはずはないとわかっていても饕餮のない人間は怖いものなの…許せとは言わないわ」
「俺はこうして生きてるからいいけど…なんで饕餮がないと怖いんだ?」
「饕餮がない人間は、私たちを殺すことができる、天使に等しい脅威なの。それに、饕餮がない人間は信仰心を持っている。それは天使を呼び寄せる性質があるということ。天使は信仰心を目印によって来るわ」
なるほど、つまり俺があの時神に願ったから天使とやらが来たのか。この世界で祈ることは自殺するに等しいことなのかもしれない。
「隊長、それみんな知ってるんですか?」
「私たちみたいな上司くらいしか知る必要のないことだから貴方の同期で知っている人はいないはず。まあ、あなたには聞かせることになっちゃったけど…饕餮がある人間はね、信仰心を持たないの。なぜならこの饕餮が、信仰心を食べるから。だから饕餮のあるなしでは危険性が違う」
「まあ分かったが…天使ってのは何なんだ?」
「天使は神の使いよ。昔は知らないけど今は人間の敵。天使には階級があって…っと、これ以上は後々話すとするわ」
俺はそんなものを呼び寄せていたのか。確かに危ない存在だ。殺すに越したことはないだろう。というかなんでこの人は得体のしれない俺にべらべらと情報を話してるんだ?
「さて…貴方はどうしたい?貴方はアカリを助けたから、客人として殺さず保護しろ、という形になっているんだけど…何かしたいこととか、ある?」
「俺は…元の世界に戻りたい」
「元の、世界?」
「ああ。こんな荒廃してない、饕餮なんてものもない、天使なんていない世界だ。俺はそこから来た。いや、こさせられたのかもしれないけど。もし俺自身が望んだことだとしても、俺は帰りたい」
ぎゅっと手に力がこもった。こんなところに連れてこられてその挙句殺されかけるなんて冗談じゃない。もし俺が望んだことだとしても、もっと安全なところに行きたい。
「そう…でもそれは難しいわね。別に私たちが貴方を呼んだんじゃないし。元の世界に帰るんなら天使の親玉に言わないと」
「じゃあ俺はここで一生飼殺されていろというのか」
「そんなこと一言も言ってないでしょ。私たちは出来るだけ貴方に協力する。もちろん、見返りは要求するわ。そうね、一昔前に同じような人間が来たことがあったから、会いに行ったら?地下の独房にいるはずよ。傷ももう治ってるでしょうし。ついてきて」
そう言って隊長と呼ばれた少女は部屋から出ていこうとした。…と思ったらいきなり振り返った。
「リシュル。リシュル・ルシアよ。よろしく、異邦人さん」
何かと思ったが自己紹介だったようだ。何か悪いことでもしたのかと思ったが、そんなことはないようだ。
「よろしく…リシュルさん」
リシュルは俺の返答に満足したのか、少し笑った。
この施設は地下まで工事の手が入っているらしく、エレベーターが整備されていた。地下の独房というのはかなり下層にあるらしく、すでに地下4階を下っていた。
「ああ、そうだった。貴方の名前聞いてなかったわね。名前は?」
「字瀬…光」
「そう。光というのね。貴方、アカリと年が近そうだし仲良くしてあげて。あの子、同年代の子が皆階級高いとこ行っちゃってあんまり任務以外の話をしないの。だから貴方がもしよければ話し相手になってあげて」
「…自分に務まるなら」
そこまで答えたところでエレベーターは動きを止めた。どうやらついたようだ。リシュルは迷いなくエレベーターから降りて進んでいく。そこはあまり居心地のいい場所とは思えないところだった。通路の最奥に、鉄格子がはめられた部屋が存在していた。
「ここが…」
「ええ。私は席を外すわ。存分に話していきなさい」
「わかった。ありがとう、リシュルさん」
俺はリシュルに一礼すると、鉄格子のなかに目を凝らした。暗い牢屋の中に人影が見える。
「ああ、だれか来たのか。ったく訪問するならするって先に言えよな」
牢屋の中の人物はそう毒づきながら、照明をつけた。明かりに照らし出された人物は、足首に鎖と鉄球が付けられていた。その人物の右腕は、人間の物ではなく何かあの天使と同じようなものになっていた。
「どうした兄ちゃん。饕餮がないなんて珍しい」
「あんたは饕餮がない人間が何なのか知ってるだろ」
「そうだな…確かに俺もお前さんも多分同じところから飛ばされたんだろうな。まあいい、それじゃ自己紹介としゃれこもうか。俺はメルク・アヴラル。お前さんは?」
「字瀬光だ」
メルクは煙草をふかしている。その分、牢獄が煙臭い。
「あんたは何でここにとらわれてるんだ」
「そうだな…俺はこっちに飛ばされたとき言葉通り身一つでね。そこで天使に何かされたんだろうな。気づいたらこの施設の中にいた。んで保護されてたはいいけど天使に埋め込まれたこいつが発動してな。暴走してここの奴らを殺しそうになっちまったんだよ。まあ何とか死者は出なかったけどな…で、そのせいで俺はここにいる」
そういってメルクは服の胸元を開いて見せた。メルクの胸の中央に黄色く光る宝石のようなものが埋め込まれているのが分かった。それが何なのかはわからないが、それが天使に埋め込まれたというものだろう。
「天使は死んだ人間の遺体から出てくることがある。だから死体を火葬する。灰になっちまえば出てこれないからな。さて…お前さんがここに来たってことは聞きたいことがあるんだろ?例えばそう、この世界からの脱出方法、とかな」
「知ってるのか」
「まあ、な。だが結論から言わせてもらう。不可能だ」
その言葉は、何もよりも俺を絶望させた。もうあの日常には戻れない。そう宣告されたんだ。
「不可能って…なんでわかるんだ」
「そりゃこの世界の神サンに聞いたからさ。俺がその仕事とやらを終えたら帰してくれるのかってな…その返答はノーだった。あいつらは歯向かう今の人類を殲滅するために俺たちを呼んだらしいからな。用が済んだらそれでぽいだ。俺がそうだったようにな」
「殲滅って…此処の世界の奴らはみんな何かしらの武器を持ってるじゃないか。それ相手に生身の人間引っ張り出して何するんだよ」
「それはな、俺達を天使に魔改造すんのさ。天使に魔改造されたら俺たちは此処の奴らを殺したくて仕方なくなる。そんでやるだけやったらそれで捨てられる。俺は天使としての出力が弱かったみたいであいつら1人殺せず地下牢行きだったけどな。まあ、あいつらが俺を殺さないのは俺の体から出る天使の残りが目的なんだろうよ。それを研究できれば天使対策もやりやすくなってく」
メルクの右腕は天使化していた時の後遺症なんだろう。俺もあのままだったら天使になっていたんだろうか。そう考えると恐ろしい。
「なんで…俺なんだ…」
「さあな。お前さんは本来だったらあっちの世界で幸せに暮らして、いい嫁さんもらって、老後も安泰してたんだろうさ。だが現実はそうじゃない。なんで、ね。そんなの誰にもわかりゃしねえよ。何故を考えるだけ時間の無駄じゃないか?」
「そうだよ…無駄なのはわかってる。悪いな、愚痴っぽくて」
「いいや?俺としちゃそっちのほうが好印象だがね。見ていて楽しい」
懐かしがるようにメルクは天井を仰いだ。なんだか前例があるような言い方だが、俺は彼の過去を詮索する気はない。
「そりゃ、こんな状況でうじうじ言ってる暇なんてないだろ。たとえ神に不可能だと言われても俺はその手段を探すだけだ」
「そりゃいいや。もし見つかったら俺にも教えてくれよ」
「ああ。約束する」
俺の言葉にメルクは満足そうに頷いた。確かに見つかる可能性は低いが、万が一にでも見つかればいい。
「そういやお前さん、あっちの世界に好きな人とか残してきた?」
「いたけど…その人が高校時代に失踪しちまったから…うん、残してきたっていえばそうなるかな。つーかおっさんかよ…若人の色恋沙汰に興味深々とか…」
「お前さんからすればおじさんだよ。…つうかお前さん、随分と変な言い回しだなあ若人って…まあいいや。なんかあったらいろいろ教えてくれよ?おじさん情報には疎いからさ」
「ああ、分かった。できるだけ期待に応えられる報告ができるようにするよ。だから吉報待っててくれよ、メルクのおっさん」
「お前さん…遠慮しないのねえ…」
「わりい、さすがにおっさんは失礼だよな。すまんメルクさん」
「いやいいよ。お前さんにおっさんって言われても別に嫌な感じじゃねえし…事実だしなあ。ま、お前さんの呼びやすい呼び方で呼んでくれりゃあいい」
メルクは苦笑しながら煙草をふかした。メルクが吸っているのは日本でよく見かけた葉巻タイプではなく、時代劇で見かける煙管タイプの物だ。写真や映像では見かけることがあったが、実物を見るのは初めてだ。
「…吸ってみるかい?なに、俺は体売ってるから結構金持ちだぞ?遠慮しなくていいんだぜ」
「俺煙草苦手だからいいや」
一度友人に勧められて口にしたとき、耐えられなくて吐いてしまったことを思い出す。あの時は申し訳ないことをしてしまったなあと思いつつ、ふと胸の中にあったもの寂しさが込み上げてきた。
「っ…」
「…帰りたいんだな…ほんと、酷いことしやがるぜ」
「でも、泣き言ばっかり言ってらんねえよ。立ち止まってたら何にも始まらないからな」
この胸を突き刺すような思いを忘れてはいけない。俺の原動力は郷愁の思いだ。早く帰りたい、でもそれは何のために?もちろん、大切な人たちともう一度再会するためだ。この答えを、帰るその時まで覚えていなければいけない。
「随分と長く話し込んでるじゃない」
後ろからいきなり声をかけられて、振り返るとそこにリシュルがいた。
「やはり同郷の者同士気が合うのかしら」
「姐さんや、俺ぁこいつが住んでた国とは多分違う国から来てる。同郷たあ言えねえと思うぜ。それに気が合うからと言われればそれもノーだ」
「クニ?まあいいわ。ああメルク、私を姐さんと呼ぶのはやめて。光、今日のところはこれで終わり。もっと話したいのなら今度またここに来なさい。それより貴方に対する処分が決まったからついてきてもらうわよ」
「…てかさっきしたいことある?とか聞いてたのに処分が決まったって…俺に選ぶ権利はないのかよ…?」
「あるわけないでしょ。そもそも貴方はまだここの住民じゃないんだから。それに、あなたのその帰りたいっていう願い、叶えるならこの処分はとっても魅力的なものだと思うわ。…ああ、そうだ。もしお偉いさんたちに何か聞かれても知らないって答えなさい。そのほうが安全よ」
「…了解」
俺はメルクに背を向けて、リシュルについていく。メルクは薄く笑いながら俺に手を振っていた。
俺はそのあと何かお偉いさんがいっぱいいるようなところに連れていかれて、長々とした話を聞かされた。まとめると俺は補給部隊なるところで仕事をさせられるらしい。饕餮のない人間として俺を監視する目的もあるそうだ。
「お疲れ様。というわけで貴方はアカリと同じ部隊ね。…まあ貴方が入隊するのは貴方が拒否しようが恐らく強制だったけど…あなたが協力的で助かったわ」
「いやそもそもあんたが権利ないって…」
リシュルが笑顔でこちらをじっと見てきた。だけど全く笑っているように見えない。…無言の圧力というものはこちらの世界でも健在らしい。
「そうなの…んですね。これからよろしくお願いします、リシュルさん」
「ええ。貴方もアカリと仲良くしてあげてね。それじゃ制服渡しておくわよ。出撃するときはそれを着てね。貴方が饕餮を持っていなくてもこれがあればそれなりに天使の攻撃を防げるはずよ。最も、天使種か弱い大天種くらいだろうけど」
そう言ってリシュルは天使の画像を見せてくれた。何やら球体に羽が付いた、まったくの無害に見えるものや狼の頭部と天使の翼を併せ持つもの、果てには人間がそのままくっついているようなものまでいる。
「天使って言ってもいっぱいいるの。天科の天使種、大天種、権天種。聖科の能天種、力天種、主天種。神科の座天種、智天種、熾天種。…簡単に言えば初級中級上級みたいなものね。そして、それらの天使を統率する神がいるわ。この前貴方たちを襲ったのは力天種ね。個体名はミケール・デュネス。力天種の中でも攻撃的な天使の1体ね」
「力天種…なんかエイリアンみたいですね…」
なんだか全体的にのっぺりしていて、陶磁器を思わせる白い体は見ていて美しいとは思えない。それよか気持ち悪い。女性の上半身にグロテスクな魚の尻尾がついたような天使に関しては、もはやコメントしたくない。
「エイリアンというよりはキメラと形容したほうがあっている気がするけど…貴方の世界でもエイリアンという存在はいたのね」
「いたというか…未確認ですけど…」
「まあこっちでも見つかってはいないけどね。というか今見つかっても困るわ…天使で手いっぱいなのに…」
エイリアンは侵略しに来るもの、という認識はここでも同じなのか。本当は友好的な種族かもしれないのに…いや俺も見たことはないので断言はできないが。
「とりあえず今のところ存在が伝えられているのはこれくらい。何か聞きたことは?」
「なるほど…結構多いんですね…ところで俺は戦闘中どうすれば…」
「いくら服があるといっても抵抗できないからね。もし天使が出てきたら貴方は隠れるのよ。アカリと他のメンバーが倒してくれるのを待ちなさい。武器持ってないんだし」
「了解…あの、リシュルさん」
「なあに?」
「あの…アカリって何歳なんですか」
「19よ。この前も話したけど、あの子年の近いの話し相手がいないから話し相手になってあげて。貴方ならきっと彼も心を開いてくれると思う」
リシュルの言い方ではまるでアカリが他の人に心を開いていないような言い方だ。俺には彼は誰にでも心を開いているような性格に見えていたのだが…そうでもないんだろうか。