表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人に謳う讃美歌  作者: エクスマ
1/54

開演

 暗い夜道をとぼとぼと1人寂しく歩く男がいる。その足取りはどこかふらふらして幽鬼のようであった。


「ちくしょー…あいつら俺だけ残して飲みに行きやがってぇぇぇ」


口からこぼれる怨嗟の声。まるで悪霊がとりついたのかと見紛うばかりのその顔。その男、字瀬光(あざせみつる)―つまり俺、はビニール袋から取り出した肉饅を貪っていた。ことの経緯を話すと、大学の講義が終わってみんなで飲みに行くことになっていたのだが、急遽入ってきた奴の所為で予約人数が定員オーバーしてしまったのだ。


「くそぉ…あいつら相手が女子だからって甘い顔して…」


急遽入ってきたのが先輩で、しかもうぇーい族で、俺の2人の友人が好意を抱いている相手であった。そのため2人から『お前はあの人に興味ないよな?そもそも女に興味ないよな?な?』と押し出され、帰らされたのだ。なんともひどい話である。ほんとにあいつら俺の友人なんだろうか。


「なんであいつらは酒飲んで盛り上がってんのに俺だけコンビニの肉饅一つなんだよ…」


誰にも届かない空虚な愚痴は、闇に溶けて消えていった。虚しいとしか言いようがないこの状況。帰ったら酒でも飲もう。もちろん慰めてくれる彼女なんていないから1人で。…一応思い人はいるけど。


「水無月でも誘って…いやさすがにこの時間は無粋だよなあ…」


水無月というのは俺の友人の1人だ。高校時代に何度か顔を合わせているのだが、相手は俺のことを覚えていなかったようでほぼ大学からの付き合いとなっている。それは彼が薄情というわけではなく、高校時代に親友を亡くしそれの影響で1人を好むようになっていただけだ。…最も、その時から彼女がいるようだが。そんなことを思い出していたら懐のスマホが振動した。


「うわっ…誰かと思えば…はいもしもし」

『遅くにすまんな。いやあ、聞いたよ。災難だったなははは』

「笑い事じゃねえよ…こっちは割と楽しみにしてたんだぞ…」


水無月は電話の向こうで苦笑する。こういう時に慰めてくれないのは彼の特徴だ。だが、表面上の慰めよりそっちのほうが俺は気楽だ。


「…で、どうしたんだ。今日は彼女サンと一緒じゃないのか?」

『…それがな。霧し…一美(かずみ)はなんかよく分からんオジさんオバさんに呼び出されてな…まあ、一応名家のお嬢様だからな。っつうわけで俺はすげえ暇なんだ!…家に来ない?』

「…いいのか?」

『ああ、今日はとことん飲もうぜ!たまには男同士で飲むのも悪くないだろ』


何ともまあ魅力的な誘い、こちらとしては願ったりかなったりだ。…水無月にとってはたまにかもしれないがこっちは常時男同士なんだか?


「そうだな!…毎日どれだけ楽しんでるか聞かせてもらうことにするよ」

『おー、なんだなんだ羨ましいのか?んま、基本2人で酒飲んで飯食ってだべるくらいのことしかしてないけど、それでいいなら存分に聞かせてやるとしよう』

「よし今日はそれも忘れるくらい飲もう。お前のお楽しみの記憶を全部なくす程度にな…俺もちょっとたまってるから一緒に愚痴りあおうぜ」

『あいあいさー。そんじゃいろいろ作っとくから早めに来いよー』


水無月が何かを作ってくれる。彼の飯はかなりうまいので楽しみだ。意気揚々と返事をしようと口を開いた瞬間、俺の視界は異様なものを捉えた。


「うん…?」


暗闇の向こう、街灯の下に何かが見える。まるで全身に黒い靄がかかっているみたいに、はっきり見えない。そのシルエットからフードのようなものをかぶっているのは推測できるが…


「…!」

『お、おーい?大丈夫かー?』


スマホから水無月の声が聞こえてくるがそれどころではない。そんなことを考えていると、俺の目の前にその人影が一瞬で距離を詰めてきた。近くで見ても黒く靄がかったように見える。怖くて少し後ずさりしたが、それでも黒い人影は俺との距離を一定に保ち離れない。驚いて手に持ったスマホを落としてしまった。


「あ…あのー…どちら様で?」


人類の叡智、優れた伝達手段である会話を試みてみる。しかし人影には全く理解できていないご様子。一応英語(恐らく間違いだらけ)でも会話を試みるが、反応はない。こうなればやることはただ一つ。三十六計逃げるに如かず、俺はくるりと向きを変えて全速力で走りだした。知らない人にはついていかないこれ常識ね。


「はあっ、うそまだついてくんの?!」


時折ちらちらと振り返ってみると、やはり人影は俺の背後を一定の距離を保ちながら追ってきている。尾行のプロか何かだろうか。


「へっ、高校時代陸上やってた俺を舐めるなよぉっ!」


…そんなことを言って自分を鼓舞するが、今はもう自堕落な生活しか送っていないので体力は結構落ちている。とはいえ今走っている道から大通りはそんなに遠くない。大通りまで出ればさすがに追ってこないだろう。大通りに飛び出した瞬間、黒い人影は俺を貫通してどこかに消えていった。


「…何だったんだ、あれ」


肩で呼吸をしながら走ってきた道のりを振り返る。またここから家までやり直しだ。…いや水無月の家に向かうのが先だ。今も水無月は何かを用意している最中だろう。とても楽しみだ。そう思った直後、背後から強烈な光を感じた。


「…?」


何かと思って振り返ると、目の前にトラックがいた。まっすぐこっちに向かってきている。運転手と目が合った。いや、目があったというかその運転手はぐーすか寝ていた。尋常ではない速度で俺に向かってきている。恐らく、避けられない。


「――ああ」


ここで死ぬんだ。そう思って目を閉じ来るべき衝撃に備える。…さすがに諦めがよすぎるな、うん。生き残りたいし、少しでも足掻いてみよう。一応脇に跳んでみるがあまり効果はない気がする。手に電信柱が当たった感覚があったので藁にすがる思いでそれを掴んだ。

 僅かコンマ数秒の後、トラックは俺の身体を跳ね飛ばして走っていく。ぶつかった衝撃で電信柱から手が離れてしまった。俺の身体が宙に浮いていたのはほんの数秒で、すぐに地面に落ちた。もちろん、走ってくるトラックの車輪が体に迫る。だがまあそんな冷静に分析していられるほど、余裕はない。次の瞬間、俺の身体がトラックに轢き潰された。


「っが、ああああッ…いッあああああ!!」


想像を絶するほどの痛みが、熱が、俺の潰された体を焼く。叫んだ口から大量の血液があふれ出した。ちょうど腹の部分を引かれたためか、内臓がぐちゃぐちゃになっているんだろう。脚にはもう感覚がない。変な方向に曲がってすらいる。


「いや…だ…ま…だ」


もう全然力の入らない腕を使って這いずった。どこに向かうかなんてわからない。あと数秒でもこの命を長らえさせたい。どうしてこうなった、何が悪かった?あの人影に気を取られたのがいけなかったのか。だが、あれはなんだ?自問自答するが答えは見つからない。


「っあ、はあっ…!くそ…意識…が…」


視界がぼやけ始めた。体は熱いのに、まるで中身は氷になったかのように冷たい。俺の顔は脂汗と涙、鼻水でもうぐちゃぐちゃだ。見るに堪えない状態だろう。

 今までの記憶が頭をよぎる。走馬灯という奴だろうか。そんなことは、もう俺に確かめるすべはない。もう、体の感覚もないに等しい。何やらぞろぞろと人が集まる足音が聞こえるが、既に視界はぼやけ何も捉えていない。


「――ぁ」


喉からこぼれたのは助けてと懇願する声などではなく。かすれたうめき声だった。

―もう、どれくらい時間がたったのだろう。俺の意識は闇の底で揺蕩っている。これが死後の世界、という奴なんだろうか。どこまでも空虚で、むなしいところだ。何もない。意識だって本当に俺の物なのかすらはっきりしない。そもそも俺はなんだ?俺は字瀬光。大学生。彼女のいない平凡な人間。うん、大丈夫だ。俺は俺を知っている。


「へえ。ここにきてもまだ自分がいるんだ。面白いね、君」


何処からともなく声が聞こえてきたかと思うと、眼前に俺が潰された直後の光景が広がった。それと同時に全身に感覚が戻ってくる。もちろん、痛みも。


「うっ…ぐ、ああああああッ!」


あまりの痛みに悶え転げ回った。自分でも転げ回れるほどの体力が残されていたことには驚きだ。火事場力という奴だろうか。


「違うよ。周りを見てごらん」


また、どこからか声が聞こえてきた。言われた通りぐるりと周囲を見渡すと、誰も動いていない。いや、まるで石像にでもなったかのように動きが()()()()()()


「ここ…は…」

「私が君を生かすために作り出した空間だ。字瀬光君」


何ともまあ痛いことを言ってらっしゃる。だが、俺以外の人間が動きを止め痛みによって意識が断たれていない以上真実なのかもしれない。


「誰…だ?なんで俺の名前を…」

「私は探究者だ。この世界の事象に関しては全知といっていい。ゆえに分かってしまう。君の名前も。これから君が死ぬことも。それが避けられぬ運命であることも」


俺が今から死ぬ。そんなのは誰の目から見ても明白だ。全知でなくとも容易に想像できる。全知なんて胡散臭いセリフを吐くやつがまだいたことには少々驚きだが。


「で…あんた、は…俺、に…なんの、用だ…?宗教なら帰ってくれ…」


痛みで朦朧とする意識の中でとぎれとぎれの言葉を発する。呼吸をするたびに取り込まれた酸素が体を駆け巡っては痛みをも巡らせる。もうすでに出血量が致死量を超えていそうなのに、俺の意識は正常だ。恐ろしいほどに、さえわたっている。


「そうだね。私は君にお願い事があるんだ」

「お願い…事…?馬鹿か、俺の身体は、もう…こんなんなんだぞ?動くことすら出来ない俺に、何を望むんだよ」

「君は死ぬ。でも、君はまだ生きたいだろう?私の粋な計らいで君を違う世界に健康体として再構築してあげようと思ってね」


違う世界で再構築とは、俺の今の身体が万全の状態で違うところに飛ばされる、と考えていいんだろうか。実に魅力的な誘いだ。このまま死んで、あの冥い世界に身を落とすくらいなら違う世界で新しい生を受けるのも悪くないのかもしれない。成程、粋な計らいというのは間違いではなさそうだ。


「それで…おねがい、ごとは何なんだよ…?」

「うん?それはこの世界における君を食べさせてほしいんだ。このままだと君はこの世界で死ぬ。でも、誰かの記憶の中にあり続ける。もう会えない君が、誰かの中で永遠に生き続ける。それは、その誰かにとって耐えられないほどに悲しいことだろう?それを解消するために君を食べさせてほしいんだ。そうすれば、君の知る人たちは君がいなくなったことに気付かない。君にとっても後悔の残らない選択だと、私は思うけどね」

「そんな…ことか…なら、食えばいい。早く、この痛みから、逃げたいんだ」


俺は、自分が死にたくないから、痛みにさいなまれたくないから、生きていたいから決断を下す。それがどのような意味合いを持つのかも知らずに。


「承諾した。それじゃあ、これから君を転送するよ。ああ、そうだ」


声の主は何を思ったのか、俺の目の前に姿を現した。その姿は、白く、美しい可憐な少女だった。透き通るような銀糸の如き髪、翠玉に負けないほどの輝きを持つ瞳、白磁の如き白く艶やかな肌。そのすべてがどれをとっても人間の物を超越している。


「君は、誰かを殺すことに躊躇いはあるかな?」

「あるに決まっているだろ」

「ふうん」


少女は少し考え、


「うそつき」


そういい放った。それと同時に俺の意識は闇の中に沈んでいった。


ここまで読んで下さり有難うございます。初投稿なので拙い部分が多々あると思いますが、温かく見守っていただけると幸いです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
読みました もっとよみます 感想は書けません
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ