一〇〇〇日後に死ぬ母と、終末旅へ逝くギャル(あーし)02。
一〇〇〇日後に死ぬ母と、終末旅へ逝くギャル(あーし)02。
あと、999日。神代。オノゴロ島。
(また、この青空だ…)赤道まで続くような、どこまでも広がる眩しすぎる青空。あーしは自分の顔の前に腕を持ち上げて、腕の落とす影の中で、眩しい青空に目を細めた…。
「よう、せい…さん…? 本当…ほんとに…っ、ほんとにほんとにいいいようせいさんんんなのですんかああああっっ!?」
飛び上がって抱き着いてくるようなその大声が、あーしのすぐ耳元で響いた。そして、その声に対して、「最初」ほど驚いていない――(「きっとまた出会える…」理由のないそんな予感が、あーしの中にあった…)自分でも驚くほど落ち着き払った声が、あーしの口をついて出た。
『あは、はははは…っ。な、なンか、また戻ってきちった…みたいな? だはっw』
「ようせいさんようせいさんっ、ようせいさあああんんっっ! また来てくれたのですねええッッやったあうれしいれしいいい! ほんんとに嬉しいんですううぅ! おかえりなさいんですよよよよいせいさああぁんんんっっ♪♪」
大声で叫ぶみことは、パタパタと道を駆け出す。民家の横に置いてある、お風呂にも使えそうな大きな水瓶の縁の部分へ、みことは虫のように飛びつく。すると、水を張った水瓶の縁に肩まで突っ込んで、鏡を覗き込むように首を伸ばすみことの大きな笑顔が、あーしの目の前の水面に映っていた(輝いていた)…
(あーしはまた、神代へやって来ていた…)シカちゃん、ヒメちゃんの三人で、フジツボのようにくっ付いて学校から帰ったその日の夕方は、何も起こらずに家へ到着した。
「ただいまあ!」と帰宅して、制服から着替えて、日課である家の手伝いを済ませたあーしは、自室に戻って、昨日自分が体験した出来事をスマホで調べていた。
産霊日家――それが、あーしが宮崎でお世話になっている家だった。産霊日家の人は、あーしを育ててくれたおじいちゃんとおばあちゃんの娘の孫。つまり、あーしとは赤の他人だった。
各都道府県で一日に千人。合計四万七千人もの人間が、毎日謎の死を遂げる「イザナミ現象」。その始まりは十五年前だった(その頃の死者の数は、一日にせいぜい十数人程度。交通事故や、事件に巻き込まれて死ぬ人の数より、ずっと少なかった)。
しかし、異変は誰の目にも映らない程ゆっくりと…けれど、日本という鍋全体に熱が広がって、全国で沸々と謎の死が起こり始めると、それは途方もない死者数となって、日本の表層へ噴き出した。
ありとあらゆる場所で人が死んだ。毎日人が居なくなった。全国各地の火葬場の前で、死者が毎日長蛇の列を作るようになり、昼夜となく火葬場の煙突からは煙が昇り続けた。
やがて、日本を取り巻く環境は、内も外も一変した。そんな中、あーし自身の環境を一変させたのが――育ての親の突然の死、だった…。
元々拾われっ子だったあーしに、他に頼れる親戚は絶無だった(あーしの本当の両親も、初期の頃の異変で、死んでしまったのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。結局、あーしは自分の両親の事を、顔も知らない)。そして、見知らぬあーしを十五年間育ててくれたおじいさんの死後、あーしはその孫の産霊日家へ引き取られた。
宮崎での新生活は、あーしが想像していたものより――いいや、想像以上に楽しいものだった。
産霊日家は、神社の宮司をしていた。旦那さんを亡くした奥さんの結衣さんが、神社の仕事を全て引き継いでおり、結衣さん一人ではなかなか回らない神社の仕事のいくつかを、あーしは率先して毎日手伝っていた。
メイクをし、マニキュアをつけ、髪を明るく染めたまま巫女服を着るあーしを見て、
「可愛いぃ~っ♪ 私もやろうかしらっ♪」と結衣さんはそんな事を言う、朗らかな可愛い大人だった。
なかでも、宮崎にやって来たばかりのあーしを喜ばせたのは、結衣さんの一人娘の古那ちゃん。そして、旅行用のキャリーケースくらいある大型犬(だとしても大きすぎぃ!)のツクヨミの二人が、あーしにひどく懐いてくれている、という事だった。
巫女服から部屋着に着替え、自室のベッドに寝転んで、昨日の出来事をスマホで調べたり、あれこれ頭の中で考えたりしていると、ガチャ…、とあーしの部屋の扉がひとりでに開かれる。
ベッド上の足元の部分が、ぎし…と深く沈んで、仰向けにベッドに寝るあーしの顔の上へ、ふさふさの毛布を押し付けてくるかのように何かが重くのしかかってきた!
「ぶわァっはははははっ、やっぱ来やがったなァっw くすぐったい、くすぐったいったらぁ、ツクヨミっ♪ あひゃひゃひゃっ、コノコノぉぉおお~っ!」
ベッドに寝るあーしの上に飛び乗って、かまって欲しそうに長い舌であーしの口や鼻をぺろぺろ舐めてくるツクヨミへ、あーしはツクヨミの大きな顔や耳を洗うように揉みくしゃにしてやった。「うわっpだははははっっww」
産霊日家に暮らすこの大型犬のツクヨミは、口と前足を器用に使って、自分でドアを開いてあーしの部屋へしょっちゅう入ってくる。
ツクヨミは、昼間あーしと会えなかった時間を埋めるみたく、ベッドに寝転がるあーしの上で扇風機みたくぶんぶん尻尾を振って、何度も何度も飛び跳ねて大喜び。そして、ツクヨミに続いて、ばたばたばた! と、廊下に慌ただしい足音が響き渡ると、開きっぱなしの部屋の扉へ、あーしは待ち構えるように視線をやった――
「つぅくぅよぉみぃいいいいいいいいいいいいいい! こなのみこちゃんっ、とっちゃだめえええええええええええええええっうへぇェえええええええええ~~!!」
ツクヨミの抜け駆けに気付いて、部屋へ飛び込んで来て、ベッドに寝るあーしの上へジャンプして飛び乗ってきたのは――この家の一人娘産霊日家古那ちゃん。
ベッドの上であーしを取り合う古那ちゃんとツクヨミの二人は、すぐにもみ合いの喧嘩になった。
古那ちゃんは、あーしの隣を独占するツクヨミの綱のように太い尻尾を引っ張り、ツクヨミは構わずに尻尾を振って、ツクヨミのその尻尾の動きに合わせて、小学生の古那ちゃんの小さな体が、ベッドの上で何度も飛び跳ねる。そして、全員くたくたになるまで遊び疲れて、三人一緒にベッドの上で寝転ぶ――ここまでの一連の流れ(大騒ぎ)が、あーしたち三人のいつもの日常だった(@‐ω‐@)( ‐ω‐ )∪‐ω‐∪
あーしの両隣に寝る二人の心音と、心地よい体温に毛布のように包まれながら、いつの間にか眠っていた目をハッと跳ね開けた時、あーしは神代のみことの中に、再びクラゲのように漂っていた。
「ようせいさんっ!? ようせいああんん! 村の騒ぎの途中でろつぜんいなくなってしまったですんからっ、ずっと心配していたんですよ。でもでも良かったああ! ほんんとの良かったあああ、またあえた良かったんですううう~~♪」
そこはオノゴロ島内にある、最初に訪れた漁村とは別の村だった。
自分の体の内側から、再びあーしの声が響いたその時、雨水を溜めておくために家の外に置いてあった水瓶の中に、みことは肩まで頭を突っ込んだ。そして、モニター越しに友人と話をするみたいに、水面に映った自分の瞳の奥の奥に居るあーしへ向かって、みことは太陽のような眩しい笑顔で、再会を喜んでくれた。
『みこと…。みこと、あーしもまたみことに会えて嬉しい。本当に嬉しい』手で触れられるかのような目の前の水面に映る友人の笑顔に、あーしまで笑顔になる。『それで――いきなし悪いンだけど、みことに聞きたい事があるんだ! 山ほどあるんだぁっ!』
せっつくようにみことへそう話している間も、みことへ聞きたい事が、あーしの頭の中で嵐のように渦巻いている。
(穢れって? 禍神って? みことの役目って、なにッ!? 現代の日本で起きている異変と、何か関係があるンじゃない? それに、それにぃっ! どうしても神代のみことに聞きたいことがあるンだ!――みことの傍で見たアマテラスと瓜二つのヤツが、あーしと同じクラスにいるンだあああ!)
古那ちゃんとツクヨミの三人で寝ていた自分の部屋ではなく、再び神代のみことの中に居ると理解したあーしは、戸惑うよりも先に――「チャンスだ!」と思った。
(昨夕の「町」での出来事を、学校で天原本人から聞き出す事には失敗した。けど――)再び出会った神代のみことから、禍神や、アマテラス(もしくは天原)の事を、何か聞けるかもしれないとあーしは期待した。が、神代のみことも、あーし同様、あーしが以前来た時とは、少し状況が変わっているらしく…
「なああァうわあああッ!? なななななッ何をしているんだあああ! みことおおおおおおおおおおおおおおおぉォォっ!!」
『う”え”え”え”っ!?』背後で爆発が起きたような大声に、あーしとみことは同時に振り返った。すると、
「あららぁ~、もう見つかってしまいましたあ。「お日さま」はいつもあたまのうえにかがやいているし、わたしたちをいつも見ているからなぁ~、ざんねん! んふふっ♪」みことはなにやら哲学的な事を口にして、かくれんぼで鬼に見つかってしまったみたいに、あっけらかんとした表情で笑っている。
振り返って道の先へ目を凝らしたあーしは、あーしがみことへ聞こうとした疑問が、向こうから土煙を上げて走ってくる事に気が付いた。
「みごどお”お”お”お”お”お”お”お”お”!! 急にいなくなるから攫われたんじゃないかって心配したんだぞおおお! 一人でどこかへ行ってしまうなって、いつも言っているだろうううううううううううう!!」
濡れたカラスの羽根のような、長くて艶やかな黒髪。肩回りや袴の裾を切って、動きやすくした涼し気な巫女服。透けるような白い太ももも露わに、両膝を跳ね上げて、道の向こうから人を殺しそうな形相で駆け寄ってくる――アマテラス! 倒れ込むように水瓶の中に頭を突っ込んだみことの姿を見たアマテラスは、熱せられた炉のような明るい赤みを帯びた双眸を、カァッ! と、火花が散るように見開いた。
「み、みみいいぃぃみごどお”お”お”ォォオオオ!! どどどどううしたあッ!? 転んだ? 怪我をした? 誰かに殴られたのかあああ!? クソっ、クソクソクソおおッ! 犯人絶対に許さないいィっ! みこと死ぬなァァっっみごどおおおおおあああああああうわああああああああああ!!!」
アマテラスは、世界中の不幸が一挙に押し寄せたみたいな絶叫を発した。膝から地面へ崩れ落ちた。絶望に馬乗りにされたように、アマテラスは涙で顔を腫らした。そして、
身も世もなくむせび泣くアマテラスの絶叫に村人が集まって来て、その村人たちの注目の的になるみことは、小麦色の肌でも分かる程、顔中を真っ赤にした。
「あわわッあああぁァちゃんん! だいじょうぶ! だいじょうぶんですからああぁッ、わたしは何ともないんですからあああ!」絶望に打ちひしがれるアマテラスの腕を引いて、アマテラスを何とかなだめようとみことは試みるも、
「分かった。分かったわ。完全に分かっている。大丈夫だ。みこと、安心しろおお! 私がみことをおんぶして、みことを家まで送ってやる!!」
(いいやお前、全然分かってねぇだろ…っ)と、あーしは内心思った。
「落ち着いて!」と訴えるみことの周りを、神経質そうにうろうろ歩き回るアマテラスは、主人が心配で慌ただしく吠えまくる犬みたく、みことの訴えもろくに耳に入っちゃいない。それどころか、アマテラスは急にみことの前にしゃがみ込む。自分の背中に乗るようにみことへ訴える。そして更に――
「なんだ?」「何の騒ぎ?」「みこと様、怪我をした?」「大丈夫かしら…?」
アマテラスの大声に集まって来た村人たちの、みことを心配する声が、痛いほど心に突き刺さるみこと本人にしたら、たまったものではない。
「い、嫌ああぁァっ!」ぷいっ! と遂にみことは、そっぽへ顔を向ける。いつまでも騒ぎ続けるアマテラスを、みことは拒絶するように。そして、
「ぐふぅぅううッッtびくぱぁぁアアア!!??」白目になる。アマテラスは。みことに拒絶されたショックのあまり、声も出ない。
『また出たよ、犬テラス…っ』過保護すぎる。みことに構い過ぎる。アマテラスの事をあーしがそう呼ぶと、スイッチを押されたみたいに、みことは声を出してまた笑い転げた。
(つまり、これが――前回なかった、みことに起こった変化だった)
前回あーしがやって来た時、みことはあーしのために、島を案内してくれた。その同じ頃、アマテラスは、みことを探して島中を駆け回っていた。そんな時だった――「禍神が現れた」という急報を受け取ったアマテラスが駆けつけた時、村の人間や神様を守るために、身を挺して戦うみことの姿を、アマテラスが見つけたのは…
「それ以降なんです。あーちゃんがまた過保護をこじらせて、こうなったっちゃのは…。ハァァ~…」と、みことはあーしへそう話して、深いため息をつく。
その後(あーしがみことの中から去った後)も、アマテラスの献身は続いた。みことが席を立とうとするたび、「みこと、大丈夫っ!?」とアマテラスは心配性の母犬みたくどこまでも付いてくる。「みこと、手伝おうか?」と、風呂やトイレ、着替えや食事まで、みことの行動全ての世話を焼こうとする。しまいには、みことが一人で歩く姿を見て、まるで「奇跡だああ!」とばかりに大袈裟に騒ぐアマテラスの愛情の重さに、あーしと再会したみことは、若干やつれた様子に見えた。
『それは…だいぶイタイ女ね(ぐひひっw)』みことの一挙手一投足まで世話を焼こうとするアマテラスの症状をみことから説明されたあーしは、(内心面白がる自分の気持ちを隠して)みことの悩みに深く同調した。
「わたしを心配してくれる事は、嬉しいんです。でもでもっ――」と、みこと。
「わたしがなにかすごいい重病人で、みんなさんの助けがなければ、なんにも出来ないと思われるですのは、すこし…ううん、ちょっこっとだけ…いこごちが悪いんです…。って、そんなのはぜいたくんな悩みですよねっ。どうしてでしょうなぁ~、ようせいさんには、わたしんのぜんぶを、話しちゃいたいそうになりますですね。へへっ、ふしぎですんな~、って、「ですんな」ってなんですんな? わははっ♪ また「ですんな」って言っちゃったああ! 「ですんな」地獄ですんな! だぁははっまただああ♪」
みことの変わらない「みことらしさ」に、あーしまで釣られて笑ってしまう。
『アマテラスに言ってみたら? 自分でするから、犬みたいにかまってこないでって』
あーしが言うと、みことの愛らしい唇から、「わははっ」と、蜜のように笑みが零れる。
神代や天子や、オノゴロ島の事情。何より、みこと自身について――何も知らないから、何を遠慮する必要もない。飾り気のない現代のミコトの言葉が、自分の中に初めての「感動」を与えてくれている事を、この時、神代のみことはひしひしと感じていた。
(ようせいさんは、すごいい。ほんんとうにすごいなああぁっ♪)胸の奥底から湧き上がるその感動を、みことは自分の心の中でそう言葉にした。
「ようせいさんようせいさん。あのね、おどろくかんもしれませんが、実はあーちゃんは、昔は親分さんみたいにわたしやほかの子供たを島中連れまわして、きけんな場所へもどんどんみんなさんを引っ張って行くような、わたしたち子供のあこがれみたいな、ヤンチャなそんな子供だったんのですよっ♪」
『マ?(今とはまるで逆アマテラスじゃん)』
今現在、あーしとみことの前に居るアマテラスは、ツルハシを振り下ろす土木作業員みたいに、抜き身の刀を地面へ勢いよく振り下ろし、歩いている時にみことを躓かせた、路上の憎き石(障害物)を排除すべく、アマテラスは夢中で道を整地中…
「でも、わたしのせいでもあるんのです…。どんなにちいさな危険からも、でも、あーちゃんがわたしを遠ざけるようになったのは…」だから、自分を心配するアマテラスの手を振り払う事は出来ない。必死とも思えるアマテラスの献身的な姿を、穢れに侵されていない方の片側の目に映すみことは、あーしにそう話した。
アマテラスの行う整地も済んで、村を出て林道をしばらく進んでいると、アマテラスは道端を流れる清流を見つけた。猪みたいに川岸へ一気に駆け下りたアマテラスは、林道に残るみことへ振り向いて、少年のように表情を輝かせた( ☆Д☆) キラーン
「みこと見た? 今の見たかぁァっ!? 川で何か跳ねたぞ! 釣り竿があったら、捕まえられたのになぁ~」アマテラスは悔しさと嬉しさを織り交ぜた表情でそう話すと、丈の短い巫女服から覗くすらりとした素足で、パシャンっ! とクリスタルのように澄んだ川の水を蹴り上げた。
「がははははっ♪ あっ、みこと見つけた! 蟹見つけたからちょっとまってろ!」
島の自然に触れる事も、みことと一緒に居られる時間も、両方同じくらい嬉しそうに、アマテラスは膝下まで小川の中にざぶざぶと入って行って、河の流れの中に笑顔で腕を突き入れる。
(…こうして見ていると、まるで別人なンだよなァ…)
「うっさい、ブス!」日中、学校で天原に言われた暴言を、あーしは思い返した。今でも腹の底が怒りで煮えたぎってくる! けど――今あーしの目の前で、少年みたいに明るく笑う神代のアマテラスの事を、みことを通して知れば知るほど、現代の暗くてじめじめした天原隠零が、あーしには「別人」に思えてならなかった…。
『みこと…。穢れって、一体何なの…?』
現代で天原に聞くことのできなかった疑問を、あーしはみことにぶつけてみた。すると、友人を遊びに誘うみたいな調子でみことはそう訊ねた。
「でしたら、ようせいさんも実際に見てみますか? ――穢れ、を…」
現代。産霊日家の自室。
「…青空が、降ってこない…――って、あーしの部屋、かぁ…」
深夜十一時三十七分。濃厚な青色が降って来るようなオノゴロの空ではなく、天井に灯る無機質な電灯を見上げて、あーしは自分の部屋の中で呟いた。
部屋の灯りも消さず、疲れ果てて泥のように眠っていた事を思い出したあーしは、自分のベッドの上で重い体を起こした。
ベッドの右隣には、あーしに抱きついて可愛い寝息をたてている古那ちゃんがいた。そしてあーしの左隣には、自分の前足に顎を乗せて眠っている犬のツクヨミがいた。
二人の頭をサラサラと撫でて、その愛らしい寝顔をしばらく眺めていたあーしは、二人を起こさないように静かにベッドから足を下ろした。
「…おやすみなさい。二人とも…」毛布と一緒に、二人にその言葉を掛けたあーしは、電気を消した暗い部屋を背に、静かに部屋を出た…
家の外は、傘をさすのが少しためらわれるような霧雨が降っていた。
「……」玄関脇の傘置きを見て、傘を持って行くか一瞬迷ったが、熱をもったかのようにカッカと火照った体に夜雨が心地よく、あーしは部屋着の上に着たパーカーのフードを目深に被ると、夜の町へそのまま走り出した。
街頭や店の看板の色鮮やかな灯りが、雨に濡れた町の上へ、赤や青の宝石をちりばめたように、煌びやかな光の粒を浮かべていた。
長かった…とても長かった今日一日の出来事が、それら町の灯りのように、あーしの心の中に取り留めもなく浮かび上がっては、ふわふわと泡のように弾けた――(学校で見た、天原の愛憎入り混じった表情。再び訪れた神代。そこでみことから聞かされた、穢れや、天子。そして、イザナミの事…)。町の中心部から離れるように夜の道を走るあーしの足は、やがて、眼前に広がる絶壁のような異質な闇の前で立ち止まった。
目の前で道路が寸断されたように、一メートル先さえ見通せない濃密な闇の奥から、怪物の唸り声のように届けられる海鳴りの音が、立ち止まるあーしの全身へ襲い掛かった。
そこは、宮崎市の東端に広がる一ッ葉海岸。ぶ厚い雨雲によって、月や星の明かりさえ掻き消えた夜の海は、異様な雰囲気に包まれていた…。
「……ッ」その時だった。沖合で打ち上がった花火のような眩い光に、あーしは振り返った。夜のとばりを引き裂くように、海上で上がった光の爆発が、闇を追い払い、夜がその腕の中に隠していた周囲の様子を暴き出した。
腹を裂いて内臓を引きずり出された死体のように、中にあった缶ジュースやペットボトルを地面に撒き散らした、破壊された自動販売機。熱で溶かされてチョコレートのように垂れ下がった白いガードレール。根元から鋭く切り倒された、フェニックス街路樹――無数の黒い焦げ跡や、猛獣の爪痕のようなものの残る激しい戦いの痕跡が、数十メートルに渡って砂浜に続いている…。そして、砲撃されたみたいに沖合で爆発炎上し、海中へゆっくりと沈んでゆくのは、船舶の姿をした黒い禍神だった。そして、それを見下ろすように夜空に浮かんでいたのは――
(そうだ…コレか…コレだったんだ…っ)自分の部屋で目覚めた時、眠気を振り払うほどの胸騒ぎに、あーしは家から飛び出した。体の中の熱に突き動かされ、あーしは呼び寄せられるように夜の町を駆け抜けた。そして、あーしが夜の海へやってきた理由を理解した(見つけた)のは、この時だった。
「…アイツ…。また…今日もまた戦っていたンだ…っ」呟いたあーしの視線の先で、海上に打ち上がった光が、闇の奥へ沈むように掻き消える。すると、周囲は再び自分の腕の先も見えないほどの闇夜に閉ざされる。一帯を覆っていた濃密な血の匂いや、重苦しい空気が、霧のように四散する。
「…ンなこと…っこんなのを毎日…ずっと、続けてきたのかよ…――天原隠零…っ!」
星空は消灯し、霧雨のまとわりつく昏い夜空を切り裂いて、あーしの頭上を飛び去る一筋の赤い炎から、あーしは目を逸らすことが出来ず、立ち尽くしたままだった。
現代。天原隠零。
「…―ちゃん…。あーちゃん…。起きて…、ぁーちゃん…」
(…私を呼ぶ、懐かしい声がする…)さざ波のように寄せては返す心地良い声に、私の頭を撫でる小さな手…。
このまま深い眠りに繋ぎとめようとする眠気を振り払い、声のする方へ瞼を開いた私の前へ現れたのは、これまで数万回…数億回と夢にまで見た、懐かしい顔だった…
「み…こ…ぉォ…っ――みことおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」立ち上がって叫んだ私は、目の前へ現れた彼女へ崩れ落ちるように抱き着いた。
「みこと! みことおおお! みことみことみことみことおおおおおお!! あい…っかったぁァ…っ、逢い…たかったああぁァ…ッ! 逢いたかったみことおおおおぶわ”ァアアア!! ずっと、ずっとずっとずっとずッとお前にずづど逢いだがッだあ”あ”あ”! 逢って、みことにずっっっっっっっっtッっと謝りたかったああ…っ! ごめ…ごめ…nんっみこ…ごめ…ッ、ごめんなさいぃ…っ。ごめんんnン――っぅう、ぶふヴヴうッうぅuuうわあああああああァアアアアアアアアんんんんんんんんnンびええええええええええええ”え”え”え”え”え”え”え”え”!!!」
「うわーん!」「うえーん!」という、泣き声のテンプレートのような大声を噴き上げて、天原はその場所が学校の教室の中だという事も忘れて、滂沱の涙を流し続けた。
それはまるで、「心」が破けたような野放図な泣き方だった。幾百、幾千という時を越えて、地層のように心に蓄積された天原の万感の思いが、当人の喉を突き破るような勢いで感情が噴き出した。だけど――
(…ち、ちが…違…ぅぅう…ッ。「私」は――いいや、「あーし」は、チガウんだよ…っ天原ああ…っ!)
涙に暮れた子供が、見つけた母親に泣きつくような、心を開け放ってしがみ付く天原の、燃えるように熱い体を受け止めるあーしの心は、天原の体温と逆行するように、どんどんどんどん熱を失って、あーしの心は氷のようにどんどん冷え切っていった…
(――最初は、あーしのほんの出来心だった…っ)
あーしが、再び神代から現代へ戻ってきた翌日。学校に登校したあーしは、教室で自分の机に突っ伏して、置物のように静かに眠っている天原隠零の姿を見つけた…。
天原は、普段からいつもそうだった。いつも一人。影のように目立たない。教室でも彼女の声を聴いた事は、数度しかない。
教室の中がどんなに騒がしくても、朝来た時からいつも眠っている。かと思ったら、ふらりと教室から居なくなる。そのまま教室へ戻ってこない事も、度々あった。けれど――(それだけ…)誰とも口をきこうともしない天原を、クラスの誰も気にはしていなかった。
(他ならぬあーし自身も…)ある時、学校の廊下の担任の先生と向かい合って、普段の生活態度について注意を受けている天原の姿を見かけた。けれど、その横を通り過ぎた次の瞬間には、あーしの頭の中から、天原への関心は抜け落ちていた…
しかし、この日学校へ登校してきたあーしは、教室で一人眠る天原の横顔から、目を離すことが出来なかった。
教室のあーしの席は、窓際の一番後ろ。天原の席は、中頃の列の、後ろから二番目の席だった。
「はよぉ~。はよよ~」教室に居た他のクラスメイトへ、気のない挨拶を投げて中へ入ったあーしは、教室の後ろを通って自分の席へ向かおうと、いつものように歩を進めていたが――上履きを履いたあーしの足は、吸い寄せられるように向きを変え――席の上に突っ伏して寝ている天原の黒い髪の頭頂部を、あーしはじいっと見下ろしていた…
(…天原…)昨夜一ッ葉海岸で見た事が、あーしの頭に思い出される…。
机に突っ伏して、瞼を閉じた彼女の横顔は、年相応の少女らしく可愛かった…
猛獣を前にしたかのように、あーしは恐る恐る腕を伸ばした。指の先で微かに触れた彼女の頬の柔らかさに、あーしは鮮烈な驚きと同時に、胸の奥が激しく高鳴った…。水を掬うように持ち上げた彼女の長い黒髪は、シルクのようにあーしの指の上をするすると滑って、再び机の上へ、墨を垂らしたように黒髪が広がる…
「…アマテラス…。それとも、天原隠零…(どっちが本当のあンたなの…?)」
クラスメイトの話し声や、登校中の生徒たちの賑やかな笑い声が、天原を見つめるあーしの耳の上からゆっくりと剥がれて行った。まるで天原と二人で海へ沈んで行くように、あーしは目の前のこの美しい少女の事ばかりを想っていた。
その時、ふとある事を思いついたあーしは、寝ている天原の顔の上に覆いかぶさり、「神代の友達」の言葉を借りて、あーしは天原の耳の上でこう囁いた――
「…―ちゃん…。あーちゃん…。起きて…ぁーちゃん…」
「みことおおおおおおおおおおおおお オ”オ”オ”オ”ォォ!!」
クラスメイトも大勢いる朝の教室内で、天原は心臓を握り潰されたような大声を轟かせた。机から飛び起きた天原の腕に、あーしは強く強く抱きしめられた。叫びながら激しく押し付けられる天原の体は、ヒーターを抱き締めているみたいに熱く感じた。
二つの体が一つに溶け合うように、抱き合うあーしの胸の上で柔らかく形を変える、天原の大きなおっぱい。こちらの膝を割って、あーしのスカートの内側へ入り込んでくる、天原のすらりとした太もも。制服のブラウスの上から、あーしの胸元へドライヤーのように直接吹き降ろされる、天原の激しい嗚咽――あーしを包み込む「天原隠零」という存在全てが、「取り返しのつかない事をした…」という想いに苛まれるあーしの心を、どんどんどんどんどんどん凍り付かせていった…。
他の誰も耳にした事のない天原の嗚咽と涙に、教室に居たクラスメイトは、一様に驚いた表情でこちらへ振り向いた。
あーしはしがみ付いた天原の手を強く握り締めると――どう対処すればいいのか分からずに、「声を掛けてもいい?」「それとも、触れない方が良い?」そんな風な困惑した表情を向けるクラスメイトの間をかき分けて、あーしは天原と二人で手を繋いで、教室から飛び出していた。
途中、通りかかった生徒が、「うわっ」と驚いて廊下の隅へ飛び退き、手を繋いで廊下の真ん中を駆け抜けるあーしと天原の二人を、何人もの生徒の視線が追いかけた。
どこへ向かっているのか自分でも分からず、人気の無い方を選んで、やがて校舎裏へ飛び込んだあーしは、掴んでいた天原の手を離すなり、地面へ額をこすり付けるような勢いで、あーしは天原の前で深く頭を下げた。
「み…こと…? どうしたの? なんで、頭を下げるの…? どこか具合が悪いの?」
天原の口から流れるのは、「ミコト(あーし)」ではなく、「みこと」へ対する深い愛情と優しさに溢れた声…
天原の別人のように温かな声は、鞭で打たれるより深く、あーしの心臓へ氷のように冷たく突き刺さった。
あーしは制服のスカートの上から、自分の両太ももを強く握り締めた。その場から逃げ出したくなる衝動を、全力でぐっと押さえつけた。
「……が、う…」あーしは頭を垂れたまま、声を絞り出した。
「…え?」と、天原。
「…ち、が…ぅう…っ」
「みこと? みこと…? どうしたのみこと? なんで謝って――」
子供のように動揺した天原の頼りない声が、頭を下げるあーしの上へ降ってくる…
「…チ、ガウ…っそう…じゃ、ナイ…ぃィ…っ! 違ぇンだよ…っ天原あああ! 「私」は――「あーし」はッ!――そうじゃないンだああああああァっ!!」頭を下げたまま叫ぶあーしの頭上で、「ぁ…」と全てを理解し、息を飲む天原の気配がした…
「ごめん…ごめん…っ。本当にごめん…っ。ごめんなさいぃぃ…っ!」
天原の顔を見ることが出来ない…っ。深く深く頭を垂れて、繰り返し謝るあーしの頭上へ次に吐き出されたのは、あーしの「嘘」で心を抉られた天原の、筆舌に尽くしがたい烈しい憤怒。そして――深い哀しみに全ての感情が押し流された、無機質とも思える天原の絶望の声だった…
「…………………………………騙し………………………たのか…――私を……」
天原隠零――現代の高校に通う彼女は、神代のアマテラスの生まれ変わりだった。
神代のみことの死後。天原とその仲間は、別の時代の、別の人間として、転生を幾度も繰り返した。神代から続く禍神や穢れとの終わりのない戦いに、数百年…数千年と、天原はその身をささげ続けてきた。
永遠とも思える禍神との戦いの中で、天原は笑顔を見せる事も、痛みに顔を歪める事さえ、天原は次第に忘れて行った。流された禍神と自分の血に溺れるように、天原の感情はココロの奥底へ沈んで行き、心も体も機械化したかのように、天原は感情もなく淡々と禍神を処理し(滅ぼし)た。「みこと」を失った喪失感と深い後悔の念が、神代の頃の少年のように輝いていたかつてのアマテラスの表情を、泥を塗ったように真っ黒に塗り潰した。
「裏アマテラス」とも言うべき天原隠零――陰陰滅滅としたその人間性が産み出されたのは、みことが死んだ後の頃だった…。
マッチ売りの少女が、凍えた心に火を点すように、記憶の中に居るみこととの思い出に暖をとり、目の前に蘇るみこととの楽しい思い出に、天原は温かな涙を流した。
その後、みことの居ない膨大な時間の中、みことの「遺品」である平和の世を、天原は守り続けた。機械のように禍神を倒し続けた。「みこと」だけが抜け落ちた世界の中、禍神と戦って幾度も死に、その度に転生を繰り返した天原を突き動かした願い(原動力)は、
(…もう一度…もう一度…ぉォ…っもう一度だけ…っ――みことに逢いたいいい…!)その想いが、今日まで支えてきた天原の「全て」だった…
「ち、ちがぁァっ!――そうじゃない! あ、あーしは、騙すつもりなんてなかった!」天原と二人でやって来た校舎裏で、あーしは天原の前で下げていた頭を跳ね上げた。
この時、正面から初めて顔を合わせた天原は、
「…おまえ…お前は…「みこと」なんかじゃない…。――う”う”ぐぅ…ッ、お前なんてええぇェエエぜっっっっtッッたいにいいい違うううううッッ!!」唇を震えさせて、天原は泣いて…っ――
突き刺すような天原の烈しい目と言葉が、あーしの頭と心臓を槍のように貫いた。
咄嗟に伸ばしかけたあーしの腕を、天原は汚物のように払いのけた。あーしは天原のその腕に斬られたように、自分の足に躓いて後ろに倒れた。
地面に尻餅をつくあーしを、仇敵のような目で見下ろす天原は、ぐるん! と大きく首をひねって、あーしから強引に視線を引き剥がした。これ以上あーしと顔を合わせていると、自分が何をしでかすか分からないとばかりに…。
天原は何も言わず校舎裏から走り去り、あーしは小さくなって行く天原の背中を呆然と見つめたまま、その場から一歩も動く事ができなかった…。
あーしの前から逃げるように走り去る天原の表情からは、教室で見た「みこと」に再会した喜びは掻き消え、悲しみと、惨めさと、後悔で、天原は両目を真っ赤に泣き腫らして…
「…女の子、泣かせた…」おそらくは最悪な形で。
(なにやってンだ…。なにやってンだよ…ッ、あーしは…ぁァ…っ)
地面に蹲って両手で顔を覆い、後悔に打ち震えるミコトのその姿を、校舎の窓から、じっと見下ろす一人の生徒が居る事を、誰も気づかなかった…
顔を拭った制服の袖を涙で濡らしながら、天原が校舎裏から急に飛び出してくると、
「あーちゃん、あーちゃん。おいっ、あーちゃんってば!」と、後ろから天原の肩を掴むように呼んでくる女子の声があった。
「テメェェエっ――いい加減にしろよおおッ! このッブスっっ!!」ミコトがしつこく追いかけてきたと思った。天原は、聞こえよがしな舌打ちをした。武器を振り上げるように、天原は最初からケンカ腰で振り返った。しかし、
「う、う、うううわわああああァっ、こ、怖いいいぃィい~!(棒読み)」
「ななぁァっ、なんちゃんっ!?」振り返った天原の前に居たのは、(棒読み)まで声に出して、面白がるようにニヤニヤとした笑みを天原へ向けた、ミコトとは別の生徒だった。
天原隠零には、友達が一人も居ない。自慢にも何もならないが。
天原が気軽に互いの事を話せる友人なんて、学校中探しても誰も居なかった。しかし、そんな天原に「なんちゃん」と愛称で呼ばれた女子生徒は、南方刀技と言う、学年が一つ上の三年の女子生徒だった。
「南方」の名前を知る生徒は、校内中――いいや、全国でも名の知れた剣道の実力者として、南方の名は県下に鳴り響いていた。
南方が竹刀を握れば、その刃は紫電一閃。稲妻が落ちたような重い斬撃が、防具の上から相手を襲い、目にも留まらぬ閃光のような早業で一本を奪う。そして、鎧兜のように重い剣道の面を脱げば、目元の涼しい美少女の面立ちが、重厚な防具の下から顔を現す。
文武に優れ、その上、気さくで男女ともに友人が多い。南方刀技は、まさに全校生徒の憧れのような女子生徒だった。
校舎裏から猫のように急に飛び出してきた天原を呼び止めた南方は、先程までの面白がった風の表情を奥にしまって、天原へ真摯な目を向けた。
「また…一人で泣いていたの? それとも――あの「ミコト」に何か言われた?」
パンっ! という乾いた音が廊下に響いた。泣き腫らした天原の顔へ伸ばそうとした南方の手を、天原は鋭く振り払った。
「――っっ! 見て…見ていたのかよぉォ…っ! 最悪だなああッ、お前も…ミコトもおおおッ!!」「ミコト」という語に力を込めて、天原は吐き捨てるように言った。
天原に払いのけられた手を、さして気にする風でもなく、南方刀技は感情の読めない表情で続ける。
「…そんなに嫌い? あのミコトのこと…」
「ああァアアっ、嫌いだねッ! 大っっっっっっっっっ嫌いだああああ!! もう二度とッ顔も見たくない!!」
「なるほど…だから、か…。だからあーちゃんは、あの「ミコト」の事をいつも見ているんだね…」
真面目で、純粋で、オノゴロの青空みたいに明るくて、周りの「みんなさん」へ幸せを届けるみたいに笑う神代のみことのことが、天原は――好きだった。
「だから」だった――髪を明るく染め、化粧をし、太ももや胸が見えるような派手なファッションに身を包み、神代のみことと同じ顔のクセに、いたずらに日々を空費している現代のミコトの事が、(はぁァ!? なんなのコイツ…ッ!?)と、天原には軽薄でバカに見えた。神代とあまりに違う「ミコト」の存在が、天原の心をいつも波立たせた…
「はぁ? はぁァアアアッ!? ななァっなンで私があんなバカの事をいつも見てなくちゃいけないのよっ! あんな…あんなああッ――偽物なんてぇェェエエッッ!!」
その実、教室で、昇降口で、体育の授業で、西日の差し込む放課後の誰もいない教室の窓から、「シカちゃん♪」「ヒメちゃん♪」と、楽しそうに友人二人の名を呼ぶミコトの後ろ姿を、いつもいつもいつもいつも天原は目で追いかけていた…
「そう? だったら、話してもよかったんじゃない? 神代や、私たちの事…。あのミコトちゃんも、ずいぶん知りたがっていたみたいだし」
「そ、それは――っ!」天原の言葉の矛盾を冷静に突いてくる南方に、天原は思わず声を荒げる。
神代での長い旅の果てに、みことは穢れの元凶となる存在を打ち倒した。「みこと自身の命」と引き換えにして…。
それなのに、現代に蘇った穢れと、ミコトを戦わせる。禍神との戦いの日々に、ミコトを再び連れ戻す。神代からのそんな繰り返しに、ミコトを再び引きずり込むことは、天原には到底選べなかった。なぜなら――
(現代でもまた、ミコトは死ぬかもしれない…!)過去の再現(ミコトの死)。天原が何よりも恐れていた事は、ソレだった…。
ミコトが神代の記憶と使命を思い出した時、現代でも同じ事が繰り返されるかもしれない。現代でも再び、ミコトは自分の命を犠牲にするかもしれない。だったら――
(現代に転生したみことが、神代やオノゴロ島の事、禍神や仲間(私たち)の事を全て忘れてしまっていても、かまわない…っ。それで良い…そのままで良い…)天原は本心からそう願っている。
神代で、世界中の希望と期待を、みこと一人に背負わせた。みこと一人を、「死」へ向かってみんなで背を押し出してしまった。天原が涙ながらにミコトへ発した「ごめん」の言葉は、その時の懺悔の想い。そして、
(私はもう二度と、大切な人が死ぬ場面を見たくないいい!)泥のような後悔の念のこびり付いた天原の心の奥の奥、嵐のような激情の核にあるのは――(神代(過去)の事は関係なく、幸せ…にぃぃ…っミコトだけは、幸福のまま生きていて欲しぃィ…っ)愛する人を想う、天原のそんな純粋な願いだった…
「アイツは――じゃない…。「みこと」じゃない…。何を話しても、意味、なんて…ないだろう…」天原の口から出たのは、自分で自分の心臓を抉るような悲しい声色だった。
「神代のみことは、居ない…。もう、どこにも…居ない…ンだから…ぁァ…っ」
「…そう…」南方は、感情を押し殺したような表情で呟いた。触れれば砂のように心が崩れてしまいそうな、哀れな友人を見つめながら。
南方は口調を変えて話し出した。
「あーちゃんはさっ、現代をもっと楽しめばいいと思うよ。話せる友人が学校で私一人だけとか、みなみんお姉さんは寂しいよぉ~、シクシクっw クラスに友達を作ろうぜ。なんなら、恋人、なんかも作っちゃってサ♪ だわっはははw」
笑いながら歩き出すみなみんお姉さんの後ろを、俯いた表情でとぼとぼとついて行く天原隠零は、余計なお世話とばかりに、そっぽを向く。それを見る南方は、手のかかる妹を持ったみたいに、笑顔でため息をついた。
やがて、南方は思い出したようにその言葉を天原へ投げた。
「そういえばさ、学校で「あーちゃん」なんて呼ぶのは、私一人だけだと思っていたのだけれど、なんだかんだ言って、あーちゃんは意外と手が早かったんだナw くひひっ」
「は、はぁァ? な、なんの事?」言っている意味が本気で分からない。
訝しげに眉間に皺を寄せる天原の顔を、じっと見つめていた南方は、信じられないという思いで、のろのろと口を動かした。
「え…? だって、教えてあげたん…じゃないの? あのミコトに? 神代のみことと同じ、「あーちゃん」ていうアマテラスの呼び方…」
その時、校舎の壁の向こう――校舎裏へ置いてきたミコトへ、弾かれたように振り返った天原の目が、「え…?」と、驚愕に見開かれる…
神代。オノゴロ島。椿の寝床。
「みことおおうへぇぇぶおおんンぶぉおおんンっ! おれたちと遊ぼうぜえええ!」
「だめぇ、イヤよっ! みこちゃんはわたしたちと遊ぶのぉぉ! ね? そうだよね? ね、ね? みこちゃんっ!?」
頭から獣耳を生やした子供。角を生やした子供。背中に羽根を持つ子供。そうした神様の子供と、人間の子供たちが一緒になって、みことの元へ大波のように駆け寄ってきた。
オノゴロ島の漁村で見た光景の再放送のような景色に、大勢の子供たちの笑顔に囲まれているみことの中で、あーしは他人事のようにケラケラと笑っていた。
「でしたら、ようせいさんも実際に見てみますか? ――穢れ、を…」
神代と現代――その両方の繋がりを知ろうとするあーしへ、そう話してくれたみことが案内してくれた場所は、裾野に広がる小さな村々と、傾斜面に植えられた豊かなみかん畑を見下ろす事のできる山の中だった。
山の斜面に沿って、稲妻が走るようにジグザグに伸びた石階段の周りは、青々とした木々に囲まれ、空気も美味しく、大人の腰回りほどもある立派な木々が、森の奥の奥まで数えきれないほど生い茂っていた。
森の深淵へ足を踏み入れるような、所々苔むした、異界然とした雰囲気の石階段だったが、天蓋のように頭上を覆う枝葉の間から、時折差し込む陽の光が思いの外明るく、みことの中に居るあーしは、友人とのハイキングを楽しむような心地いい気持ちだった。
石階段の周りには、数百を越える朱色の鳥居が、ドミノのように連続して並んでいた。そして目線の高さより低い足元には、赤色の鮮やかな絵の具を、ぶちゅうぅ~! と押し付けたみたいな大輪の椿の花が、疲れて俯く歩行者の心を励ますように、石階段の両端を縁取るように、数万本と咲き乱れていた。
色を重ね塗りしたみたいな、濃い緑色。和紙のように薄く、陽光を透かせた明るい黄緑。赤味掛かったワインのような緑に、妖精が腰かけて休んだみたいな、一際目につく金色に輝いた緑――さまざまな色の「緑」が洪水のように氾濫した、まるで絵画の中を歩いているような美しい森の景色に、(…すご…すごすご…っすごいぃ…っ。本当に綺麗だし…っ)と、あーしはみことの中で、何度も感嘆のため息を漏らした。
やがて、鳥居と木々にさえぎられていた正面の視界がさーっと開けると、山の中腹の広々とした空間に現れたのは、天上の建物をそのまま地上へ引っ越しさせたような、絢爛豪華な光り輝く大社だった。
そして驚くべきことに、サッカーコート程の広い境内には、神様と人間の子供たちが大勢集まっており、石階段を登ってきたみことの姿を見つけるなり、子供たちは「わあぁ!」と歓声を上げて、みことへ向かってミサイルのように駆け寄って来る。
天臨オノゴロ領支部。通称「椿の寝床」と、その社は呼ばれていた。
来る途中の石階段だけでなく、境内のいたる所にも植えられた椿が、一年中鮮やかな赤い花を咲かせていた。濃い緑色の肉厚な葉の間に、唇を押し付けたかのような真っ赤な大輪の花をつけた光景が、社の周囲で毎日楽しめた。
「みことおれたちとあそぼう! ねぇ、いいだろう~! みことひまだろおお?」境内に居た男の子が、小さな手でみことの腕を掴んで、おねだりをするみたく左右へ揺らす。
「みこちゃん、わたしたち踊りうまくできたからあみててね! みててよぉ! こうして…こうやって…こうやるんだああ! いまできてたでしょう♪ えへへ~っ」三歳から六歳位までの女の子五人が、ダンスの発表会をするように、みことの前でたどたどしくも笑顔で舞いを踊り始める。すると、
「うん、うんうんんんっ♪ すごいすっごいいですうう! 本当にちゃんとできていたですよぉ! いっぱいのいいっっぱい、練習んを、みんなさんかんばったんですねっ。見せたくれたお礼に、わたしが、みんなさんをいっぱいのいいっっぱいッ甘やかしちゃいますですよおおおぅ! だあっはははは♪」舞を見せてくれた女の子たち全員を、毛布で包むみたく、みことは腕を広げて抱きしめる。
「おいっ、お前たち、もういい加減にしろッ! 私もみことも、遊びに来たわけじゃないんだぞ!」と、そこへ、みことと一緒について来ていたアマテラスが、みことに群がる子供たちを追い払うように強い口調で話す。しかし――
「うるっせぇッ、アマテラスがあっちいけ! おまえなんてさそってねぇからあ!」
「あーちゃんばっかり、いつもみーたんといっしょしてて、ずるいんだああぁ!」
周りに居た子供たち全員から、アマテラスは轟々たる批難を浴びせかけられる。まるで、同い年の対等な(子供)相手のような扱いで。
「くっ、ぐうぅゥ…っるせええええええぇェェっ、クソガキどもおおおおおおおお! あたしはみことのお守りだから、いつも一緒に居ていいんだもんねえぇぇー♪ どうだあっ、お前ら羨ましいだろう! どわぁあはっはっはっはっはっは!!」
アマテラスもそんなクソガキムーブ(物言い)をしているものだから、子供たちに余計に「対等」と思われてしまっている事に、当人だけが気がついていなかった。
その後、他の子どもたちも、大好きなみことにかまってほしくて、みことの腕や足や腰にしがみ付いて、短冊のように子供たちをぶら下げたみことの姿を見ていたあーしは、
『くくくっ、みことの今の恰好、まるでクリスマスツリーだしっw いひひひっw』
「だあははははっ♪ なんだかそれ面白いですねっ。面白いのかな? くひひっ♪ でもでもやっぱりん、面白いかもですねっ、くりますすす! わあっはははっ♪」
「クリスマス」も「ツリー」の意味も、みことは分からなかったと思う。けれど、呆れた口調で言うあーしの意図は十分に伝わったらしい。みことはあーしの言葉を受けて、声に出してコロコロと可愛く笑った。
椿の寝床は、「天臨」という組織が、中ツ国中に張り巡らせた支部の一つ。そして社自体が島唯一の「学校」として機能しており、みこともそこに通う生徒だった。
みことは当初の目的を忘れたかのように(内心、あーしは絶対そうだと疑っていた!)、みことが子供たちと夢中になって遊んでいると、何時までたっても教室に集まらない子供たちを探しに来たらしく、先生と思われる大人の女性がやってきて、子供たちみんなを連れて、教室のある建物内へ入って行った。
『みこと…。あー…それで、穢れを見せてくれるっていう話は――』
「はぁぁぁアアああァどどどわわわそうでしたあああごめんなさああいいいい!!」
(やっぱりみことは忘れていた!)あーしは大笑いしてまった。
広い境内に謝罪の声を響かせたみことは、正面に大きく門扉の開いた、神社の本殿となる荘厳な建物へ急いで歩を進めた。すると、ここでも別の騒動があーしたち三人を待ち構えていた。
天井があーしの身長の三倍ほどもある、広々とした本殿内部は、旅館の大広間のように壁はほとんどなく、丸い列柱が広間に十数個並び、天井からカーテンのように垂れ下がった色とりどりの几帳が、壁の代わりに幾つかの「空間」を区切っていた。
そして、黒い板床を張り巡らせた寝殿造のその大空間では、制服である巫女服をたすき掛けにし、額に鉢巻を当て、長物を携えて女だてらに戦へ加勢するように、虫取り網を両手で構え、腕の中に山のような着物を抱えた女子生徒数十人が、ハチの巣を突いたような慌ただしい様子で、そこかしこを駆け回っている!
「そっちよ!」「あっちへ行ったわ!」「みんなで囲んで!」「絶対に逃がさないで!!」
本殿入り口で呆然と立ち尽くすあーしとみことの目の前は、立ち上がる埃と、その奥から響く女子たちの大きな掛け声で、目が霞むかのようだった。
虫取り網を頭上で振り回し、巫女服が捲れて白い太ももを露に、大広間の柱と柱の間を、慌ただしく駆け回る女子生徒たちは、互いに声を出し合って、ナニカを必死に追いかけている。響き渡る女子の悲鳴と、騒がしい足音で、みことがやって来た事に誰も気付いていない様子だった。
目の前の大騒ぎに唖然とするあーしは、ふと壁際へ目を向ける。するとそこでは、走り疲れた女子生徒数名が、折り重なって泥のように座り込んでいる。そして、馬がギャロップをするみたく、元気にももを上げて広間を走る生徒も、天井を見上げたまま手に持った網を振り回し――とそこへ、同様に天井を見上げた生徒が、正面から走り込んできて、
ドッシ~~ンンンっっ☆☆
「むぎゅううぅぅぅ~~っ」女子生徒二人が正面衝突する。空気の抜けるような声を出して、床へ崩れ落ちる生徒たちの姿が、広間のあちこちで見られた。
『…な、一体なんの騒ぎだしぃ…っ』テレビで見た、時代劇の大捕り物みたいな騒がしさにあーしが驚いていると、ひらり、ひらり…と、頭上から何かが降っている事に気が付いた。
みことはおもむろに掌を上に向けて、天井から降ってくるソレを手に取ると、
『花…、びら…?』みことの手のひらへ落ちてきた物をまじまじと見つめて、あーしは不思議さのあまり声に出した。
高さ五、六メートルはあろうかという広間の天井。そこから雨のように室内に降りしきっていたものは――椿の花弁だった。
壁際や、床に倒れる女子生徒たちの肩や背中、頭や足の上に、椿の赤い花弁が雪のように降り積もっている。磨かれた艶やかな広間の床を、赤い絨毯のように椿が敷き詰めている。そして、虫取り網を持って追いかける女子生徒たちから逃げ回り、大広間へ大量の椿の花弁をまき散らしているナニカは、天井を蜂のように旋回して飛び回っていた。
「宇受売先生いいいいいいいいいいいいいいぃぃィういいいいぃぃ~~! ただいま戻りましたああああああああああああああわああああ!!」
大砲を打ち鳴らしたような大声で、みことが叫んだのはその時だった。すると、
広間を走り回っていた女子生徒たちは、広間の入口に立つみことへ一斉に振り返った。と同時に、広間に花弁をまき散らしていた犯人は、ぐるり! と、首を巡らせるように天井で向きを変え、みこと目掛けて飛び掛かるように駆け寄った!
ひらり…ひらり…ひらひら…――天井を仰ぐみことの額や、柔らかな頬、華奢な肩の上へ、大ぶりな椿の花が、指で触れるように次々と着地した…
花のシャワーのように、天井からみことの頭上へ、次から次へと花弁の雨を降らせる花の渦は、ただただ美しいだけのものではなかった。
シャワーのように天井から花弁を降らせる赤い渦の中心から、なんと、人の足の指の先が現れる! 女の子の華奢な足首までが、ぬうっと渦の中から出現する!(――ていうか、あーしとみことの前に現れたのはそれだけではない!)
花魁のような、匂い立つような色気を帯びた白い素足…。むっちりとした肉付きの良い太もも…。くびれた腰に、高級な毛筆を並べたような、淡い陰毛に覆われた女性器までが、天井を見上げるあーしたちの頭上へ現れてええええぇぇぇェエエ~~!!??
(うわァアアっっッぶくおめェェエエっぱァアアっえッッッッろ…!!)女性の股間を、しかも、真下からまじまじと見上げたのは、あーしはこの時が生まれて初めてだった!
肉感的な腰回りが滑るように天井に現れ、チューブにお尻が詰まったみたいに、GやHカップはありそうな豊満なおっぱいが、穴の縁をぎゅうぎゅうと押し広げるように、渦の中心からスポンっ! と勢いよく吐き出された次の瞬間――大量の椿の花弁を降らせる社の天井から、あーしとみことの頭上へ落ちてきたのは――ネットに溢れる18禁動画のような、花のように美しい容姿の女性の裸体だったあああああうわあああああ!!
「みこちゅわああああああああぁァアアアアアアアア~~ンンンンっっ♪ 逢いたかったよおおおおおおおおおおおおぉォオオオオオオオっっ!!!」天井に開いた花の渦の中から、大声を轟かせて現れた謎の美女は、素っ裸のまま両腕を広げて、生き別れの恋人のようにみことへ抱き着く!!
「国家」という枠組みが、中ツ国にはまだ存在していなかった頃。文化、刑罰(掟といったもの)、信仰といったものは、海に浮かぶ大小様々な島や各郷が個々に作り上げていた。
そんな、海に浮かぶクラゲのようにバラバラだった中ツ国へ、教育、穢れへの即応、禍神災害地への武力派遣等を基本の縦軸として確立し、そこへ更に、横軸(成長分野)として、これまでにない新しい興業を興して莫大な利益を集めたのが、「天臨」という集団だった(余談だが、みことやアマテラスが生徒として通う椿の寝床の大広間には、天臨プロデュースの大人気アイドル木花之佐久夜毘売様のライブの告知ポスターが、壁一面に貼られていた)。
そして本筋。天臨を最初に立ち上げた五人の人間と神様は、「五伴緒」と呼ばれ、その創設メンバーの一人こそ、女神天宇受売様だった。
「天宇受売様ああああああッッ神妙になさいませええええぇェエエ!!」
一斉に銃口を向けるかのように、生徒たちのその大声が広間に響くなり、着物と虫取り網を持って走り回っていた女子生徒全員が、みことに抱き着く絶世の美女天宇受売様の上へ、爆撃機のように次々と降り注いだ!
「宇受売様、捕まえましたよ!」
「宇受売様、動かないでください!」
「宇受売様のおっぱいに潰されぶぅううううuっっ!!??」
かくして、みことから無理やり引き離される。羽交い絞めにされる。十代の年若い少女らに、手取り足取り子供のように着物を着させられる――女子生徒らが満足顔で立ち上がった時、一糸まとわぬ全裸だった天宇受売様は、何重にも着物を重ねられた、バームクーヘンの神様みたいな、かなり面白い格好になっていたww
「ちょっとぉ、君たちっ! 私はこの館の主だぞ! 遠慮というものを知らな過ぎるんじゃぁないのかね! 私は、君たちをそんな悪童に育てたつもりはなかったのに…しくしく~っ」椿のように血色の良い赤い唇を、ぷく~、と尖らせる。着物の袖で、涙をぬぐうフリをする。言いながら帯を緩めて、さっそく着物を脱ごうとする天宇受売様…
(この先生(神様)のこういう子供っぽさが、わたしは大好きなのですっ♪)手のかかる子供だからこそ愛着がわいてしまうみたいに、偉大さの欠片もない、目の前のバームクーヘンの神様を見つめながら、みことはそんな事を思ってほほと微笑んでいる。
女神天宇受売様――その方が日本神話史上最大の功績と、最大級の笑いを、その豊満すぎるおっぱいの間に挟んで登場なさったのは、何と言っても「天の岩屋戸隠れ」のシーンでしょう。
時は神話の時代。神々の暮らす天上と、人々の暮らす地上の二つの世界の平和は、ある日突然崩れ去った。
天地を闇が覆い、魑魅魍魎が跋扈した。ありとあらゆる厄災が、神々や人々の命を次々と飲み込んで行った。
天照大御神――世界各地に伝わる太陽信仰同様、その神様も太陽神だった。ですが、その偉大な神は岩の中へ隠れてしまい、光を失った天地は、ついに闇に堕ちたのだ。
「天照大御神を、なんとしても岩の中から出さなければ…!」
残された神々は何十日も方策を話し合い、数百度と様々な方法を試みた。しかし、その試みは、試された数だけ、失敗と絶望を積み重ねる事となった。
「…もはや、光が戻る事は無いのだ…」誰しもがそう諦めかけたその時でした。椿油を塗った艶やかな黒髪をふわりと揺らし、一柱の女神が、一座の前へ進み出た…
知恵の神。力の神。弁論の神。様々な力を持つ八百万の神々でさえ、光の神を外へ連れ出すことは不可能だった。しかし、その数刻後、天照の隠れる岩屋戸の前の行われたのは、宴会だった。しかも、天地がひっくり返るほどの大大大宴会!!!
世界中から食材をかき集め、地平線まで続く絢爛豪華な料理と酒を前に、神々は飲み、食い、大いに笑い、神々の座の中心で、万雷の拍手とおひねりと、囃し立てる男衆の野太い歓声を一身に浴びて、全天に轟くほど場を盛り上げに盛り上げた者こそ――一座の前へ進み出た、例の神様天宇受売様でした。
酒席へ現れた天宇受売様は、八百万の神々の目の前で、着ていた衣服をおもむろに脱ぎ始める…
シュル…シュルシュル…と解いた鮮やかな緋色の帯が、美しい女神の足元に、紅葉のように積み上がる…
しっとりと汗ばんだ白いうなじ…。美術品のようにしなやかな美しい背中…。グラスの持ち手のようにくびれた華奢な腰つき…――一枚…また一枚着物を脱いで、血眼になって凝視する観衆の目の前へ、雪原のように広がって行く、吸い寄せられるように美しい女性の白い裸体…
雪原のように白い宇受売様の素肌は、金色に輝いているようにさえ見えた。濃度を増して場に溢れ出す宇受売様の妖艶な色香は、食い入るように宇受売様を凝視する周囲の神々の視線を、首輪をつけたように掴んで離さなかった。そして、
ぷるるるるんっ♪ と音が鳴るかのように、果実のようにむしゃぶりつきたくなる宇受売様の豊満なおっぱいが、着物の内側から外へ零れ出す…
「ハァァ~~っ!」周囲の観客の喉から、感嘆のため息が一斉に漏れ出す。
そして、最後の一枚が脱ぎ捨てられ、毛筆を一本一本並べたみたいな、淡い陰毛に覆われた宇受売様の女陰が露になると、天宇受売様はいよいよ胸を揺らし、腰ひもを垂らした陰部を駒のようにこね回し、その美しい裸体を烈火のようにくねらせて、現代のストリップショーそこのけの情熱の舞を夜通し踊り続けた。
「このうるさいバカ騒ぎは何だ!」そう思ったのは、天照大御神でした。
岩の中に引きこもってからというもの、何柱もの神が、自分を説得しに来た。岩から出るように懇願した。ある時には力任せに岩をこじ開けようと試みた。しかし、その度に天照の心は、岩と同化した様に固く閉ざされていった…。
「ところが、だ! 今日に限って、煩わしいと思っていた説得に誰もやって来ず。かわりに外は、天地がひっくり返るほどのドンチャン騒ぎ! これは一体どうなっているんだ!!??」暗く、湿った岩の中に引きこもる天照の心に、いつしか寂しさが募った…
その時の天照の心境は、かくれんぼで、最後の一人になるまで誰にも見つけてもらえなかったみたいな、世界から自分一人だけが取り残されたような寂しさだった。
バーン! と吹き飛ぶような勢いで岩屋戸が開かれ、天照自ら外へ姿を現したのはその時だった。
天照のこの時の行動は、後から考えれば当然な事でした。が、宇受売様の魅惑のストリップショーに全神様釘付けで、ようやく出てきた肝心の天照を、誰も見ちゃいない。
「ただの趣味なのか?」「変態なのか?」「はたまた途方もない大天才なのか!?」その答えは、天宇受売様以外誰にも分からない。ですが、一つだけ確かな事は――世界は救われた! 天宇受売様の「全裸」によって!!!
見る者の目に、焼き印で押したように鮮烈に残るその時の宇受売様の舞踏こそ、のちの「神楽」。その元型。彼女を祖とした乱痴気騒ぎ――もとい、神に捧げた舞い神楽は、恵比寿ミコトの暮らす宮崎県で、現代人の手によって、今も連綿と受け継がれている。
(その伝説の神様天宇受売様と、あーしはいま、目の前で対座している…)
見回した室内のいたる所には、赤や緑や、黒や黄金色の、色とりどりの帯や着物が無造作に脱ぎ散らされて山積みにされており、まるで落ち葉のように、床一面に敷き詰められた衣の山々からは、理性をくすぐるような花の甘い芳香が立ち昇っていた。長くこの部屋に留まっていると、あーしは理性がトロけるみたいに頭がくらくらした。
「宇受売様。ただいま戻りました…」床が一段高くなった、上座の板敷に座るその神様の前で、正座をするみことは恭しく首を垂れた…。
椿の寝床へやって来たみこととあーしを待っていたのは、弟子のみことが最近ちっとも顔を出してくれない事にへそを曲げて、子供みたいに社内を駆け回っていた宇受売様と、その全裸の主人を追いかける宇受売隊(いわゆる秘書。宇受売様の身の回りの世話をする委員会の女子生徒)の、大広間を椿の花弁で真っ赤に埋め尽くす大騒動だった。
その後、ライオンと餌の肉を一緒に檻の中へ放り込んで置くみたく、宇受売隊の女子生徒らに強力に背中を押されたみことは、脱ぎ散らかした宇受売様の着物で溢れた校長室へ通された。
下座に正座して座るみことの正面には、吸い込まれそうな白い内股を露わに、胡坐をかいて座るこの社の主がいた。そして、上座に座る神様は、可愛い愛弟子のみことを前に、ニコニコと嬉しそうに微笑んでいる。
ここでさらに、天宇受売様の「舞踏」の神様としての話。
島での宇受売様の肩書きは、オノゴロ領天臨支部の支部長兼校長兼神楽の教師。島の子供たちに神楽を教える教師として、いまは後進の育成に宇受売様は力を注いでいた。
神話に語られる脱ぎっぷりは今でも健在で――というか、隆盛ますます極めている! 宇受売先生は、宇受売隊の女子生徒に脱ぎっぱなしを子供のように叱られ、そして、脱いだ着物を持った女子生徒に、宇受売先生は毎日追いかけられている。
風のように捉え所のない宇受売先生の性格のせいで、毎日毎日、今日のようなご苦労をなさっている委員の方々には、大変申し訳ないとみこと本人も思っていたけれど――(宇受売様が今日も元気で、みんなさんと楽しそうに笑っているんのなら、それはよき! 良いのかな? えへへっ。でも、宇受売様が笑顔でいられるのは良い事だよねっ♪)なんて、生徒に追いかけられて笑っている宇受売様を見て、みことはそんな事を想って、一人でほくそ笑んでいた。
みことにとって、師のその笑顔は、他の何にも代えられない大切なものでした。
特産や、名物に乏しかったオノゴロ島に、天宇受売様は、「神楽」という文化を根付かせてくれた。
神楽=(イコール)エンターテインメント。この時代の神楽は、みんなで楽しめる娯楽だった。なにせ開祖の神様が、あの――「天宇受売」様。そうならない方がむしろ不自然!
歌と踊りに合わせて、客は合いの手や掛け声、拍手や贔屓の演者に声援を送った。観客と演者が渾然一体となって作り出す最高の舞台――それがこの時代の「神楽」だった。
その神楽見たさに、他島や高天原から、人々や神様が島に大勢詰め掛けた。みことを含め、島の全員が、宇受売様へ言葉では言い尽くせない感謝の念を抱いていたのは、神楽や学校の事は勿論、椿の花のように明るい、天宇受売様のその人(神様)柄だった。
今では、神楽の踊り手に憧れて入学してくる新入生たちが、
「こら”あ”あ”あ”あ”~~ッッッ! 宇受売様ッッ、服を着なさああああァアアアいいい!!」伝説の開祖様が、委員の女子たちに追い掛け回されている。素っ裸で…。その光景を見た新入生は目を丸くする――という一連の流れが、お約束のような事になっていた。
神楽を愛する宇受売様の心が、島の一人一人の心の中に生きている…。大好きな宇受売様が、毎日笑顔で、楽しく暮らしていることが、このオノゴロ島にとっての何よりの「至宝」なのだと、みことは心から天宇受売様の事を敬愛していた。
「宇受売様、宇受売様のお顔が見たくって、こうして参上いたしましたあ♪」
校長室の上座に座って、着物の裾を広げて胡坐をかいて座る天宇受売様の姿が、型破りの神様らしく、「カッコイイなぁ!」とあーしは感心していた。
話の本題に入る前に、みことは屈託のない笑顔を投げて、天宇受売様の気分を盛り上げたし、そう言われた当人も、可愛い弟子を前に、まんざらでもない様子だった。
「にゃへへ~。あははっ、まったくぅぅ~、みことはいつまでも師匠離れの出来ない、甘えん坊の弟子ぬわぁんだからぁああ~っ。むひひひひっ♪」
『…どの口で言うんだし。この神様は…(゜Д゜;)』
(弟子に会えない寂しさで、広間で大暴れしていた神様はドコのダレだし…)なんて、あーしはみことの心の中で突っ込んでいたし、師匠のそんな子供っぽさが大好きなみことは、はしゃぐ天宇受売様の前で、母親みたいにほほ笑んでいる。
「じつは、宇受売様に、お願いがあるんのです…」と、みことは本題を切り出す。
木々の枝の間から零れた木漏れ日が、落ち葉で敷き詰められた地面の上へ、コインの落し物のようにぽつりぽつりと陽だまりを落としていた。大小まばらなその丸い陽だまりの上で、みことは飛び石のようにぴょんぴょんと飛び跳ねて、森の中をスキップするように進んで行った。
「ねえねぇ、ようせいさんようせいさんっ。あねの、わたしね――あっ、「あねの」だってっ、あははっ♪ あねの――あっまた言っちゃった! やだもう、えへへっ♪ あれ? わたしなに言おうとしていたんですっけ? あれれ? そうそう、そうですんっ、あのね、「羊雲」ってあるんじゃないですか? それって、「羊」を見た人が、空に浮かんだ「雲」を見て、「あっあれ羊みたい! よし、羊雲って呼ぼう!」て、そういうことですんよね? うん。じゃあさじゃあさっ、「雲」を見た人が、目の前にいるモコモコした白い生き物を見て、「よしっこいちは今日から羊雲って呼ぼう!」て、逆にはそうならなかったのかなぁ? えっと、ようせいさん、わたしの言ってること分かるですか?」
『うんうん、みことの言わんとする事はなんとなく伝わった。確かにみことの言う通りかも。「羊雲」って言う言葉があるという事は、「雲」という単語が最初にあって、その次に「羊」の要素が加わってその言葉が出来た…? でもでも、それなら最初に「羊」があっても別にかまわない…のかなぁ…?』あーしは、みことの相変わらずの鋭い着眼点に感心しつつも、考えれば考えるほど、思考の罠にはまって行くような思いだった。
『あ~、わかった。これ「卵が先か? 鶏が先か?」っていう話なんだ。意外とむずいなァ…っ』
「でぇぇッ、なにそれなにそれぇぇっ!!?? それそれそれれれなんですかああ! 「卵と鶏」がなんとかっていう話、初めて聞きましたあ! わたししりたいですうぅ!」
新しい物好きのみことの好奇心に、すぐに火が点いた。鳥や虫の羽音の聞こえてくる静寂に包まれた森の中に、マシンガンのごとくあーしへ質問をぶつけてくるみことの興奮した声が、楽器のように鳴り響き続けた♪
「ああ…――勿論それはかまわないよ」
そんな言葉がみことへ投げ返されたのは、天宇受売様に会うために、みことが椿の寝床を訪れた時の事。校長室で対面する天宇受売様は、みことのお願いを、そんな言葉で了承してくれた。
「例のあの地への立ち入りを禁じているのは、普通の人間や、私ら神様どもが迂闊に入り込まないようにするためさっ。だから、天子であるみことの行動を妨げるものじゃないんだ。それなのに、みことはいちいち律義に私に許可を貰いに来てくれるんだからぁ~ン♪ ンもぅっ、みこちゃんっ、可愛いゾぉっ☆」宇受売様はたまらないとばかりに、自分の腰に両腕を回してくねくねと体を揺らす。
気分の盛り上がった宇受売様は、脱皮するみたいにしゅるしゅると帯を解く。八〇単くらいあるだろう、バームクーヘンのような着物を、乱雑に脱ぐ。宇受売様はみるみる細身になってゆき、天窓から差し込む逆光の中で、はだけて露になった宇受売様の魅惑的な胸元が、真珠のように純白に輝いていた。
「みこと、分かっている事だとはおもうけれど、アマテラスを連れて行くのは、途中までにしておきなさい」と宇受売様は一つだけみことに注文を付けた。
「はい。分かっています、宇受売様」
「丁度、土地の調査のために陶芸家を一人送っておいたから、途中出会えるはずだ」
太鼓を叩くみたく、ぽんぽんと小気味よく話を進める宇受売様は、お礼を言って退室しようとするみことを、最後に呼び止めた。
「みこと。みことの弱点は、頑なすぎるほどの、その優しささ…。いざとなれば、この島の三つや四つくらい潰れたってかまいやしない。全員の家が無くなっても、ヒトはどこででも生きていけるもんさっ。けど、「命」はそうじゃない――みことは、たった一つの「自分の命」を、何よりも大事にしないといけないよ…っ。そうじゃないと、「みこと」を心から大切に思う私や、他の大勢の奴らが、悲しくなっちまう…」
師匠。学長。みことを愛する一人の大人――そんないつもの表情ではなかった。オノゴロ島に君臨する女神「天宇受売神」として、みことという一個の人間を導くように、天宇受売様はそう説いた…
聡明で心優しい、みことのような弟子を持てた事を、宇受売様は師として素直に誇らしいと思うと同時に、その頑なさのために、「いつかみことが身を滅ぼしやしないか…」と、この愛に溢れた神様は、いつも気がかりだった。
みことの左目、胸、右足…――黒い穢れに侵されたみことの痛ましい傷へ、宇受売様の悲しげな視線が、手で触れるように優しく宛がわれる…。
「自分を大事にするために、島など潰してしまってもかまわない」これほどの事を言える師が、当代いるだろうか? オノゴロ島を、そこに生きる全ての者たちを、宇受売様はみことの何倍も愛しているというのに(裏を返せば、宇受売様がここまで強い言葉を使わなければ、みことは自分を犠牲にしてでも他の命を救おうとしてしまう…)。
舞を教わり、目を掛けてもらい、妹や家族のように大切に想ってもらい、そして今日の自分が出来上がった――天臨に入学してこれまでの宇受売様との思い出が、みことの頭の中で早回しのように蘇った。板床に深々と頭を垂れるみことの顔の下で、万感の思いが涙となって、みことの頬を伝った。
「ありがとうございます…っ。天宇受売様…本当に、ほんとうにいい、大好きです…宇受売様…っ、大好きです…っ」
(みこと、震えている…ッ)目の前の光景を凝視し、指の先が真っ白になるほど自分の腕を握り締めるみことは、小刻みに震えていた…
破天荒な神様天宇受売様と別れ、椿の寝床を後にしたみことが次に向かった場所は、ある森の中だった。
回廊のように立ち並んだ、天にも手が届きそうな背の高い杉の木。その木の足元に、スニーカーのようなカジュアルな色を添える、青やショッキングピンクの小さな草花たち。木々や植物の楽園のような森の中の景色は、ずっと見ていたいと思えるほどあーしは居心地よかった。コインのように落ち葉の上に点々と落ちた、木漏れ日の上をスキップするみことは、あーしとお喋りを楽しみつつ、迷いのない足取りで森の奥の奥へ進んで行く。
ところが、二、三十分ほど森の中を進んだ頃。太陽が急に陰ったかと錯覚するかのような黒い土地が、緑あふれる森の中に忽然と姿を現した――
周辺の木々は、強風にあおられたように外側へ向かって斜めに倒れ、枝は衣を脱がされたように葉が全て抜け落ちて枯れている。そして、森を壊滅させた大変な山火事の後も、地の底で炎がくすぶり続けているように、学校のグラウンドほどの広大な広さに渡って、草木一本生えない黒い焦土(生命が息を止めた空間)が、視界の奥まで広がっている…。
双眼鏡で眺めるみたく、正面に現れた黒い土地を食い入るように注視していたあーしの視線は、ある一点を掴まえたまま離れられなくなった。
『あっ、あれ、みことおお! あれっ、あれってもしかしてっ――!』
「はい…。宇受売様が話していた、例の陶芸家です…」
巨大な松明を地面へ押し付けたかのような、焼け焦げた黒い土地の真ん中に、人が立っている。その人物は、目にもとまらぬ速さで、抜き身の刀を虚空に向かって振り下ろしている。
驚くべきことに、その人物が刀を振り下ろすたびに、キラキラとした軌跡が刃の上を滑り、刀身から飛び出した剣の風圧が、周囲の木々の枝を暖簾のように揺らした。
(あー、なるほど。あーしにも分かった…)この人物が、ただの陶芸家ではないという事が。
現代。学校内。
「私を騙したのか!!」
涙ながらに叫んだ天原隠零のその言葉は、あーしの心に、折れた刃物のように深々と突き刺さったままだった…
その日の学校でのあーしは、何をしても上手くいかなかった。授業中、黒板の文字をノートに写す気にならなかったし、教室の中でポツンと一つだけ空いた天原の席を見ては、あーしはため息ばかりをついた。周りの声も耳に入らない様子のあーしに、シカちゃんとヒメちゃん二人は、心配して何度も顔を見合わせるほどだった。
「本当は…天原に、直接聞きたかったンだけど…」言いながら手に取った本を適当に捲った。あーしの目に、ふいにその単語が飛び込んできた。あーしは食い入るように、文章の続きを読み進めた――
「…あのヒト…ホントにちゃんとした神様だったんだ…」
お昼休み。あーしがやって来たのは学校の図書室。その目的は、神代でみことから聞かされた、ある言葉を調べるためだった。
(本当は、天原に直接確かめたかったけれど――)あーしが天原を泣かせてしまった朝の一件の後、天原は一度も授業に出ることなく、学校から姿を消していた。
この日、天原に直接確認する事を諦めたあーしは、他の手段を探すために、普段全く使った事のない図書室まで足を伸ばしていた。そこで偶然手に取った本に見知った名前を見つけたあーしは、気付いたらその文章を夢中で読み進めていた。
「天宇受売様」
あーしが図書室の本の中で見つけた名前は、神代のみことの師匠の神様。有名な天の岩屋戸のシーンについて書かれた文章だった。
みことの中で実際に見た破天荒な神様と、本の真面目な文章の中に、窮屈そうに押し込まれた「偉大な神様」とのギャップに、あーしは胸の奥から可笑しさがこみ上がってきて、
「くっ、くぶふ…w だァははははっ! みことに子供みたいに甘えていたあの神様が、こ、こんな~っ――ぐひひっ、こんな風に書かれてるなんて、だははははっw 面白いぃぃっ♪」あーしはおかしくて涙が出てきた。その時だった――
「何か、面白い読み物でも見つけたのかしら?」
「他にも宇受売様について書かれた本はないかな~」と、それらしい本を片っ端から手に取ってページをめくっていたあーしの背中へ、不意にその声が投げ掛けられた。
神代。禁受の森。
(あいつ…。今回は、ずいぶんあっさり引き下がったなぁ…)
みことの周りを犬のように駆け回る。常にみことの世話を焼こうとする。まるで赤ちゃんを相手にするかのように、あらゆる危険からみことを遠ざける――「誰」の話をあーしがしているのかと言うと、勿論「犬テラス」の事だ∪・ω・∪ そのアマテラスが、みことが一人で森の中へ入って行こうという時、「自分もついて行く!」と今回に限って言い出さなかった事が、あーしには意外に思えた…。
樹齢百年をゆうに超えるだろう背の高い杉の木々が、左右から見下ろすように立ち並んだ森の中の一本道を、たった一人で歩いて行くみことの背中へ、
「気を…つけて…。みこと…」まるで目に見えない鎖に繋がれたように、森の入り口で立ち尽くして、小さくなって行くみことの背中を見送るアマテラスのその時の表情が、あーしの目には酷く怯えて見えた…。
『アレは…一体何をしているの…?』森の奥に忽然と現れた、火のついたタバコを地面に押し当てたような黒い土地の端に立つみことの中で、あーしは正面を見つめたまま声を絞り出した。
「キィィィィィぃぃいいいヤアアアアアアアアアアアアアアァァァッ!!!」
あーしとみことの視線の先――黒い土地の中央に立つ一人の娘が、動物の鳴き声のような甲高い気合を発する。背後に振りかぶった両腕を振り下ろす。その刹那、身の丈を越える長大な大太刀が娘の背中から跳ね上がり、目にも留まらぬ速さで大太刀が空を斬る!
まるで素振りの練習のように、黒い土地の中心で、大太刀を振り回すその娘が相手にしていたものは、この森の空にガスのように漂う、土地に浸み込んだ「穢れ」だった。
背後に広がる生命に溢れた森と、死がこびり付いたような目の前の黒い焦土――その境目の上に立つみことの視線の先で、大太刀を肩に担いだ娘が、獣のように地面を蹴る。鋭く空へ飛び上がる。高速で振り抜かれた刀が、黒煙のように宙を漂う穢れを、団扇で扇ぐように散り散りに吹き飛ばす。
巨大な刀を振り下ろした風圧で、そのまま四散すると思われた黒い穢れは、逃げるように飛び上がった上空で暗雲のような塊になると――
「あァっ!」とあーしはみことの中で声を発した。森と焦土の境目の上で立ち尽くすみこの頭上へ、黒い穢れの塊が、矢を弾いたように襲い掛かった!
バチバチバチィィィィイイイイイイイッッッッ!!!!
地上で花火が炸裂したかのような凄まじい閃光と爆音が、あーしの目の前で爆発した。
上空で向きを変え、矢のようにみことへ襲い掛かった黒い穢れは、庇うように咄嗟に跳ね上げたみことの腕の先で、壁に泥を投げつけたかのように千変と姿を変えた――
黒い炎。カラス。男。四足獣。刀剣。女児。樹木。鏡――アニメーションさながらに目くるめく姿形を変化させる穢れは、その身の内から黒い火花を吐き出し、みことの腕から放たれる浄化の光と、空中で磁石のように反発しあった。そして、力比べをするように、両者の間で膨れ上がった黒と白の光が、周囲の景色を眩い閃光で塗り潰した。
「くわアああぁァaaっッっ!! ッgぐうううぅゥ…ッ!!」みことは大声を出す。突然地面に蹲る。銃で撃たれたように、みことは自分の胸を強く押さえる。
霧が晴れるように、周囲を満たしていたモノクロの閃光が、すーっと景色の奥へ後退し、森の木々や、葉の色彩が、あーしの視界に浮かび上がって来た時、蹲るみこととあーしの頭上に――一柱の黒い神様が立っている…!
地面に焼き付けられた穢れが凝縮し、空中で像を結んだような黒いその神様は、その場に存在するだけで、周囲を干からびさせるような高熱を全身から放った。生物の喉を炙って窒息させるような、灼熱の息を吐いた。見えない巨腕にあーしは頭を掴まれ、強制的に他者を跪かせるような、想像を絶する存在感を放つ恐るべき大神だった…!
黒い太陽のような、決して目を逸らすことの出来ない圧倒的な存在感を放つその神様は、腰に佩いた刀をすらりと抜き、刀身まで黒い漆黒の刀を、頭上へ高々と振り上げる。夜が噴き出したかのような漆黒の炎が、天を覆うように刀身から空へ翔け上がる。そして、
「…ッぅぅくぐゥ”…っ!」全身から滝のような汗を流し、地面に両膝をつくみことの頭上へ、黒神の恐るべき黒刀が、容赦なく振り下ろされ――!
「ソレ」と四人が遭遇したのは、五年前の事。アマテラスはまだ八歳だった。
当時のアマテラスは、目上の子供にもケンカで負け知らずで、相手が男の子や神様でも、相手を殴り合いで泣かせるほどの男勝りな女の子だった。そして、そんな腕っぷしの強いアマテラスの事を、みことを含め周りの子供たちは一目置いていて、自分たちのボスのようにあつかっていたものだった。
そんなある日だった。アマテラスが親友のみことと、みことの飼っている犬の月読。そして、最近島へやって来た少年須佐之男の四人で、島を探検して歩いていると、四人は森の異変に気付いた。
木々は黒い炎に包まれ、森は煙で充満し、地面は河のようにドロドロに溶解して、喉を刺すような高温と灼熱が壁のように四方から襲い掛かり、森全体が溶鉱炉のような恐るべき姿へ変貌していた。そして、
地獄の窯が蓋を開いたような、森を焼く猛烈な黒い炎の中で、みことたち四人が出会ってしまったものは――黒い太陽のような恐るべき禍神だった…。
「禍神にだって負けるはずがない!」そんな子供らしい無茶と無謀と勇気を装備して挑みかかったアマテラスは、その禍神によって、死よりも恐ろしい傷を負わされた。
「ガルルルルルルルゥゥルルルッッ!!!」友達を助けようと、月読が唸り声を上げて飛び掛かる。須佐之男もそれに続く。が、次の瞬間――
全身を無数の腕に掴まれたように、恐怖で立ち竦むみことの視界の中へ飛び込んで来たものは、頭や胸からおびただしい量の血を流して地面に倒れ、穢れを全身に浴びて、刻一刻と禍神へ変貌しつつある――アマテラス、月読、須佐之男の三人の、泣き叫ぶ姿だった…
「…み…ぃィ…ッこtぉ…ォォ…っ、に――げr…ぉぉオオおおおおッッ!!!」
穢れに飲み込まれる三人が、意識を手放す直前――薄れゆく意識の中で、みことへ向かって一音一音絞り出すように口を動かすアマテラスが最後に見た光景は、自分たち三人の前へ立ち塞がり、恐るべき禍神へ、たった一人で立ち向かう、みことの小さな背中だった…!
「ぁァぐゥゥ…ッッ、みっっっっごど お”お”お”お”お”お”お”ぉぉォオオオオオ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”!!!!」包丁で胸を刺されたような叫び声を上げて、アマテラスが飛び起きた場所は、地獄のような炎と熱に包まれていた森の中ではなかった。そこは、木造の天井が自分を見下ろす、家の中の寝室。アマテラスは生地の柔らかな襦袢を着させられて、布団に寝かされていた。
隣を見ると、同様に布団に寝かされた月読と須佐之男の二人の姿もあり、火傷やその他の傷を負った箇所は、既に治療を施されて真新しい包帯を巻かれており、自身の手足や胸にも同じような包帯が巻かれている事に、アマテラスはその時気が付いた。
血の気が多く、生まれつき体が丈夫なアマテラスは、これまで貧血や病気の苦しみを知る機会はなかったが、布団を抜け出して立ち上がろうとした瞬間、ガクッ! と足元が抜けたように床に両膝をつき、アマテラスは立ち上がる事もままならなかった。それに加え、頭の中で小人数人が大暴動を起こしているかのように、アマテラスは酷い頭痛と吐き気に襲われ続けた。
歩いて三、四歩の距離を、アマテラスは十分以上時間をかけて這うように部屋から出、見覚えのある樹木や、草花の植えられた庭に面した廊下を、壁や柱に体をもたれ掛けさせながら、アマテラスは一歩一歩足を前へ送り出した。
「行かなくちゃ…っ、行かなくっちゃぁァ…っ」恐怖とも使命感ともつかない強い感情に突き動かされるままに、アマテラスはようやく目的の部屋の前へ立って、襖を開いて――
「みこと!? みことおおおお! みことおおおおオオオォォっっ!!」
次にアマテラスの目に飛び込んで来た光景は、瞼を閉じて布団の中に横になるみことと、その育ての親の神様が、みことの体の上にしがみ付いたまま、部屋の外の廊下にまで響く大声を上げて、我が子の名前を叫んで泣きじゃくっている、悲惨な光景だった…
森に現れた禍神は、島を去った。
須佐之男は、みことたち三人に顔を合わせることなく、いつの間にか病床から消えていた。禍神を追って島から出て行った。
犬の月読は、アマテラス同様ふらふらと部屋へやって来ると、布団に横になるみことの頭の近くへやって来て、眠っているみことの顔を、悲しそうに舐め続けた。そして――
「みこと様が――そう、そうなのよ…。自分で――…」
「じゃあ、三人の穢れをたった一人で…っ!? いくら天子でも――のは無茶よ…っ」
「…し…、もしも、みこと様が禍神にでもなったら――」
「シィっ! そんな事を口にするもんじゃないわッ!」
アマテラスたち三人を蝕んだ穢れは、みことが全て一人で背負い込んだ…。
周りの大人たちの口から漏れ聞こえた声でそれを知ったアマテラスは、全身の血が足の裏から抜け出たように床の上へ崩れ落ち、そのまま意識を失った…
アマテラスたちを庇い、三人分の穢れを一身に受け止めたみことの胸、右太もも、左目は、二度と元へ戻る事はなかった。結晶化した穢れが、みことの体に、枯れる事のない黒花を烙印のように植え付けた。そして、この日――消すことのできない大きな傷を負ったのは、みこと一人だけではなかった…。
椿の寝床で宇受売様の許可を得、森の奥へ入って行ったみことを見送った後も、アマテラスはその森の前から離れることはしなかった。いいや、出来なかった…。
(みことの綺麗な顔に、私が刃を突き立てたようなものだ…っ)アマテラスのみことへ対する多干渉、過保護が始まったのは、五年前の事件の直後からだったし、その後も、みことは変わらずアマテラスの一番の親友であり続けた。しかし、アマテラスの中で罪悪感が消える事は、決してなかった。
封印された森の奥へ分け入るみことの背中を見送るアマテラスの視界に、今も鮮明に浮かび上がる光景は、五年前、自身が意識を手放す直前に見た――地獄だ…
森の奥の焼け焦げた土地に現れた、黒い神様の振り下ろした一撃は、みことの首の皮へ触れる直前で――霧のように解けた。
『…ぇ…、へええ…っ? い、今のは…っなン、だったの…?』
「あれは、「影」。この島に堕ちた一人の神様が、この地に焼き付けた「大いなる影」…」
息も絶え絶えに話すみことの唇は、小刻みに震えていた。バケツで水を被ったみたいに、みことは全身から汗を噴き出していた。
土地に焼き付けられた穢れが集まって、形を得た黒い神様は、あーしが気付いた時には、霧のように四散して空から消えていた。
『みことッ! みことぉぉッ、大丈夫っ!? もの凄い汗だよっっ!!』
「本来…は、実態のない…影…っ。だ――ッ…から…穢れさえ払ってしまえれば、影は…ぃぃ、なく…なるぅ…っ」あーしの呼びかけに顔を上げる事もせず、みことは苦薬を一息で飲み込むように一気に話しきる。そして、
痛みを抑えるように、自身の顔の上へ手を置くみことの細い指の隙間から、どろりとした赤いものが、みことの手や肘を伝って、地面の上へぽたぽたと滴り落ち――
『血ぃぃひいいいい!!??』あーしはみことの中で飛び跳ねるようにのけ反った。
和紙を重ねたような、みことの着る白い着物の胸元は、刃物で刺されたように血で真っ赤に染まっていた。右の太ももは、拳銃で撃たれたように血を吐き出していた。左目からも、黒花(穢れ)の下から涙のように血が滴っており、せっかく出来たかさぶたを引っ掻いてしまったみたいに、みことの全身に植え付けられた穢れは、五年も前に残された禍神の「影」へ触れて、みことの古傷を再び開かせた。
「みこと! みことぉぉッッ! みことおおお!!」じくじくとした血を全身から溢れさせるみことの尋常ではない様子に、狂ったように叫び続けるあーしへ、
「ちゃ…ンん…とっ――ちゃんと見てくださいいい…ィぃ…っっ!!」
拳を振り上げるような大声で、あーしはみことに叱りつけられた…
「ご、ごえんなさ…ぃぃ…っぉぉ声でぇ…っ。で、でも、こ…れがっ、ようせいさんんの見たか…た、穢れ…の威力…ですんん…!」
『穢れって何なの?』あーしがその質問を投げた時、みことは「見せてあげる」と答えた。そして、みことは本当にその通りにした。穢れの恐ろしさと威力を、みことは自分自身の体に彫刻刀のように刻み込む事で。
地面に溜まった血だまりの中に映る、阿修羅のようなみことの鬼気迫る表情に、あーしは自分がここへ来た理由を思い出した。
「わたしなんかのことは、問題じゃ、ない…っ。いま目の前にある、穢れの威力…その恐ろしさを、ようせいさんんに、覚えて…ぃて…ほしいてす…っ。それが、あなたの役に立つことたと、思うですから…」
切れ切れに言葉を紡いて、血まみれで必死にそう訴えるみことの姿を見て、あーしは改めて思い知らされた――(やっぱりこの世界は、現代とは違うんだ)と…
一見穏やかで、平和に見える神代での暮らしの底辺に、静かに…しかし、確実に横たわる「死」の影…
あーしたち現代人は、「死」を遠ざけるために科学や医療を発展させてきた。けど、それ以前――そこかしこに死が蔓延し、生と死が分かち難いほど濃密に生活の中に溶け込んでいた時代――人間は死ぬ。神様も死ぬ。それを当然の事として傍らに置き、日常の中に「死」を織り込んで暮らしている神代の人間の生き方に、あーしは強烈に心を揺さぶられるような思いだった。
「この地に現れた禍神は、五年も前に、島を飛び去りました。だけど、この場所に焼き付けられました穢れは、あんまりにも強いすぎました…。大地に溜まった穢れを、定期的に祓わないんと、みんなさんの暮らす村にまで穢れが広がって、森の生き物たちまで禍神になって、村を襲うことになってしまう…」
みことの話す言葉によって、あーしの脳裏に呼び起こされる、宮崎市の標識や街路樹が、通行人へ襲い掛かる凄惨な光景…
『みこと…みことはこんな事をいつも…っ――(傷だらけになって続けている!?)』あーしの胸の中で溢れる想いが、塊のように喉につかえて、言葉が続かなかった。
震える唇から、零れるように溢れ出たあーしのつたない言葉に、「……」と、みことは小さく頭を振った。言葉にならないあーしの想いも何もかも分かっているかのように、コスモスが咲くように、みことはそっと微笑んでみせた…
「これ…これは、わたしが未熟なせいなだけなのの…。強いな穢れに耐えきれなくなくなって、わたしんの体の方が、先に壊れちゃっただけなんのです…」
着物がはだけ、露わになったみことの胸や足を覆う、黒い穢れを見つめるあーしの視線に気づいたのか、みことは振袖の袂を引き寄せて、露になった自分の体を隠した。
あーしはこの時、女性としてのみことの繊細な想い気付いて、「ごッめめめっ、ごめめめめわわぶるわわァあああ!!」と、同級生の女子の着替えを覗いてしまった男子中学生のように、あーしは心の底から気が動転して、恥ずかしさのあまり慌ててみことから視線を逸らした。
「でも――」と続けるみことは、暗い話はここまで。いつもの調子に戻るみたいに、白い歯を見せて綺麗に笑った。
「でもこれでも、いつもよりんは良い方なのですよ? 親切な誰かさんんが、穢れを斬ってぶん散らしてくれていたから。だいぶん助かっちゃいましたああ! ね? そうですよね? ね? うふふっ♪ なんちゃんっ♪」
『え――っ?』と、みことの視線を追って顔を持ち上げたあーしの目の前に、その娘が立っていた。
水仙の花を思わせる涼しげな水色の着物の裾が、あーしの目の前でひらりと揺れた。あーしとみことの前へ現れたのは、背の高い美しい女性だった。
お腹が大きく露になった、上下別々のセパレートタイプの着物を着る彼女の装いは、どちらかというと現代の「洋服」に近いと思った。
脇や太もものスリットが大きく開いていて、腕の部分も砂糖菓子で編んだような、シースルーになっている。そして、南国の踊り子を彷彿とする、スタイルが相当よくなければ着こなせない服装に思えたが――(でっか…。えっろ…っ。うっわあああ!)
思わず手で触れて確かめたくなるような、大きく前へ飛び出した豊満なおっぱい。グラスの持ち手のようにくびれた妖艶な腰つき。そして、色香をたっぷりと蓄えたような、肉付きの良いお尻や太もものライン。(すっっごい綺麗な人だぁァ…っ)と、あーしは目の前の美女を撫でまわすように、目を逸らすことが出来なかった。
異性からの視線や誘いの言葉が、四方八方から飛来してきそうな、モテそうな衣装の綺麗な女性だった――(頭から赤いペンキを被ったみたいに、その娘も血だらけの姿じゃなかったら、だけれども…)。
みこと同様血まみれのその美女は、身の丈を越える大太刀を杖代わりに地面に突き刺して、足を引きずるようにみことの傍までやって来た。地面に手をつくみことを見下ろして、娘は口を開いた。
「その親切な誰かさんは、きっとこう思っているでしょうね。もう少し…みことの負担を、減らしておきたかった、って…。でも、ありがとうみこと。私も助かったわ」
『ぷわぁあァ~っ。本当に陶芸家だったんだぁ…』ぐるりと周囲を見回した部屋の中には、見事な花瓶やお皿、茶わんや湯飲みまで所狭しと並べられていた。あーしは社会科見学で美術館に来たみたいな気分で、感心した声を出した。
森の中の黒く焦げた土地で出会ったのは、タケミナカタ、という十代後半の女性だった。タケミナカタは自分とみことの血だらけの格好を見比べるや、
「早く戻って、待っているあーちゃんを安心させてあげたいのは山々なんだけれど…。みことのそんな血まみれの姿を見たら、あーちゃんは仰天死しちゃうかもしれないわね!」
(ソレな!)アマテラスのみことへの、赤ちゃんを扱うかのごとき過保護を思えば、本当にそうなってもあーしは不思議とは思わない! あーしはみことの中で大きく頷いた。
モデルのように細い自分の顎に指を絡めて、一思案したタケミナカタは、
「よぉしっ! この際仕方がないわね。あーちゃんには、もう少し待っていてもらいましょう。みこと、私の家へ来なさい。そこで二人とも着替えましょうか」そう言うや、タケミナカタはみことの手を取って立ち上がらせた。そのままみことの細い腕を肩に担いで、足を引きずるように二人で歩き出した…。
森を抜けた崖の上に建てられた一軒家は、タケミナカタの自宅兼工房兼直営店だった。
「本当に陶芸家だったんだ」と、タケミナカタの家の中で、皿や花瓶の置かれた部屋の様子を見回すあーしのつぶやきに、みことはすっかりいつもの調子に戻って、ころころと鈴を鳴らしたように元気よく笑った。
「そういえば、宇受売様には、「陶芸家」って紹介されていたでしたよね。なんちゃん――ええっと、タケミナカタは――」と、みことはわざわざ言い直してくれて、
「とぉぉっても強い剣士でもあるですけれども、この島の高名な? うん、高名な! 陶芸家でもあるですのんよおおおおっ♪」
みことが嬉しそうにあーしに話してくれていると、のれんで仕切られた隣の部屋から、着物の袖を切った、ノースリーブの紺の作業着に着替えたタケミナカタが、お盆に包帯や傷薬を乗せて現れた。タケミナカタはみことの正面に座ると、笑顔で話し掛けた。
「みこと。ふふっ、何か楽しい事でもあった?」
「ううん! 何でもある! あ、何でもない、でしたあっ♪」
「あははっ♪ そっか、そっかあっ。はははっ」
あーしとの二人だけの秘密の会話を、そう話すみことの姿が可愛かった。そして、目の前でそれを見つめるタケミナカタも、すっかり「お姉ちゃん」といった表情で。天真爛漫に笑うみことを、可愛い妹のように微笑ましく見つめていた。
「そういえば…ここにある物も、ずいぶんん増えましたですね」と、みことは部屋の中をゆっくりと見回す。
タケミナカタの家の正面は、お店になっていた。実際に果物を置いたり、花を生けたり、使用例を交えて展示した花瓶や美しい色彩の食器が、店内に数十点並べられていた。中には、両手を広げたほどの大きさの(どうやって使用するのか分からない)巨大な器まで販売されており、みことの説明では、人の形から乖離した一部の神様専用の器なのだという。
そして、その奥に設けられた、あーしたちのいま居る場所こそ、この建物の心臓部。タケミナカタの工房だった。床から一段高くなった板敷の間には、足で踏んで回す「ろくろ」が三台置かれていた。
他にも、素人目には泥にしか見えない上薬や、色合いを出す鉱石や植物。数種の色の異なる土が、まるで料理に使う調味料のように、小皿や器に小分けされて綺麗に整頓されている。
「まあ、この子(皿)たちも、数だけはたくさんあるんだけれどね。あはは…っ」
「これが、なんちゃんの悩みの種なんどす」と、みことはあーしにだけ聞こえるように小声で話してくれた。
タケミナカタは人だけでなく、神様一人一人の体形に合わせて、サイズや形を調整してお皿を作っていた。むしろ、宇受売様のように完全に人の形をした神様は、少数派だった。だから、神様の家庭の器は、いくつ種類があっても多すぎる、という事は無かった。けれど…
「なんちゃんは、その道を究めようとしている陶芸家ですんで、まいにち消費される器(量産品)ではなくて、最強無敵!――じゃないですね! あはは♪ 何でしたっけ? そうそう、唯一無二ぃの、「作品」を作りたいんじゃー! て、そう漏らしているんのですよ」
「陶芸家」としての理想を抱くタケミナカタは、食器作りとしてしか求められていない自分が時々憐れに思えて、悶々とした日々を過ごしているのだという…。
『なるほどねぇ~』みことの話を踏まえて、改めてタケミナカタの作業部屋を見回すと、部屋の片隅で、色や形の似通った量産品にまじって、翡翠色の色彩や装飾が豪勢に施された「芸術作品」と呼ぶに相応しい陶器が、埃をかぶって埋もれている姿が、タケミナカタの心に降り積もった寂しさを表現しているようで、あーしはその美しい皿ばかりをじっと見つめていた。
タケミナカタはみこととの会話を楽しみながら、みことの顔や胸の傷に薬を塗り、包帯を巻いてゆく。
ハロウィンのゾンビメイクをしたみたいに、あちこち血がついた白い振袖を脱いだみことは、どの時代劇にも登場しそうな、「普通の町娘」といった小倉色の着物を着た、愛らしい格好に着替えた。
「うわぁはははっ♪ 見て見てぇぇ、なんちゃん! なんんかすごい新鮮! あはははっ、可愛い♪ ちょっと待ってじぶんで可愛いって言っちゃいましたああ! わはははっ♪」
みこと自身、そんな普通の姿の自分が珍しいらしく、みことは置いてある姿見の前でくるくるとコマのように回ってみせ、急にタケミナカタへ振り返って、「でへへ~♪」と、天使のように無邪気な笑顔をみことは振り撒く。
「いいよ、いいよおおぉ~っ、みこと! だわァっははは! みこと肩出して、もう少し足を外側に開いてみようかあああ! だあ”あ”あ”ァ可愛いね”え”え”え”! 脇っ脇ぃぃいッ脇脇waaakiiiiiiiiiiiiiiいいいィィっっ!!」限界オタクへと堕ちた。町娘ver. のみことを前にしたタケミナカタは。
コスプレイヤーに向かってカメラを構えるみたく、純真無垢なみことに、欲望丸出しのポーズを要求しては、タケミナカタは自身の固有結界(脳内妄想)に浸って大声で喚き、はだけた着物の隙間から覗く、みことのささやかな胸や、太ももや、脇の下を血眼で覗き込んで、タケミナカタは頭の血管が千切れるかのように興奮を募らせた。そして――
「わたしはね、ようせいさん…。今みたいなね、暮らしがね、これからもずぅぅぅぅぅうっと続けばいいと思っているですよ…」
床に寝そべって、気だるげに両腕を頭上へ投げ出し、艶めかしく片膝を立てたみことのあられもない姿に、タケミナカタは拳銃で胸を撃たれたように悩殺された。
タケミナカタは天にも昇るような恍惚とした表情を浮かべ、大量の鼻血を噴いて後ろ向きに倒れた(気絶した)。
(起きたらコイツ、また何リットルも血を噴射しそうだなぁ…)と、あーしは思った。
倒れて気を失ったタケミナカタの頭を、みことは自分の膝の上へ置いて膝枕をした。
溺愛するみことの膝上で眠っているタケミナカタの寝顔を見下ろしながら、あーしはみことに聞き返した。
『…今みたいな暮らしって――それって、そんなに難しい事なの?』
膝の上のタケミナカタの頭を優しく撫でながら、みことは子犬のような丸みを帯びた愛らしい顎を、こくりと縦に動かす。
「ようせいさんも、見たですよね? 森の黒い穢れを…。あの穢れに触った人間や、神様や動物たちが、禍神になって、まわりお命をいっぱい奪っている…。オノゴロ島だけじゃない。おんなじような事が、中ツ国ぜんたいで起こっていますんです…」
『禍神…』そう呟くあーしの脳裏に、漁村で見た光景が思い出される…――穢れに呑まれた村人が禍神と化し、その人を助けようと駆け寄った村の友人を、禍神となった親友が殺める――そんな目を覆いたくなるような惨劇が、村のあちこちで起きていた…
「この世界に、穢れをまき散らしている存在の名前んは、イザナミ…。別禍ツ神イザナミというです。このイザナミの放つん呪いによって、中ツ国では、日に千人の命が失われいてるです…」
『イザナミ…。千人の命…』その二つの言葉に、あーしは聞き覚えがあった。
現代の日本でも、同様の事態が起きていた。「イザナミ現象」という謎の事象が国を覆い、各都道府県で千人、四万七千人もの人間が毎日謎の死を遂げて――
(あれっ?)とその時、あーしはある事に気付いた。(みことたちの居る神代で起きている事が、あーしたちの居る現代でも続いている…?)神代と現代という、二つの時代を跨いだこの不気味な合致に、あーしの話し声は次第に地面を這うようにゆっくりになり、吐く息は、知らず知らず震えたものになっていた…。
『ダレモ…っ、それって、だれもイザナミの事を止められない、の…っ?』
「ううん、そんなことないです…。絶対に、そんなことはありません。わたしたち天子が、イザナミを、止める…。必ず止めるます…!」それからみことが唐突に語り出したのは、自分の夢、だった。
「「聖の世」を、みんなさんへ届けること…。それが、わたしんの夢なんですん…」
『ひじりのよ…?』
「はひ。自分や、周りの家族…、大切なだれかの死に怯えることなく、明日を夢見ながら、みんなさんが心穏やかなんな気持ちで、夜眠ることができる…。自分を想ってくれる周りのみんなさんに未来を託して、安心して死ぬことができる…。そんな当たり前の毎日――それが、「聖の世」だす。あっ、「です」です。あははっ」
自分の夢を語る時に付きまとう、気恥ずかしさと照れを頬に乗せて、笑いながら話すみことは、自分の膝上にあるタケミナカタの髪を撫でて、心を落ち着かせるように手を動かし続ける。
夢というよりは、「祈り」に近い穏やかな口調で、みことはあーしに話した。
「あーちゃんや、なんちゃん。みんなさんが笑いあって、お祭り好きの宇受売様は、誰よりも踊りをたのしんじゃって、誰よりもいいぱい騒いで♪――わははっ。人も神様も、美味しいものでお腹をぱんぱんにして、幸せでいられるような、そんな当たり前の毎日…。わたしはそんな当たり前を、オノゴロ島の大好きなみんなさんや、中ツ国に生きるみんなさんのみんなさんへ、届けたいんです…。だから、明日――イザナミを倒すために、わたしはこの島を出るます」
唐突にみことから明かされた、旅立ちの言葉。けれど、驚きより先に、みことの言葉に納得している自分があーしの中に在った。
オノゴロ島の美しい海で初めて出会った時、「お母さんの歩いた道を辿っている最中」と、みことはあーしに話をした。
それからみことは、観光案内でもするみたいに、島のあちこちを歩き回った。山や川、峰の景色を前にみことはふいに立ち止まり、島の美しい景色を、みことは目に焼き付けるように眺めていた…――これまでの思い出をさらったあーしの記憶の中のみことは、いつもどこか、寂しそうだった…
(だからか…「さよなら」を言うために、みことは大好きな島を見て回っていたンだ…)みことの行動に秘められた想いを知ったあーしの口から、自然とその言葉が溢れ出ていた。
『……応援、する…。あーし、みことの夢を、応援するうう!』
「え…? よ、ようせい、さん…?」
『あーし、みことの夢を応援するって決めたから! いまそう決めたからあああ!』
シカちゃんやヒメちゃん。そして、お世話になっている結衣さんや古那ちゃん。宮崎に引っ越してきて出来たみんなとの絆は、あーしの中で「特別」なものになっていた。
だから、同じように、大好きな島のみんなとの日々を守りたいと願うみことの想いに、あーしは自分の想いを重ねた。自分に出来る精いっぱいの言葉で、あーしはみことを応援しようと思った! あーしはみことの背中を全力で押し出した!
『みことなら、絶対にその夢をかなえられるって! 絶対だしっ☆ ニシシ~っw』
根拠なんて無かった。理由なんて無かった。けど、その無茶なあーしの言葉に、オノゴロ島の空を映したような晴れやかな表情で、みことは元気に笑った。
「はいいいいっ、わたし頑張るてすよおおおお! だわはははっ♪ ありがとうごあいます、ようせいさあああんんん♪」
みことの旅立ちの話しの後、あーしまでほくほくと笑顔を浮かべて話した。
『あ~、あーしも見てみたいなぁ~。みことの聖の世』
「ええ、本当に。わたしも、ようせいさんに見てほしいです。わたしの聖の世を…」
『そうじゃないでしょ?』と、あーし。
「え…?」
まるで他人事のように話すみことの肩を小突くように、あーしは笑った。
『そうじゃないし。聖の世を見るそン時は、みことも一緒、だろ? でへへw』
キメ台詞のような自分の言葉に、我ながら恥ずかしくなった。言葉の余韻を照れ笑いで誤魔化そうとするあーしへ、みことは微笑みを顔に被って、「うん…」と頷く。
「それじゃああ、宇受売様の所へ、報告に戻りましょうか」
「みこと。それなら私も一緒に行くよ」
目を覚ましたタケミナカタが、みことの膝からむくりと頭を起こした。立ち上がる二人に続こうとしたあーしは、
(あれぇ…? 何か忘れているような…?)と、後ろ髪を引かれる思いだった。
忘れ物を探そうと、自分の記憶の引き出しを開いたあーしの目の前へ飛び出してきたのは――たわわなおっぱい! 肉感的なお尻ぃぃ! そして、乳首と股間を、椿の花でモザイクのように隠す、驚天動地の素っ裸の神様あああ!!――天宇受売様が、「みこちゃ~~ん♪」と大声で鳴いて駆け寄ってくる映像があーしの頭に思い出されて、
『まあ、いいか☆ 行こうぜ行こうぜぃ、みことw でもあのヒト(神様)、本当に凄い神様ぁ? まぁた全裸でみことに突進してくる映像しか思い浮かばないんだけどぉ?』
容易だった。その光景を頭に思い浮かべることは。みことはあーしの呟きを耳にした途端、お腹を抱えて笑い転げた。
その同じ頃――みことが戻ってくるのを、渋谷のハチ公よろしく、森の入り口で、アマテラスが一人待ち続けている。
現代。学校。
「うええェ~っ、それ本当ぉ~?」と、あーし。
「本当、本当っ。実際、古事記のこの箇所にも書いてあるでしょう? ホラっ」
「うわっ、マジで書いてあるし! あの神様、本当に頭ぶっ飛んでるわ! アハハっw」
思わず声のトーンが大きくなるあーしの唇の上へ、ドキッとするような仕草で、封をするみたいに自分の人差し指を置く隣の女子生徒。母親が子供の間違いを正すみたく、あーしの隣に座って優しくほほ笑むのは、図書室で出会った南方刀技という先輩だった。
「何か面白い読み物でも見つけたのかしら?」と、学校の図書室で突然掛けられたその声に振り向いたあーしの前に立っていたのは、息を飲むほど綺麗な女子生徒だった。
その生徒はあーしの肩へそっと手を置いて、親しげに体を寄せてくると、あーしが読んでいた神代に関する本を横から覗き見て、「ここ、有名なシーンよね。こんな話は知っている?」と、神代に関する別の逸話を話してくれた。
(すっげェ…良い匂いぃ…。シャンプー何使ってンだろう…?)あーしは隣の女子の、制服の内側から零れそうな大きな胸や、綺麗な顔ばかり凝視していて、話しかけられた言葉の半分も聞いちゃいなかった。
「え? あ? うん? ご、ごめん、もっかい! もっかいその話を聞かせて!」あーしは自分が人見知りという事も忘れて、あーしから南方先輩に話をせがんだ。
神代についての知識だけではない。実際に会った事のある友達のように、神話の神様を手加減なしに批評して、面白おかしく話してくれる南方先輩の話が、あーしは単純に面白かった。
「まさかあの宇受売様が、現代で縁結びの神様をやっているなんてねぇ~。へへっw」南方先輩と並んで図書室の席に座るあーしは、二人で一冊の本を覗き込んで目を輝かせた。
現代での天宇受売様の行方が分かった。椿岸神社。天宇受売様はそこで御祭神をやっていた。本に書かれたその文章と、南方先輩の詳しい話を聞いたあーしは、縁結びにやって来た男女の前で、その祭神がどんどん服を脱いで、素っ裸で舞を踊っている光景を思い浮かべて、「くくく…っww」と先輩と額をくっつけ合わせて、二人で笑い合った。
南方刀技先輩――背筋をぴんと伸ばした立ち姿の美しい、水仙のような凛とした生徒だった。
顔に掛かった髪を、何気なく耳の後ろへかき上げる仕草が、映画のワンシーンのように華があった。艶やかな長い黒髪を、チョンマゲみたいに頭の高い位置でポニーテールにした姿は、時代劇に出てくる侍、武士、美人剣士のような凛とした雰囲気があって、(女子人気の高そうな先輩だなぁ…)なんて思って、あーしは先輩の美しい横顔ばかり夢中になって見つめていた。
南方先輩との図書室での会話の中、宮崎に関する話も出た。舞踊神天宇受売様についての話に、あーしの心は音符のようにまた弾んだ♪
舞踏神天宇受売様の興した「神楽」という文化は、それから数千年、数万年という時を経た現代の宮崎で、いまなお受け継がれていた。祭りの日などには、観光客などの前で、神代から続くその伝説の舞が披露されているという。
(神様はやっぱり居たんだ! この日本にいいいい!!)先輩の話を聞いて、その確信が、自分の中でむくむくと風船のように膨らんで行くのを感じてあーしは嬉しくなった。
一人の神様の産んだ神楽という源流が、過去の多くの人間たちの手によって連綿と受け継がれ、現代人のあーしたちの前に、大河となって今も流れ続けているのかと思うと――あーしは途方もない「時の流れ」と、自分たち「人間」と「神様」との深い繋がりに圧倒されて、あーしは言葉も出なかった…。
「ミコトは、「みそぎ池」って、知っている?」そう切り出した南方先輩は、神代と現代を繋ぐもう一つの実話を、あーしに披露してくれた。
知っているなんてもンじゃない。あーしがお世話になっている産霊日家が宮司を務める江田神社は、そのみそぎ池を、現代に継承するために建てられたようなものなのだ(あーしが一時期、「宮崎県」や「神代」、「江田神社」の事を熱心に調べていたと言ったのは、正にこの事だった。これからお世話になる産霊日家に関する事柄を、あーしは微に入り細に入り知っておきたかったのだ)。
そして、南方先輩の口から、次の名前が放たれた時、あーしはそこが図書室だという事も忘れて、立ち上がって大声で叫んでいた。
「そのみそぎ池は、三貴子と称される天照大御神、月読命、須佐之男命の三柱の神様の産まれた場所なんだ。そして、この三貴子を産んだ伊邪那岐という神様は、伊邪那美という神様と夫婦だったんだ…」
「伊邪那美いいいいいいいいいいいいぃぃィイイイイイイイっッッ!!!???」
(みことの力になれることは、何かないだろうか…?)オノゴロ島の自然や、そこに生きるヒトたちへの、みことの深い愛情を知った。あーしも、あの美しい島は好きだと思った。一生懸命なみことの姿が、カッコいいと思った。凄い女の子だと思った。あーしの大好きな友達だから――(だからっ、みことの力になりたい! みことを応援したいいい!)
「イザナミを倒す旅に出る」神代でみことからその話を打ち明けられた時から、あーしはその事ばかりを考えていた。
(みことの生きている神代で、一体何が起こった? イザナミとはなに…?)それを調べて神代のみことへ伝える事は、現代に生きるあーしにしか出来ないことだと思った。神代のみことという少女の中に、現代のギャルのあーしが、時を越えて封入されるというこの不思議な出来事は、正にこの為にあるのだとさえ、あーしは考えていた。
調べ物の為に寄った学校の図書室で、偶然出会った南方先輩へ、あーしは真剣な目を向けて頭を下げた。
「お願いぃっ! そのイザナミの話を、もっとあーしに教えて! 力に…っ、あーしの大事な友達の、力になれるかもしれないんだああ…っ!」
ぽつり…ぽつり…、と雨が図書室の窓を叩き始めた。まだお昼時だというのに、それまで校舎に鳴り響いていた生徒たちの話し声は、ピタリと止んだ。
隣に座るあーしと南方先輩以外、世界中から人が消えてしまったかのような静寂が、あーしたち二人を包み込んだ。ゆっくり、ゆっくり、話し出す南方先輩の言葉が、降りしきる雨音のように、あーしの中に染み渡って行った…
「これは、神話の時代のお話。伊邪那岐、伊邪那美という、二柱の神様が居りました…」
「死んでしまった妻伊邪那美命に会うために、夫の伊邪那岐命は、黄泉の国を訪れた…」
伊邪那美は、火の神である我が子を産んだ時に重い火傷を負い、命を落とした。悲しみに暮れた伊邪那岐は、死者たちの暮らす黄泉の国へ赴き、そこで妻と再会を果たした。
伊邪那岐は愛する妻を抱き締めた。再会を心の底から喜んだ。「共に地上へ戻ろう!」伊邪那岐は愛する妻をそう説得しましたが、つとと顎を立てて夫を見上げた伊邪那美は、下腹をくすぐるような甘い声で、夫の耳元で囁いたのでした。
「勿論です。これから自分は、黄泉の国の神様と話をして、地上へ帰る許しを乞うてみる。けれどお願いよ、愛する貴方。その間、決して私を振り向いて見ないで…」伊邪那美は夫へそう言い残して、黄泉の闇へ沈むように消えた…
しかし、妻の伊邪那美は、いつまでたっても戻ってくることはありませんでした。
「黄泉」といえば、ありとあらゆる亡者たちの暮らす死の国です。そんな場所で、愛する人がどんな危ない目に合っているか…どんな怪物に遭っているか…どんなに恐ろしい思いをしているか想像に難くない。
「わかった。約束通り、君を待っている」愛する妻のお願いに、そう頷いた伊邪那岐でしたが、心には次第に不安が雪のように降り積もり、どうしたのかと心配になり始めた。
「伊邪那美! 伊邪那美! どこだああ!? 伊邪那美いいいいい!!」
伊邪那岐は、約束を破った――後ろを振り返った。心配するあまり、黄泉に広がる闇を切り裂くように、愛する妻の名前を懸命に叫んだ。その次の瞬間だった。
「ヒィィィいいいいィぃいいッ!?」突然斬りつけられたかのような悲鳴が、闇の中に響き渡った。それは、伊邪那岐自身の口から発せられた自分の声だった。
そこだけ丸く闇を切り取ったかのように、一寸先も見えない闇の中に、ぼうっと浮かび上がるように現れた伊邪那美の姿は、地上を眩い光で満たしていた、生前の美しい姿とは途方もなくかけ離れていた…!
伊邪那美の皮膚には、ニキビのように水泡が幾つも出来、そこから体液が滲み出し、肌の色はビニール人形のような気味の悪い暗褐色に変色し……トラックに轢かれたように顔面はぐしゃぐしゃに潰れ、皮膚が裂けて白い骨が肉から飛び出し、死後、体内で発生した腐敗ガスで、腹や腕が膨れ上がってあり得ない巨人化を遂げ……生前、「美」が全身で波打っているかのようだった妻のシ体の上で蠢いていたものは――伊邪那美の腐乱した死肉に群がった、数万…数億匹という蛆虫の大群だっt…
「ひぃィィイイイイいいいゥワワワァァアアアアアアアアアアアあ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”嗚”呼”ア”ア”!!?? ばっ、ばばばッ、化け物おおおおおおおおぅゲェエエエッッオゲェェエエっゲエ”エ”エ”エ”エ”!!!!!!!!!」腐敗と腐乱をかけ合わせたかのような、筆舌に尽くしがたい醜悪な妻の姿に、伊邪那岐は叫んだ。恐ろしさのあまり悲鳴を上げた。その場から転がるように伊邪那岐は逃げ出した。
――約束は、破られた…
伊邪那岐に、見られたくなかった…。今の醜い自分の姿を…。伊邪那美は嫌われたくなかった。怖かった。幻滅されたくなかった。死者になった今も、伊邪那美は、心から夫を愛していたから! けれど、伊邪那美のその純粋な気持ちは、裏切られた!
「化け物!」と夫に罵られた。逃げられた。「お願い待って!」と咄嗟に伸ばした伊邪那美の手を、まるで汚物に触れられるかのように、伊邪那岐に鋭く払いのけられた。その時の伊邪那美の心は、いかほどのものだったか…
「よく、も…よくもぉォオオ…ッよくもよくもよくもよくモモモ私ニ恥ヲかかせタナァアアアアアアアアあああああああaaァァ嗚呼嗚呼アアアアアアあ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ア”ア”ア”ア”!!!!」
伊邪那美は激しい怒りと哀しみで全身を震えさせた。体から雷が噴き出した。この時産まれたのが「八の雷神」という神々だった。伊邪那美は雷の鎧をまとい、黄泉の軍勢を引き連れて、逃げる伊邪那岐を大群で追いかけた。
逃げる伊邪那岐は、怒りで雷を噴き出す妻が、恐ろしくてたまらない。伊邪那岐は、逃げる道の途中にあったものへ手を伸ばした。追いかけてくる妻へ、手当たり次第に物を投げつけた。その時投げたある物が亡者に強かに命中し、亡者どもは土くれとなって崩れ去った。それは桃だった。それ以来、桃は聖なる実として伊邪那岐から特別な名(意富加牟豆美命)を貰った。
あふれ出る涙のように、蛆虫と腐肉を体中からまき散らし、轟音と共に雷を周囲へ落とし、伊邪那美の伸ばした腕が、闇を切り裂くように疾走する伊邪那岐の背を掴もうとしたその刹那――暗闇の向こうに、小さく灯った一条の光の中へ、伊邪那岐は自分の身を投げ入れるように飛び込んだ!
伊邪那岐は光を潜り抜け、黄泉の世界から地上へ転がり出た。大慌てで黄泉と地上を繋ぐ路を大岩で塞いだ。地上に亡者が溢れる事を、伊邪那岐は寸前で防いだ。伊邪那岐は地上を救ったのです! 地上は、生ある者たちの喜びの声で満たされた!
野は平和の歌を歌い、風は陽気に踊り、空は目を潤ませて七色に輝いた。伊邪那岐は地上の生き物と共に、生命の尊さに感謝した!――何を犠牲にしても救いたかった大切な人が、岩の反対側の昏い闇の中で、一人蹲っている事に、伊邪那岐は気づかずに…
窒息するかのような黄泉の重い暗闇の中…。固く閉ざされた大岩の向こうから、岩越しに伝わる夫の笑い声に押し潰されるように、伊邪那美は涙の枯れた両眼から、血と蛆虫の涙をぼろぼろと堕とした。己の醜い体を抱き締めて、伊邪那美は泥のように泣き崩れた。
岩越しに伝わる地上の人々の歓喜の声。愛する夫の笑い声。岩の隙間から零れる、芳しい地上の光――反対の昏い岩の裏で、醜悪な亡者や、蛆虫共と闇に埋もれ、「化け物」と罵られた言葉と、伸ばした手を愛する夫に汚物のように振り払われたその事実のみが自分の心に突き刺さった伊邪那美の心情は――悲惨極まりないなものだった…
「…愛シい夫ガそのヨうにするノであレバぁaァあ…」伊邪那美は、周囲の闇よりもさらに深い闇を湛えた瞳で、岩の向こうをじいっと睨み据えた…
「あナたの愛スる人間ヲ、日に千人殺シましょううううウウううう!!!!」
「――それは、「言葉」というよりも、「呪い」だったんだよ…」
止まっていた時が動き出したように、窓を叩く雨音や、生徒の話し声が、急にあーしたちの周りにあふれ出した。図書室に居る自分たちの話し声と息以外、周りの音が耳に入らないほど集中して話を聞いていたあーしへ、南方先輩はゆっくりと続けた。
「それが、伊邪那美が夫に送った最後の言葉だった。それより以前の人間は、神様と同じ不死の存在だったんだ。だけど、岩越しに吐かれた伊邪那美の呪いは、人間や神様に「寿命」という呪いを与えた。つまり、伊邪那美は、この世界に「死」という概念を産んだ最初の神様なんだよ」
「そして――」と神話から現代へ、話を区切るように先輩は口調を変えた。
「まるでその呪いが現代に蘇ったかのような、日に千人の人が亡くなる謎の千滅現象。それを、私たち現代人は、こう呼ぶようになったのよ。つまり――」
「イザナミ…。イザナミ現象…」あーしは、その憐れな神様の名前を呟いた。
その瞬間、天がむせび泣くように、遠雷が宮崎の海へ落ちた。
先輩の話をあーしはもっと聞きたかったけれど、南方先輩は何かを察したように、不意にあーしの横で立ち上がった。
「ミコト。あなたとお話が出来て楽しかったわ。また今度お話をしましょう。次は、ミコト自身の話を聞きたいわ。ふふっ」
「え…? せ、先輩? ちょ、ま――っ」待って、と呼び止めようとあーしが椅子から腰を浮かしたその時だった。校舎に雷が落ちたかのような大音を響かせて、ガラガラピシャーン! と図書室の扉が勢いよく開かれた。
「ひンぎゃあああアアアアアア!!?? ビ、ビックリしたらああァ!!」シカちゃんが扉の前に現れる。
「シカちゃんっ!? それにヒメちゃんも!?」あーしは扉へ振り返って叫んだ。
突然開け放たれた図書室の扉の前に立っていたのは、二人の友人たちだった。
自分で開けた扉の想像以上の大音量に、シカちゃんは自分自身が驚いていた。そして、一七〇センチ近いシカちゃんの大きな背中から、小さな顔をひょっこりとのぞかせてこちらを見てくるのは、人形のように愛らしいヒメちゃんだった。
「ミコトおおぅ~っ☆」人懐っこく駆け寄って、あーしの腰に腕を回すシカちゃん。
あーしに抱きついたシカちゃんの肩越しに、振り返ってこちらを見つめる南方先輩は、「……(ふふっ)」と、呆然とするあーしへ惚れ惚れするような微笑を残して、図書室から出て行ってしまった…。
「ミコト…。あなた、南方先輩と、知り合いだったの…?」南方先輩が図書室から出て行ったことを確認して、傍にやって来たヒメちゃんが、上目遣いにあーしを見つめて聞いてきた。
「へぇ? 知り合い? う~ん、特に知り合いってワケでもないよ? たまたま図書室で会って、それで…いろいろ教えてもらっていたの。なんで?」
「……。……私はてっきり、ミコトもファン…だったのかしらと思って…」
「ファン?」首を傾げるあーしへ、その意味を教えてくれたのは意外な人物だった。
「南方刀技先パイパイっ♪ あのひと、この学校じゃァ、ちょぉぉ~っ有名人だしw」言いながらお尻をフリフリと動かして、(本当に「尻尾」が生えているんじゃないの?)と疑いたくなるくらい、あーしに抱きついて甘えてくるシカちゃん。
「うひゃァぁン♪ ミコト、エッチぃ~♪ ミコトにお尻触られちった(>∀<) ヨシ!」
「有名人…。そう、そう…だったんだ…」制服のスカートの上から、シカちゃんの触り心地のいいお尻をまさぐりながら、あーしは南方先輩の消えていった廊下をじっと見つめ続けた…。
宮崎市の上空に重く垂れこめていた雨雲は、自身の溜め込んでいたものを全て吐き出すみたいに、下校時間まで長雨を降らせ続けた。
「…なァ~にやってんだし、あーしは…っ」赤い傘の下で、濡れた制服のスカートの端を持ってパタパタと払うと、飛び散った水滴が、あーしの太ももや靴下を濡らした。
放課後。学校を出たあーしの足は、家とは別の方向へ向かっていた。神代のみことが母の軌跡をたどって、オノゴロ島を歩き回っていた行動にそれは近かった。
天原との朝の出来事や、南方先輩から聞かされた神代の話…。日中、尾を引くようにあーしの胸の中でくすぶり続けた、そういった「余熱」としか言い表せない感情に突き動かされるままに、ざあざあ振りの雨の中、あーしは神話の逸話を現代に残す神聖なその土地へ、一人でやって来ていた――(のはいいンだけれどもおおぉ!)
濡れた制服や、水浸しのバック、雨に打たれた自分の腕や足を見下ろして、ふと我に返ると、先程まで自分を突き動かしていた余熱は嘘のように冷め、雨の中わざわざやって来た自分の行動の無意味さに、「なにやってんだし…」と、あーしは自分に呆れていた…
(それもこれも、南方先輩のせいなんだから…)雨の中、誰も居ない「みそぎ池」のほとりへやって来てしまった理由を、あーしはそんな風に人のせいにした。
無数の雨の波紋を広げる、みそぎ池へあーしは視線を走らせた。水面は沢山の濃い緑色の蓮の葉に覆われ、某有名ジ〇リ映画の世界の中なら、お皿のように平らな葉の上を踏んで歩けそうな、空想を刺激する美しい景色だった。
水面からちょこんと突き出した黒い岩の上を、一匹の子亀がよじ登っているのが見えた。ロッククライミングさながらに、急な斜面の岩をゆっくりと登って行く子亀だったが、つるんっ、と雨で足を滑らせた瞬間――チャポンっ、という音と波紋を水面に残して、亀は水中へ姿を消していった…。
「…――ッ…ぅぅう…っ」
その時、降りしきる周囲の雨音をすり抜けて、あーしの耳に微かなうめき声が届いた。
あーしは声の方へ振り返った。神聖な池を囲むように広がる森の中、一本の太い木の足元に、うつ伏せに倒れる制服を着た少女の姿があった。
「天原ああああああァ!!!」あーしの差していた赤い傘が、パシャっ! と音を立てて地面へ落ちた。その音が自分の背後で鳴った時には、あーしは風のように前へ駆け出して、倒れた天原の体を抱き起こしていた。
「天原! おぃぃっ、天原ああッッ! 学校サボってこンなとこで何やってンだし!」天原の顔を自分の胸の上へ抱き寄せて、あーしは力の限り叫んだ。
池のほとりで見つけた天原は、川から上がったばかりのように全身ずぶ濡れの姿だった。制服のブラウスやスカートは、水を吸って天原の胸や肉付きの良い太ももに素肌のように張りつき、所々制服が引き裂かれて、濡れて湿った天原の顔や腕には、悪漢に斬り付けられたかのように、パックリと傷口が開いて血を流していた…。
気を失って目を閉じていた天原は、グッ、と殴られたように眉間に皺を寄せた。あーしの大声に反応して、「ゴホっ、ゴホゴホっ!」と天原は喉に溜まった血と水を一緒に吐き出した。ヒュー、ヒュー、とか細い呼吸を繰り返した。
無数の傷と、雨と血にまみれた天原の姿は、自分一人で全てを背負い込もうとする神代のみことの姿と、あーしの中で重なって見えた…
「天原! 天原ァ! おいっ、目を開けろし! 天原ああああああ!!」あーしは天原の体を抱えて、顔を近づけて何度も叫んだ。天原の頬に容赦なくビンタの雨を降らせた。
すると、天原の重たい瞼が、シャッターのようにゆっくりと開かれ…天原の虚ろな瞳が、覗き込むあーしの顔を捉えるや、
「みことおおおお!!」と、天原は体を飛び起こして雷鳴のように叫び、「――て、じゃない方かよ。なんだ…ちぇッ」と、すぐに冷静になって、人の顔を見てハズレみたいに舌打ちをした。
「むうぅ~っそうだョ! じゃない方で悪かったなああ! バカぁっ! ってか、やっぱあーしと神代のみことは似てるンじゃねェかよっ!」あーしの顔を真剣に見つめながら、失礼なことを言ってくれた天原の頭を、ベチンっ! とあーしは容赦なく平手で打った。
天原は今朝、あーしと神代のみことは似ていないという事を言ったばかりではないか。その事をあーしが追及すると、天原は途端にあーしの声が聞こえなくなったみたいに、顔をそっぽへ向ける。
「こ、子供かよぉぉおおお~っ! 可愛くないなああぁァ(`Д´)!!」
天原の頭に、正確にチョップを打ち下ろそうとしたあーしの二撃目を、天原は自分の腕を持ち上げて、難なく掴んだ。
「フン…っ、華奢な腕だ…。こんな腕で叩かれても、痛くなさそうだ…」なンて言いながら、天原は掴んだあーしの手を、放そうとはしなかった。寒さで震えた指で、温もりを求めるように、天原はあーしの手を指で包み込んだ…。
言葉と行動のギャップに、あーしは聞かん気の子供をあやしているみたいな気分で、見ていて内心おかしかった。
「それよりもっ、だし!」と、あーしは天原の顔にうんと自分の顔を近づける。
「あんた今まで何してたのよ!? こんな傷だらけになってッ! また禍神と戦ってたっての? てか学校サボるンじゃないわよ!」
「う…っ、うううううるせェなああァ、ブスっ!! お前には関係ないだろう!」正論すぎるミコトの追及に、天原は声を荒げて叫ぶほか逃げ道がない。
普段はヴェールのように重い前髪の奥に表情を隠し、「話し掛けるな」オーラを、教室中に散布している天原隠零だったが、こと「恵比寿ミコト」を前にすると、止まっていた天原の時計が動き始めたみたいに、くるくると天原の表情が動き出す。
「あ、ぁンたまたブスって言ったわね! 学校での陰キャはウソかよ!」
「イダぁァァっ! ぁイダダダァぁ”あ”あ”! なッ、なにしやがんだ! このクソギャル女あああっ!」気が付くと、天原がまた叫んでいた。
(まつ毛ながっ! 目おっきい! 鼻たかっw 肌キレー! 同じ女子なのに、顔の作りがここまで違うなんてヒキョーっしょ!)濡れた黒髪を、おでこや頬に張り付けた天原の綺麗な顔を、あーしはまじまじと観察した。すると、
天原はあーしの視線を浴びて、耳まで真っ赤にして顔を逸らした。その表情がたまらなく可愛かった。あーしは新しいオモチャを貰った気分で、天原の頬を叩いたり、指で掴んで伸ばしたり引っ張ったりを繰り返して、玩具みたいに「天原」を楽しんでいた。
「ああ。ゴメン、ゴメン。つい。うっかり(ノ≧∇≦)てへぺろ テヘへっ♪」と、あーし。
「「(ノ≧∇≦)てへぺろ」じゃねェっ! このばか野郎! お前はうっかりで人のほっぺたを引き千切るみたいに引っ張るバカなのか! 本当にバカだよなァ! お前はよおおお!」天原はもっともな事を叫ぶ。しかし、
「まぁ、まぁ」と、あーしがなだめるみたいに気のない返事を返すと、「おまっ――お前なあああア”ア”ア”!」と、天原はポンプ車みたいにまた怒りを噴射した。
「なあ、天原…。それよりも、それって――」横になる天原の腕に触れようと、あーしが手を伸ばそうとしたその時だった。
「――っっ! 触るなあああああアアアァァッッ!!」天原はあーしを突き飛ばすかのように鋭く立ち上がった。
怯えるようにあーしから飛び退いて、自分の手で庇うように押さえた天原の反対の左腕は、泥をかぶったように黒いもので覆わr――
「やっぱし、そう…そうなんだな? 穢れ…、ソレって穢れなンじゃないの…ッ!?」
ありとあらゆる生命を窒息させるかのような、暗く淀んだ黒いシミ…。オノゴロ島の森の奥で、みことが身をもってその威力を教えてくれた恐るべき穢れが、天原の左腕を泥のように覆って黒く蝕んでいた…!
「…くぅぅッ、来るなあぁァアアア! 来ンじゃねぇェエエエエエ!!!」近づいて再び手を伸ばそうとするあーしに、天原は近づけば噛みつくと言わんばかりに、鼻の頭に皺を寄せてあーしを威嚇した。
雨足が急に強くなり、距離を置いて互いを見つめるあーしと天原の視線の上へ、煙るような激しい雨が降りしきる…
「――っンだよ…なんなんだよおお…っ! お前はよおおおおぉォオオっっ!!」
天原はジリジリと踵を下げる。あーしとの距離を自ら離して行く。子供が癇癪をぶちまけるように、ついに天原は、あーしに向かって大声をぶつけて怒鳴り散らした。
「みことと同じ声で…みことと同じ顔で…みことと同じ容姿で――くぅぅう…ッ、「みこと」でもない偽物のクセにいいいぃィいッ、私に構うんじゃねェよおおおおおおぉォオオオオオ!!!」みそぎ池の水面に、天原の悲痛な叫び声が響き渡る。
「お前の声を聴くたび…教室でお前と視線が合うたび…っお前とほんの少し…すこしぃ…肩が触れ合っただけで…っ――ちぃィ…ッ! どうしようもなく胸が弾んじまう自分の心が辛いんだ! 苦しいんだッ! もう嫌なんだよぉおお! 「偽物」のお前の顔を見るのはああああああああああァアアアアアアアアッッ!!!」
自分の胸の中で疼く、制御不能の部品(心)を引き抜かんばかりに、天原は自分の胸を掻きむしる。
二人とも傘もささず、濡れるにまかせて降りしきる冷たい雨が、感情を露わに叫ぶ天原の涙と一緒に、天原の頬を滝のように流れ落ちる…。
(天原は、身も心も限界だった…)誰が見てもそうと分かる程、天原は張りつめた糸が切れたように感情を露に怒鳴り、そうかと思えば、悲しみに押し潰されて、子供のように顔をくしゃくしゃにして泣き叫ぶ…。そして、溢れた想い(神代のみこととの繋がりや、天原自身の大切な思い出なのだろうか…?)を両手で必死に抱えるように、天原は自分の腕で自分を抱き締めて、今度は温かな涙で頬を濡らした…
「…あーし、分かった…。やっと、分かったよ…」天原隠零、という人間の事を。
「だから…だから天原隠零は、「恵比寿ミコト(あーし)」が嫌いだったんだ…。天原隠零は、神代の「みこと」の事が今でも――「大好き」なんだね…」
(そう…、私はみことが大好きだった。本当に、本当にみことの事を本当に愛していた…っ)雨に濡れた自分の腕で、しがみ付くように抱きしめた、私の胸の中に残る「みこと」との繋がり(思い出)は、オノゴロ島でみんなと暮らしていた幸福な時間と、そして――身を引き裂かれるような後悔だった…。
「入れ物(容姿)は同じでも、心(中身)がまるで違うあーしが、嫌なんでしょ? みこととの違いを見せられているようで、天原は悲しかったんだね。ずっと、ずっと…」
現代のミコトのその読みは、おおよそ正しかった。
目の前に、「みこと」と同じ容器のものが在る。それなのに、その容器がみこととは到底異なる振る舞いをする事が、天原は許せなかった。思い出の中のみことに平気で泥を塗られているようで、天原は苛立ちを隠す事が出来なかった。何より、
「みことはもうどこにも居ない…」そう突きつけられているようで、恵比寿ミコトの姿を目にするたび、天原の心は涙を流していた。そして、この点だけはミコトは見落としていた――辛いのは恵比寿ミコトも同じ、という事だ。
神代のみことは、みこと。
現代のミコトは、ミコト。
二つの人間がイコールでないのは、当然の事なのだ。それなのに、死んだみことの姿を、現代に生きるミコトに重ねて見ることは、今彼に元彼を重ねて比べるのと同じくらい愚かだし、今のミコトがどう取り繕っても、周囲の人間を笑顔にし、そして周囲からも愛される神代のみことになる事は、誰にも出来やしない…。
天原のしている事は、そういう無茶の押し付けだし、その無茶(理想)を押し付けられるミコトも、現実とのギャップに、押しつぶされる他ないのだ。
「くぅぅ…っ、うぅ、ひうぅウ…っ」体の傷の痛みなのか? それとも心が痛いのか? 天原は苦悶の息を漏らす。
(みことは、神代で死んだ。もうどこにも居ない…)天原も、頭ではそう分かっている。けれど――
「あーちゃんあーちゃんんん♪ あれっ、あれあれあら何でしょううう!?」
「どうして空って、青いんのでしょうか? それにぃい、海は泳げるのに、おんなじ青でも空はおよげないんじゃないですか? やっぱりお空は、わたしたのことを遠くからみていたいし、近くにきたらはずかしいいんのでしょうか? ふしぎですね、うひひっ♪」
そう言って何にでも疑問を持って、まるで博士のように首を傾げた時の表情や、好奇心に脇をくすぐられたように、明るく弾んだみことの笑顔が、天原は大好きだった。気が付いたら、天原は現代でもその「みこと」の幻影を追いかけていた。
「偽物」「(みこと)じゃない方」自分でそう言った「バカ」の姿を探して――学校の廊下で、教室で、帰り道で、その後ろ姿を毎日毎日毎日毎日目にするたび――止まっていた天原の感情が動き出す。自分で自分の傷口を開くように、偽物に一喜一憂して心を弾ませる自身の現金さが、天原はたまらなく恥ずかしかった。
みそぎ池のほとりで、天原は燃え尽きた蝋燭が崩れるように、濡れた草の上へ倒れ込んだ。
その瞬間、あーしは駆け出した。神代のみことなら絶対にしない行動を、恵比寿ミコト(あーし)はとった!
「ドぉォォりゃあああああアアアアうわァアアアアアアアアアッッ!!」
「どわァああッぷっっ――!!??」
「こ、この、バカああァ! は、離れろ! 何やってんだバカミコトおおお!!」天原は仰向けに地面に倒れた。声を荒げた。その直前――弓矢を弾いたように、あーしは両腕を広げて天原へタックルを決めていた。
あーしのタックルを受け、天原は地面に背中をつけて仰向けに倒れた。噴水のように怒鳴り声を噴き上げた。が、その天原の声を無視して、あーしは天原の腰の上へ飛び乗ると、嫌がる彼女の腕を脇に挟んで、あーしは強引に天原の体を上から押え込んだ。
みこととあーしは同じじゃない――(ンな事はァ、あーしが一番分かってる! あーしはみことみたいに無邪気に笑えない。他人の顔色を窺ってばかりの臆病者だあああ! けどなァっ、現代の、今を生きるミコトのあーしにだってッ、あーしだけの想いがあるんだああああどわァアアア!!)そう自分を鼓舞したあーしは、
「思い出せっ、思い出せあーし! 確かみことは、こーやって――ふんっ、ふんふんふんぬっ! 治れ! 治れ治れ治れぇェっ!! あっちに行けーッ、このっ! どうだわァアアア!」見様見真似で、あーしはみことがやった浄化を何度も試した。すると、
「バカクソマヌケぇぇえ! アホ! クズ! ゴミ野郎おおお! あっちに行くのはお前だギャル女ああっ! そのクソデカ尻をさっさと私の上から降ろせえええ! 目障りなんだよッ、このゴミクソ豚野郎おおおおおおおおおおおぉォオオオオ!!!」
体の上に乗るあーしへ向かって、天原は思いつく限りの罵詈雑言を、手榴弾のように手当たり次第投げつける(`Д´)=つつつつシュパパパパ その勢いたるや凄まじい。SNSのスタンプ乱打のよう。
(よくもまァ、そんなポンポンと悪口が飛び出してくるモンだし…つつ)゜∀゜)グァ!!)と、あーしの方が感心するしまつ。
すると、ミコトに馬乗りにされる天原の目の前で、驚愕すべき事が起きた! 天原の上で、指の形をチョキにしたり、グーにしたり、様々な指のポーズをとるミコトの腕が、突然光を放った。その光に追い払われるように、天原の腕を泥のように覆っていた黒い穢れが消え去っt――
「な、な…なぁああァアアア!!?? なン――で…ぇェ…っ!?」天原は皿のように目を見開いた。唇を震わせた。驚愕する天原の上から、ミコトがゆっくりと降りる。
「ンなの、天原の怪我を放っておけないからに決まってンじゃん♪」トーゼンだし☆ という風に、あーしは自分の腰に手をやって得意げに答える。が――
急に跳ね起きた天原はあーしの腕を掴み、「きゃっ」と、喉奥で小さく喘いだあーしの事を見下ろして、今度は天原があーしを地面に押し倒す番だった…
「…ざけるな…ぁァ…ッ、ふざけるなアアァ!! どうしてお前が…っ、みことと同じ天子の力をッッ、どうしてお前が使えるんだああああァアアアアアアアア!!」
(そりゃァさ、天原に素直に褒められるとは思ってなかったよ。けどさァ…)ンなに怒る事ないじゃん…っ。と、内心ヘソを曲げて、「べー!」と天原へ舌を出してやろうかと思っていたあーしの考えは、目の前の光景を見て、霧のように霧散した…。
「みこ…と…どうぢでぇェエ…っ、どうしでみことばかり…ッ、ごんなァああッ辛い目にいいィ…っ!」悔しい、悔しい、とそればかりを口にして、天原は滂沱の涙を流した…
(今日のあーしって…天原の泣き顔ばっかし見ているし…)
「私を騙したのか!」という、学校で言われた天原の言葉を思い出すと、あーしの心は、いまも斬られたような鋭い痛みを覚える。それに、町が禍神と化した最初の出会い。そして、昨夜の一ッ葉海岸――
禍神と戦っては傷ついて、苦しい事を「苦しい」と弱音も吐かずに、いつも教室で一人、自分の作った影の中に蹲っている陰キャの女子…
(ねぇ、教えてよ、天原…。何がそんなに苦しいの? 何があなたを悲しませているの? 神代で…あなたやみことの身に、一体何が起こったの…?)自分の頭の中では、すらすらとそう言葉にできた自分の想いも、
「……。……。……ぁ、ぁま――ぅぅぁう…っ」喉を締め付けられたみたいに、あーしは一語も上手く言葉にできなかった。
降りしきる雨の中。あーしを組み伏せて馬乗りになる天原の目だけは、あーしを焼き殺すみたいに、炎のように爛々と輝いていた。あーしの肩を掴んで地面に押さえつける天原の腕は、赤ちゃんを傷つけないように抱き締める母の腕のように、指の腹まで使って、愛情深くあーしを包み込んでいた――(目の前の天原は、なにもかもがチグハグだった…)
仰向けに地面に寝るあーしの上に、傘を差したように浮かぶ天原の白い顔は、天の曇天よりも昏い表情だった。頬の痩せた天原の顔の横を伝って、高い鼻先に集まった、雨とも涙ともつかない水の塊が、馬乗りになる天原の顔を見上げるあーしの顔の上へ、ぽた…ぽた…pっ…、と幾つも水滴が滴り落ちる。そして、天原から滴る水滴を追いかけるように、あーしの視界いっぱいに、天原の青ざめた白い顔が近づいて来て、それで――
「…ぅんンっ、ふゥンン~~~ッッ」(むぅぅううううううィぃいいいいいゥウウuッッううううヴヴヴヴヴヴヴヴゥウヴヴヴヴヴヴヴヴzbぶッッくわァアアアああああぅあぅあぅぅアィィィイイイエエエッッう”う”う ”う”う”う”う”う”う”う”う”う”う”う”う”う”う”う”ヴくぁwせdrftgyふじこlp;っッⅰぃィィツk ”あぼぼぽぼぼぼぼぼボボボボボ!!!!????)
馬乗りになる天原に、あーしはキスされている――
「ッぅむゥぅううヴヴヴ~~~~~ッッ!!??」あーしは自分の口から心臓が飛び出るかと思うほど、驚愕した。
皿のように目を見開いたあーしの視界のほとんどを、雨に溶けたように表情の失せた天原の顔のどあっぷが、占領した…。驚いて息を飲んだあーしの口の中へ、にゅるん、と音を立てるかのように、温かく湿った天原の舌が素早く飛び込んでくる。
体重をかけて上からあーしの体を押さえつける天原は、「ンふぅ…っ、ぁふンn…っ! ちゅぷっ、ふぅンン…っ!!」と熱い鼻息をあーしの頬の上へ吹きかけ、貪るようにあーしの唇へ吸い付く。そして、ショックで口の底で硬直して、身動きの取れなかったあーしの舌を、天原の舌先が見つけるや、「――ぢゅる…ちゅ、ぢゅるるるるるるッ! れろれr…ちゅぷぷぶぶっ!」あーしの口の中へ指を差し入れるような悩ましい動きで、天原の湿った舌が、さらに深く、さらに粘度を帯びて密着して、天原は好き勝手にあーしの舌を弄んだ。
温かな舌と一緒に雪崩れ込んで来る天原の大量の唾液で、あーしの口の中はコップのようにすぐに一杯になり、
「…ッんンンっ、ふんンン~~ッッ!! ごく…ご…っ、ごくごく…ッっ」あーしは天原の唾液を音を立てて飲み込み、自分の喉奥へ息苦しさを逃がす以外に術がなかった。
「…ンぁァ…っ、ちゅ…ちゅぷぷ…ッ。はァはァっ、はむぅうッ――じゅるるるぶぶぶ~っっ!」互いの思考を奪うかのような艶めかしい水音が、降りしきる雨音に混ざって、無人の池のほとりに流れ続ける。
天原を押しのけようと、あーしは両腕に力を込めるも、あーしの肩を掴んだ天原の腕は岩のようにびくともせず、馬乗りになる天原の体の下で、膝を上げてあーしがもがいた分だけ、爪で引っ掻いたような踵の痕が、濡れた地面の上に何本も残った…。
「…みこt…っみこと、みこ…ぉォおおおっっ!!」
天原の口付けは、こちらへの優しさや、愛情や、気遣いなんて欠片もなかった。まるで別の愛する人の「代用品」のような、使い捨てのように乱暴なキスだった。天原の空っぽの心を満たすだけの、嵐のように凶暴な――あーしのクソみたいなファーストキスだった。
「――ちょっ、おま…ァっ天原…ぁァッ、ちゅぷぶぶ…ッ、あま…ッむンン~~ッ!」
抵抗するあーしの両肩を押さえていた天原の腕が離れ、制服の上からあーしの胸を揉みしだく。そして、暴れたせいで、太ももの上までめくれ上がったあーしのスカートの内側へ、もう片方の天原の手が、す…っ――と、あーしのショーツの内側へ、天原の冷たい指が潜り込んで来たその刹那、
「――っぷはぁァああッ!! おまあああッ天原ァアアいい加減にしろおおおおおおぉォおおおおおおおおおおおおオオオ!!!」あーしは天原の両肩を掴んで、大岩を押し上げるように、覆いかぶさる天原の体を力の限り突き放した!!
「――ぷはぁァァっ、はぁ、はぁ、はぁ、はァああああ…っ!」
二人共、転がるように別々の地面に倒れた。貪るように空気を肺に取り込んだ。互いの体温をかけ合わせたみたいに、体だけでなく頭の中まで高熱に包まれて、あーしは朦朧として思考が働かなかった。そして、ろくでなしの天原の奴を打っ叩いてやろうと、あーしが自分の肩の後ろまで、大きく腕を振りかぶったその瞬間、
「っァああアッ! 痛っァアアア…っ!」悲鳴を発したのは、あーしの方だった。刃物で左目を刺されたような激痛に襲われ、あーしは自分の顔を手で押さえて蹲った。
あーしの尋常でない痛がり(様子)を見て、「まさかッ――!」と、色を変えて顔を跳ね上げた天原は、警戒するように周囲を見回した。
ズキズキと刺すような痛みを発する顔面を手で押さえ、ふらふらと面を上げたあーしと天原の二人の周りを、真っ黒い穢れが霧のように包囲している…!
みそぎ池に現れた穢れは、降りしきる雨を吸収して、煉瓦を積み上げるようにどんどんどんどん膨れ上がった。そして、驚いて目を見張るあーしと天原の目の高さを越え、天を見上げるほどの巨大な竜の姿をした禍神が、みそぎ池のほとりに立ち上がった!
蛇が鎌首をもたげ、得物へ襲い掛かるように、大口を開いた竜型の禍神が、恐るべき速さであーしへ襲い来る!――
「――チィっ!」舌打ちをする天原が、襲い来る禍神の口の横を掠めて、炎をまとって空へ飛び上がる。
天原が地面へ降りてくると同時に、天原の腕に制服の襟を掴まれていたあーしは、「ぐへぇっ!」と荷物のように地面へ乱暴に落とされる。
先程まで天原の頬を濡らしていた涙の痕は、雨で洗い落とされた。天原の美しい顔の上で、闘志に燃えた表情に取って代わった。物語に登場するドラゴンに似た姿をした禍神へ、赤味を帯びた天原のハンターのような目が、鏃のように鋭く突き刺さる。
「お前はそこで、何もせずにいろ!」ミコトを見る事もなく、天原はそう命じる。
邪魔者扱いするようなその言い方が、あーしは気に食わなかった。なにより――(先程のコトに対する天原の謝罪が、まだ一個もないいいいぃィイイ!!)
「は、はぁァあっ!? あーしだって、た、たたた戦えるしぃぃ! そうっ、「浄化の力」! みことがやってたみたく、それならあーし一人でででもたたた倒せるしいいいぃ!!」天原の言葉に従う事も、天原に守られる事も、「天原」というだけであーしは何もかもが気に食わなかった。あーし自身の命の危険よりも。それに、
(神代のみことも、浄化の力で穢れを祓っていた。禍神を倒していた)みことの中で見た経験から、あーしは自分にもできると確信していた。天原の力なんか借りなくても、自分の身くらい守れるとあーしは高をくくっていた。しかし――
「ふざけるなァアアアアアアアアアア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”!!!」
銃口を突きつけるように目を剥き、毛が逆立ったような凄まじい形相で怒鳴る天原に、あーしは声が出なかった。
この時――天原の心を支配していたものは、ミコトが想像していた「憤怒」とは真逆の感情だった…
「わたしがイザナミを倒します」「みんなさんへ、聖の世を届けまるす…」
そう言って、死地へ向かって自分を押し出すみことを止められなかった事を、天原は今も後悔していた。
「聖の世を届ける」みことのその遺志を守るためだけに、みことと過ごしていた時間よりも遥かに永い、その後の数百年、数千年という永い時の中、天原は禍神と戦い続けた。
みことの死後も転生を繰り返す天原は、イザナミの放つ禍神によって、無限とも思える回数殺され、そして、道端の土を枕に瞼を閉じる天原は、最期に決まって同じ夢を見た。
(どうか…どうかッ…お願いです。次の生では、みことに会えますように…っ)天原のその切なる願いは、現代でようやく成就した。しかし、最悪の形で…
永い永い転生の中で、これまで一度も出会う事のなかったミコトと、天原は現代で再会した。体が踊り出すほど嬉しかった! しかし、そのミコトが、神代のみことと同じ「天子」の力を受け継いでいると分かった今、天原の体と心を猛毒のように駆け巡った激しい想いは、ミコトを再び失う――「恐怖」だ…
「ダメだダメだッ絶対にダメァアアアアアアッッ!! お前は二度とその力を使うなァアア!!」天原は、火を噴くような大声で叫んだ。
「いいかッ、天子の力は「呪い」だ。呪いと同じだ! 天子の力に憑りつかれたが最期、お前は必ずイザナミと戦うことになる!――必ず絶対だあああ!!!!」
神代のみことは、禍神との戦いを宿命づけられた。イザナミを倒す旅に出た。イザナミの居ない平和の世「聖の世」を夢見て、みことはたった一人でイザナミへ最終決戦を挑み、そして――(みことは私たちの元へ戻ってくる事は、なかった…ぁァっ!)
イザナミの穢れを浄化する事の出来る「天子の力」。その力が、神代のみことの運命を決定づけた。みことが命を失う事になった原因になったのだと、天原はそんな憤懣たる想いを抱き続けていた。
みそぎ池の畔で現代のミコトと対峙する天原は、取り憑かれたかのように両眼を爛々と輝かせ、能面のように白い顔で、暴力的にミコトを睨み据えた。
「神代のみこともそうやって…っ、イザナミと戦ってそうやって死んだああ! みことはなァアアっ、イザナミに殺されたんだァアアアアアアアア!!!!」
「みこ…み、みこ…、シ…? 氏――へえ…ぇ…っ? 死ぬ…?――ぇ、みこ…ト…?」
あーしは、頭が真っ白になった。絶句した。鋭利な言葉で心臓をくり抜かれたように、あーしの思考は停止し、世界がぐるぐると回転し始めたかのように、あーしは膝から地面へ崩れ落ちた。自分の胸にぽっかりと開いた穴(喪失感)の大きさを視て、「――ぁ、ァあ…ああaaアアアアアアアアッッ」と、あーしは言葉にならない嗚咽を、地面へ涎のように垂れ流し続けた。
その間も竜の姿を模した禍神は、容赦なく攻撃を繰り出す。天原は地面に蹲るあーしの服を掴んで、再び空へ飛び上がる。ジェットコースターに乗せられているような天原の激しい動きの中でも、あーしは悲鳴一つ上げる事はなかった。なぜなら――
(シ…? 4ぬ…? みこ…、えぇ…? あの、みこ…とが…っ? 死ぃィ…っっ?)天原に突然告げられた衝撃の重さに、あーしの心と頭は容量の限界を超えていた。ラグの発生したPCのように、それ以外の全ての出来事は処理落ちし、時間が飛んだかのように、周囲の情報(天原や禍神の存在)はあーしの頭からすり抜けた。
あーしが神代で初めて出会った、みこと――優しくて、島の自然や動物たちの事が大好きで、人や神様たちからも愛されていた。新しい物好きで、身の回りのあらゆることに赤ちゃんのように興味を抱いて、不思議そうに首を傾げる姿の可愛い、あの純粋で愛らしいあのあのあのあの女の子がァァアア!!!!――
(死…ヌ…? みこ…っ、嘘…ぅ…ソぉォ…うそ、だろううううう!!!???)観る前に映画のラストをネタバラシされたみたいに、あーしは愕然となった。そして、禍神の攻撃をかわす天原の腕に、物のように左右に振り回される中、あーしの脳裏に蘇ったのは、
『あーし、応援するよ!』自分の発した、その愚かな言葉だった…
神代に生きるみんなへ、聖の世を届けたい。そのためにイザナミを倒す旅に出る。希望を顔中に散りばめた表情でそう話すみことへ、あーしはそう言って応援した。そして、
『聖の世を一緒に見よう!』イザナミの居なくなった後の約束まで、あーしはみこととしていたのだ。
橋が崩れ落ちたように、突然道の先が消え去ったみことの未来――(その死の結末へ向かって、知らず知らず、あーしはみことを追い詰めた。未来に待つ「みことの死」へ向かって、みことの背を押し出した。その「応援」まであーしはして――…っ!)
後悔という言葉では足りないほどの自分の悍ましい行動に、あーしの精神は、一寸先も見えない闇の中を堕ち続けた。恐怖で全身の震えが止められなかった。あーしの服を掴む天原の声が、彼方で響く――
「天子の力は使うな! 絶対にだァアアアッ! お前は今まで通り、普通に暮らしていればいいんだ! もう二度と、私たちには関わるなあああ!!」
着地した地面へ、物のように投げ捨てたあーしを見る天原の目は、怒りと狂気がどろどろに溶け合って、マグマのように燃えていた。けれど天原のその声は、どこか悲痛な叫び声のようにあーしの胸に響いた。
「これで分かっただろう! 穢れや禍神との戦いは、私たちの――私たちだけの「役目」なんだ!! 神代で、みことを追い詰めた…。みこと一人の小さな背中に、「世界」なんて重しを背負わせてしまった…っ! 私たち全員の――罪なんだあああァアアア…ッ! もうこれ以上、関係のないお前が割り込んでくんなァア”ア”ア”ア”!!」
天原の心が軋みを上げて、壊れてしまったみたいな、音程のばらばらな不協和音の叫びだった。
「――役、目…っ」指でなぞるように、あーしは天原の言葉を繰り返した。
「役目」という言葉の中に、自分の意志や未来はおろか、他の全ての選択肢を閉じ込めた――嬉しいや、楽しい、笑う事も忘れて、「役目」に適合した自分に、自身を作り変えてしまった――天原隠零。
(そ…っかぁ…天原は、神代でみことを死なせてしまった後悔を、いまも――)神代の頃の「アマテラス」とは別人のように天原が変わり果ててしまった理由へ、あーしはこの時、初めて触れた気がした。と同時に、あーしの中で、別の新しい感情も芽吹き始めていて…
庇うように乱暴にあーしを押しやって、禍神と一対一で正面から対峙する天原隠零。
目に視える傷も、目に視えない心の傷も、全てを背負いこんだ天原のか細い背中へ、あーしが腕を伸ばそうとしたその時だった。
「なななッなにいいぃィっ!?」
市内の空で、天上が引き裂かれたような凄まじい光と爆音が轟いた。宮崎市上空に重く垂れこめた雷雲の中から、黄金に輝く二体目の竜(禍神)が顕現する!
「ぁ――、ぁァあ…ッ、あなたほどの方々まで…ッく…のような姿にぃィ…穢れてしまったのですかァアアッッ! クラオカミ様、クラミツハ様ああああああ!!」
市内に現れた金色の禍神を見上げる天原は、驚きと悲哀に左右から殴られたかのような、荒々しい叫び声を空に響かせた。
空に現れた二体の禍神の大咆哮が、町を囲む遠くの山々に跳ね返り、宮崎市の町は、何倍にも反響した雷鳴と禍神の咆哮の、異様な音響に包まれた。
空を泳ぐ大蛇ように、河のように長大な胴体を上空でくねらせ、稲光と黒い霧を従わせる二体の禍神は、ゴールネットほどもある巨大な眼で、地上で叫び声を発する天原の事を睥睨し――(いいいぃイヤイヤイヤっ、ななななんんんでぇェエエエッ!?)地上を睨む禍神の眼が、狙いを定めたようにあーしを追いかけている事に気付いて、全身を縛られたようにあーしは言葉が出なかった。
「まさかッ、あ、会いに来たっていうの!? こいつ(ミコト)にぃいいいいッ!?」禍神の視線に気づいた天原が、禍神とあーしを一瞥して、衝撃に目を見開く。そして、
「そんな事をしたって、神代のみことは居ない! もう居ないんだよおおおっ! 穢れてしまったあなたたち二人を救ってあげることは、誰にもできない! だからああッッ――!!」
懇願するように空へ大声を投じる天原へ向かって、ジェットコースターが滑り出したかのように、二体の禍神が上空から駆け降りてきたのはその時だった!
迸る稲妻が、槍のように空から幾つも降り注ぎ、火山の火口のように巨大な禍神の口が、懇願するように禍神を凝視する天原へ迫り来る! そして、
ジュッ! と音が鳴って、天原の手から滑り落ちた炎刀が、濡れた地面を焦がして水溜まりへ突き刺さる。そして天原は何を思ったのか、次の瞬間――迫り来る二体の禍神へ向かって、す…っ、と、天原は胸襟を開くように無抵抗に両腕を広げr――
「天原rァアアアアアアッッッ!!! お前ェェっ、死ぬ気だっただろううう!!」
あーしは濡れた地面に強かに体を打ち付けた。あーしの体の下で驚愕に目を見開く天原の胸倉を掴んで、あーしは雷のように声を荒げて怒鳴り散らした。
空から駆け降りて来る二体の禍神の牙が、天原の体をバラバラのミンチのように食い千切ろうというその刹那――あーしの体は、考えなしに駆け出していた。棒立ちになる天原に、全身がバネになったみたいにあーしは体当たりした。禍神が天原の体を掠めるより一瞬早く、あーしと天原の二人は、ボールのように濡れた地面の上を転がっていた。
ズザザーー! と、地面に体を打ち付け、濡れた地面に手をついて体を跳ね起こしたあーしは、泥まみれの自分の姿にかまうことなく、天原の白い喉元へ噛みつくように、胸倉へ掴みかかった。
「バカかあああッッ!! 「みこと」の真似でもしたいのかよお前ェええッッ! バカかよおおおおおおッッ!!!」
神代のみことの真似事をするみたいに、全部一人で背負い込み、何もかも分かった風に、自分一人で終わらせようとする天原の姿に、あーしは殴りかかるような剣幕で叫んだ。
「――…っ」天原は歯がみするような表情を見せた。
(一番言われたくない奴に、一番言われたくない言葉を言われた…)天原は、自分の顔がみるみると羞恥で真っ赤に染まって行くのを感じた。自分のその表情を見られまいと、目の前で怒りに目を光らせるミコトから、天原は逃げるように顔を逸らした。
「お前には…関係、無い…っ。関係無いだろうううう! 私がどうなろうとッ!!」激情的に感情を爆発させて、天原はミコトを突っぱねる。そして、天原は燃えるような眼差しで、今度はミコトを睨み据えて、
「ど、どうだっていいだろううう、お前にはッ!! 私はッ、お前みたいな「偽物」のいるこの時代になんて未練はない! 本物の「みこと」の居る未来へ会いに行くんだああああああ!! 邪魔をすンなァアアッッ偽物のクセにいいいぃィイイイイ!!」
(「寂しい」なんて感情を、人気者のみことが、どうしていつも抱いているンだろう…?)神代でみことの中に居た時、その事が不思議でならなかったことを、あーしへ向かって唾を飛ばして叫ぶ天原の顔を見つめながら、あーしはふいに思い出していた…
オノゴロ島で、沢山の人たちに慕われている。神様たちの笑顔に囲まれている。みことを愛する多くの者たちの中で、神代のみことは、心から嬉しそうに微笑んでいた。それなのに、みことの心の片隅には、「寂しさ」や「不安」が雲のようにいつも浮かんでいた…
「やっぱり、天原は…そうやって神代のみことの事を追いかけたいだけじゃんッ!」みそぎ池のほとりで倒れる天原の顔を正面から見つめて、あーしは天原の心臓へ、その言葉をナイフのように深々と突き刺した――
神代のみことが、あーしにオノゴロ島を案内してくれた時の事だった。
ふとした折に見せる、ここではない遠くを見つめるみことの儚い姿が――自分の不安に蓋をしたように、ぐっと口を噤んだみことの態度が――(みこと…どうしたのみこと…? どこへ行ってしまうの…っ? みことぉォ…っ!)と、この世からみことが消えて居なくなってしまうような漠然とした不安を、あーしに抱かせた。
そんな「みこと」の影を追って、自らも死へ飛び込もうとする天原の態度に、あーしは殴りかかるかのように怒りをぶちまけた。
「「未練」がないなんて言葉は、天原がいま抱えているもの全部吐き出してから言えよおおお! 神代のみことだってそうだああァっ! 辛いのに辛いって言わない。苦しいのに苦しいって言わない。傷だらけで…血だらけになってるのにッ、痛いとも全然みことは言わなかったあああ!!」そして、あーしは神代から現代へ、今を生きる天原へ視線を突き刺して、乱打の雨を降らせるように、遮二無二言葉を投げつけた。
「そんな…そんなァ…っ今にも泣き出しそうな表情のヤツに、「未練」はないなんて言われたって、あーしは天原にど~~~~~してやればいいかなんて分かンねェよおおおォ!! あーしは「神代のみこと」じゃない。そうだよあーしはあーしだあああ! 神代のみことじゃああ…ぁァ…っ――ううう…っ。みこ…み、みこ…と…死ぬなンへぇ…ッううぅ、うわあああああああああああああああああああああああぶわァアアアアああああ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”み”ごどお”お”お”お”お”お”お”お”お”!!!!」天原へ向かって叫んでいたはずのあーしは、自分の胸にも刺さった「みことの死」へ向かって、子供のように声を上げて泣いていた…。
「………」天原は、こちらの胸の上に額を押し付けて涙を流すギャルの顔を、まじまじと見つめた…。
「抱えている想いを全て吐き出せ」なんて言葉は、神代のみことからも、仲間からも天原は言われた事はなかった(神代のみこと自身、アマテラスたち仲間にすら話していない、ある想いを秘めていたから…)。
天原の心の蓋が、内側からギシギシと軋み出す。目の前のミコトへ、押さえつけていた自分の想いの全てを吐露したい(差し出したい)という強烈な欲求が、天原の胸を喉元まで駆け上がった。
「…ミ、ミコ…ミコ、ト…っ、わた…わたしは――!」天原が声を上げた、その時だった。
「え……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………?」と、開いた天原の口から次に零れ出たのは、ため息に似た音だった。
泣き崩れるミコトに馬乗りにされていた天原の体が、ふっ、と急に軽くなる。地面に仰向けに倒れていた天原の体の上へ、上空から何かが降って来る。
――ボトリ…っ。
と天原のおっぱいの上で弾み、ゴロゴロと枝のように地面を転がって、濡れた芝生の上に赤い斑点を広げるソレは――
「ミコ…ミ、ぇ…? …ト…、ミコ…tぉ…っ? ――ッぅヴゥぁがあ”あ”…ァk…っっ! ミ…コトおおおォォおおぉミコトオオオオオオオ!! いやァあああああああああぎキぎュがア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”!!!」
目の前の地面に転がる「ミコトの片腕」に、心を砕かれたように泣き叫ぶ天原の慟哭が、みそぎ池の水面の上に、激しい波紋を広げる――