一〇〇〇日後に死ぬ母と、終末旅へ逝くギャル(あーし)1。
四分割されていますが、元々は単体の「第一話」として構成されたものです。
(投稿の仕様が分からず、一部重複や落丁があるかもしれません。申し訳ございません。)
一〇〇〇日後に死ぬ母と、終末旅へ逝くギャル(あーし)01。
空羊
産まれて初めて地面を踏みしめるような慎重さで、みことは静かに足を踏み出した。
踏み出したみことの足の裏で、緑や黄緑の新芽が焔のようにむらむらと萌え立ち、次に踏み出した左の足裏で、萌え上がった植物たちは、生命を吸い取られたように急激に痩せ細って黒く枯れ果てた。
その場所は、みこととあーしの旅の最終地点――「生」と「死」がくるくると旋回しながら、入れ代わり立ち代わり目の前へ現れるような、イザナミの待つ混沌の土地だった。
『みことは…最初から、あーしたちを連れて行く気は、無かったんだね…』
みととという少女以外、その場所には誰も居なかった。そして不思議な事に、みことへ語りかけるその声は、みことの体の内側から泉のように沸き起こり、ベルのように体の内側を叩いて、みことの中にジンと響き渡った。
「わたしは…わたし以外の誰も、この場所に連れて来る気はありませんでした。それは、ようせいさん――あなたの事もです…」
みことの体の中から発したあーしの問いかけに、みことは背負っていた荷物を下ろすように、晴れ晴れしさすら感じる口調で終わりを口にした。
「ここは旅の終わり。ようせいさんとわたしの長い旅は、ここで終わりんなのです」
あと、一〇〇〇日。恵比寿ミコト
現代。宮崎市。
「あばばババaァぁたたたぶプっはァァアアッッア”ア”ア”ア”ア”ア”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ツわっぷぅヴヴっっ!!??」突然、あーしは海へ転げ落ちた。水中で大声を上げるあーしの口から、体内から脱兎のように逃げ出すような勢いで、空気が噴き出した。
(( ゜Д゜)ハァァああッッ!? う、うみ? 海いいいいいいいいいぃぃッッ!?)水中から見上げたあーしの頭上を、陽光に煌めく海面がガラスのように蓋をし、あーしと一緒に海中へ転げ落ちた体の周りの空気が、耳の上でゴボゴボと音を立てて、あーしの吐いた息と手を繋ぐように、波打つ海面へ向かって気泡の塊となって昇って行った。
(どどどどゆことおおおおおおおッ!?)突然の事態に、あーしは理解が追いつかない。
(意味わかんないわかんないッ、なにここぉぉッ!? おほほっw 海ぃぃっ? 落ちたァァ!? っざけンな、さっきまであーしはどこにいた? あれは確か――って考えてる場合かァっ! それよりもぉぉ〜〜ッッ!)あーしの中の様々な感情が、命が宿ったかのようにあーしの頭の中でバラバラに騒ぎ出し、感情が一つとまとまらなかった。命の危機を訴えるように、あーしの胸を蹴り上げるように猛打する心臓の爆音(鼓動)に突き動かされて、あーしは無我夢中で腕と足を動かした――
水車のように激しく水を掻くあーしの指先に、太陽で温められた海水の温もりが伝わってくる。海上から差し込む陽の光が、あーしの顔や肩をスポットライトで照らしたように明るく包み込む。海面へ近づくほど、波に押されて体が右へ左へ流される!
パン食い競争のように、あーしの頭上にぶら下げられた「海面」を目指して、波を押し退けて海中を猛スピードで駆け上がるあーしは、
(あ、あと…六十センチ…四十センぃぃ…二…十ぅぅぅヴヴヴ――っ!!)クリスタルのように七色に煌めいた海面を、あーしの鼻先が突き破ろうとした次の瞬間だった。海面まで鼻先数ミリという所で、両足を掴まれたみたいにあーしの体は海中で停止! そして、ハッと見下ろしたあーしの足首には、ロープで繋がれたように水流が渦を巻いて絡みつき、眼下に広がる濃紺色の広大な海の底から、怪物の唸り声のような轟音と一緒に、その「声」があーしへ届けられた。
「ギャ…る…ぉぉ…チャン…っ――けテ…、みこと…おね…チャ…、たす、けテ…!」両耳を海水で塞がれたあーしの体へ、直接口をつけて届けられたような不気味な音声に、
(みこと(あーし)を助けて…?)「恵比寿ミコト」である私が、「みこと(あーし)を助ける」という言葉の意味が分からない。
体に重りをつけられたかのように、海底へ引きずり込まれるあーしの視界は、霞が掛かったように次第に薄れ…あーしの意識は完全に途切れて…――と思われたその直後だった。
「ミコト? ミコトおおぉぉ? お〜い、ミコトったらああああ!!」
「どわァァアアアッぶわわわわわあああッ!!??」あーしは悪夢から飛び起きたように、叫び声を周囲に轟かせた。
服のままシャワーを浴びたみたいに、制服の下でドッと汗が吹き出し、団扇で扇ぐように高速で瞬きをするあーしの目の上からは、コンタクトレンズが剥がれ落ちたように、あーしを海底へ引き込もうとしていた海中の景色は、綺麗に拭い去られていた。
「う、ぅぅうみ…? はぁァ…? ぁ…はれ…こ、ここ…は…?」自分が今どこに居るのかという記憶も、あーしの頭から剥がれ落ちた。呆然と周囲を見回すあーしが立っていたその場所は、病院のように長く伸びた廊下と、正面にあるクリーム色の扉、そして、扉の上の柱に備え付けられた「1‐A」という見覚えのあるプレートが、あーしの記憶を呼び覚ました。
(そっか、学校の教室の前かああ!)あーしがそう理解するのに、数秒を要した。そして、後ろからあーしの手を引く腕と、「ミコト」と呼びかける声へ振り向くと――
雨の日。傘をたたんだ時に跳ねた水滴が、隣の人に掛かってしまったみたいに、あーしを見つめて、「ぁ――…っ」と、喉に言葉が詰まったように表情を曇らせた少女の吐息が、あーしの目の前で小さく跳ねた…。
学校の廊下で振り返ったあーしの前には、「ぁ…っ」と声を出してしまった少女を含め、体育着姿の女子生徒数名が立っていた。急に振り向いたあーしと目が合った途端、彼女たちは気まずそうに俯き、示し合わせたようにあーしから視線を逸らした。
「ミコト、だから後ろ、後ろつかえてるってサっ。何べんも言わせるなって☆」
あーしから目を逸らす女子の一団とは別に、もう一人女子があーしの横に立っている。笑って注意を促してくれたその女子の声が、数分前のあーしの記憶を呼び覚ました。
前の時間、ミコトは体育の授業だった。授業を終えたミコトたちが、着替えのために自分たちの教室へ戻ってくると、突然、入り口を塞ぐようにミコトは教室の扉の前で急停止。その後ろから、廊下を歩いて続々と教室へ戻って来る他のクラスメイト達は、
「え?――ナニ? 何待ち?」という怪訝な表情を浮かべつつ、(ミコトへ直接声を掛けた女子生徒以外)他のクラスメイトたちは、ミコトへ声を掛ける事を躊躇していた。教室の扉を塞いで石像のように固まるミコトの背後で、体操着姿の他の女子生徒たちは、ミコトが動くのを待っている事しか出来ないでいた。
「ご、ごごごごめんっっ! あーし、そんなつもりじゃァっ――」ようやく状況を理解したあーしが、慌てて体を横にどけると、
「……」廊下で待たされていた女子生徒たちは、あーしの前を足早に通り過ぎる。クラスメイトたちが、教室の中へ逃げるように入って行く背中を、あーしは呆然と見送った。
「ミコト…どうかしたの? あなた、すこし変じゃない…?」
「そーそーそー、立ったまま寝てたぁ? 何やってンだしっ、ウヘハハハっw」
あーしと目を合わせようともせず、教室の中へ逃げるように入って行った他のクラスメイトたちとは、明らかに態度が違う二つの声が掛けられる。
「そ、そんなコトないっしょおおお! い、いつも通りだし! ニヘヘ〜っ♪」なんて言って、笑顔で友人二人へ取り繕うあーしの心臓は、今にも破裂しそうなほど激しく動揺していた。
その直前に体験した、水中の息苦しさや、手で掻いた水のリアルな感触。そんな夢とも幻ともつかないあやふやな出来事は、目の前で起きた実際の出来事に追いやられて、遠くの記憶のように、あーしは思い出す事も忘れていた。
怒るでもなく、邪険にあつかうでもなく、関わり合いにならないように俯いたクラスメイトたちの冷淡な表情――教室の前で待たされていた女子生徒たちの、あーしの前を通り過ぎる瞬間に見せたその表情が、(なんか、辛いな…ぁァ…っ)
「誰が?」「何が?」というワケではないのだ。しいて挙げるなら、そうした他人の目を気にして、それにいちいち心を痛めている――「自分自身」にだ。
傷みやすい。弱りやすい。レタスみたい――そんな青菜みたいに青ざめたあーしの表情は、派手に染めた栗色の髪と化粧で、誰にも気付かれないとあーしは思っていた。
「セクハラだと思うんすけどー? 叩いてもひぃひィ(いい)?」とあーし。
「ええ〜っどうしよっかなぁ〜、イヒヒっ、やっぱだめぇ〜w ミコト、さっきの事からずっと難しい顔してんだもん。せっかくの綺麗な顔が台無しだゼ。キラっ☆(イケボ)」
不満の声を上げるあーしの両頬を掴んで、マシュマロのように伸ばしたり引っ張たり、勝手気ままにあーしの顔で変顔を作ってケタケタと笑うのは、井氷鹿光狸。「シカちゃん」の愛称で呼ばれる、この高校でのあーしの数少ない友人の一人だった。
メイクでも隠せてない、あーしの表情の微細な変化を察知したシカちゃんは、「笑って」と言ってくれるみたいに、(イケボ)まで口にして、イケメン風に演出してくれたし、「ぷぷpっあはははっww」と最後にはシカちゃん本人が吹いてしまって、それにつられて、あーしも教室の自分の席で、声を上げて笑ってしまった。
夢。希望。恋愛――そのどれも、ミコトの鞄の中には入っていなかった。アクセルを踏めば、火を噴いて走り出しそうな十代の活動的な体をミコトは持っている。けれど、その体に乗せる心の部分が、ミコトはいつもどこか煮え切らなかった。
周りの同年代たちは普通に持っている、夢や、目標、好きな人…。それをあーしも持ちたいとは思っていたけれど、(ソレってナニ? どんな形をしたもの? 付き合うってどゆ事?)あーしにはそれさえもよく分からなかった。
そんな色彩の欠けたあーしの毎日を、賑やかに、笑い声の絶えないモノへ変えてくれたのが、あーしが転校してやって来た宮崎の高校で出会った、二人の友人の存在だった。
海外まで届きそうな宮崎の澄んだ空のように、晴れやかな表情と、制服の下に風船をいっぱい詰め込んでいるみたいな、おっぱいの大きな陽気な女の子――井氷鹿光狸。シカちゃん。そしてもう一人が、
「だから…シカ子邪魔…。本題…早く…」目の下にいつもクマを出没させている、眠たげな目と、綺麗な長い黒髪が特徴的な、人形のようなちっこ可愛い女の子――瑞白姫愛衣。ヒメちゃんは、あーしの頬を掴んで離さないシカちゃんの頭を叩いて、話を強引に元に戻した。
教室のあーしの机の周りに集まって、休み時間の度に、こうして二人が毎回のように話していた話題は、
「ミコト…本当に、何もない…? あなたの誕生日なのよ…? 私たちに、遠慮する必要はないのよ…?」
五日後に控えたあーしの誕生日について、あーしのしてほしい事を聞き出そうと、シカちゃんとヒメちゃんの二人は、左右からマイクを突き刺すようにあーしへ顔を近づける。
「ねぇぇ”ェ”ェ”ェ”〜っ、ミコトおおぉ〜、ホント? 本当に何もない? だって誕生日だよ、誕生日いぃィ! ウチだったら――とりあえず、アクセサリーとか、あと服とか? あと可愛い化粧品とかぁ! 自分で買えないモノとか、ウチだったら欲しいかにゃ〜んふふふふっ♪」
あーしの前の席で、制服のスカートから伸びるすらりとした長い脚を組んで座るシカちゃんは、口の端から八重歯の覗く愛嬌たっぷりの表情で、自分が欲しいプレゼントを貰った妄想に浸って、満面の笑顔を浮かべる。
「別に、トクベツな日にしてくれなくてもいいよ」と、あーし。「二人にお祝いしてもらえるだけで、あーしは嬉しいしっ。へへっ♪」
誕生日プレゼントを二人に尋ねられてから、あーしは毎回同じ事を言い続けていた。けれど、今年の春にあーしが引っ越して来て、宮崎で過ごす初めての誕生日。
「何か思い出に残るものにしてあげたい!」と、シカちゃんとヒメちゃんの二人はそう意気込んでいるらしく…――ここ数日の三人の話し合いは、寄せては返す波のように、同じ結論を行ったり来たりしていた。
「それじゃあ、シカちゃんの誕生日には、その中のどれかから選んであげるねっ♪」話を変えようとあーしがそう言うと、おやつを貰った子犬みたいに、シカちゃんは椅子の上でフリフリとお尻を弾ませる。
「ヤッタああわあああw ありがとおおっミコトー♪ ミコト大好きぃいいいいっ☆ って、そうじゃナイナイっ! ウチの誕生日の事じゃないよぉ!」
「チィっ、誤魔化されなかったか…っ」あーしは予想が外れた。
「とまあ、シカ子のことは、今はどうでもいいとして…」
「どうでもいいって! 酷いっ! 酷いんじゃぁああああああああ〜〜!!」ヒメちゃんの突き放すような冷静な切り返しに、教室の中で大声を上げて、殴られたみたいに反応するシカ子ちゃん。
「くふっ、ぶははははww えへへへへへへっ♪」二人との他愛のない毎日のやり取りが、あーしはどんなプレゼントを貰うよりも嬉しかった。
本州より数日早く、宮崎県は梅雨に入った――ムシムシ、ジメジメι(´Д`ι)アヂィ…。そんな日々の続く宮崎の高温多湿な気候の中で、クラスのほとんどの女子は半袖のブラウスかシャツで、汗ばんだ肌に貼り付くボタンやリボンを少しだけ開いて、絶賛フル稼働中の夏の暑さをしのいでいた。
そんな中、あーしの席の横に佇むヒメちゃんは、冬用のカーディガンに、デニール厚めの黒いタイツを穿いた耐寒仕様。見た目にも「冗談だろう」とツッコみたくなる黒づくめの厚着だし、一人だけ季節がズレていると思われるような服装だった。
性格も、身長も、容姿も、見た目もまるで正反対。そんな印象のシカちゃんとヒメちゃんの二人は、家が近所の幼馴染同士だった。
「ミコトが本心からそう言っていて、良い子なのは知っているわ…。けれど、やっぱり何かしたいわ…。だって、大切な友だちが宮崎で初めて過ごす、誕生日ですもの…」
「ヒメちゃん…」ヒメちゃんのその言葉だけで、あーしは嬉しさで目頭が熱くなる。
「ミコト…」
「ヒメちゃん…」
「ミコト…」
「ヒメちゃん…」
「ミコト…っ」
あーしとヒメちゃんの二人は、恋人のように互いの名を口にする。教室で見つめ合う女子二人の顔が、吸い寄せられるように距離を縮めて行く。
人形のように大きくて丸い瞳で、あーしを抱きすくめるように真剣に見つめるヒメちゃん。その薄桃色のぷっくりとした唇へ、あーしが形をなぞるように人差し指を這わせると、ヒメちゃんは少しだけ口を開いて、「ん…っ。…ちゅ…ンちゅ…っ」とヒメちゃんは小鳥が啄むようにあーしの指先を唇で食んで、甘く痺れるようなキスをあーしの指へ落としてゆく。
「…ぁァン…ヒメちゃん凄いぃ…。ヒメちゃんの唇、柔らかいよぉ…っ♪」女の子の唇の柔らかさと、くすぐったさに、悶えるような声があーしの口から溢れる。
「ミコト…ぉォ…これが、私からの誕生日プレゼントよ…。もっと、受け取って頂戴…ミコトぉ…っ。…ちゅ、ちゅ、ちゅるルる…ンんっ!」
教室の中に、艶めかしいキスの音が漂い始める…。ヒメちゃんの柔らかな唇が、あーしの指の一本一本へ、舐めるように熱いキスを落として行く…。そして、熱に浮かされたような蕩けた目で、パートナーを見つめる二人の手が、敏感になった相手の胸やお尻へ、「――ァ…んぁァ…っ」と、形をなぞるように、制服の上から指を這わせるその時、
「ちょぉォ…ッッちょっとおおおおぉいいいいいいいぃぃィィいい!! そ、そそそそンな、アレなッ――ぃぃいイヤらしいいいいいィぃプレゼントぉおおおッっダメだろうううううううううう!! べべべべべべべつにィィいいいっ、おォ女の子を好きにななっちゃダメってコトじゃねェけどもおおおおおおおおォォオ”オ”オ”オ”!!」
百合の花でフレームを飾ったような、あーしとヒメちゃんの目の前の雰囲気に、シカちゃんは耐えきれなくなった。シカちゃんは顔中をトマトのように真っ赤にして大声で叫んだ。体の内側からマグマのように沸き起こる胸の高鳴りに、自身の大きな胸を津波のように震わせて、シカちゃんは教室の中で火柱のように雄々しく立ち上がった!
「ぅぅヴヴヴびぅぅウチらはまだあああああああッッ高校生なんどわァからあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああどわわわあああああァァアアアアア!!!」
大砲を乱射したように、教室中に大絶叫を轟かせるシカちゃん。
「何ごと!?」と驚いて振り返る教室のクラスメイト。
「ミコト…? 次の授業、何だったかしら…?」
「確か数学だよ。あーし割と数学得意だから、楽な授業かなぁ〜。ンフフ〜♪」
「そう、実は私も得意なの…。今度、テストで勝負しましょうか。うふふ…っ」
先ほどのキスの事が嘘のように、何事も無く普通の会話を進めるヒメとミコト――一人立ち上がって、真っ赤になって叫んだ「誰かさん」の事など、気にも留めない風に。
(ハーフのように目鼻立ちの整った綺麗な顔に、高身長でスタイルのいい容姿。それに反して、シカちゃんは純情で可憐な乙女だった。対して、部屋に飾っておきたくなる小さくて可愛くてクールな見た目に反して、ヒメちゃんは意外と悪戯好き(ノ≧∇≦)てへぺろ)
教室の中で、一人立ち上がって大声で叫んだシカちゃんは、目の前の普段通りの友人二人の様子を見て、自分がまた騙されたと理解した。飛行機が墜落するみたいに、シカちゃんは突然あーしの机の上へ覆いかぶさった。津波のように大きく肩を震わせて、「ブラジルの人、こんにちわあああ!!」とやるみたく、覆いかぶさった机に向かってシカちゃんは大声で喚いた。
「ぶわァあああア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”アアっっ!! またまた二人でウチで遊びやがったあああああああぁァアあぶくッわあああああ!!」
元々、地毛が赤かった。そのせいで、小学、中学、といわれのない注意を何度も先生から浴びた。派手な見た目のせいで、周囲から浮いていた井氷鹿光狸ちゃん。
周りの意見に自分を迎合することに、違和感があった。周囲との無駄な軋轢を避けるように、進んでいつも独りでいた瑞白姫愛衣ちゃん。そんな――(周囲との「差異」を抱えた同類の三人だからからこそ、あーしはシカちゃんとヒメちゃんと友達になれた)
右目は、炭を落としたみたいに深い黒色。けれど、左の目は、南国の海を見つめているみたいに澄んだ碧色だった――この春、宮崎へ引っ越してきた恵比寿ミコトの抱えた「差異」は、顔の左右で別々の景色を見つめているみたいに、左右で色の異なる眼だった。
日本全国で、毎日数万人もの人間が亡くなった――ソレが始まったのは、今から十五年前(それ以前にもあったが、世の中でソレが広く認知され始めたのは、そのくらいの年だった)。
原因は不明。目下調査中。世界各国の調査機関も、大勢日本に入ってきている。けれど、これまでに得られた調査結果は、様々な殺され方をしたバラエティー豊かな人間の殺害方法と、膨大な量積み上げられた死者の数だけ。原因不明のこの状況のせいで、日本全国の店はドミノ倒しのようにどんどん潰れていった。もう何年も開けられていないシャッター街が全国に出来た。日本へ出店する海外のブランド店は、沈没する船から大慌てで逃げ出す動物たちのように、大挙して日本から去って行った。
日本全国が帳に覆われたように「未来」が見通せない中、ミコトが暮らしていたのは宮崎県宮崎市。南国を思わせるフェニックスの木の立ち並ぶ宮崎駅前の商店街は、数えるほどの店舗が今も明かりを灯している以外、ほとんどの店がシャッターを下ろして久しい。
その日――町が突然人を襲い始めた。
町のいたる所に、シンボルのように立つフェニックスの街路樹が、こん棒でぶん殴るように人間を撲殺する。道路わきに佇む標識が、鉈を振り下ろすように通行人の首を刎ねる。店の前に停めてある無人の自動車が、ガラス窓を突き破ってミサイルのように店内の客へ襲い掛かる。
スコップが柄まで深々と胸に突き刺さった女性の死体。ザクロのようにパックリと頭の割れた男性の死体。人形のように手足の吹き飛んだバラバラ死体――宮崎市の駅前通りは、バラエティー豊かな死体たちで溢れ、戦場の只中へ突然放り出されたかのように、建物も、道路も、町も、周囲は真っ赤な血の色に染まっていた。
路側帯を滝のように流れる大量の血(鉄)の匂いと、汚物を垂れ流して死体の凄まじい死の香り(刺激臭)に、あーしは喉にパンチを貰ったみたいに、激しく咳き込んだ。膝から道路へ崩れ落ちた。目から熱水のような熱い涙が迸った。喉元を駆け上がろうとする悲鳴と猛烈な吐き気を、あーしはシャッターのように固く目を閉ざして、ぽろぽろと泣きながら両手で口を覆って必死に抗った。
市内に数えるほどある高層ビルの間から、こちらを覗き込むように顔を覗かせる太陽は、網膜に突き刺さる程鋭利な輝きの夕焼けを、全天に広げていた…。
恐怖で気が触れる――もしくは、ウィスルに汚染されたPCのネットワークを遮断するように、目の前の現実から逃げるために、失神してもおかしくない状況だったあーしに、「だめだあああッいま気を失うわけにはいかない!」と目の前に現実にしがみ付いてでも、あーしに正気を保たせたのは、振り返ったあーしの視界へ飛び込んできた、友人二人の姿だった――
東京都心でも頻繁に見かけるようになった、豪雨の際に使用する土嚢のように、夥しい数の通行人の躯が、道路脇にうず高く積み上がった宮崎市の町を、あーしはふらふらと左右によろけながら走り続けた。人形のように動かなくなったシカちゃんとヒメちゃんの親友二人の体を抱えて、
「だれ…か、だれ…か…ァァああ…ッ、だずけでええぇェえええええ!!」周囲の人の声の途絶えた町の通りに、あーしの叫び声と足音だけが無情に響き渡った――
(あ…、またあの煙突だ…)と、あーしがソレに気付いたのは、宮崎市の町が、本物の血でピザソースのように真っ赤に塗られる数時間前の事だった。
授業中。教室の窓の外へ何気なく投げたあーしの視線を掴まえたのは、絵に描いたような宮崎の青い空に、浮き上がるように一本だけ立った白い煙突だった。
綿あめをちぎったみたいな白雲が、青い空に幾つも泳いでいる中、空へ向けて鉛筆を突き立てたような、教室の窓から遠望することの出来るその光景を目にするたび、
(あぁ…またあの煙突から、煙が昇ってら…)と、煙突の突端からもくもくと空へ伸びる、雲に解けるような白煙の意味を想うと、あーしは胸の奥を締め付けられるような…ざわざわと落ち着かない気持ちに心を囚われた。
「それで? ミコト、誕生日の話の続き続き! 放課後一緒にどっか行けるっ?」
帰りのホームルームが終わるなり、野を跳ねる子鹿みたいに、あーしの机の前に突進してきたシカちゃんの明るい声で、教室の窓の外に見える煙突への興味は、あーしの頭の中から弾き出された。
直帰する生徒や、部活へ向かう生徒。用具入れから掃除道具を取り出す生徒や、仲の良い生徒同士で集まった男女のグループ。クラスメイトの話し声で教室が賑わう中、あーしの誕生日の打ち合わせもかねて、あーしを遊びに誘ってくれたシカちゃんは、「ギャル」と呼ばれる種類の生徒だった。
元々の赤髪の上、毛先を緑のグラデーションに染めて、ピアスもして化粧もする。胸元を大胆に開いたブラウスの隙間から覗く、シカちゃんのプリンのような豊満で美味しそうなおっぱいが、席に座るあーしの顔の前で、たぷん、たぷんっ☆ とあーしを誘っているみたいにたわわに揺れていた(*´з`)
「ごめん…放課後は、無理だと思う。本当にゴメンね」あーしは首を横に振った。シカちゃんに誘われるたび、いつも断ってばかりいる自分が本当に申し訳なく思う。
「家の事情、ですものね。ミコトのせいではないわ…」そう言って、ヒメちゃんがいつの間にかあーしの隣に現れる。
「そおそおお〜、しょゆことw 休みには一緒に遊べるンだから、そんなにあやまんなし。ミコトも見た目はギャルだけど、ヘンなとこ真面目サンだょなあァ〜☆」
「ええ、本当に…。毎日家の手伝いをして、偉いわ。褒めてあげる。ナデナデ…お手」
椅子に座るあーしの膝の上にお尻を乗せて、甘えるように屈託なく笑うシカちゃん。そして、腕を伸ばしてあーしの頭を撫でていると、飼い犬にするみたいに手のひらを上に向けて、あーしへ「お手」を求めるヒメちゃんの変わらない悪戯っぽさに、
「だわはははっw」あーしは二人にくすぐられたように声を出して笑った。
周囲と自分との「差異」にあーしが気づいたのは、幼稚園の頃。
左右で異なる目の色――たったそれだけ。でも、それだけの差異のために、小学、中学校へ入ったあーしは、自分が何か間違っているみたいに、周囲から驚きの目で見られたし、他人から鬱陶しいほど指を指された。
「カラーコンタクト?」「オシャレのつもり?」「恥ずかしくない?」
学校の先生や生徒、近所の住人や理解のない大人たちのそんな声ばかりが、あーしの耳の上で大きく響いた。周囲のからかう声が、流れ弾のように飛んでくるたび、(人と違うって、そんなにイケない事? そんなに恥ずかしいの…?)そんな心の声が、胸の中で溢れて、あーしは恥ずかしさのあまり、
「っ…ぁァ…」あーしは何も言い返す事が出来ず、顔を真っ赤にして俯くことしか出来なかった…。
(あーしは自分自身の差異を、あーし以外の周囲から、いつも突き付けられた…)
中学に入ったあーしは、これまでの自分の上に、鎧を着けた。兜を被った。剣を構えた――「ギャル」へ変身した。あーしにとっての「ギャル」は、騎士が戦場へ赴く前の装備品と同じだった。
色を抜いて白金色に染めた髪を、折り紙のように可愛く編み込み、目元に置いたラメで、目を剣先のように輝かせる。胸の開いた服を着て、周囲の視線を楯のように跳ね返す!
「眼」というたった一つの小さな差異を覆い隠すために、あーしは全身を(ギャルに)変身させた。それは一定のトコロ効果があった。学校でもどこでも、あーしは眼の事は、他人に言われることは無くなった。けれど――(「ギャル」という新たな差異を着けたあーしに、誰も近づいてくることはなかった…)
中学、高校と進んでからも、友達は出来なかった。あーしは学校でいつも一人だった。周囲との距離は、いつのまにか更に遠ざかっていた。
今年の四月遅く、あーしが宮崎の高校へ転校してきてからも、そんな状況が数日続いた。同様にギャルで「武装」したシカちゃんと、周りの意見に自分を合わせる事が苦手な、不器用な女の子ヒメちゃんの、二人と出会うまでは…
「そぉおおおンじゃああ、ミコトおおぉ! ウチらは寄り道して帰っから!!」
「といっても、寄れるような店はないけれど…。そうそう、ミコト…?」
放課後。一緒に校門を出て、夕焼けに染まった通学路を歩く、シカちゃん、ヒメちゃん、あーしの三人の間には、終始笑い声が絶えなかった。
交差点に差し掛かり、手を振って二人と別れる間際。腕を伸ばして、カーディガンの袖から覗く小さな指であーしの手を握ったヒメちゃんは、普段ほとんど感情の乗らないガラス玉のような瞳に柔和な光を浮かべて、
「お家の手伝い、頑張って。それから…ミコトの可愛がっているあの子にも、よろしく言っておいてもらえるかしら…。今度、必ず遊びに行くから…」
「あっ、ウチもウチもぉお! ウチも行くって言っておけよな! ミコトおおっ!」
「うん、うんっ♪ ありがとうヒメちゃん、シカちゃんっ♪」ここにはいない、もう一人の人物へ向けられた二人の好意が、あーしは自分の事のように嬉しかった。
夕焼けに染まる町に伸びる、大・中・小のあーしたちの三つの影。帰宅時間と言っても、宮崎駅周辺は閑散としたものだった。
午後十六時二十一分。
道路を走る車は、田舎のあぜ道を走っているみたいに、一台や二台。通行人は、あーしたちと同じ学生や、帰宅途中の社会人数人。ガタンゴトン、ガタンゴトン、とリズミカルな音を響かせて、駅に到着した小豆色の電車へ乗り降りする人数も、「観光地」としてのかつての賑わいには遠く及ばなかった。
手入れする者の居なくなった、歩道横に置かれて雑草が生えるにまかせたプランター。もう何年もシャッターが閉じられたままの、錆びついた商店街。坂を転げ落ちるように、緩やかな死へ向かいつつある宮崎市内。
交差点で別れる友人二人へ手を振ろうと、あーしが肩上へ腕を振り上げたその瞬間だった――三人の横を通り過ぎた通行人の首が、ペキョっ! と、木の枝のようにあらぬ方向へ一八〇度回転し、地面へ向かって頭が落ち…――
あーしは恐怖で目を剥いた。喉の焼けるような悲鳴が、あーしの喉奥からマグマのように駆け上がった。
目の前で膝を折り、物のように胸から崩れ落ちる通行人の男性。首の上から噴水のように血を噴き出し、辺り一面を真っ赤に染める鮮血。ボールのようにゴロゴロと道路を転がって、側溝の溝へ、テト〇スのブロックのように吸い込まれる人間の頭部…――あーしは自分の目がナニを視ているのかさえ理解できなかった。
人形のように首を断たれ、道路に布団のようにうつ伏せに倒れる男性の背中を打つように、ぽたり…ぽたり…ぽたr…、と点滴のように空から何かが滴っている。
(…ぇえ…っな、なにぃ…っ?)その水滴を追って、恐る恐る顔を持ち上げたあーしの視界へ飛び込んで来たものに、ハンマーに胸を強打されたように、あーしは息が出来なくなった。
標識だった――恐る恐る持ち上げたあーしの視線の先にぶら下がっていたモノは。日本全国どの場所でも見られる、赤地に白い字で「止まれ」と書かれたその道路標識に、あーしは見た瞬間強烈な違和感を覚えた。
違和感の正体が何なのか、あーしは最初分からなかった。しかし、
(ソレは、一見ペンキを塗り間違えたみたいだった…)逆三角形の看板のいたる所に、赤い汚れを飛び散らせている。白い「止まれ」の文字の上にも、水滴のような赤い汚れが目立った。そして、カマキリの顔のように、顎の尖った「止まれ」の標識の先から、ぽたり、ぽたり、と倒れた男性の背へ滴らせていたソレは――
「ひにゃァアアアっぎゃわァァアアアッッ血ぃィいいい”い”い”い”!!!」標識に飛び散ったソレが「血」と分かった瞬間、身の毛もよだつ恐怖に、あーしは悲鳴を上げた。
通行人の安全を守るために、交差点の上に掲げられた「止まれ」の標識は、殺戮した通行人の返り血を浴びて、どす黒く濡れていた。そして、血に濡れた「止まれ」の標識(凶器)は、あーしが凝視する先で、ポールのような長い柄の支柱を腕のように振り回し、交差点にいる他の通行人の頭へ、処刑人の鎌のように次々と標識を振り下ろした!
「町」が人々を襲い始めたのは、この瞬間だった…――生物のように動き出した標識が、次々と通行人の首を刎ねる。通りを血の海に変える。現実と乖離したその惨状が繰り広げられたのは、恐怖で石のように固まったあーしたち三人の居る交差点だけではなかった。
フェニックスの街路樹が、道端に止められた自動車が、駅前にあるコンビニが、店先に出ている看板が、道の両端に伸びる塀が、マンホールの蓋が、ガードレールが、信号機が、建物内のエスカレーターが、エレベーターが、スプリンクラーが、窓ガラスが、防火シャッターが、スーパーのカートがレジが商品棚ガ商品の食器ガ調理器具ガ洗剤ガ殺虫剤ガ化粧品――「町」というありとあらゆる存在が猛獣と化したように、人間へ次々と襲い掛かった。ゲリラ豪雨に遭ったかのように、側溝は大量の血液で河のように溢れ、市内のいたる所で、死体の山が製造されて行った。
(な…ぁ#ァぁあッk…なン…なぁァ…っ)自分の足の裏から血が流れ出ているかのように、あーしは頭から血の気が引くのを感じた。力なく交差点のその場に座り込んだ。頭の芯が痺れたかのように、あーしは思考がバラバラになって考えが手につかなかった。
吹雪に耐えるロウソクの火のように、今にも意識が掻き消えそうになるあーしの視界に、その光景が飛び込んできた次の瞬間、
「ヒメちゃあああああんんんん!!!シカぢゃあ”あ”あ”あ”ん”ん”ん”!!!」あーしは叫んでいた。覆いかぶさるように二人の友人の体を掴んだ。魔法に掛けられたかのように動かない二人の体を両肩に担いだあーしは、一度も後ろを振り返らずに、血と死の色に染められた宮崎市の道を全力で駆け抜けた――
(氷のように冷たかった…。必死に腕を伸ばして掴んだ、友人二人の手は…っ)
鉛のように色の失せた目を開き、石像のように動かないヒメちゃんとシカちゃんの二人へ、あーしが駆け寄ろうとした刹那――動かない二人の頭上で、鮮血に染まった例の「止まれ」の標識が、殺意のような鋭い光を放った…!
「はぁ、はぁ、はぁァアっぐふぅうう、ゲホッ、ゲホッゲボぉぉおオオ…っっ!!」
自分の心臓が、痛いほどあーしの胸の中で激しく暴れ回った。ドラゴンの肺を自分に移植したみたいに、焼け付くような熱い息が、あーしの喉をジリジリと焦がした。アドレナリンがあーしの脳や体全体をプールのように満たし、体の痛みも忘れて道を走り続けるあーしの足は――交差点で二人を庇った瞬間、刃のように振り下ろされた標識が、あーしの太ももを掠めていた…
「っぐぅゥ…ッ――夢じゃ…ねぇェンかよおおおぉッ!?」「現実」を突きつけるように、自分の太ももを流れる生温かい血と、胸の苦しさに、あーしの心は、逃れられない絶望の沼へずぶずぶと沈んで行くような――
「はぁ、はぁ、はぁはぁはぁハァぁああくぅうううッッ!!」喘息のように呼吸も荒く、市内の並木通りを駆け抜けるあーしの視界の中で、思い出のフェニックスの木々は、その大きな葉を鞭のようにしならせ、人々をミンチにして切り刻んでいる。
フェニックスの木――南国の景色を象徴する、ヤシの木に似た背の高い植物。その名の通り、不死鳥が翼を広げたような、青々とした羽状葉を何枚も生やした見た目にも美しいその樹木は、宮崎の飛行場や、駅周辺のいたる所に何百本と植えられていた。
あーしが初めて宮崎を訪れた時、太陽へ向かって青々とした葉を羽根のように広げたその木を見上げて、「宮崎へやって来たんだ…」とそんな感慨深い思いを抱いたことを、あーしは昨日の事のように覚えている…
宮崎市内の現在の状況は、数分前と一変していた――店の看板には、血と人肉のミンチが飛び散り、閉じられたシャッターや歩道の隅で、黒いシミのようなものが、沸騰するようにブクブクと町中のいたる所で沸き上がっている。
その黒い染みは、ヌラヌラと妖しい光を放っていた。通りを流れる川のような大量の血を吸って、脈打つように収縮を繰り返していた――黒い染みの底から、何かが産み出されようとしているかのように…。
町が人を襲う、という信じ難い異常事態を前に、町の人々は、まるで気付いている様子が無かった。(というか、みんなして視えていないいいいいいぃぃ!?)
悲鳴一つ響いてこなかった。ボーっと石像のように道に突っ立って。肉体の重要器官を奪われたみたいに、襲い掛かる「町」に人々は無抵抗で、学校の式典に居るような静寂の中で、人間は植物のように「町」に刈られ続けた。
「どわっあああァァアッッ!!」あーしは急に足がもつれた。地面に倒れた。
「止まれ」の標識の居る交差点から、五、六メートル走っただけ。たったそれだけで、フルマラソンをした直後みたいに、あーしの足は棒になった。
「…っも、も…ぉぉォ、むぅぅ――っ(無理だあ…)」肉体の疲れだけではない。友人二人を担いで走るあーしの視界の両端で、町に人が殺される。足が飛ぶ。胴が真っ二つに千切れ飛ぶ――沿道に大勢の人が詰め掛けた駅伝の応援よろしく、町の数丁先まで、道の両側に伸びた夥しい数の死体の山、山、やまやまやまああ…――
「…ぅ、ぅうりゅ…ひぅう…ッ」あふれ出た涙が、マスカラを溶かした。倒れた道路に手をついたまま、あーしは子供のように泣きじゃくった。物言わぬ観客(死者)たちの目に、あーしは体力より先に、心をドリルのように猛烈な勢いで削られ続けた…
「ヒメ…ちゃ…ぁァ…っシカちゃああんんンっ! ねえぇっ、二人ともおお、ねぇねえめえええッッ、どうしたのおおッッ!? どう、して…っどうして何もぉ…言って、くれなァァぁぁああああッおおおお!!」一緒に道路に倒れた、シカちゃんとヒメちゃんの人形のように動かない体を、あーしは抱きしめた。心がどこかへ連れ去られたみたいに、ガラス玉のように焦点の合わない目を宙に漂わせる、二人の変わり果てた姿に、再び立ち上がる力も、勇気も、あーしの中から涙と一緒に流れ出た。
「コレ――もしかしてこれが…ッ!?」泥のように混濁したあーしの思考の底から、ふいに、煌めくような閃きが浮上した。あーしは化粧で汚れた顔を跳ね上げた。いつのまにか、宮崎の空は黒く覆われている。
「こ、こここれっ、もしかあァああ――い、イザナミ現象ッッ!!??」その時、道路に手をついて上体を起こしたあーしの周囲で、異様な音と振動が響いた。
大岩が坂道を転げ落ちるように、ゴロゴロという地鳴りと地面を揺らす爆音が近づいて来て、あーしの周りへ転がり集まって来たのは――町のお地蔵様たち。
店のシャッターや看板にぶつかり、駐車してある車のボンネットをよじ登り、ビリヤードの玉のように、ゴロゴロと跳ねながら町中から集まった三ダースものお地蔵さま達は、あーしたちの目の前で、急に生き物のような「意思」を発現させた。
「――っツtぁァ!!」あーしは血の気が引いた。胸を駆け上がった言葉が、喉を詰まらせた。開いた口をパクパクと空回りさせるだけで、あーしは一音も言葉が出なかった。
目の前で寄り集まり、粘土のような巨大な一塊になった地蔵たちは、隣の家の塀を越え…民家の屋根を越え…四メートル近いフェニックスの身長を越えて高く太く膨れ上がり――(その見た目はまるで、戦隊ヒーローものの合体ロボットだあああ!!)地蔵が連なった山のような石の巨人が、あーしの目の前に悠然と立ち上がった!
バキバキ! メキメキ! と、アスファルトをビスケットのように踏み砕く音が響いた。恐竜のような地蔵の足が、町中で動き始めた。地蔵の巨人の身じろぎ一つで、子供が泣き叫ぶように、民家の窓ガラスが一斉に弾け飛ぶ。
体から根が生えたように、あーしは身じろぎ一つ出来ない。恐怖で目を見開くあーしの頭上へ、舞い上がった粉塵が、粉雪のように降り注ぐ。
(ヒメちゃん…っ、シカちゃああんん…ッッ!!)往来の真ん中で、動かない友人二人を強く抱き締めるあーしの上へ、お地蔵様のロボットのような巨腕が、容赦なく振り下ろされ――(おわったわあーし…)
象に踏み潰される蟻の気分を、あーしは一瞬だけ蟻と分かち合った。あーしは逃げる事も、瞬きも忘れ、隕石のように自分の頭上へ落下する巨大な石の拳を、あーしはカメラを向けられようにじいっと見上げ続け――
みこと×ミコト。
『――っぅう…ッ』寝返りを打つように顔を横へ向けて、あーしは喉の奥で呻いた。
耳元で囁かれるような、寄せては返す波の音…。時折、波間に聞こえてくる、鳥の甲高い鳴き声…。瞼の上から眼球を焼くような強い光に、あーしは頭を傾けて薄く瞼を開くと――宮崎の地を初めて踏んだ時、感動すら覚えた空より更に純度を増したような真っ蒼な空が、大海原に浮かぶあーしの目の前にどこまでも広がっていた…
『……。…。…。…。あぁ〜、理解理解。うん、あーし…死んだわ…』
目を覚ましたあーしの口から、自然とそんな言葉が零れるほど、その場所は天国に近い景色に思えた。(まぁ、自分が死んじゃったっていう実感が、ゼンゼン無いからなんだけど(´・ω・`)ショボーン)なんてあーしが思っていると、
「…くすっ、クスクス…っ、あふふうぅっ♪」その時、不意にどこからか少女の笑い声が響いた。あーしのすぐ耳元で囁かれたような不思議な響きだった。
空と海が手を繋いだみたいな、青一色に染まった宝石のように美しい世界の中で、あーしは左右に首を振って、声の主を探すように声を張り上げた。
『だ、誰えぇェっ!? 誰かいるのっ!? どこに居るのおおおいいィっ!?』
「ご、ごめんなさいごめささい驚かせてしまって。あふふふふっ♪ でも、自分が今どこに居るのか分からない子は、でも珍しいですからあ。くふっ、あははは♪」
聞き覚えの無い声。春風が頬を撫でるような、柔らかな心地いい喋り方。笑っている本人の表情が目に浮かぶような、心から楽しそうな少女の弾んだ声だった。
『どこに――自分が、居るのか…?』あーしは相手の声をなぞるように繰り返した。
そこは、血飛沫が飛び散り、いたる所に死が散乱していた、先程まで居た宮崎市ではない。「町」が怪物のように人を食い、標識が人を殺めるような惨劇は、その美しい場所には絶無だった。
見知らぬ少女の声の促されるように、混乱した頭で周囲を見回すあーしの前に広がっていたのは、鏡のように照りかえる海の水面と、どこまでも続く蒼い空。そして鼻をつく潮の香りと、干したての布団を抱き締めた時の、陽光の温かな匂い…。
(コップに浮いた茶柱のように、だだ広い海の真ん中に突き刺さった、茶柱状態のあーしには、自分がどうして海に…「どこに居る」のかさえ分からない)
色彩まで届けてくる、陸地から吹き込む草木や動物の濃厚な風の匂い。海に浮いたあーしの足の間や、背後を走る魚たちの、キラリと目を撃つ光る鱗に、『うぉおおお!?』と、あーしは驚きの声を上げた。目につくもの全てにいちいち反応するあーしを見て、楽しんでいる例の少女の声が、あーしを包む周囲(世界)から響き渡った。
「いま――あなた様が居るんのは、「わたしの中」ですよぉ♪」
『…ソレってやっぱし――死ンだ、ってコトじゃネ?』
鏡のようにキラキラと陽光を反射した大海原を、黒髪の少女が、岸へ向かって海を泳いでいた。
沖合ではエメラルドグリーンのように深い碧色だった海は、海岸へ近づくにつれて、波打ち際で弾ける泡の白さを含んだみたいに、透明な水色へ変化していった。
額や、太く凛々しい眉の上に濡れた髪を張り付け、薄手の綿の着物から、滝のような海水を滴らせてバシャバシャと浜へ上がった少女は、自分の内側から上がったあーしの声に、小気味よく喉を鳴らして笑った。
「あははははっ。ミコトさんは、本当に面白い言い方をするんお方さんなのですねっ♪ わたしに言える事は――ミコトさんが寝ている間に、魂だけが体から抜け出してわたしんの中へやって来たのか、それんともミコトさんの言う通り、お亡くなりんでしまって、魂が飛んでやって来たますか…それはわたしにも分からんのです、ということです♪」
あなたが居るのは「私の中」です――この少女にそう言われた瞬間、夢の中に居るようだったあーしのぼんやりとした感覚は、スイッチが切り替わったように明瞭になった。
クラゲのように、見知らぬ海を漂っていると思っていたあーしのそれまでの感覚は、完全に間違いだった。正しくは――海に浮かんでいた別の人物(少女)の体の中に、あーしが浮かんでいる状態だった。
(結局やっぱ死んだって事じゃね?)あーしがそう思った事には変わりはないけれど。
『なに…ココ…ぉぉっ! ちょおおおおおおおおおおおおお〜キレーじゃんんんんっ!! どっかのリゾート地かナニカああぁァっ!?』
海から上がった少女と、あーしの目の前に広がる、白い砂浜。碧い海。お星さまみたいに輝いたキラキラの太陽( ☆Д☆) キラーン そして、海岸を背にした砂浜の向こうには、鬱蒼としたジャングルのような深い森が広がっており、まるで旅行雑誌を切り取ったみたいな目の前のリゾーチ地の光景に、あーしは『スゲー! スゲー! すんげえええぇ!』とボキャブラリーも何もなく興奮して叫んでばかりだった。
『スゲー、すんげええぇ! こんな綺麗な海岸、リアルで見たの初めてだしぃ! あっ、あーし日焼け止め塗ってない! って、もしかしてそれってカンケーない…? あーしがいま居るのは、「みこと」の中みたいだし…』
「りぞーと、ちぃ…? りぁーるぅ? それって何ですか!」あーしの言葉で分からない単語があると、この少女「みこと」は、そのたびに首を傾げてあーしに意味を訊ねた。
瓶の中のボトルシップみたく、他人(少女)の体の中に封入されたあーしが居たのは、「みこと」という、あーしと同じ名前の少女の体の中だった。そして、「恵比寿ミコト」というあーしの名前を聞くと、みことは不安がるどころか、
「同じ名前なのですねねね! 「恵比寿ミコト」…何かあれがあるのかもしれませんですねっ、あれが! あれってなんでしょうね? あははっ、そういえば「あれたぽこ」って名前の草がありまでんでしたったけか? なかったかな? ないかあ、あははっ!」
プレゼントを貰った子供のように、みことはスペシャルなこの出会いを心から喜んだ。そして次の瞬間には、新しい疑問にみことは直ぐに夢中になって――話す言葉の量と、急カーブのような話題の転換に付いて行けていないあーしにかまうことなく、みことは子供のような無邪気さであーしに話し続けた。
「そういえば「みこと」って、どういう意味なのんでしょうね? わたしたち二人さんのお名前ですが、そういえば、今まで何も考えてきていませでした。不思議なお名前じゃないでか、「みこと」って? あ〜、海、気持ち良かったですねぇ〜♪ お魚さんのみんなさんも、キラキラで綺麗で可愛かったですね〜。鱗って、鏡とかになたりしないんのでしょうか? 例えば、お魚さんをこうやって(と言って、みことは自身の顔の前に魚を持ち上げる仕草をして)持ち上げた見たりとか。あははははっ臭そう〜♪ あっ、わたし、お歌が好きなんです! んふふ〜むふ〜、って歌ってみたりして♪ あははっ、そういえば前から――というか、いま思いました。嘘ついちゃいました。わはっ♪――いま疑問におもちゃったですが、歌って、どうして聞いていると、心が落ち着くなるんでしょうね? 不思議だすよね、あっ、「だす」なんて言っちゃった。だはは♪ あっ、そうえいばわたしもう一つ気になっている事があって――」
『み、みみみみことおおおおおおお! ちょ、ちょっと待て待て待ってえええぇ!!』まくし立てるみことの話を遮るように、あーしは大声で叫んだ。
(みこととあーしが出会って、まだ数分。でも――)「みこと」という人間についてあーしが分かった事は、「みこと」は本当に楽しそうに笑う女の子だった。明るくて無邪気で素直な、妹のように可愛い女の子だった。そして強烈にあーしが抱いた事は――
『みことの話がジェットコースターみたいにあちこちぶっ飛び過ぎて、訳わかんねぇからあああ! まずッ、まず一個ずつ話をさせてくれええええ”え”え”ぃぃ!!』
(「みこと」は好奇心旺盛な女の子過ぎた!!)この不思議な土地で出会った「みこと」という少女は、空のように広い心と、海のように純粋な心を宿した、一度口を開いたら誤字脱字かまうことなく勢いで駆け抜ける、暴走機関車のような面白い女の子だったああ!
「じえっとぉこおおおあ…? え、なに、なに、なんですそれぇっ!! なんですかそのすごごごそうなお名前さんのものはっ!? 教えて、教えて教えてえええ〜!」怪物のようなみことの好奇心が、また口を開ける。あーしの投げた新しい言葉に即座に食いつく。
『ちょ、ちょぉおおお〜っ、み、みことおおおおおおおおおおおおォォぉおおお!?』みことの弾んだ声に重なるように、雑誌を切り抜いたような美しい砂浜に、白旗を振るようにあーしの悲鳴が響き渡った――。
その後も、一投げたあーしの言葉に、みことが十も二十も質問を投げ返してくる会話を続けたまま、全身濡れた状態で歩いて行くみことは、砂浜の木陰に畳んで置いていた自分の荷物を手に取った。
肩に触れるほどの短い髪から滴る水滴を、大雑把に布で拭き取ると、ラップのように体に張り付いた襦袢を脱いで、みことは誰も居ない砂浜で素っ裸になった。
太陽へ向けてツンと上を向いた、手の平に納まるほどのささやかなおっぱい…。果実のような丸みを帯びた、愛らしいヒップ…。中学生女子といって差支えがない、胸もお尻もまだ膨らみかけの、起伏に乏しい幼い肢体…。
健康的に日焼けした、小麦色の肌の上を流れる水滴を追って、脇の下や、首筋を布で拭いて行くみことは、荷物から取り出した真新しい着物を両手で空に広げると、乾いた自分の腕に着物の袖を通していった。
「それんにしても、ミコトさんは、本当に物知りさんなのですねえ! わたしの知んらない難しい言葉を沢山知っていて、凄いっ本当に凄いですうう! うふふっ♪ あ、あのっ、お返しになるのか分かりませんのですが、よかったら、これからわたしが、この島を案内してもいいですんか?」
お出かけの準備をするように、わくわくと嬉しそうに話しながら、慣れた様子で白い着物を着けてゆくみことの所作は、体の上で折り紙を折ってゆくようだった。
腕の下には、晴れ着のような長い振袖が付き、下はみことの細く可愛い太ももの覗く、ミニスカートのような丈の短い白い着物。そして、折り紙で折ったモンシロチョウが羽根を休めるように、みことの背中で左右にひだの広がった、蝶々型の綺麗な白帯――(どわァああ〜、キレー! なんか布キラキラ光ってるぅ! ラメ入ってるみたい! 初めてちゃんと見たけど、着物って、こんなに綺麗だったんだあああ!)
まるで、花嫁の白無垢姿。同じ「白」でも、帯と着物では濃淡や布の素材が異なり、見た目にも面白い。真珠や貝に包まれているようなみことの可憐さに、あーしはみことの生着替えの様子を、目に焼き付けるかのようにまじまじと追いかけた。
「あ、あの〜…ミ、ミコト…さん? な、なんだか、凄いぃ…見ていませんですか…?」
『ハッ!』とあーしは驚いた。(みことに言い当てられた!)好きな女の子の着替えを覗いていたみたいに、慌てて弁解しようとするあーしは、
『み、見てない! 見てない見てないいいいいいいいいいい!! みことの可愛いおっぱいや触り心地のよさそうなお尻なんててててッ断じて見てないいいいィぃいいい”い”い”!! あーしは女性ファーストだからああァ! Girl の嫌がることはNo だかるァぁああああああああ!!!』みことが分からないだろう単語を、あーしは矢鱈滅多とみことへ投げつけた。すると、
「が、がー…るぅ? ふぁー…? え? なに? なんですん、それん? あはっ♪ それより、それよりそれよりん♪ 物知りさんのミコトさんに、また教えて欲しい事があるですよぉ! これは本当にいつも思ってたですけれども、海は青いのに、手で触ってみて見たりするんとですよっ、透明で何も色がついていないのって、不思議じゃないですか!? なんでなんでしょうかああ!?」
海の色について、二人で話をして笑いながら、みことは着替えを済ませた。先程もあーしが言った通り、浅く日に焼けたみことの肌に、振袖の白さの映える、思わず抱きしめたくなるような可憐な姿だった。
すると、ふいに面を持ち上げたみことは、視線の先の砂浜で、何かを発見した。「あ…」と呆気にとられたような声を、みことは喉の奥で漏らした。
みことの視線を追って、顔を上げたあーしが砂浜の上で見つけたものは、木陰に置いていたみことの荷物の周りに残る、木の葉のような複数の小さな足跡…。そして、砂浜の上でナニかを引きずって行ったような、河のように伸びた謎の痕跡だった…
(これって、何かの動物…?)あーしはみことの中でそんな事を思いつつ、砂浜に残された謎の痕跡を追って、みことが五、六メートルほど歩いた先で、ソレを発見した。
砂浜の上に無造作に置かれ、みこととあーしの二人の視線を掴まえて離さなかったソレの正体は――
フワフワした白い毛玉のような動物や、鳥に似た割り箸のような足の動物。犬のような肉球をつけた動物や、まるで鹿のような長い足と蹄を持った、体格のいい四足動物――それら複数の動物を、接着剤で雑に繋ぎ合わせたキメラのように、固結びした風呂敷の四隅の隙間から、数種の動物の胴体と足が生えた謎の新生物ッッ!!??
『ひぃぃギきゅゥゥッtっぃぃキモぉぉおおおオオオっっ!!??』全身を虫が這いまわるような嫌悪感に襲われるまま、あーしは嘔吐するように絶叫した。しかし、
首と胴体が繋がった「一塊の生物」だと思っていたソレの真の姿は、風呂敷包みの四隅から頭を突っ込んで、中にある食べ物を一心不乱にばくばくと食べちゃっている――うさぎ、鳥、犬、鹿の――複数匹の動物たちの塊だった!
背後にやって来たみことの存在に気付かずに、お尻を向けて食事を楽しんでいる、複数匹の動物たちの姿をぼんやりと見下ろすみことは、
「食べられちゃってます…。わたしのお昼ごはん…」と、ぽつりと言葉を漏らす。
『えぇっ、うへへぇぇッ!? あ、あれっ、あの風呂敷、みことのなの!? 早くッ、早く追い払わなくちゃ! みこと早くううぅ!』他人事のように呟くみことの背を押すように、あーしは大声で叫んだ。しかし、風呂敷包みに顔を突っ込んで食事中の動物たちは、あーしの大声に何の反応もみせなかった。
「♪♪♪♪」と、動物各人は食事を続ける。ガラス張りの水槽の中で声を張り上げるみたく、みことの体の中に居るあーしの声は、みこと以外には届いていない事に、あーしはそこで初めて気が付いた。
うさぎ、犬、鳥や鹿までいた森の動物たちは、ずる…ずる…と片方の足を引きずるみことの足音に気付いて、銃の発砲音を耳にしたように、風呂敷包みの中から急に顔を跳ね上げた。煙のように周囲の砂を舞い上げて、木々の生い茂る森の境界近くまで飛ぶように動物たちは逃げた。
砂浜と森の境界線上で、振り返ってみことを見つめる動物たちの八つの目に、警戒の色が見てとれた。碧く澄んだ海で出会った「みこと」という少女の人となりを、あーしが理解できたのは、この時だった…
「落こちているものを食べちゃうのは、だめですよおおお。お腹を壊しちゃいますんからねっ♪」
『でぇえッ、そこ!?』と動物たちの体を気遣うみことの第一声に、あーしは思わず声を出した。そして、
「今度…今度は、みんなさんで、わあしのお家へみんなさんと食事にし来てくださいねええええェ♪♪」赤や黄、青や深緑色、宝石のような色とりどりの目を向ける四匹の動物たちへ、友人に送るみたく、みことは――笑った…。
(ま、まじか…っ、みことぉ…)あーしはみことの行動に、呆れるのを通り越して、雷に打たれたような衝撃を覚えた。そして、叱られるどころか、みことに笑顔で食事に誘われた。聞いていたあーしも耳を疑うようなみことの言葉に、動物たちは、みことの言葉が分かったみたいに、「クゥ〜ン、クゥ〜ン」と懐くように喉を鳴らした。四つの頭が、みことへ向かって申し訳なさそうに下げられた。そして最後には、「みんなと食事をしに来てね♪」というみことの言葉に嬉しそうな表情を見せて、四匹の動物たちは、森の中へ消えて行った。
この瞬間、みことの中に居るあーしの周囲は――「色」を変えた。
青空に張り付いたように、燦々と光を降らせる太陽は、地面へぐっと顔を近づけるみたく、頭上で輝きを膨らませる。水平線の彼方まで広がるエメラルドグリーンの碧い海を、色鮮やかな魚やイルカたちが、海面から体を飛び上がらせて空にアーチを何本も描く。そして、みことの弾んだ気持ちが、それらの全ての景色の上へ眉を掻き足すように、空の端から端へ、天国まで届きそうな大きな虹が掛けられる。
嬉しそうにお尻を振る動物たちの四つの尻尾が、森の中に消えて見えなくなるまで、頭上で嬉しそうに手を振るみことの「心」が、あーしの周囲の景色を、「みこと色」に鮮やかに変化させた。あーしの見ている景色の上に、みことの「心」の色がレイヤーのように重ねられたような、3DやAR映像を見ているような幻想的な光景だった。
(「みことの中に居る」って、こういう事か…)みことの感じた気持ちや、心の部分が、本人の中に居るあーしに、丸見えになっている――みことの発した言葉の意味を、あーしが本当に理解したのは、この時だった。
『にしても、眩しすぎるっしょ…っw みことのハートの中。がははっ♪』感情が爆発したみたいに、色鮮やかに表情を変えるみことの心を映した景色の中で、あーしはこみ上げた笑いを吹きだした。
結局、みことは砂浜に散らばったままの自分の荷物を、一人で拾い集める事になった。
荷物の回収が済むと、海岸を見下ろすように伸びた坂道を、みことは弾むような足取りで歩き出した。(てゆーか、るんるんっ♪ とみことは楽しそうに口ずさみながら歩いて行く)
『なんでそんなに楽しめるンだか…』と、あーしはみことの能天気さにちょっと呆れた。
『だってそうでしょ?』と、あーしはみことに口を開いた。
ある日突然、自分の体の中から、得体の知れない人間の声が聞こえる。ソレは、「ミコト」と自分と同じ名前を名乗る。そんな状況にもし自分が陥ったら、悪霊、怨霊、不吉な何か――あーしならそれを一番に疑う。それなのに…
「それんは、わたしにとっては、それは当たり前の事ですから。いひひひっ♪」
『はァ? ソレどんな当たり前だし…っ』能天気? それとも考えなし? 自分の中に他人の居る今の状況を、そう言って笑い飛ばすみことの「当たり前」が謎だった。
白波の打ち寄せる海岸を見下ろしながら、坂道をゆっくりと登って行くみことは、幼稚園の幼い子供のように、落ち着きなく体を左右に揺らしながら、「ミコトさんと一緒んに居られて、嬉しいなあ〜♪ わたし、とつても嬉しいんのですっ。あははははっ。本当に本当なですよぉ♪」聞いているコッチが思わず赤面するようなストレートな言葉を、みことは何のてらいもなく、自分の感情を歌うように口ずさむ。
片や、みことの中に居るあーしの前には、未消化の問題が山積みだった。
(変貌した宮崎市は? シカちゃんは? ヒメちゃんは無事? あれから皆はどうなった!?)最初、この美しい南国の景色を見た時、あーしは天国に居るのだと思った。自分は死んだとばかり思った。けれど、いまはそれとは少し違うという事が、みことと話していて分かって来た。
「みやぁざき…? しかあ…ちやん? ひぃ…ひちゃん…? って、なんですか?」
自分でも気づかないうちに、あーしは思っていたことを口に出して呟いていた。あーしの零した聞き慣れない言葉に、(やはり…)というか、みことは生け簀の魚のように口を大きく開けて、好奇心旺盛にあーしに尋ねてきた。
『えっと、シカちゃんと、ヒメちゃんっていうのは、あーしの友達だよ』
「とも…だち…。ともだちって何ですかああっ!?」
『ハァ? 友達も知らない? あ〜、そうだな…友達っていうのは――うぅ〜ん、その人と一緒に居ると楽しくて、居心地が良くって、それでぇ…その相手を笑顔にしたいって思えるような…そンな相手、かなぁ…。ッて、真面目に説明するとめちゃくちゃ恥ずかしいですけどぉォ(*>ω<)ドキドキ!』「友達」という単語をいざ自分の言葉で説明しようとすると、全身が茹で上がるような気恥ずかしさがこみ上げてくる。あーしは自分でも分かるくらい顔を真っ赤にした。
「それじゃ…それじゃあっ、れじゃああああ! わ、わわわたしさんもぉぉッミコトさんのおももだちになれるですますかあああっっ!!??」ぐりぐり(=゜ω゜)つ)゜∀゜) と顔を押し付けるようなみことの大声と迫力に押されたあーしは、
『おぉォ!? うぉおおっ、ぉオウっ!! も、もももちろんだぜぇええっ!! ももちろんみこととは友達にきききききまてるでしゃううぃうヴヴう”!!』クラスの陽キャならともかく! シカちゃんとヒメちゃん以外に学校の友達の居ないあーしにとって、あまりに言い慣れない自分の言葉に、あーしは坂道を転げ落ちるように、音程も音量もバラバラに叫んでいた。急に注目を浴びる事になった陰キャオタクみたく!
「うぉおおおおぉやたああああぁ!! って、「うおお」って力強く叫んじゃいましたぁ。あははっ♪ でも、でもでもでんもおおおっ、本当に嬉しいんですよおお! ミコトさんにもコレ伝わるかなあ! 本当のほんんとなんでう! うへへへ~♪ 「ともだち」さんって、スゴイさんなのですねえええっ!!」
『あ、あは…ハハっ、そ、そう…ね、あーしも嬉しい…と、思うよ。ははは…っ』心根が素直なみことと、陰の者のあーしのやり取りは、終始こんな調子だった。
嬉しいことを、素直に「嬉しい」と口にする。楽しいことを、純粋に「楽しい」と言葉に出来てしまう。そして、誰かの話を聞いたり、他人と話す事が大好き――(精神がまんま「子供」なんだ。みことは…)
子供のように柔軟で純粋なみことの人となりが、あーしは分かって来た。そして、あーしの言葉に、三つも四つも質問を投げ返してくるみこととの会話が、あーしは楽しかった。お世辞でもなんでもなく(精神がまんま子供のみことが、お世辞を言えるともあーしは思えないけれどもw)心の底からあーしとの会話を楽しんでくれているみことの素直な気持ちが伝わって来て、あーしはみことの声をもっともっと聴きたいと思い始めていた。
(何か、重大な齟齬がある…)
海岸沿いの坂道を登って行くみことへ、あーしはそれからも幾つか質問を投げてみた。そして、みことがあーしの質問を理解できずに、すまなそうに首を傾げるたびに、その不安があーしの胸の中で存在を主張して行くのを感じていた…
『オノゴロ島、ねぇ…』みこととの会話の中で、「オノゴロ島」という、この島の名前を初めて知ったあーしは、『じゃあ』と言って質問を投げてみた。
『このオノゴロ島って、どこにあるの?』
「えぇっ!? ど、どこぉ? どこ…どこぉ…(みことはあーしの質問を咀嚼するように「どこ…」と小声で何度も口にして)オノゴロ島おおおおおお!!」
みことは勢いで、大声で叫んだものの、それ以外にどう答えていいか分からず、分かりやすいほど急にそわそわと体を揺らして、みことはコスモスのように小さな手で、自分の白い着物の袖を、おしぼりのようにぎゅっと握りしめた。
親に怒られるのを覚悟した子供のような、みことの不安げなその仕草に、
(可愛いかよw)あーしは思わず、自分の心の中で笑ってしまった。
みことの中から、当人のいじらしい仕草を見つめるあーしは、緩いキャッチボールをする気分で、みことの心を解きほぐすように軽い口調で言葉を投げた。
『あ~…うん。それじゃあ、ここは日本なのかな?』
「に、ほ…んんん?」
『なら、今は西暦何年?』
「せいれ…? えぇ…?」
『分かった。いいや、分かってないな。う~ん、(何の質問ならみことも答えられるかなあ――)それじゃあ、みことが知ってる有名人とか芸能人の名前って分かる?』
「げい、の…う…? え、えぇ…? えっと…「ウズメ様」とかじゃあ――ないんのですよね? うぅ~、ごめんなさい…っ、わたし、ミコトさんにどれも答えられなくて…っ」
みこと自身、あーしの質問に何も答えられない自分に、次第に落ち込んでしまう。
一方のあーしは――(泥の中へ腕が吸い込まれるような…「真実」が指をすり抜けて逃げて行くような…)手ごたえが少しも無いみこととのやり取りに、あーしの中の得体の知れない不安が、怪物のように胸を突き破って、あーしの体から飛び出して来るような悪い予感がしてならなかった…。
「ミコトさん、ごめんなさい…。わたす、質問になにも答えていられてないですよね…。あっ、「わたす」ってまた言ちゃた」
その時だった。「真実」が唐突にあーしの目の前へ姿を現したのは――
「あーと、ええっと」と、みことが何気なく開いた口から、次の単語が飛び出してきた瞬間、暗幕のようにあーしの視界を塞いでいた泥の壁は、霧のように霧散した!
「いまが「神代」という事くらいでしか、わたしには分からないんですしおすし、それ以外となるですと、う~ん…」
みことの中で、あーしが大砲のような大声を発したのはその瞬間だった。
『神代いいいいいいィぃいいいいいいいいいいいいいいいいうィぃいいい!!?? い、いまいまいまいままままmmマッ、い”ま”「神代」っで言っだあ”あ”ア”!? 「神代」ぃぃいいいえェえええ!!??』
「どわわアアっ!!?? え…ぇっご、ごめんっ――え、うへぇぇ…? う、うん、はひ…そ、そう…「神代」って、言いちゃいましたですんけれども…? え?」
ライオンが急に飛び掛かって来るようなあーしの勢いに、みことは悲鳴を上げて何度も首を縦に振る。驚きのあまり、パクパクと金魚のように口を開閉させる。「え? ええ? ち、違いましたです?」と、逆に不安になってみことの方が尋ねてくる始末。しかし、
(神代…ッ神代ぃいいい!? 「神代」だってえええええッッ!?)その単語を、親の仇のように頭の中で何べんも繰り返すあーしは、みことの声も聞いちゃいなかった。
(だとしたらッ、だとしたらあああ! みことが「日本」という国を知らないのも頷ける。「宮崎」という言葉を知らないのも納得できちまううう! で、でもっ、でもでもでもおおおッッ、そンな事がありえるううううううううッッ!!?? あーしは今――太古の日本に居るなんてえええええええええええええええええええええ!!)
神代。オノゴロ島。
「うわあああっ♪ 見て、見て下さいよぉ、ミコトさん! 綺麗な花が咲いていますよ! この子の事、ミコトさんは何かご存じさんですかあ? わたしはしらないんですけどもおお! あははっ♪ でもでもっ、綺麗なお花だから、わたしは大好きなんのですっ♪」
宝物を見つけたように、みことは歩いていた道の途中で急にしゃがみ込む。反対の手で着物の袂を持って、みことは子猫を撫でるように腕を伸ばす。道端に群生した赤い花弁の花を、みことは口笛を鳴らすように「よしよし♪」と声に出して、可愛がるように花の頭を優しく撫でてあげる。
この時――土がむき出しの枯色の道端を彩る、ドレスのようにひだの広がった赤色の花を見つめるみことの表情や、笑ったみことの顔の仕草を直接見る事は、あーしには出来なかった。
(みことの中に居るあーしの視界は、飛行機の操縦席に居るような一人称視点だった)
ココロと体が連動しているみたいに、楽しそうに前後に揺らす、小麦色の小さな腕。跳ねるように踵を蹴り上げる、元気のありあまった幼い素足。聞いているこちらの耳まで嬉しくなるような、鈴を鳴らすような可愛い笑い声――「みこと」という少女のそういった断片的な部分は、本人の中に居るあーしの視界の中に、頻繁に飛び込んで来る。けれど、肝心のその少女の「顔」のパーツだけは、あーしの視点では見ることは適わなかった。
(きっと、いまにも動き出しそうに眉がピーンと伸びていて、口の両端にいつも笑みの形を置いた、元気で可愛い女の子♪ 物珍しいものや、不思議な事が大好きで、宝石のようにキラキラと両眼を輝かせた、愛らしい美少女に決まってる(>∀<) ヨシ!)なんて、あーしは断片的に得られたみことの声色や可愛い仕草から、「みこと」という島育ちの少女の面立ちを、キャンバスに描くように自分の頭の中で好きに思い描いていた。
右手に広がるオノゴロ島のマリンブルーの海を見下ろしながら、左手に鬱蒼と茂る森に沿って伸びた坂道は、やがて、正面から大海原を見下ろせる、崖のように岩の突き出た場所へ差し掛かった。
「ああっ、見て、見てええミコトさん♪」再び道端にしゃがんだみことは、親友の手を引くように後ろへ振り向き、「あ…っ」と、何かに気付いたように喉を鳴らした。
「だぁわははははっ♪」みことは体を前後に揺らして、お腹を抱えて急に笑い出した。なぜなら――振り向いたみことの背後には、誰も(話し相手は)居ない…。
「あははははっ、居ないー、誰も居ないいい~♪ くふふっ、あっははは。そうでそうだしたああ、ミコトさんはソコには居ないんのでしたあっははははっ♪」
これまで話していた話し相手のミコト(あーし)が、自分の背後や隣ではなく――自身の中に居るという摩訶不思議なこの状況が、みことのツボにすっぽりとハマった。
お腹を押さえて息も絶え絶えに、「うへへうわああ~っ、間違っちゃいましたあ♪」みことは呂律の回らない調子で、明るい笑顔を浮かべる。
『たしかしっw そうだった、そうだったあ! あーしたち普通に今まで話してたけど、その話し相手が、相手の体の中に居るのって、相当ヘンだよなぁw それは草』
つられてあーしまで笑うと、みことも自分の行動のおかしさに、また声を上げて大声で笑い出す。
(だめだw みことと話しているとつい楽しくなって、本線を見失ってしまう)何の話をしていたっけ?(そうそう、急にみことが崖の端でしゃがみ込んだことが、そもそもの最初だったw)思い出したあーしが、何の事だったのかみことに訊ねると、
「え…、なんですそれ?」みこと自身、話題を見失っていた! が、直ぐに数分前の自分の記憶を取り戻したみことは、やっと元の話題に立ち返って話し出した。
「あっ! ああっ、そう、そうなんでござぇそうですよぉ! この花なんですよおお、わたしが言いたかったのはあああ!」
そう声高に叫ぶみことの前にあったのは、ツツジの花だった。
膝下ほどの緑の低木の一群が、白波を立てた海を見下ろすように、崖の縁を彩っていた。形も大きさも爪に似た、小さな葉を押しのけるように、ドレスのように花弁の広がった、赤やピンク、白色の大輪の花が、地面にしゃがんだみことの顔の前に花束のように咲き乱れていた。
「これ、これこれ美味しいんですよおお! 知っていますですかああ、ミコトさんっ!」
まるで自分が発見したみたいに、みことは花を指差して自慢げにあーしに話す。そして、ツツジの花を一本摘んで、花弁のお尻をストローのように口に咥えたみことは、「ちゅー、ちゅー♪」と、花の蜜を美味しそうに吸い始める。
「ミコトさんにも、この花の蜜の味が、伝わっているんと良いんのですけれども…」
立ち上がって再び歩き出すみことは、茂みから飛び出したキジを追って、ぱたぱたと元気に走り出す。木の幹から滴る蜜の周りに、昆虫たちと一緒に肩を並べる。そして、道端でまた見つけたツツジの花の前に、学校帰りの小学生みたいにまたまたしゃがみ込んで、
「ンあまぁぁ~い♪」口の中いっぱいに広がる花の香りと甘さに、おやつを貰った子犬のように、みことはころころと嬉しそうな笑い声を響かせる。
あーしがオノゴロ島で出会ったみことという少女は、島の動物や、豊かな自然に育てられた、見ていて気持ちのいい女の子だった。一緒に居ると元気を貰える。オノゴロ島の空に輝く眩しい太陽のような、快活な女の子だった。そして、みことが嬉しそうに話している間、当人の中に居るあーしは――
(神代…。神代、神代かよ…っ)みことがあーしに投げてよこした「神代」という言葉は、大岩を池の中へ投げ落としたように、あーしの心に激しい波紋を立てた。
「神代」という言葉に、あーしは聞き覚えがあった。それは、あーしが宮崎へ越してくる数日前。これから自分が暮らすことになる宮崎という土地について――とりわけ、住む家の詳細、をあーしが調べていた時に見かけたキーワード。
「日本」という国が出来る以前の話。かつて、この世界には人と神様が共に暮らしていた神話の時代があった――それが、「神代」…。
(なぜ? どうして? 元の場所へは帰れる?)
息を吸うようにあーしの胸の中で膨らむ不安や疑問は、濁流のようにあーしの思考を飲み込んだ。「神代」という言葉の重みに体を括られたように、あーしは不安の奥底へずぶずぶと沈んで行き、他のナニカを考える余裕はなかった。そのハズだった――
『みこと…あの、あのな――毒、があるんだ。ツツジのナントカって種類にはさ…』ツツジの花弁を何本も口に咥えたみことに、あーしは自分から話し掛けていた…
左右で異なる瞳の色。周囲との些細な差異――そのせいで、あーしはカラコンをつけていると周囲に誤解された。学校で出会った先生全員に、「今すぐ外すように!」と理不尽にめちゃくちゃ怒られた。
(「外す」? 「外す」ってどうやって? この目ごと外せばいいのおおお!?)あーしの違い(目の色)は、あーしには変えられない! それなのに、通り一辺倒の言葉しか使えない周囲の人間への苛立ちと無理解から、
(それなら、一部(目)だけでなく、全身全て周囲とチガウ自分になってやるううっ!)あーしは全身を「ギャル」で武装した。半ば自暴自棄なそんな想いで。
けれど、鎧で囲ったあーしの心の内側は、周囲から向けられる目に怯えたままだった…。
知らない人間から話しかけられるたび、いつまた「眼」の事を言われるのかと、あーしは心の中で身構えた。他人へ対して、あーしはいつも心の中で刃物を握りしめていた――(鎧で武装して、自分の本当の気持ちを他人に見せる事を一番恐れていたのは、あーし自身だった…)
そんな臆病なあーしが、神代で初めて出会ったみことという少女は、これまで出会ってきた人たちとは、まるで違った。
神代のみことは、「嬉しい」や、「悲しい」や、「楽しい」といった、そういった自分の正直な心を、みことは少しも隠そうとしなかった。自然そのままにあーしへぶつかって来た。コンプレックスを気にしている自分がバカらしく思えるくらい、みことは無邪気に笑いかけてくれる。(コッチとの距離感なんてお構いなしかよ! ってレベルで(゜Д゜)!!!!)
『ツツジの花の蜜は、吸い過ぎない方がいいンだ。たしか、おばあちゃんからそんな話を聞いた…気がする。まぁ、みことには余計なお世話かもしンないケド…っ』
「神代」という見知らぬ時代に居る以上、あーしはこれから先の「自分」の事を優先して考えなければいけない。それ以外の事は、いまのあーしには完全に余計な事。それなのに、気付いたら、あーしはその余計な事を心配して、そう話し掛けていた。
(シャボン玉のように柔らかで、少し突いただけで、弾けて消えてしまいそう。心の窓を全開に開いた「みこと」の事が、現代人のあーしの目には、危なっかしくもあり――だからこそ、あーしにとっての「みこと」は、目が離せない程鮮烈な存在だった…)
「全然全然全然んんっ余計なお世話なんかじゃありませんよおおお!」みことは相変わらず心の窓全開で、目の前に居たら掴みかかるかのように、あーしに大声で叫んだ。
「ありがとうございますう! ありがとうねっ、ミコトさん♪ でへへへ~っ♪ ミコトさんは本当に凄いさんですねええ! とおおっても物知りなのですね! 宇受売様とミコトさん、一体どちらさんが、物知りなのでしょうね~。いひひひひっ」
オノゴロの空のように心が澄み渡っていて、それでいてちょっぴりおバカ(天然)w 天真爛漫な笑顔を向けてきてくれる神代のみことの事が、あーしは好きになり始めていた(@>∀<) love!!
「あのあのっ、あのののですねねっ――」みことの質問攻撃がまた始まった。
「ミコトさんは何歳ですんか? 男の子ですか? それんとも女の子ですん? どこから来たの? 島の人? それとも他島から来たですかあ!? どうしてわたしんの中に居るの? あっ、そうだあああ忘れていました! 水蛭子様はそこに居るですか? 空って、どうして青いでしょうね? それに空って、青くなったり、赤くなったり、真っ暗になたりするんじゃないですかあああ! だったら、わたしたちの体とがが、同じように青だったり、赤だったりに変わらないんのは、なんでなんでしょうね? やっぱり、お花みたいに、それ自体が「色を持ってる」って、ことなんのでしょうかぁ…? だとしたあ、「空の本当の色」って、何色なんのでしょうねえ? わたし、いつかその答えを知りたいんのですっ! もしかしてでですけども、ミコトさんはその答えをしてるですかあ?」
子供が遊んだ後のように、話題があちこちへ散らばったみこと独特の話だったが、(なるほど、「空自体の本当の色」かあ…)みことなりの鋭い考察や、意外と考えさせる事も多く、あーしは半ば感心していた。
(空の色の答えは、「透明」という事になるのだろうが、空が青や夕日の赤色に変わる理由は、確かちゃんとした科学的な理由があったはず…(レイリー散乱)。だめだ思い出せない。それにしても、そんな事を疑問に思うみことは、やっぱり凄いなぁ…)物事の当たり前を「当たり前」と捉えず、その「理由」や「原因」を解き明かそうとするみことの思考は、科学者のソレだと思った。
子供のようであり、ひどく大人びた思考を持つみこととの会話が、あーしはとにかく楽しかった。(とはいえ、みことから投げつけられる質問の量と数がバヤいけどおお!)
『ちょっ、ちょ待って、待って待ってええ! そんなにいっぺんに質問投げられても答えらんないからあああっ!』
興味のある事や、新しい事に旺盛で、動物が突進するように力いっぱい質問をぶん投げてくるみことを、「どうどう」と言って落ち着かせたあーしは、質問は互いに一つずつにしよう、とお互いにルールを作った。
Q1「それじゃぁ~。あっ、じゃあ、どうしてミコトさんんは、わたしの中に居るですが?」
『ンなの、こっちが教えてほしいくらいだし…』
Q2「わたしの中に居るって、どういう状態なんですの? 気分が悪くなったりしないですの?」
(確かに…。本人としては、ソコは気になるか…)とあーしは納得して、
『う~ん。なンかぁ、周りの景色の中に自分が浮かんでいるみたいな? 妖精になったみたいな気分かなあ?』
Q3「ほぇえええええ!? よよようせいいい!? ようせいって何!? ようせい何ですかのおおぉ!? すごくすっごく格好いいい言葉ですん! 教えて教えて、お願いお願いお願いいいぃィいい~♪」
(犬かな?)なんて、あーしはみことの興奮ぶりに呆れたw∪・ω・∪
懐いた子犬が、あーしの口の周りをベロベロと舐めて来るみたく、みことはあーしの口から発せられる新しい言葉や単語を、何でも知りたがったし、動物みたいに、こうも素直な好意を人から向けられる事に慣れていないあーしは――(正直、照れる…ぅぅっ。あと、何と返せばいいのか分からなくて、恥ずぃィ…っ)
『う、うぅ~ん、妖精、妖精かぁ…妖精っていうのは、つまり――』あーしは説明した。
「ほえええええええええええええぇぇ~っ! それがああっ「ようせい」さん、ですかああああああ!!」
照れ隠しもあって、つっけんどんに説明したあーしの「妖精」の話に、みことは初めてケーキを見た子供のように声を弾ませて喜んだ。
「それじゃじゃっ、それじゃああ! ミコトさんはわたしの「ようせい」さんんん、なのですねえっ! 凄いです嬉しいですっ! うわァっあはははははは♪」
自分の尻尾を追いかける犬みたく、その場でくるくると高速回転して踊り出すみことを、微笑ましく見つめていたあーしは、『みこと、いま思いついたンだけど――』と、みことにある提案を打ち明ける事にしてみた。
「ようせいさん! ようせいさんん! ようせいさあああああああんん☆ でぇへへうぇぇえ~っ、ちょっと呼んでみただけです~♪」みことは宝物を愛でるみたいに、「ようせいさん」というあーしの新しい呼び方を、嬉しそうに連呼した。
神代の「みこと」と、現代の「ミコト」。
同じ名前の相手の呼び方に、分かり辛さを感じていたあーしが、『呼び方を変えてみない? 例えばあーしの事を、「妖精」って呼んでみたりとか――』と、みことにそう提案すると、自分たちだけの秘密の決め事に、みことは子供のように大喜びした。そして、「わたしからもご提案がありますん!」と、得意げに胸を張って、みことはあーしに話した。
「あのあのねっ、ようせいさん! これんから――神様へ、会いに行きませんですか?」
鬱蒼と木々の茂る森を視界の左側に置きながら、右側が切り立った崖になっている道を更に進むと、その途中の崖に、空中にせり出すように一本の欅の木が立っていた。
欅の木越しに見た正面には、魚の背びれのような白波を幾つも立てた大海原を見渡すことが出来た。崖上から半歩身を乗り出して覗き込んだ真下には、壁へ向かって思い切り食器を投げつけるみたく、崖にぶつかって四散する大波の飛沫が、風に乗って、あーしとみことの全身をミストのように包み込んだ。そして、空へ向かってまっ直ぐに顎を立てたあーしとみことの頭上には――遠く…遠く赤道付近の海外の空まで続いているような、鮮やかなスカイブルーの空が、どこまでもどこまでも広がっていた…
「……」
ふいに道の途中で立ち止まったみことは、潮の香を含んだ海風に遊ばれる髪を、顔の横にやった手でそっと押さえた。目の前の美しい景色を目に焼き付けるように、みことはそのまましばらく動かなかった。
『そういえば…みことはどうして、あーしと会った時、海なんかに浮いていたの?』
みことと初めて出会った(あーしがみことの中に現れた)時の事だ。みことはオノゴロ島沖の海の上を、クラゲのように何もすることなく漂っていた。
単純なその疑問を投げかけたあーしは、みことがまた弾むような明るい声を出して、笑って答えてくれるものとばかり予想して――
「母が…亡くなった母が、昔辿ったという場所を、最後に見ておきたかったんのです」
手足の細さから、あーしが十一、二歳だと予想していたみことは、五歳も六歳も急激に大人になったかのような低い声を出して、みことは目の前の景色から視線を外すことなくそう答えた。
海岸に押し寄せる波のように、白い気泡を沢山含んで、路側帯を河のように流れる大量の血液…。猛獣のように人に襲い掛かる、商店街の街路樹やシャッター…。河原の石のように死体の積み上がった、凄惨な宮崎駅前…――(同じ景色なんて何も無い。同じ個所なんて一つもない。そのハズなのに…っ)
宝石箱のような色とりどりの輝きで溢れた、オノゴロ島の美しい海と空の景色を前に、みことの声を聞いた瞬間、変貌した宮崎市の血に染まった光景が、目の前の景色にダブって視えた。あーしは殴られたかのような眩暈と吐き気に突然襲われた。
一つ一つが絵画のように美しいオノゴロ島の景色を前に、その後も、思い悩むようにたびたび足を止めて、景色を茫然と眺めるみことの姿に不安を感じたあーしは、
『みこと…みことは、一体――何かをするの…?』思い切ってそう尋ねた。
みことは、十代の少女らしい、可愛らしい丸顎を上げた。彼方の空を見上げた。固く閉じられた心の奥の奥の蓋をほんの少しだけ開くみたく、みことは不安がるあーしに、その言葉をぽつりと落とした。
「イザナミを倒す――それが、わたしんの使命です…」
現代。宮崎県宮崎市宮崎駅前。
両手に触れる、アスファルトの固い感触…。視界に飛び込んでくる、コンクリートの現代の街並み…。往来のど真ん中で倒れていた体を、両手を地面につけて跳ね起こしたあーしは、その直前に自分を飲み込んだ光の洪水の事など忘れて、
「ここはッ、ここはあああ! ここはああああああああああああああ!!」あーしは一人で大声を出した。気が触れたようにぐるぐるぐるぐると周囲を何度も見回した。
「ここはァあ”あ”あ”ッッ――宮…ザキ…ぃィっ!? 宮崎市いいいぃィィッ!? ほんとにホントの宮崎いいいいいいいいいいいいい”い”い”イ”イ”イ”!!??」そうであることを、これほど喜んだことはあーしは生涯無いだろう。
「ヤ…ッタ…ぁァ、ゃた…やった、やったやったやっだヤ”ダァアアアアアアアアアアアアアアアアアうわあああああああ戻って来られだあああああああああああああああああ”あ”あ”あ”うわわァアアアア! 現代だああああああああイイェェェャアアアアアアアアアアばぷぺゥウウウうう~~ッッ!!」
両足が宙へ浮き上がるような喜びも、感動も、感謝も、振り向いたあーしの視界にその光景が飛び込んで来た次の瞬間――全ての感情が、あーしの中で砂のように崩れ去った。
その直前まで、あーしは神代に居た。みことという少女の中に、クラゲのようにただ浮かんでいた。
(今も鮮明に思い出す事の出来る、オノゴロ島の宝石のような海…。見たこともない程濃厚な、どこまでも続く晴れやかな青空…。そして、みことに連れられてやってきた村で、あーしは「神様」に出会った…!)
「ようせいさん♪」「ようせいさあああんんっ♪」
あーしの事を人懐っこくそう呼ぶみことの声から、あーしは唐突に引き離された。見えない腕に掴まれたように、光があーしの全身を包み込むと、次に目を覚ましたあーしは、現代の宮崎市内の道路にうつ伏せに倒れていた。そして、
「シカちゃん!! ヒメちゃあああんんッッ!!」道路に倒れた友人二人の姿に、現代へ戻って来られた喜びは掻き消え、あーしは泣き叫ぶように悲鳴を上げた。
神代であーしがみことの中で目覚める前と同じ時、同じ場所、同じ状況――町中のお地蔵様が集まって出来た、二階建ての家屋の屋根を越える岩の巨人が、道の真ん中に倒れたあーしたち三人を見下ろして立っていた。巨大な岩の腕が、柱のように空へ持ち上げられた。絶対的な「死」が今まさに振り下ろされる危機的状況から、あーしたち三人は脱したわけではなかった!
「ダメぇええええええええ!!」あーしは咄嗟に体が動いた。石像のように動かない友人二人の上へ、あーしは腕を広げてマントのように覆いかぶさった。
大砲を打ち鳴らしたような罵声が町の通りに鳴り響いたのは、その時だった。
「また…ッ――またお前はそうやって他人を助けてッ! さっさと逃げろよおおおッ! バカミコトおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
その大声に胸を撃たれたように、あーしはハッと目を開いた。天を仰いだ。その時だった。
ズンっ!――とスコップを勢いよく地面に突き入れたような鈍い音が響き、空を仰ぐように顔を上げたあーしの視線の先で、目の前に立ち上がった石の巨人の胸から、刀の先端が枝のように生えている…!
呆気にとられて空を仰ぐあーしの目の前で、石の巨人の胸に生えた刀から、旋風のような炎が勢いよく噴き出し、その炎は瞬く間に怪物の全身を飲み込んだ。
接着剤の溶けた巨大模型のように、炎の中で合体が解け、雪崩のような轟音を響かせて、バラバラになって地面へ崩れるお地蔵様の残骸の向こう――道路の道幅一杯に広がった火の海の見せる陽炎のように、炎を挟んだ対岸に、一つの人影が立っている…。
「な…っなぁァああああああッ!!?? ァ、あぁ…っあぶばァぁああッッあんたァアアアアアアッ!」炎の向こう側に現れたその人物を見た瞬間、あーしの喉奥から叫び声が迸った。現代の宮崎市内に立つその人物に、あーしは神代(過去)で見覚えがある!
神代。オノゴロ島。
「うわあああっ、みこと様みこと様だぁぁァ、あそぼうあそぼううう♪」
「みこと様、獲れたての魚を、ぜひ持って行ってくださいな」
あーしはここで初めて知った。神代のみことは、オノゴロ島では誰もが知る超有名人だった…。
「――神様へ会いに行きませんか?」
動物園へ誘うみたく、そう話すみことに連れられてあーしがやって来たのは、みことに出会った海岸から十五分ほど海沿いに歩いた場所にある、小さな漁村だった。村の入り口にみことが現れるや、アイドルに殺到するファンのように、村の大人も子供も一緒になって、我先にと笑顔でみことへ声を掛けた。
村の子供たちはみことの手を引いて、自分たちの家へ遊びに誘った。大人たちはみことの細腕の中に、獲れたての魚や、新鮮な野菜や果物を、お土産として山のように持たせ、世話を焼きたがる「親戚」のようなムーブをした――まるで、可愛がっている妹や弟、孫が帰って来たみたいな、お祭りのような大騒ぎだった。
(そ~いえば、神代でのみことたちの暮らしって、どんなのだろう…?)
神代の暮らしを想像して、図書館の図鑑で見た事のある、原始人のようなほとんど半裸の、石槍や石斧を持って「ウホウホ」言っているような(勝手な想像)古典的なものを想像していたあーしは、いい意味でその期待を裏切られた。
村を一直線に貫く、長さ五十メートルほどの大通りは、人の顔程の丸石で地面が簡単に舗装され、道の両側に並ぶ住居も、沖縄で見るような石造りの塀と、玄関や窓が大きく開かれた、木造平屋の幅広の家々が、六、七十戸ほど建ち並んでいた。
想像していたものよりずっと清潔で、ずっと小奇麗な、南国情緒漂う気持ちのいい村だった。
あーしはみことの中で注意深く周囲を観ると、風通しが良いように戸を取っ払ったある家の中では、手ごろな棒や壊れたオールを持った幼い子供たち数人が、チャンバラ遊びをして、家の中と庭を駆け回っている。また別の家の庭先では、老人と女性が、漁で使う網の修繕や手入れを黙々としている。またまた別の家の玄関前では、岩のように頑強そうな面構えの年配の男性が、丸太一本から切り出したカヌーのような形の舟の最終調整を、金属の鉈一本で見事に仕上げている最中だった…。
村に暮らす住人たちの格好も、現代の数万通りもある華やかな色彩には見劣りするものの、赤や黄、藍色や菫色、若草色や紫の淡色の帯や着物を着けた、涼し気で可愛らしい服装をどの住人も着けていた(純白の振袖を着るみことと同系統の服装だった)。
(平和で住みやすい、のどかな場所だ…)それが、この村や住人へのあーしの印象だった。
あーしは改めてみことを囲む人垣へ視線を移して、はっと息を飲んだ。
『みこと…これ、このヒトたち、全員…っ』あーしが驚いたのは、みことを歓迎する村人たちのお祭りのような大騒ぎではない。そうではなく――
(ケンタウロスのように下半身が動物…。鳥のような羽根を、背中から生やしている…。角や牙を、顔から生やしている…っ。もはや人の形ですらないいぃ!? アメーバやゼリーのような不定形のナニカまで居るうううううううううう!!??)みことを慕って集まった住人たちの中に、明らかに人間ではない異形の存在が混ざっている!
あーしはそれら異形の姿の者たちを凝視して、「まさか?」という思いで、みことの中で声を上げた。
『みみみみことおおおおお! こ、ここのののヒトたち全員んんっっ――全部、神様なのおおおおおおおおおおおおおおおおお!!??』
現代。宮崎県同市内。
変貌した宮崎市の中で、あーしの前に現れたのは、長い黒髪、年のころは十四、五歳、ひときわ目を引く刀(凶器)を右手に携えた、あーしと同じ高校の制服を着た美しい少女だった。目の前に現れた少女は、空中を飛び回るハエを叩くみたく、石の巨人の背を一突きした刀を地面に向かって鋭く振ると、刀身から飛び出した返り血のような赤い火の粉が、ピシッ! と音を立てて、アスファルトの地面を叩いた(黒く焦がした)。
「ぁ…あァ…ッ、あのうう――っ!」あーしが少女に声を掛ける間もなかった。
まるで残像のように、少女の紺色の制服のスカートがあーしの目の前の揺れたかと思うと、ロケットのような蒼白い炎を足裏から噴き出して、黒髪の少女は、勢いよく空へ飛び上がった!
飛翔する少女を追って空を翔けるあーしの視線の先で、ペンライトを持った腕を思い切り振り抜いたように、赤い炎が「斬ッッ!!」と音を立てて、虚空を薙ぎ払った――
直後、あーしのすぐ傍の道路脇に立つフェニックスの木が、松明のように燃え上がる。もだえ苦しむように枝葉を暴れさせる。全身を包む火炎の中で、街路樹はパチパチと泣き叫ぶような音を立てて、大蛇のようにのたうち回る――その一瞬前、フェニックスの木の枝が、飛び上がった少女を追いかけて空へ伸ばされた瞬間、空中で鋭く振り抜かれた少女の刀から、炎が飛び出した(枝を焼き切った)――
「…すっ…ごぉ…」目の前の一部始終を凝視していたあーしは、マーライオンのように呆然と口を開けたまま、そんなありきたりな言葉を口から垂れ流した。
市内のいたる所に泥のように湧いた黒いシミと、用水路を流れる大量の血液で、濃密な死の色に染まった宮崎市の町は、猛獣の住むジャングルのような様相へ様変わりした。
豹のように町のあらゆる角度から飛び掛かる、看板や標識。鷹のように空中を翔けるマンホールの蓋。町中にサイレンやクラクションの爆音を轟かせ、バッファローの群れのように道路を爆走する、無人のバイクや自動車の群れ。あらゆる方向、あらゆる角度、あらゆる場所から――燃え盛る一本の炎刀を携える一人の少女へ、「町」が牙を剥くように次々と襲い掛かる。しかし、
赤色のサイリウムを振り回すかのように、真っ赤に白熱した炎刀が、襲い掛かる「町」をチョコレートのように焼く。斬る。じゅくじゅくに熟れたマンゴーのように自動車をどろりと溶解させる。少女の携える炎刀から放たれる強力な熱と光が、皿のように見開いたあーしの目をカラカラに乾燥させ、目の奥を針で刺されるような烈光と共に、少女の異様な姿があーしの脳裏に強く焼きつけられた。
謎の少女の制服の胸元を飾る、赤いリボン。その上で鈍い光を放つ古びた円鏡が、少女の胸元でワンポイントのように揺れていた。腰まで届く長い黒髪が、少女が刀を振り回すたび、少女の華奢な背中で、黒いマントのように凛々しく流動した。
道路に立ち尽くすあーしへ、少女の顔がだしぬけに振り向く。
次の瞬間、少女の白い腕が、矢のようにあーしへ突き出される。その腕から放たれた炎の塊が、立ち尽くすあーしの頬を剛速球のように掠め――
直後、殴られたような衝撃と爆風があーしの背中を猛打し、「きゃあっ!」と、あーしは突き飛ばされるように前へよろめいた。振り返ると、あーしの背後で熊のように立ち上がったブロック塀が、淡灰色の胴体に丸い焼け焦げた風穴を開けて、ガラガラと音を立てて炎の中に崩れ落ちる…
(え…えぇ…? い、いま…あの子、助けて…あーしを、くれた…ぁァ?)
キャンプファイヤーのようにブロック塀を飲み込んだ火の粉が、パチっ、パチパチっ、とあーしの制服の腕や顔に飛び掛かる。あーしは埃のように火の粉を振り払う。すると――今まさにあーしが手で振り払った火の粉が、落ちた道路の上で、妙な動きをしている事にあーしは気が付いた。
(え…? なに…ナニ…っ?)ぐぃぃ~、と足元に顔を近づけ、あーしが地面に落ちた火の粉に目を凝らしたその時だった。
「あふンっァzZっッッッtぅううぺぽQ;@/*ィヒ#っ>}kゅぅうヴヴv%y+ないアァァふりゅuuゥゥヴヴrrrくりゅどどどぱあ”あ”あ”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”!!??」声にならない大絶叫が、滝のようにあーしの喉を駆け昇った。あーしは殴られたように盛大に後ろへのけ反った。
燃え盛る炎に身を焼かれて、半分ほど炭化した黒い体を、うねうね…クネクネ…と道路の上で悶えさせていたのは――(無数の蛆虫だだだあああうわァあああああああ!!)
そしてあーしは気付いた! 更に最悪な事にぃィっ、同様の火の粉が飛んで来たあーしの制服の上でもッ!――うねうね…クネクネ…、うねうね…クネクネ…、うねうね…クネクネぇぇぇェエエエ…っっっ!!!
世にもおぞましい醜悪なダンスを見せられているかのように、青ざめてひきつった顔で自分の体を見下ろしたあーしの腕や肩の上でも、無数の蛆虫たちは、うねうね…クネクネ…と体を炎に焼かれながら悶え踊ってええぇぇッッうンげェエエエエ!!!
「ギィイイイっやあいやあああああああああああどどドどぼげgぼぇええええエエエエエエ!! イヤぁアアアアアアアアアアアアアアアアアぴぎゃわああああア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”!!!」
あーしは悲鳴を連呼した。卒倒するように倒れた。何度も地面の上を転がった。火の粉に乗ってあーしの顔や肩の上に飛んで来た無数の蛆虫を、あーしは自分の体にビンタを入れるような激しさで振り払った。そして、
「ハァハァハァアア~~ッッ、も…もう…ぅうう…ッッ、い、いない…いないわよねぇェエエエエエエエエエエエエエッッ!!!」自分の制服の内側に、蛆虫が入り込んだような不快感と嫌悪感に、あーしは路上でポンポンと服を脱いだ。リボンを外した。ブラウスのボタンを全開に開いた。スカートのチャックを下ろして自分のショーツの中を開いて見た。
ブラを付けたままのおっぱいを路上で放り出し、目の焦点がぐるぐると回転して一点に定まらないまま、気が触れたかのように半裸で茫然自失のあーしへ、
「――く…っハハっ♪」
(いま笑った? ハアァアアッ(=゜ω゜)!?)白く輝いた炎刀を携えた少女は、路上で痴女る半裸のあーしを見て、氷のように冷たい目で微笑した(気がした)。
神代。オノゴロ島。
「どうですかああ? ようせいさん。この四人を見て、何か気付きまてんですか?」
オノゴロ島の漁村を訪れ、大勢の人間や、神様たちに囲まれるみことの前へ、おずおずと進み出る四人の子供の姿があった。
すると、クイズを出題するように聞いてきたみことに言われて、目の前に横一列に並んだ子供四人の顔をまじまじと見つめていたあーしは、みことの中で「あっ!」と叫んで顔を跳ね上げた。
『みこと! この子、この子たちっ、砂浜でみことのお昼を食べちゃった動物たちじゃない!?』
「おほぉ~♪ やったあっようせいさん大正解さんですうっ! 「おほぉ~」って笑い方、なんなんなんでしょうね? おほほほぉ~♪」みことは自分の思っている事を全部声に出して、あーしが正解を言い当てた事を自分の事のように喜んだ。
怒られて学校の廊下に並ばされたみたいに、みことの前に気を付けして並ぶのは、犬耳、うさぎ耳、頭から鹿の角を生やし、ゲームのキャラクターに登場するかのような、背中から白い羽根を生やした、特徴的な四人の子供たちだった。
上は七、八歳、下の子はまだ四、五歳といった四人の子供たちは、バツが悪そうな表情でみことに口を開いた。
「みこたん…みこたんのごはん、かってにたべちゃって、ごめんくさい…」
「あやまるまで、かぁちゃんが、いえにいれないって…。だから、ごめんなさい…っ」
「み、みみみことおおお! これェっ、お前にやる! うちのやまでとれたみかんっ! ほ、ほらっ、ほらほらあああッ、やるからお前もっていけよおおお!!」
性格も、容姿も異なる三人は、どうにか「謝罪」の体を保ちつつ謝るが、
「みことさまああぁ~♪ みことさま、みこっとたまぁ、ほんと? ほんととにっ、おうちあそびにいっていいってほんとぉ? きようあそびいってもいい!? えへへっ、みこっとたまぁだいいいすきいいぃ~♪」四人の中で一番幼いと思われる、背中から羽根の生えた男の子は、鳥のように羽根を羽ばたかせて飛び上がると、甘えるようにみことの胸に抱きついた。
黒目がちな大きな目で、みことの顔を雛鳥のように見上げる。そして、世の中の「可愛い」が詰まったみたいな屈託のない笑顔で、「へへっ♪」とその男の子は愛らしく微笑む――みことの前に並んだこの四名は、村に暮らす神様の子供たちだった。
「「やるよ」じゃないだろう! 「あげます」って言ったでしょう、この馬鹿っ!!」その時、四人の子供たちの背後に立っていた一人の母親の目が、監視員のように光った。母の腕が空を切った。スパーン! という小気味いい音が、我が子の頭から飛び出した。
(神代でも、現代でも、大して変化はない――母と子の関係は…)あーしがそう思ったのは、この時だった。
みことの前で自分の母親に叱られ、恥ずかしいやら、泣きたいやら、頭皮が捲れるかと思うほど痛いやらで、犬耳の先まで真っ赤にして、母親に叩かれた頭を涙目で押さえる神様の男の子。
それを見ていた周りの大人も、人外の神様たちも、みこと本人だって、お腹を抱えて大笑い。オノゴロ島の抜けるような青空へ、みんなの笑い声が吸い込まれてゆく――
『あーしはもっとこう、「神様」って――』
「威厳、のあるものだと思ってましたですか? うへへわはははっ、わたし、ようせいさんから初めて「驚き」を一つもらちゃいましたああ♪ やったああ!」
人間が敬って、お賽銭を納めて、神社やお寺を建てて奉っているものが――神様。そんな現代的な考え方を抱いていたあーしは、オノゴロ島の人間と神様が、友人のようにふざけて、笑い合っている光景を前に、あーしは自分の「常識」が根底から揺さぶられるほど心底驚かされた。そして、みことはそんなあーしの考えを先回りして、「ドッキリ大成功!」と叫び出すかのように、鈴を鳴らすようにころころと可愛く笑った。
オノゴロ島のこの漁村では、人間と神様が、互いに助け合って共同で暮らしている事が、みことから聞かされて分かった。
オノゴロ島での人と神様の付き合い方は、友人や、幼馴染。はたまた兄弟姉妹みたいに、喧嘩もするし、ふざけて笑い合う。そして、恋――結婚もする間柄だった。
正に「みこと」本人がそうであるように、未知への好奇心と溢れる無限の想像力で、様々な発明や考えを生み出し、常に進化の途上にある「人間」。そして、
持って生まれた完成された才能(霊術「ひじゅつ」という力)で、天地を操り、病や怪我から人を守る「神様」。
どちらが上? どちらが下? という優劣ではない。どちらともが居なくては成り立たない存在だった――そんな当たり前の事を、神代に生きる者たちは、生活の中で自然と会得していた。
(あーしって、ホント嫌なやつだ…っ)自然と人が集まって来る。村人や神様たちの中心にいる。花束を贈られるように、みんなから笑顔を向けられる――常にスポットライトの真ん中に居るような、そんなみことの眩い姿を見ていると、あーしは訳も分からず自分が責められているような気分になって、自分の中の昏い劣等感ばかりが、色濃く際立ってゆく思いだった。
(きっと何不自由なく、幸せに…みことは暮らして来たんだろう…)あーしが、みことの何を知っているというワケでもないのだ。ただ、ただ…っ――自分と同じ名のみことの優れた面ばかりを見ていると、あまりにも何も持っていない自分が惨めで…憐れ過ぎて、ぎゅ…っ、と心を締め付けられたように、あーしはどうしようもなく胸の奥が痛んだ。
周囲を岩場に囲まれた高台に村を興し、正面から海を見下ろすことの出来るこの漁村は、泡や波、舟や帆といった、海や船舶に関する神様が多く暮らしていた。人間の子供たちと混ざって、神様の子供たちが、海岸の波打ち際で泡の舟を作って、大声で遊んでいた。
「みこと様、今日はどうしてこの村へ? やっぱり、うちの馬鹿息子のせいで…?」
「とにかく、我が家でくつろいで行ってください。森で採ったばかりの美味しい果物を、食べて行ってくださいな」
次から次へと、流しそうめん的に流れてくる村人たちの声に揉まれるみことから、ふいに視線を外して海へ顔を向けたあーしは、
『…アレ――みこと、あれなンだろ…?』と、みことの中で声を上げた。
「え…?」あーしの声に促され、村の後景に壁紙のように広がっていた大海原へ顔をやった瞬間、指で押し上げたようにみことの目がみるみると見開かれた。
突然、みことは突き飛ばされたように走り出す。集まった住民たちの間を強引にかき分ける。村の大通りを一気に駆け抜け、海を見下ろせる高台までみことは駆け寄ると、
「みんなさあああああァんんんッ! 海から、海からああッ離れてえええええええええ! 早くんッ海から出でええええええええええええええええええええェェぇッッ!!」
陽光を反射して、金箔を振り掛けたように輝いた海へ、口を開けて叫ぶみことの視線の先――モスグリーンのような深い碧色に染まった沖の方、墨汁を垂らしたような黒い影が、村のあるこちら側(海岸)へサメのようにぐんぐんと近づいていた。
海の中で遊んでいた子供たちは、雷が落ちたようなみことの大声に驚いた。振り返って沖を見た。子供たちは仰天した。バシャバシャと両手両足を回転させて波を蹴り、子供たちは一目散に海岸へ向かって泳ぎ出した――その瞬間には、子供たちへ叫んだみことは、既に次の動作を開始していた。
「禍神だああああああああああァアアアアア!!!!」
高台の柵を跨ぎ越し、そこから眼下に広がる海の中へ、勢いよく飛び込むみことの背後へ、住民のその悲鳴が矢のように突き刺さる。
バシャーン!!――と、自身の身長を越える滝のような水飛沫を上げて海中へ飛び込んだみことは、海面から素早く顔を突き出した。
パニックに陥り、前後不覚になって海中を転がる子供たちの腕や足をみことの腕が掴むや、信じられないような力で、みことは子供たちの体を海面へ引き揚げた。
「みんなさんと一緒にぃぃっ、海から出て! 早くッ、早くうううう!!!」
怒鳴り声さえ普段聞いた事がない、温和なみことの大声に、海面に浮かぶ子供たちは、泣きそうな表情で頷くだけで精一杯。浜へ向かって、子供たちは一斉に泳ぎ出す。
『お、おい…おい…っ、オイオイオイオイぉおおいいいいぃぃ!! みことも逃げるンじゃねェのかよおおおおおーー!!』あーしはみことの中で大声を上げた。
魚だと思っていた。沖合に現れた黒い影は、バイクのような恐るべき速さで海岸へ近づくほどに、あーしの視界の横に膨れ上がった。アザラシのように海面から顔を突き出すみことの眼前で、黒い影は、船舶のような巨大な姿を海面から浮上させた!
あーしの叫ぶ声も耳に届いていないみたいに、正面へ迫る黒い塊へ視線を定めたまま、微動だにしないみことの腕の中に、どこからともなく白い鉾が現れる。海中でその白い柄を強く握り締めるみことの腕が、鋭く前へ突き出される!
――バチンッ!! バチバチバチィィィィィィイイイイイイイッッッ!!!
海面から怪物のように顔を出す黒い巨大物体へ、みことは唸るように鉾を突き刺す。次の瞬間、激突する鉾の先端と巨大物体の間で、白と黒の火花が流星のように弾けた。
「うンぎゃああああわわわわっ!!」黒い物体との激突の衝撃で、みことは叫び声を上げて海面を吹き飛んだ。水切りのように、三度、四度と海面を何度も跳ねて、みことは波打ち際まで吹っ飛んだ。
波打ち際に手首まで浸かって、四つん這いになって体を起こすみことは、「はぁ、はぁ、はぁああ…ッ」と、肩で荒い息をした。磨かれた鏡のように照り輝いた水面に、正面の黒塊を見つめるみことの真剣な表情が映り込んでいる。
みことに鉾を突き立てられた黒い塊は、みことと反対側の海へ吹き飛んだ。真っ赤に焼けた灼熱の鉄塊を押し当てられたかのように、ぬらぬらと黒光りする体表から、工場の吐く息のような白煙を上げていた…
『み、みこ…みこ…とぉォ…っ、そ、それ――その顔は…ッ!!??』
丸みを帯びた可愛いおでこ。緩くカーブした山形の眉。海水が滴り、濡れた黒髪の張り付いた、色気さえ漂うほっそりとした頬。お人形のように薄くて小さい唇に、花弁を置いたような、低くて愛らしい小さな鼻――(みことの中に居るあーしが、みことの本人の顔を目の当たりにしたのは、この時が初めてだった)
磨かれた鏡のように、正面を見つめるみことの顔を映した海の水面には、あーしが自分の頭で想像していた通り――(いいやッ、それ以上の天真爛漫な美少女の顔が、輝くように海の水面に映っていたあああああ!!!)けれども、
『みこと…おま…っ、目…がぁァ…おま…っぇえ…ッ――』指でなぞるように、みことの綺麗な顔を丹念に注視していたあーしは、ハッと息を飲んだ。それより先の言葉が、喉に閊えたように出てこなかった。
十二、三歳のあどけない少女の顔を、力任せに殴打したみたいに、未来の美女の雰囲気を漂わせたみことの顔は、禍々しい黒い花で左目が痣のように塞がれ、頬の上にはガラスのヒビのようなものが幾つも走っていた…!
「こっちよッ! 早く! 早く海から出てええええ!」
「父さん! 母さあああああんんんんんんんんんっ!!」
拳銃を乱射する悪漢が追って来るかのように、一目散に浜を駆け上がる子供たちや、その両親たちの叫び声が、あーしとみことの背後の村で幾つも上がる。我が子を懸命に探す両親たちの腕の中へ、海に居た子供たちは、転がるように飛び込んで行く。
震えた大声を出したっきり、声の出ないあーしの様子が視えているかのように、自身の体の中に居るあーしへ向けて、「うふふっ」と、みことは明るく笑った。
「この顔のこの傷なら、何て事ないんですお。だから、気にしなくてんも、大丈夫なんなんです。んふふふ~♪ あっ、でもでも、でもんですよおお! あれ、あれがあれだから、ようせいさんは、あれしない方が、いいかもですね――って、さっきからわたし「あれ」しか言ってませんね。わははっ♪ 触らない方が、いいかもんですねってことですだ! あはははは♪」
拙い自分の言葉に、みことはぺろりと舌を出す。「笑って♪」と言ってくれているみたいに、海面に映る美少女のみことは、あーしへ向けて無邪気に笑ってみせる――水面に映った月のように、みことの中に居るあーしには、本人の顔へは、決して触れることは出来ないというのに…
(あーし、全然知らなかっ…――そンなのっ)あーしは自分が許せなかった。
『何不自由なく、幸せに暮らして来たんだろうなぁ…』なんて、苦労など何も知らないかのように無邪気に笑うみことを見て、そんな考えを抱いていた過去の自分が、あーしは殴り倒してやりたいほど許せなかった!
みことは砂の上に突き刺した鉾を杖代わりに、体を起こして立ち上がる。
その間も、ハンターのように獲物(黒塊)から片時も目線を外さないみことの視線の先で、巨大な黒い塊は、白波に巨体を洗われ、みことの鉾の作った傷跡から、泥のような黒血を海へ垂れ流した――その黒い物体は「生物」だった。そして、
(く、腐っていがやる…ッ!)その生物は、全身が腐乱していた。
傷口から流れ出す血は、コーラ色に茶黒色く腐敗し、爛れた肉や、無数の蛆虫を傷口からボトボトと体外へ吐き出し、青く美しい海をじっとりと汚染して行く。
(オゲェエ…っ、き、ギモヂ悪ィいい…っ)みことの中で、あーしは思わず自分の鼻と口を手で覆った。
海へ投棄された廃棄物のように、謎の生物の体から溢れ出すどろりとした黒い体液は、にちゃにちゃと嫌な音を立てて波の上で泡立ち、水中を腕のように動いて、逃げる魚たちを、その黒い触腕で捕まえ始めた。そして、針のように細い触腕に捕らえられた生物たちは、あーしたちの目の前で、覆面を被さられたかのように黒い生物の仲間へ姿を変えさせられた。
『マジ、かぁァ…ッマジかよコイツ…っ! みこと、みことアレってッ――!?』
「禍神…」
『ま、禍神? 禍神んんnnッ!? なにそれ知らない…それって一体っ――』
「穢れの産んだ、異形の神です…」と、みこと。
「いっ、いやあああアァっ! みこと様っ、た、助けッだずげでえ”え”ェェっ!」
その時、耳をつんざくような子供の悲鳴が海上に響いた。あーしとみことは、声の方へ振り返って驚愕した。子供たちは全員逃げた。そう思っていた。しかし、恐怖と緊張に四肢を掴まれて体が動かなくなり、一人の少年が海上に取り残されていた。
水中を進む禍神の黒い触腕に、少年は全身をからめ取られ、少年の柔らかな腕や足、首の皮の上へ、縄で絞め殺すように黒い腕が食い込む。
「みこ――っごお”ぼぉ”ォ…ッ、さ…マ…ァご…ッッ」潰れたホースから、切れ切れに水が溢れるような潰れた少年の声。触腕の食い込んだ首から上を真っ赤に変色させ、懸命に助けを求める、少年の必死な瞳。震えながらこちらへ伸ばされる少年のか細い腕――
「止めてええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッッッ!!!」警笛のようなけたたましい雄叫びを発したみことが、大波を斬るように海へ駆け出したのはその時だった。
バシャーン! と目の前で波しぶきが起こる。みことの振り上げた白い鉾が、海面を豆腐のように切り裂く。海中から根のように伸ばされた禍神の腕を、その一振りが薙ぎ払う。
腰上まで海水に浸かって、海を激走するみことの目の前で、毒饅頭のように丸く膨れた禍神の黒い体へ、強く押し当てられた少年の顔や体が、泥の中へ沈むように禍神の体内へずぶずぶと消えて(沈んで)行く!
網状に広がって襲い掛かる禍神の細い触腕が、みことの頬や振袖を弾丸のように掠める。かまうことなくみことは禍神へ突撃する。頭上に刀のように振りかぶった鉾を、みことは禍神へ勢いよく振り下ろす!
ブシュゥゥ! と、禍神へ突き立てた鉾の先から、黒い血が炭酸のように噴き上がった。そして、あろうことか鉾から両手を離したみことは、「破ぁぁッッ!!」と空手のような気合を発して、鉾の作った傷口へ、自分の両腕を肘まで突き入れた!
ズブ…っ! ズブズブズブズビにちゃァブチブチブチィィィイイイイッッ!!
少年を呑み込んだ禍神の体内へ、火を噴くような勢いで両腕を突き入れたみことは、音が耳に触れただけで、寿命が削られそうな不快な音を立てて、みことは泥中を探すように禍神の体内で腕を動かした。そして、禍神の傷口に顔まで浸かったみことは、
「んんぅンしょぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお”お”お”お”お”お”お”オ”オ”オ”オ”オ”オ”!!!」畑から作物を引き抜くような気合を喉奥から噴き上げて、みことは禍神の体内から、少年の体を引き抜く!
『みこと大丈夫ッッ!? みことッ! みことみことおおおおおぉぉ!!』
禍神の体内から、黒い返り血と一緒に引き抜かれたみことの両腕は、酸を浴びたようにジュウジュウと音を立て、白い煙を上げていた。
健康的に日焼けしたみことの小麦色の肌が、斑模様に真っ赤に焼けた。爪の先が溶けた。禍神の穢れた血肉を浴びたみことの腹や腕や、顔や首元は、火傷のように真っ赤に爛れていた。
あーしの叫び声に応える余裕のないみことは、禍神の体表に浅く刺さった鉾を口で咥えると、自身の全体重を傾けて、「――ンンンがぁァアアッッ!!」と、みことは口に咥えた鉾を、禍神の体へ深々と突き通した。
禍神の体内から救出された少年は、背中とひざの裏をみことの両腕に支えられて、ぐったりと頭を垂れていた。
禍神は、ようやく活動を停止させた。
みことの腕の中で、打ち寄せる波に髪を洗われる少年は、うめき声一つあげなかった。
腰の帯の上まで海に浸かるみことは、涙をいっぱいに目に溜めた表情で、腕の中の少年へ顔を寄せて抱き締めた。
みことの中に居るあーしは、みことの涙の意味を、その後に知った…。
少年の小さな体を抱え、海の中を歩いて海岸へ戻るみことの背後で、白亜の鉾を突き立てられた黒山のような禍神の体は、光に溶けるように徐々にその輪郭を崩し…ものの数秒で本来の姿を取り戻した…――
(これ…コレ――っが、みことの言う「穢れ」なのか…っ)
オイルのように全身を黒く覆い、触手を形成していた無数の蛆虫や腐肉、黒いドロドロしたものが全て波に洗い流されると、暗幕をはぎ取られたようにあーしの前へ姿を現したのは、全身の肉が溶けて白骨がむき出しになった、子供のクジラの亡骸だった…
『みこ……みこと…って(一体何者――)』鏡のような海の水面に映った、あどけない美少女が、山のような大きさの怪物と戦った。天然で、なんにでも興味を持つあの柔らかな笑顔の少女が、恐るべき怪物を倒して見せた――(あーしがこれまで見てきた「みこと」とのギャップに、あーしは声が喉に張り付いたように、続く言葉が出なかった…)
「ようせいさん、ようせいさん。お怪我は、ありませんでしたか? わたしの中に居て、痛い所とか、苦しいん所とか、ぜんぜんあったりしませんでしたか?」
(みことの方だし…。怪我の事を言うなら…っ)自身の事より、あーしの心配を一番にするみことに、あーしは理由も分からず無性に腹立たしくなった。
空の明るさと、太陽の元気さをかけ合わせたみたいな、健康的で美しかった小麦色のみことの肌は、禍神の穢れた血肉を浴びて、斑模様に真っ赤に爛れている。
『みこっ…と、あなたって――みことは、やっぱり神様なの…?』
現代の知識や常識、文明の利器から遠く離れた神代で出会った、島育ちの少女みこと。
人間からも神様からも一目置かれている。腐敗と産廃の塊のような「禍神」という怪物へ、勇猛果敢に挑みかかる。そして、これを倒してしまう。自分の事より、得体の知れないあーしなんかの事を、気に掛ける事が出来る――(「ヒト」を越えた存在を表現する言葉を、あーしはその一つしか持っていなかった。つまり――みことは神様だ…)
しかし、あーしの言葉にみことの方が驚いた。
「いいえ、違うますよ。わたしは、「天子」です」
『てんし…? てんしって、それってどういう――』とあーしが疑問を口にするより早く、
「みこと様、みこと様っ! みこと様あああ!!」砂浜を飛ぶように走ってきた一匹の白狐と人間の男性が、叫び声を上げて波打ち際へ飛び込んでくる。
足で蹴り上げた水飛沫を、自分たちの頭上まで跳ね上げて、二人はみことの傍まで駆け寄った。そして、みことの腕の中で、眠ったように瞼を閉じる子供の顔を見下ろすや、一匹と一人は、体中の水分を全て吐き出すように、大粒の涙を流して嗚咽を漏らした…
『みこと、この人たちは誰?』と、あーしはみことに尋ねる事はしなかった…。
世界中の絶望が一挙に押し寄せて来たかのように、激しく号泣する男性は、腕を広げて少年と一匹の白狐の体を抱き締めた。そして、藍色の着物を着た少年の胸の上へ置いた狐の前足が、みるみるうちに白い肌の人間の腕に変化した。
美しい女性の姿へ変化した白狐は、何度も、何度も、何度も…少年の顔や腕をさするように腕を動かすも、母親と同じ可愛い狐耳を頭に生やした男の子は、泣き崩れる両親へ、二度と目を開ける事はなかった…
この三人は、神狐である母と、人間の男性の父による、三人家族だった…。
泣き崩れる二人と少年の亡骸を支えながら、海を歩いて行くみことは、砂浜に上がったところで、ふいに立ち止まった。弾かれた様に背後の海へ振り向いた。
次の瞬間、振り向いたみことの頭上を、矢のような黒い影が飛び越え、高台に立つ村の中から、平安が瓦解するような、女子供の悲鳴が突然跳ね上がった。
心臓を鷲掴みするかのように村から響き渡る断末魔に、「脅威はまだ去っていない!!!」という確信に、あーしの全身は怪物に掴まれたように再び震え出した。
海から到来したクジラの禍神は、みことが倒した。しかし、みことが倒した一体は、はぐれ。その奥に控えていた――水平線を黒く覆うほどの、禍神の大軍団が。先の一体は、そこから零れ落ちた一滴にすぎなかった。
水飛沫を上げて海から上がり、濁流のように砂浜を駆け上がる禍神の群れは、明らかにみことの事を嫌がった。みことの周囲を避けて、黒い翼を広げるように、砂浜の左右へ禍神の群れは大きく展開した。数十から百近い大群で、禍神はみことの背後にある村へ一斉に襲い掛かった――
みことは両腕で支えていた三人の家族へ顔を向けると、
「みんなさんは、この場所から、絶対に動かないんでくださいいっっ!!」いつの間にか手に持っていた鉾を、みことは白いポールのようにその場の砂浜に突き立てた。
すると、砂浜に突き立てた鉾の天辺から、三人の家族の上へ、ヴェールのような光が下ろされる。砂をまき散らして怒涛の勢いで上陸する禍神の群れは、三人をすっぽりと包む光の保護膜に弾かれ、光の内側に侵入する事が出来ない様子だった。
「はぁ、はぁ、はぁァア…っっ!!」人間と神様の三人の家族から離れた後も、みことは砂浜をうまく走れなかった。荒い息継ぎの合間に、悔しさをにじませた声を喉から絞り出した。
あーしは後で知った――(みことの愛らしい顔の上に、殴られた痣のような酷い傷を残す黒花が、「穢れ」だという事を…。そして、同様の穢れは顔面だけでなく、みことの胸と右足にまで、痛々しい傷を残していた…)
砂浜を懸命に走るみことは、砂に足を取られる。両手を地面につきそうになる。しかしそのたびに、コスモスのように華奢な体を気力だけで持ち上げ、みことは穢れを負った自分の足を、懸命に前へ蹴り出す――
南国の暑い気候に合わせて、脇や肩を出したみことの涼しげな着物が、海水を吸って鉛のように重くなる。走るみことの腕や内ももに、白い着物がはんぺんのようにまとわりつく。頭を持ち上げて懸命に走るみことの顎下――体に張り付いた白い着物の上から、ささやかな胸の頂に咲いた薄桃色のみことの乳首が、小さな蕾のように、薄っすらと浮き出ているのが、あーしの視界にちらちらと入って来る。
その間も、建物全体が揺れるような悲鳴が、村中から轟き渡る。村を襲う禍神の群れは、蟹や亀、海に流された樹木や神様などが、黒い穢れを着てゾンビのような姿と化した異形の禍神共だった。
(や、やっぱり…っ、だめだぁア…! みこと足じゃあ、到底間に合わないっ――!!)あーしの眼にも無茶に思えたみことの激走は、しかし、「助走」には十分だった。
「――伏雷ッ! 黒雷ッ!」槍のような二本の光が、勢いよく腕を振り抜いたみことの手の中から、上空へ鋭く飛び上がった。
「白色」と「黒色」の別々の光をまとった二本の雷槍は、村の大通りの地面へ突き刺さると、白い稲妻が植物の「根」のように地中を駆け抜け、狙い定めたように複数の禍神を白い光が貫いた。そして、地面に突き刺さったもう一本の雷槍から、辺り一面に黒雲が吐き出されると、それは逃げる住民たちの間をすり抜け、禍神の視界や聴覚を奪い去った。禍神たちがばたばたと通りに倒れる横を、住民たちは大挙して逃げて行く。
『すッッッッッッッッッげええええええ! すっげすっげすっげええぇェっみこと! まるで魔法使いみたいだし!!』あーしは興奮して喚き散らす。しかし、
「いいえええッッ! まだですん!!」叫ぶみことの表情から、焦燥感は消えない。
砂浜から続く急な坂道を駆け上がり、みことはようやく村の中へ飛び込む。
村に暮らす神様たちは、やって来たみことの姿と、その雷槍を見て、闘志を奮い立たせた。自分たちも戦う決意をした。自分たちの暮らしを破壊する脅威(禍神)を前に、少女に守られているばかりではなく、自分たちも戦うべく、「神」に相応しい力を一斉に解き放った。
「みこと様にだけ、戦わせたりは…しないッ!」
「自分たちの居場所は、自分たちで守るんだあああああ!!」
「そう…そうだ…っ、そうだあ! 負けるものかああああ!!」
そう叫ぶ鋼のような意思が「形」を得たかのように、途端に海が猛烈な勢いでうねりだし、海水が大砲のような勢いで禍神へ襲い掛かる。刃物のような鋭利な水の刃が、禍神をスポンジのように切り裂く。凝縮された塩の槍が、禍神の頭上へ雨のように降り注ぐ――禍神の血肉が、通りや家の中にまで飛び散り、周囲の人や物に、ビシャっ! と飛び掛かる。
「だああぁァっ駄目ええええええええええええええええええええええええええ!!! みんなさああんんっ逃げてえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッッッ!!!!」
大きな大きな思い違いをしていた…(「禍神」とは――周囲に死をまき散らす穢れた存在。それは、人間が無力だから脅威なのだとばかり、あーしは思っていた…)
絶望を目の当たりにしたようなみことの悲痛な叫び声が、村中に響き渡った次の瞬間だった――
途端に海が猛烈な勢いでうねりだし、海水が大砲のような勢いで村人へ襲い掛かる。刃物のような鋭利な水の刃が、子供の頭をスポンジのように切り裂く。凝縮された塩の槍が、逃げ惑う親兄弟や恋人の頭上へ雨のように降り注ぐ――神様や親しい村人たちの血肉が、通りや家の中にまで飛び散り、周囲の人や物を、真っ赤に染めた…
禍神の血肉を浴び、穢れに飲まれた村の神様が、別の新しい禍神になった。禍神へ変貌した村の住民が、別の住民へ襲い掛かった。「禍神」とは――「人」だけでなく、「神様」さえも逃れられない脅威だった…
(駄目…なンだ…っ。神様でも、禍神は…倒せないンだあああ…ッッ!!)
押し寄せる禍神の群れと、住民が変貌して次々と現れる新たな禍神によって、村は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
平和だ。幸せだ。そう思っていた神代の暮らしが、まるで×××のように変貌した事にあーしは――(はれ…?)とあーしはそこである事に気付いた。
(あ、あれ…村のこの惨状に、あーしは、見覚えが…ある…っ!?)
逃げ惑う人々で騒然となった村の中を駆け抜けるみことは、近くの禍神へ腕を伸ばす。禍神を、次々と光へ変える。みことの使うその力は、「浄化」と呼ばれるものだった。
(ぁ…、でも…でも、おかしくない?)
雄叫びを発して、みことは禍神へ飛び掛かる。鬼神のように、みことは次々と禍神を浄化して行く。みことのその雄姿に、心が震えるような感動を覚えながら、あーしの頭は、PCのように並列して別の思考を走らせていた。
(どう…して…? 神代の禍神が、どうして現代の宮崎市にいたんだああ!!??)
クジラが人間を殺す。樹木が人間を踏み潰す。物や生き物が、人や神様を襲う地獄のような目の前の光景に、あーしは見覚えがあった――(というか、あーしはさっきまでソノ場所に立っていたあああ!!)
現代の宮崎市で見た光景が、目の前の神代でも行われている事実に、あーしは言い知れない恐怖を覚えた…!
「なにか重大な事実を掴んだ」という確信だけが、あーしの頭の中に漠然とあった…。
様々な出来事をいっぺんに詰め込まれた脳が、熱暴走したみたいに、あーしの呼吸は次第に荒くなり、禍神を浄化しながら村の中を駆け回るみことの息が、両手を合わせたようにあーしの呼吸とぴたりと重なった。次の瞬間だった――
みことの中に居るあーしの周囲が、いつの間にか海水に覆われている…!
あーしの足首を、打ち寄せる波がさらさらと洗い、引き波があーしの踵を掴んで、海中へ引っ張るようにあーしを連れ去ろうとする。そして、禍神を浄化しながら、みことがつむじ風のように駆け回る高台の村の中(現実)でも、海水が村の通りを満たしていた。
『み、みみみみっこと! みことおお! みことみことみこココッコッコッココッ!――みずぅうううううううううう!!??』にわとりかな(・◇・)? なんてツッコまれそうな奇声を、あーしがみことの中で上げている間にも、潮が満ちたように、村の中へ侵入してくる海水は建物の玄関を跨ぎ越し、家の中にまで海水が雪崩れ込んでくる。そして、
「うwっぷっっっ!?」「きゃぁああ!」「助けてええええ!!」
膝上まで上昇した海水に足を取られ、禍神だけでなく、住民たちがあちこちで悲鳴と水飛沫を上げて水中へ倒れ込む。老人や子供など、動く事さえかなわない。住民全員の救出は、もはや絶望的――誰の目にもそう思われた時、住民たちの逃げ道を障害物のように阻んでいた海水が、突如、「意思」を持ったかのように一斉に動き出した。
引き波が、陸上のもの全てを海の腕中へ連れ去ろうとするかのように、湖のように村を満たした海水は、村へ侵入した禍神だけを鎖のように捕らえ、海岸を急速に離れる引き波が、禍神を一体残らず村の外の海へ連れ去る。そして、波にさらわれた禍神を追って視線を持ち上げた先では、野球場程もある巨大な球状の水の檻が、海上にバルーンのように浮き上がった――村から連れ去った禍神全てを瓶詰にするように、水球内に無数の禍神を封じ込めた。
村の中には、通りに倒れ込んだ村人や、建物の柱にしがみ付く神様たちだけが、濡れて湿った地面に残された。
住民を村から逃がすために、叫び通し、走り通し、力を出し続けていたみことは、遂に体力の限界を迎えたように、ガクッと腰を折って自分の膝の上に両手をついた。「はぁ、はぁ、はぁァ…っ」と華奢な肩を上下に揺らして、浅い息を繰り返すみことの丸い顎先から、汗と海水の混ざった大量の液体が、雑巾を絞ったように滴り落ちた。海水が引いて茶色い地面が露になった村の通りに、ぽた…ぽた…、と塩辛いみことの汗が広がって行く。
「――ぐぅぅ…っ」と、力を振り絞って、みことを面を上げる。海上で禍神たちを封じ込める水球へ、一歩…一歩…みことは覚束ない足取りで歩き出す――
「あっ――」
『みことおお!』
足を引きずるように歩を進めるみことは、足がもつれて躓く。地面へ向かって抱き着くように、みことの体が地面へ向かって急激に傾いて――
ぬっ、と横から現れた見知らぬ腕が、地面へ倒れ込むみことの小さな体を、ぬいぐるみを抱きかかえるように受け止めたのは、その時だった…。
「…ぁ、ぁぅ…あー…ちや…」熱にうなされたように、喋る言葉もどこか上の空で、虚ろな表情で面を上げるみことへ、横から現れた人物は、みことのお尻を叩くみたいな怒鳴り声を村中に轟かせた。
「ようゃ…くっ、ようやく見つけたぞおおお! このッッ馬鹿みことおおおおおおおおおおおおおお”お”お”お”お”お”!!!」
現代×神代。
「あなた――アマテラス! アマテラスなんでしょうッ!?」
再び町の空へ飛び上ろうとする少女へ、咄嗟に腕を伸ばしたあーしは、少女の細い足首を掴んだまま二人でもみ合うように市内の道路に倒れた。
変貌した宮崎市に囚われたあーしの前へ、「バカミコト!」と雷のような怒号を轟かせて現れた少女は、あーしが神代のみことの中で見た人物と瓜二つだった。
「あ、あーちゃんん…っ? どうして、ここにいるです?」と、みこと。
「『どうして』じゃねええっ! みことを探すために来たんだろううう!!」
オノゴロ島の漁村で、禍神と戦っている最中に、倒れそうになるみことの前へ現れたのは、「アマテラス」と言う巫女服を着た美しい少女だった。
ぬいぐるみのように軽いみことの体を抱きかかえたアマテラスは、周囲の村人たちが心配そうに見つめる中、岩のように握り締めた拳骨を、ゴツンっ! とみことの頭に容赦なく落とした。
「~~っっっ!! いいっ、いいいたあああァいいいい!! 痛いっいたあああっ、酷いですよおおッあーちゃああああんんん!! ぶへえぇええ~~っ」
「うるさい! 「ぶへええ」なんて豚みたいに可愛く鳴いたって、今度ばかりは本当に許さないんだからなああ! 馬鹿みことッ、お前はそうやって、いつもいつもいっつもおおおお――!!」脳天に拳骨を落とされ、薄っすらと目尻に涙を浮かべるみことへ、大声を上げるアマテラスはまたも腕を振り上げ、二撃目の拳を落とそうとするも、
「頼むから…っ、頼むから無茶をしないでくれ…みことおお…ッ」絞り出すようにそう話すアマテラスは、硬く握り締めていた拳を解いて、愛してやまない妹にするみたく、殴ったみことの頭を優しく撫でた…。
「みこと…出かける時は、ちゃんと私たちのどちらかを連れて行ってくれ…っ! 島中をフラフラと歩き回って、また迷子になるだけじゃなく、禍神とッ――こんなフラフラの状態になるまで禍神と一人で戦って…ッ! 本当に心配していたんだぞおお…!」
(反抗期の男子中学生みたいに口が悪い。それに、口より先に手が出るタイプだ。けれど――)みことの事を大切に思ったアマテラスの行動に、「あーちゃん」とみことに呼ばれるこの人物は、「少しだけ心配性なだけなンだ」とあーしは安心した。
「あ…っ、あぅわわわどどどどうしたアアアァあああああッッ、みことおおおおおおおお!! ごげげげんなにずぶ濡れになってえええええ!!!! 風邪をひいちまうだろうううう!! でも安心しろ、着替えを持ってきている! 私が着替えさせてやるからッさああぁァみこと今すぐ裸になってえええええええええええ!!!」
(前言撤回…)
『お前犬かよっ! めちゃかまって来るじゃん』と、あーしはみことの中で思わずツッコんでいた。アマテラスのあまりの過保護ぶりに。そして、あーしのそのツッコミを聞いていたみことは、
「ぶふぅっ、くくく…っ、くふふふっ、わぁああははははははははは♪」ツボに入ったらしい。みことは。可愛い手で自分のお腹を押さえて、みことは地面に蹲る。
「みことおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおうおおおおおオオッッ!!」そして、そんなみことを前にするアマテラスは、トラックに跳ね飛ばされたかのようにまた大声を噴き上げる。
「みこと死ぬなあああああ! 死ぬなあああみことおおおおおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオォォぉぉッッ!!!」
『だから犬かってッ!』自分の命を投げ出すみたいに吠えるアマテラスへ、あーしがまた如才なくツッコむと、
「だひゃああ~っははははははは!! だ、ため…ぇぇッ、く、くるし――っうひひひひひひ♪ ょ、ょうよせい、さん…っ、わ、わた…わたわたわたたたおにゃかか痛いいいぃィひひひひひひっ、し、しんじゃうううぅ~~だははははははははは♪」
お腹を抱えて息も絶え絶えに笑い転げるみことに、アマテラスの咆哮が、お約束のように再び轟き渡る――
「あひゃひゃひゃたたああっ♪ あ、あァーちゃも…くふふふっ♪ ら…らめぇええっ止めてええぇええへへへへっ♪ わああ~っはははははははははははははっ♪♪」
(シカちゃん…ヒメちゃん…。二人に会いたい…っ)みこととアマテラスの仲の良い姿に、あーしは友達二人の姿を重ねた。
現代の宮崎市内で、離れ離れのような形になったシカちゃんとヒメちゃんの事を思い出して、あーしは胸を締め付けられるような息苦しさを覚えた。すると、ちゃぷ…ちゃぷ…と先程まであーしのくるぶし辺りを洗っていた海水が、いつのまにかあーしの膝を飲み込んで、あーしの股下を海水が撫でている。
村での禍神との戦いの最中――現実の村の中に侵入して、湖のように地面を覆っていた海水は、みことの中に居るあーしの周囲では、今やあーしの胸を越えて顔の下に迫るまでに急激に水位を急上昇させていた。
『み、みこおおっうわwっぷッ!? みこ――っごぽぼぼgぐわぅッちぉおおおっっ!!』
波があーしの顔面を洗い、鼻や口やら次々と侵入してこようとする海水に、みこととアマテラスの会話が、あーしの耳からどんどん離れて行く。海面から口と鼻だけを突き出して息継ぎをするあーしは、「助けて!」と声を上げる間もなく、海中へ引きずり込まれた。
ゴポゴポゴポっっ! と耳や鼻の奥へ勢いよく入り込む海水が、あーしの頭から考える力を奪い去り、胸の上に重りを乗せられたような水圧が、冷静でいようとするあーしの思考を、猛烈な勢いですり減らす。そして、天上に蓋を落とすように、水中から見上げたあーしの頭上を海面が完全に覆い尽くすと、あーしはエメラルドグリーンのように澄んだ海の中を、ゆっくりと沈んで行った。
『…と…ぉォ…っ、みこ…とあああァオオおお…っ!!』喉から絞り出したあーしの叫び声は、無数の気泡となって海中で弾けて消えた…。
「ようせいさ…ようせいさん…?」みことの声が海中に響き、その声に応えようと瞼を開いたあーしの全身を、洪水のような強烈な光が飲み込ん――
現代。宮崎市。
(ふかふかのベッドに、飛び込んだみたいな感触…)市内を貫く大通りの真ん中で突っ伏すあーしの顔面を、夢心地の柔らかいモノが包み込んでいた…
そこは、病に侵されたような赤黒い空に覆われた宮崎市。突如、街路樹や店のシャッターが猛獣のように動き出し、「町」に襲われるあーしの目の前に現れたのは、神代でみことの中で見た人物アマテラスと瓜二つの少女だった。そして、町の空へ飛び上がろうとする少女の細い足首を、風船の紐のようにむんずと掴まえたあーしは、勢いそのままに二人で地面を転がったのだった。
「はあぁぁッ、そうだぁ! アマテラス! アマテラスはどこ行ったあああ!?」
直前の自分の行動を思い出したあーしは、倒れていた体を跳ね起こした。顔をぐるぐると動かして通りを見回した。注意深く観察した周りから、例の少女の姿は、煙のように消え去っている…。
「神代から現代」――その両者の間には、タイムマシンでしか超える事の出来ない時空の壁が横たわっている。にもかかわらず、二つの時代を跨ぐように現れた「アマテラス」という存在に、あーしはいてもたってもいられなかった。
(宮崎市を今のような姿へ変えた現象が、神代と同じものだとしたら…? 神代と現代は、繋がっているとしたらあああ!? あのアマテラス似の少女は、何かを知っているのではないいいいいッッ!?)あーしの頭の中で、そンな考えが命を宿したかのように勝手に動き出し、空へ飛び上がろうとするアマテラスの足を、咄嗟にあーしに掴ませたのだ。
「…っぁァ…、ぅんんン…っ」
その時だった。振り子のように視線を動かし、血眼になってアマテラスの姿を探していたあーしの耳へ、弦をつま弾いたような甘いその響きが届いてきた!
「…んぅ…ッくぅぅン…っ。…はぅぅンっ――はァぁああンっ!」
耳が蕩けるようなその甘い喘ぎ声は、次第に大きく、切羽詰まったような音色になる。そしてその声は、自分のすぐ傍から響いて来る。そして更に更に、
「どこッ、どこに居るのおお!? アマテラスッ、アマテラスううう!!」周囲を見回しながら叫ぶあーしの真下――地面についたあーしの両手を、先程から柔らかく温かいものが包み込んでいる…。押せば返すボールのように、あーしの指を追いかけて吸い付いてくるモノへ、あーしがゆっくりと視線を落としたその時だった!――
「…ッくぐぅぅっ、て、てンめぇェ…っ、ぃ、いつまで…ぇェ…っ――ひ、人の尻の上に両手置きながら叫んでいやがあああッ――ぴゃがぁァあンン…っ! だ、だからァアアっ、わ、私の尻を揉むなって言ってン――ッはぁぁァンっ! ばっ、ばばばかあああッッ馬鹿ミコトおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
パンツ。白いお尻。ふかふかの柔らかな太もも――伝説の「三種の神器」のようなその光景が、自分の体を見下ろすあーしの視界へ飛び上がって来た( ☆Д☆) キラーン!!!
空へ飛び上がろうとする少女の足をあーしが掴まえ、勢いそのままに二人で地面を転がったその時、うつ伏せに倒れた少女の丸いお尻の上に、あーしはエアバックのように顔を埋めていた。そして、上体を跳ね起こしたあーしが、謎の少女を探してぐるぐると周囲へ視線を走らせていたその時も――道路についていると思っていたあーしの両手は、腰の上まで制服のスカートのめくれた少女の小ぶりなお尻を、指の腹まで使って揉み揉み揉み、触り心地の良いクッションのように揉み揉み揉み揉み揉み揉みmomiあーしは揉みしだいていたあああ! おっぱいのようなそのお尻の揉み心地を確かめるみたくうう!
あーしがその事に気付いた次の瞬間、うつ伏せに道路に寝ていた少女のすらりとした足が、あーしの方向へ矢印のように伸びる。バキィィィッ! とあーしは顔面を蹴られる。あーしは野球のボールのようにごろごろと地面を転がる。そして、
ミコトたち二人が、場違いなバカ騒ぎをしているその間にも、宮崎市内の中心部で、塔のような巨大なシルエットが立ち上がる。雲へ手が届きそうな細長い姿で、市内に現れたソレは――「電車」が禍神と化した巨大な怪物だった。
「ヴぉげぇェっっ!!」とカエルが潰れたみたいな汚い声を出し、少女に蹴られて地面を転がるあーしの視界の中を――再び空へ飛び上る炎。風にはためく少女の紺色のスカート。吸い寄せられるような白い足首――カードをシャッフルするみたいに、ばらばらのそれらの光景が、道路を転がるあーしの視界を何度も出入りした。あーしが道路を転がっているその間に、少女は再び空へ飛び上がった。
蛇が首をもたげるように、市内に立ち上がった電車の禍神は、両足の先からロケットのような炎を噴いて、真っ直ぐに空を翔け上がる少女の姿を捉えるや、電車の先頭車両が、口のように四つに割れた。
禍神のその姿は、ウツボや蛇、ヒトデが口を開いたような異様な光景だった。数百人、数千人を乗車可能な禍神の巨大な口の奥には、電車の窓ガラスや支柱が、歯のようにびっしりと並び、飛び上がってきた少女の体を、バクンッ! と、電車の禍神は小鳥のように丸飲みにした。
飛び上がった少女を追って、首の後ろが痛くなるほど空を見上げていたあーしは、禍神の口の中へ消えた少女の姿を見て、「あっ!」と息を飲んだ。次の瞬間、
誤って剃刀を飲み込んだかのように、禍神の口の横が鋭く切り裂かれた。抜き身の刀を構えた少女が、斬られた禍神の口から勢いよく外へ飛び出した!
黒い血飛沫を口から雨のように噴き上げる禍神は、落下する少女の背後で頭の向きを変え、仕返しとばかりに猛烈な体当たりをした。その勢いたるや、駅のホームへ快速電車が猛スピードで突入して来るかのような、身の毛のよだつものだった。しかし、
猛スピードで突進してくる禍神を、少女は空中で宙返りするようにひらりとそれを避ける。そして、ドアが凹むかと思うような猛烈な勢いで、少女は目の前を通過する電車(禍神)の腹を、轟然と蹴り上げる!
そして、長く伸びた電車の禍神の背中へ、軽業師のようにひらりと飛び乗った少女は、手に持つ刀の切っ先を、禍神の背中へ注射器のように突き立てた。
(あ…っ――これって…)凝然と空を見上げていたあーしの頭に、あるイメージが浮かんだ。それは、小学校の音楽の授業で使うリコーダーを、水道で洗った時。口で咥えるリコーダーの唄口から入れた水が、音孔から線のように勢いよく噴き出すように――少女が禍神の背中へ突き立てた刀から、津波のように炎が溢れ出し、電車の窓という窓、ドアというドアを炎が蹴破り、禍神の体内を駆け巡る炎が、長細い胴体から線のように勢いよく噴き出した目の前の光景と、あーしの頭の中でイメージが合致して見えた…。
刀の切っ先を逆さに突き立てたまま、少女は五十メートル走のように禍神の背中を駆け抜けると、魚のように二枚に切り裂かれた禍神の切り身が、ずうううううううんッッ!!! と地鳴りのような轟音を轟かせて地上へ崩れ落ちる…。
全身を炎に焼かれた電車の禍神が、市内の町を夕焼けのように朱く焦がす。その炎の海の中から、三本…四本…五本…宮崎駅のホームに停車中の電車の巨躯が、大蛇のように幾本も立ち上がる…
(本当に…本当にあーしは、戻って来られたのだろうか…? 神代から現代へ…)唐突にそんな疑問があーしの頭をよぎるほど、目の前の光景が現実のものとは思えなかった。
一振りの炎刀を手に、増殖した電車の禍神と、宮崎市内の上空で怪獣大戦のような激闘を繰り広げる一人の少女アマテラス(´・ω・`)??
彼女が刀を振るたび、鮮やかな緋色の炎が、帯のように幾つも空に広がった。禍神の鋼鉄の体を、刀が焼き切った。蛇の輪切りのように、禍神の胴体を次々と切り裂いた。
伝説の怪物ヒュドラのように、市内に立ち上がった六体の電車の禍神が、轟音を轟かせて全て地上に沈むと、足を閉じてくるくると宙返りをしながら、アマテラス? があーしの目の前へ降りてくる。
「……」
「……」
二、三メートルという、ビミョ~~~な開きがあった。あーしと彼女の間には。あと、重い沈黙もだ。
(互いの声を聞き取る事は可。けど、あーしが彼女の「お尻」に顔を乗せる事は不可――と、そういう事なンだろう…)少女の白いお尻を揉みしだいた罪状のあるあーしへ向けられた彼女の白い目が、言外にそう語っていた。
「もうじき終わる…。この異常も…」
「え…?」いま何て? とあーしは聞き返そうとした。彼女へ一歩踏み出した。
すると、彼女の足が一歩下がる。あーしはもう一歩踏み出す。すると、彼女の足がまた一歩下がる。あーしは更に更に一歩踏み出す。彼女の足がまたまた一歩下がる。あーしは更に更に更にぃぃ(以下同文以下略)。
「ちょぉ…っ」あーしはあんまりだと抗議するように声を漏らした。
(そりゃァさ、勝手に人のお尻を見たり、お尻に顔を埋めたり、お尻を揉みしだいたり――列挙した自分の悪行を思い返すと、あーしはヤバい奴確定だけれどもおおおお!――心では本当に悪かったって思ってるしいいいっ!)ばい菌やうんちみたいに目の前の少女に扱われる自分が、あーしはちょっと可哀そうに思えた( ̄⊿ ̄)…
「奴らの被る「数字」も、もうじき止まるってことよ…」
宙へ投げた少女の視線を追って、あーしも周囲を見回した。
変貌した町の中で、生き物のように動き出した標識や車、信号機や壁なんかの禍神の頭上には、まるで名刺のように、血で描かれた真っ赤な文字で「数字」が並んでいる。
「あの数字…アレのこと? それがこの異常とどういう関係――」あーしがそう言って顔を正面に戻した時には、先程まで居た少女の姿は、目の前の通りから消えていた…
やがて、少女の言葉通り、市内の西の空に血のように凝固していた真っ赤な夕日が、ゆっくりと動いて町全体が茜色に燃え上がる(包まれる)と、市内のいたる所に湧いていた黒いシミは、茜色の雨に流されるようにサラサラと溶けて、シミは灰のように洗い流された――その直前、禍神の頭に被る数字が、丁度「一千」に到達した…。
止まっていた時計の針が動き出したように、町は「日常」を取り戻して再び動き出した。
通りを人々が歩き出す。往来を車や自転車が走り抜ける。人々の話し声や、店内から溢れるBGM、スマホの着信音が、放水車で大量の水を浴びせかけられたかのように、往来で立ち尽くすあーしの全身を一気に飲み込んだ。
(さながら、あーしは遊園地のジェットコースターを降りた直後のような気持ちだった)
凶器となって襲い掛かる「町」から逃げ、神代のアマテラスに似た少女にあーしは助けられた――先程まで非現実的な光景の中で心と体を揉みくちゃにされたあーしは、急に目の前の「日常」へ強制的に下車させられ、足元が覚束なくてフラフラとよろけた。咄嗟に腕を伸ばして物に手をついた。「うンげえええェェっぎゃあああああああああ!!」熱湯に指を突っ込んだかのように腕を引っ込めて大声で叫び、あーしは地面にすっ転んだ。
通りを行く通行人は、一様に驚いた表情で、地面に尻餅をつくあーしの前を通り過ぎた――「街路樹」に怯えて真っ蒼な表情をしているあーしを、怪訝そうに見つめながら…
あーしの頭上に大きな影を落とすフェニックスの街路樹は、眠りについたように、静かにあーしの事を見下ろしている。
「どどどどどーなつているンだしいいぃぃっ!?」
「今朝の宮崎のニュースです。昨日、宮崎県全体で、再び千人もの人が、謎の集団死をとげました。また同様の事件が全国各地でも起こり、昨日一日での日本全体での死者の数は、四万七千人に達しました。「イザナミ現象」と呼ばれるこの一連の現象での死者の総数は、ついに七千万人を突破し、発生初期の十五年前から数えて、十五年と五ヵ月連続で、死者の数はいまなお増え続けております。また、現在も有効な対策や、原因究明の進んでいない日本政府へ対して、世界各国から支援の声が挙がっている一方、日本からの避難や、人や物の移動を制限している国があるなど、各国の思惑が如実に現れているのが、現状となっています。また――」
テレビから流れてくるアナウンサーの声を聞き流しながら、朝の支度を終えたあーしは、「行ってきます」と言って家の玄関を出た。
「宮崎県」という場所について、あーしは一時期、かなりの熱量で調べていた事がある。それは、これから自分が暮らす事になる場所(家)の事を、少しでも知っておきたかった、という実利的な理由からだった。
宮崎県は、全国でも有数の日照時間の多い県であり、同時に有数の降水量を誇る県でもある。
「晴れ」と「雨」、空から別々のものが大量に降ってくる。この矛盾に、最初はあーしも首を傾げたけれど、答えは拍子抜けするほど単純なものだった。つまり、雨が降るときは台風並みの大雨が、どががあああああああ! と短時間で降り、その後は、一八〇度表情が変わったみたいにカラリと空が晴れるι(´Д`ι)アチィ…。まるで熱帯のジャングルみたいな、宮崎は日本でも珍しい気候の場所なのだ。
昨日の深夜、家の窓ガラスを叩き割るような勢いで降った大雨は、朝起きると、すっかり止んでいた。
あーしが初めて宮崎の地へやって来た時、見上げた空の「青さ」に驚いた事を、あーしは今も鮮明に覚えている。今はまだ六月だというのに、太陽は極太の針で突き刺すように、頭上で眩しく照り輝き、雨上がりの生渇きの道を、あーしは学校まで歩いた。
「………」通り掛けに立ち止って眺めた宮崎駅は、いつもの朝のように、通勤通学の乗客を乗せた小豆色の電車が、線路を何本も往来している…
昨日、通行人に襲い掛かった壁や標識、街路樹やお地蔵様は、日常の景色のそこここに埋まったまま、動く事はなかった。けれど、変貌した町に襲われた「人間」だけが、元には戻らなかった。朝のニュースでも盛んに報じていた通り、宮崎県だけで、昨日千人もの人間が死んでいた…
「はよぉ~」学校に着いたあーしは、一‐Aと書かれた自分の教室の扉を開いた。
「おはよう」
「おはようございます」
ぱらぱらと挨拶を返してくれるクラスメイトに見向きもせず、あーしは生徒同士の話し声を掻き分けるように、教室の中を真っ直ぐに突き進んだ。そして、あーしが次の言葉を投げた瞬間、『ザワッ( ゜Д゜)!!??』という顔文字が、教室に居るクラスメイトたちの頭上に浮かび上がるのを、あーしは初めて目にした――
「…あんた――あーしと付き合いなさいよ…っ!」
教室には二十人ほどの生徒が居た。その中で、何もする事がなく文庫本を読んで、一人で席に着いていた生徒の前へやって来たあーしがそう声を掛けると、あーしの言葉を聞いていた周囲のクラスメイトが、( ゜Д゜)!!?? という表情で一斉にこちらへ振り向いた。
教室の空気が変わった。女子生徒の間で息を飲むような歓声が上がった。大量の百合の花が咲き乱れるように、周囲は途端に色めき立ち、知り合いの告白シーンを目撃してしまったかのような興奮と興味で蒸留された熱い視線を向けるクラスメイトの反応に、自分の発言が、大いなる「誤解」を生みそうな事に、あーしは気が付いた。
「ち、ちがっ、ちがががががちがわいいいぃィっ!! あわわァっ、そッそそそういう意味じゃねーしッ!! ホントだかしいいいいいッッ!!」クラスメイトの誰からも求められていないのに、あーしは教室の中で弁解の言葉を大声で叫んでいた。(「だから」と「だし」がごっちゃになったああああああああああ!!)あーしは自分の動揺に、更に大きな動揺を積み重ねた。
周りのクラスメイトに向かって、真っ赤な顔で弁解の言葉を投球しているあーしの目の前で、本を読んでいた相手の生徒は立ち上がり、あーしを無視して教室から出て行こうとする。それを見たあーしは、咄嗟に相手の腕を掴んだ。そのまま逃げるように、あーしは相手の腕を引っ張って、教室の中から勢いよく飛び出した。
その「視線」にあーしが気づいたのは、いつの頃だっただろうか…――
「恵比寿さん? どげんかしたと?」
あーしが宮崎の学校に転校してきてから、数日たった頃だ。廊下で立ち止まって、何かを探すように辺りをキョロキョロと見回すあーしに、クラスメイトはそう声を掛けた。
登下校中や、教室の中。グラウンドや、移動教室へ向かう途中。クラスメイトと廊下を歩いている時…――自分へ向けられるその「視線」に気づいたあーしは、そこに含まれる感情に、正直なところ、大いに戸惑っていた。なぜなら――
化粧をし、制服を着崩して「ギャル」と呼ばれる恰好をしていたあーしへの、注意、悪口、軽蔑――そういった類の視線を周囲から向けられる事は、今までも経験があった。けれど、こんな事はあーしも初めてだったのだ。
(自分に身に覚えのない、「敵意」の視線なンて…っ)むき出しの「憎悪」「敵意」をぶつけて来る相手の気持ちが、あーしには分からなかった。というか、怖かった。なにしろ、
(あーしはその相手と、一度だって言葉を交わした事は無いのだから…)
教室を飛び出して学校の廊下を駆け抜けたあーしは、曲がり角を折れた所で、掴んでいた相手の腕を離した。相手の背中を壁に押し付け、あーしは正面から向き合った。
そこは、人通りの少ない階段の踊り場。あーしはソコを、決戦場と決めた。
「昨日…あーしや、シカちゃんやヒメちゃんを町で助けてくれたのは、あんたなンでしょう? 天原隠零さん…!」
この時、学校で初めて言葉を交わした天原というクラスメイトは、カーテンのように重い前髪で顔を隠した、黒いカーディガン、黒いタイツ、目の前に大きな「影」が立っているような、全身黒に覆われた陰キャ(女子生徒)だった。
しかし、ナイフの切れ込みのように、顔を覆う前髪の僅かな隙間から覗く彼女の眼だけは、今にも火を噴き出しそうに、爛々と輝いていた…
「このっ、馬鹿みことッ!」
神代で出会った、片目を穢れに塞がれた少女みこと。その前へ、そんな罵声と共に現れたのは、アマテラスと呼ばれる少女だった。そして、禍々しく変貌した現代の宮崎市で、町に殺されそうになるあーしの前に現れて助けてくれた謎の少女。その正体は――
「ごめんっ!」と、踊り場で大声を上げたあーしは、天原の重い前髪を手で跳ね上げた。あーしの抱えていた疑問の「答え」が、あーしの目の前にあった。
「――ッ!? て、てめええええッ!」天原は目を開け放った。前髪を持ち上げたあーしの手を、天原は激しく振り払った。
(出会った時代も、場所も、登場人物も、なにもかも全て違う。けれど――っ)学校の踊り場で見たあーしの目の前には、神代のアマテラスと瓜二つの顔があった…!
あーしは制服の上から天原の腕を掴んだ。詰め寄るように顔を近づけて叫んだ。
「あ、あんた…ぁァ…っなんで…なんでアマテラスがっ、現代に居るのよおおおおおぉォォ!?」
どさっ! と自室の床に乱暴に通学鞄を置くなり、あーしは制服のままベッドの上に正面から倒れ込んだ。
(一体なんなのよおおおおおおぉぉ~~っ! 天原隠零えええええええ!)
昼間の学校での事を思い出して、あーしは自分の顔の前に枕を引き寄せて、「ほふぼごごごごごごお”お”お”お”お”お”お”!!」と言葉にならない怒りを自分の部屋中に発散して、あーしはベッドの上でジタバタと暴れ回った。
「教えて、あなたの事! 教えて欲しいのっ! 昨日のあの力は? 昨日、宮崎市で起こった事は何なの? オノゴロ島で見た「アマテラス」は、本当にあなたたたたたなのっっ!? それにっ、それにそれにぃィっ――!」
朝のHR前。学校の踊り場で、修羅場みたいに激しく言い争う二人(実際に大声で叫んでいたのはあーし一人だった)を見て、火の粉が飛んでくるのを避けるように、通りかかる他の生徒は、あーしたちの横を足早に通り過ぎて行った。
天原の両腕を掴んで背中を壁に押し付け、真っ直ぐに言葉をぶつけるあーしは皿のように目を見開いて、視線でも天原を掴まえて離さなかった。
(だってこれは「チャンス」かもしれない!)神代。現代。その両方を知っているかもしれない「天原隠零」という人物を見つけたのだ!
天原の華奢な腕を掴むあーしの手に自然と力がこもった。そのまま押し倒すかのようにあーしは顔を近づけた。質問に答えてくれるまで離さないとばかりに、あーしは天原のスカートの間に自分の膝を割り入れて、数センチと隙間がない程に体を密着させた。
すると、普段は前髪の奥の奥に隠され、教室でもほとんど素顔をさらした事のない天原の美しい顔が、烈火のような「敵意」の表情へ変貌した――
「…ぎゃあぎゃあ…、ぎゃあぎゃあ…、ぎゃあぎゃァァアアアッうッせえンだよおおおおおおおオ”オ”オ”オ”オ”!!! このっっっブスッッッッッッ!!!!!」
木の棒で、思いっきり側頭部をぶっ叩かれたみたいな感覚だった。
「ぶ…す…? ぶ……ブ……へ…ぇぇ…っ???」あーしは呆気にとられた。一瞬、天原に何を言われたのか理解できなかった。そして、その暴言で殴られた事が理解できた時には、天原はあーしの手を鋭く振り払って、廊下を走り去っていた…
「ぶす…ぶすううぅぅッッ!? ハァぁああああああああああああああッッ!? 言う? 普通? ンなコトっ!? ブスって!! しかも面と向かって正面からああああああああああああああええええええぇぇェェエエッッ!!??」
それから数時間たって学校から家へ帰ってきた後も、あーしの腹の虫は治まらなかったし、あーしは制服のスカートが捲れるのもかまわず、ぬいぐるみを顔の前に抱えて、ベッドの上でうめき声を上げてごろんごろん転げ回った。
教室でも話し声を聞いたことがない。授業中、先生に指名された時にしか人と喋らない。大人しい臆病な女の子だと思っていた――(「天原隠零」というクラスメイトへのあーしのそんな印象は、今日ッ! 今日だあああ!! あーしの中で音を立てて完の全の完ッッ璧にぃぃッ崩れ去ったあああああああああああ!!)
朝、学校の階段の踊り場で詰め寄るあーしの前から走り去った天原隠零は、その後教室へ戻ってくることなく、学校を早退した。
「ミコト…知ってる? あなたの素敵なおっぱいが当たっているわ…。今日のあなた、すっごく甘えん坊ね…。何かあったのかしら? うふふ…♪」
中学生くらいの背の低いヒメちゃんの腕に、強引に自分の腕を絡ませて体をすり寄せるあーしに、ヒメちゃんは何もかもお見通しみたいにあーしの顔を見上げて、悪戯っぽく微笑んで魅せた。
「もしかして、天原さん…の件かしら…? うひひ…っ」
階段の踊り場で天原に逃げられた、その日の放課後。あーしはヒメちゃんとシカちゃんの二人の腕に自分の両腕を絡めて、三人でくっつくように学校から帰った。
(昨夕と同じ事が起こるかもしれない。また町が襲ってくるかもしれない! その時は、あーしが二人を連れて逃げるんだああ!)ホクホクとした笑みをあーしへ向けてくるシカちゃんとヒメちゃんの二人の間で、あーしはそんな熱い決意を腹の底で抱えていた。
標識や看板、道の端に立つ街路樹やお地蔵様。道の向こうから走ってくる車や自転車――通りかかる「町」のモノ全てに、銃口を向けて戦闘態勢をとるように警戒するあーしの様子に、
「確かにヘンなのおぉ~♪ ミコト、さっきから犬みたいに唸ってるしっ☆ ガウガウっww どわァァっはははははwww」
シカちゃんは、ゴロゴロと喉奥で唸るあーしの首の下に指を置いて、笑顔であーしの喉をくすぐってくるし、ガウガウ∪・ω・∪ と犬のマネをして吠えて楽しんでいる。
「そ、れ、に、それにそれにいぃィ~っ☆ 朝、うちらが来た時から、けっこうな騒ぎだったよなあァw 「ミコトがあの天原に告った」ってっww どわっははははっ♪」
「ち、ちがああッ、ちがうったら! 本当に違うんだからねええぇ! こここkっ告白なんてするわけじゃいじゃぁああンっ! あ、あんな…人に向かってブ…――(「ブス!」と天原に言われた痛烈な言葉を、あーしは咄嗟に飲み込んで)あ、あんな奴ぅぅ…っ、何とも思ってねーーーーーーーーーしいいいぃィ!!!!」
「え~っw でも、別にソッチでよくね?」と、笑顔で更に煽るシカちゃん。
「…「心根の素直なギャル」と、「ミステリアスな少女」の二人の恋愛…。イケるわ…新しい需要の金脈を、わたしは見つけたかもしれないわ…」シカちゃんの言葉を受けて、ヒメちゃんが期待を込めた目をあーしに向けてくる。
「いや、いやいやいややや、ぜったいぜッッッッッッッたいいいぃッヒメちゃんが言うようなそんな需要なんてないからああああああァうわああああっっ!!」
ソッチへ話を進める二人に、あーしは顔を真っ赤にして、天原との関係を全否定した。で、その後も三人でくっついて会話を楽しみながら、結局、何事も起こらずにそれぞれの家へ着いた。
学校の教室の窓から見える景色の中に、ぽつん…と蝋燭のように立った白い一本の煙突。
その煙突の先からは、晴れの日も、曇りの日も、雨も日も、一日も休むことなく白い煙がもうもうと宮崎の空へ伸びていて、あーしはいつもそれが気になっていた。
――あの煙突…なんだろ?
教室から窓の外を眺めながら、なんの気なしに漏らしたあーしの独り言に、
――ああ。あれは、火葬場の煙突だよ。
クラスメイトの女の子は、当たり前のようにそう返した。
その日以降も、一日も休むことなく稼働し続ける「煙」と、目の覚めるような青空に、白い骨のように伸びた「煙突」の見える町の景色が、あーしは少しだけ、怖いと思った。