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【書籍化】シンデレラは探さない。  作者: 斎藤ニコ
【竜宮の乙姫さまは引き留めない。】
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第31話 名前(宮子視点)(β)

 今日は気分が最悪だった。

 なにがあったというわけではない。

 でも一年の間に何回かは、こういう気持ちになる。


 すべてを忘れて海の中に沈んでいきたいような――そんな気持ち。

 

 でもアタシには酸素が必要で、だからアタシは地上に縛られている。

 海に漂うことはできないし、貝のなかに引き篭もることもできない。


   ◇


 友達からのカラオケの誘いを断った放課後。


『お願い! ミヤコ目当ての男の子も結構いてさ、それでどうしても来てほしいんだ……!』という友達の懇願がなんだか心に刺さって抜けない。


 別になんでもないんだけどさ、と思う反面。

 それってどうなんだろうなあ、とも考えてしまうのは私だけなんだろうか。

 まあいいや。

 断ったし。それで明日から友達が消えても、アタシが消えることはないんだから。


 重い足を引きずって自宅に向かっていると、なんだか不思議な光景を目にした。


 ランドセルが浮いている……いや、違うか。

 ランドセルを背負った人間をさらに人間が背負っているから、遠目で変な感じに見えたんだ。


 気が付いてみれば単純なこと。

 ま、アタシには関係ないけど――歩く速度の違いから段々と近づいてくる光景。


 結論から言うと、ランドセルは大いに私に関係があった。

 それは世間体的には『弟』とされている、しかし実のところ何にも関係のない同居人のエニシくんだったからだ。


(どうしようか……)


 声をかけるのを一瞬でもためらってしまったのは、彼が血のつながった弟でもなければ、戸籍上で証明される弟でもないからだろう。


 多分。


   ◇


 アタシの家は特殊な状況に置かれているのだと思う。


 父親はどこにでもいるようなサラリーマン。

 母親はアタシが2歳のころに家出をしたという。


 二歳のアタシは、父と祖母二人の手によって育てられた。

 といっても父はがむしゃらに働いては、アタシの頭を力強く撫でるだけ。


 基本的には亡くなってしまった祖母が一人で担ってくれた。


 とても優しい人で、よく「怒っちゃいけないよ」と言われていた。


 きっととても優しい人で、だから母が出ていったあとは働くしかなかったのだろう。


 祖母はよく昔話を聞かせてくれた。

 古い話ばかり聞かせてくれて、今風のテレビなんか見せてもくれなかった。


『ねえ、この浦島太郎も、怒っちゃいけないの? 亀助けたのに、おじいちゃんになっちゃったよ』


 詐欺みたいなものじゃないか。

 相手は良かれと思ってやってるのかもしれないけれど、浦島太郎からしたら「こんなことになるなら、先に言ってくれ」と言いたいに決まってる。


 でも祖母は静かに首を振った。

『恨んじゃいかん。怒っちゃいかん。話が終わらなくなる』


 その時はわからなかったけれど、今なら少しだけわかる。

 もし今の状況でアタシが駄々をこねれば、それこそ話は終わらなくなるからだ。


   ◇


 父が、父の彼女である『ユカリさん』をアタシに紹介してきたのは、祖母が亡くなった翌年――中学二年生のころだった。


 仕事一辺倒だった父に、まさか彼女と呼べる人がいるのも驚きだったが、もっと驚きだったのは『再婚は、まだしない』という宣言だったし、更に驚いたのは「彼女でもないんだ」という矛盾したような言葉。


 だって普通、紹介するってことはそういうことだろう?

 だが現実はアタシの予想を超えた。


 再婚は確かにしないし、彼女でもないと言い張っていたが、『新築の家を、姫八という遠い土地に作ったので、高校入学を見据えて引っ越ししよう。もちろん皆で暮らすんだ』という提案がなされた。


 怒らず感情的にはならない父にしては、やけに無理やりな決定だった。


 それにしても、最初こそ、その提案は信じられなかった。

 おばあちゃんとの思い出が詰まった土地を離れて、よくわからない土地で、よくわからない人と同居する――だが、ある日おばあちゃんが夢に出てきた。


 一言。

『怒っちゃいけないよ、ミヤコ』

 だから私は頷いた。

 

 再婚相手ならぬ再婚候補のユカリさんには子供が一人いた。

 それがエニシくんだ。


 アタシは彼が感情的になっているところも見たことがない。

 きっとエニシくんにも何かがあるのではないかな――そんなことを考えていたら、季節は勝手に過ぎていった。


   ◇


 中学三年から姫八に引っ越してきた。

 新築の家はとても立派だったが、どこか他人の家のように見えた。

 同居が始まると、アタシたち四人はまるで家族のように過ごすことになった。


 怒らない――アタシはおばあちゃんの言葉を胸に生きていた。

 怒らないということは、感情を殺すということだと思っている。

 だからアタシは必要以上の関係を生まないようにした。


 とはいえ、エニシくんはとてもいい子だったし、ユカリさんはまるで母親であるかのようにアタシの身の回りの世話をしてくれた。


 一度、ひどい風邪をひいたことがある。

 そのときのユカリさんの慌てようといったらなかった。

 過剰なくらいの気づかいに、思わず『疲れるから、普通でいいです』とお願いしたところ、ひどく困惑されてたことがあった。


 たしかにアタシもそのあと、気が付いた。


 遺伝子も、それこそ戸籍上でだってつながりのないただの同居関係――他人でしかないアタシたちに『普通』なんて求めたって、何が出てくるわけもないのだ。


 だったら早く再婚をすればいいのに。

 

 どうせ父はアタシに気を使っているのだろう。

 多感な時期だから、とか思っているのだろう。

 受け入れられるようになったら事実上の家族になろう、とでも話し合っているのだろう。


 だが、そんなもの、いつまでだって多感にならざるを得ない。

 揺れる感情を必死に押さえつける以外の方法なんてあるのだろうか?


 寄せては引いていく波に終わりがないように、アタシの心が落ち着くことはないだろう。

 

 エニシくんがどんなに良い子でも。

 ユカリさんがどんなにアタシのことを大切にしてくれていても。

 あたしの心は2歳に母親に置いて行かれたまま。


 玉手箱を開けたみたいに、体と心は乖離している。


   ◇


 そうして現在。

 揺れるランドセル。

 結局、声を掛けてしまった帰り道。

 

 アタシは彼と出会った。

 意味が分からないタイミングで人のことを笑ってくる、よく分からない人。

 一つ年上の、学校の先輩。


 彼の名は荒木陣、というらしい。

 

 なんだかお節介で、失礼な人。

 でも正直なところ、病院受診は助かった。

 アタシ一人では大変なことだったろう。


 タダより高いものはなし――でも、彼は何も要求をしてこなかった。

 夕方までかかったというのに、笑顔で別れた。

 エニシくんが『優しいお兄さんだったね』とつぶやいた。


『不思議な人だね』


 アタシは何も考えずに頷いていた。


 荒木陣。

 同じ学校とはいえ姫八学園は広大だ。

 意図して探さなければ再会することは難しいだろう。

 でも学年と名前を知っていればどうともでなる……、あれ、そういえば。


 自分の名前を教えていない――。


 そのことに気が付いたのは、その日、湯船につかってホッと一息をつき――頭にこびりついて離れない彼の失礼な笑顔を、記憶の筆でなぞっている時のことだった。

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