06-02:仄暗いところで
これまでの話:商人の子ホイルは、豪商ザール氏の娘ディアンに誘われて、ザール邸に行くことになりました。
午後になり店番を替わると、さっそくザール氏の邸宅へと連れてこられた。
「遠慮しなくてもいいわよ。お父様もお兄様も夜になるまではお仕事に出てるから」
門をくぐると、木を植えている庭があった。この街では庭のある家は珍しい。
敷地は普通の民家10軒分以上ありそうだ。
「相変わらず広いね」
「広いけどつまらないわ。私は広い家にずっと住むより。行商人になって世界中を見てまわりたい」
それはきっと何不自由なく生活してきたディアンの贅沢な夢だ。
多くの人間が見ればやはりこの邸宅は魅力てきなはずだ。
「ディアンらしい夢だね。だけど町の外は危ないよ、モンスターが出るよ」
「そんな事ホイルに言われなくても分かってるわ。強い冒険者を雇ってもいいけど、私が強ければ問題なしよね」
確かに。商人の何割かは戦う力を有している。
見た目に反して手強かったりするのでモンスターからすれば意外と厄介な相手なのだ。
「ディアンが戦うのかい」
「笑ったわね」
ディアンはむすっとしながら、家の戸を開く。
中は広いが普通の家と変わりない。ザール氏は富豪であるが財を見せびらかすような真似はしない。
街の人からは倹約家ともケチだとも言われていた。
「先に昼ごはんにしましょ」
そう言うと、ディアンはテーブルのある部屋へと行く。
「ハンナ、ハンナ居る?」
「お嬢様お帰りなさいませ」
使用人のハンナが奥から出てくる。
「お昼ご飯はホイルも一緒に食べるわ」
「すみませんハンナさん」
こういう時は殊勝な態度を心掛ける。
「一人も二人も変わりはしませんよ。すぐに用意します」
テーブルに座って待っていると焼いたパンの匂いがしてきた。
「はいどうぞ。今温かいミルクも持ってくるからね」
ハンナはテーブルにパンがいくつも入った木皿を置いた。
パンはスライスした状態で、上にチーズが溶けた状態で乗っている。
ホットミルクもすぐに持ってきてくれた。
「うわあ、美味しそう」
木皿から一つとり、遠慮なくかぶりつく。
隣ではディアンが同じようにパンにかぶりつき「熱っ」と声を上げていた。
「窯で炙ったばかりだからチーズが熱くなってますよ。あわてなくても逃げやしないのでゆっくり召し上がって下さいな」
ディアンは「わかってるわ」と言うとフーフーと息を吹きかける。
なるほど、これはかなり熱くなってるのか。
ディアンを真似してパンに息をかける。
横目でディアンをみながら、同じタイミングでパンにかぶりつく。
「美味しいわ」
「うん。おいしい」
ハンナは満足そうな顔をすると、台所へと下がった。
パンをかじってはミルクを飲む。何個でも食べれそうだ。
次のパンを手に取りかじりつく。そしてまたミルクを飲む。
三つ目のパンをかじってるときにディアンの視線に気づいた。
「ホイル今日はたくさん食べるのね」
しまった。どうやら食べ過ぎたようだ。
「あはは。今日は寝坊して朝食を食べ損ねたんだ。じつはずっとお腹ペコペコで」
「そうなんだ。いいわ私は十分だから残りは食べて」
何とか誤魔化せたかな。
せっかくなのでパンは貰っておこう。
食べ終わると、ハンナさんが木皿とコップを下げてくれた。
「じゃあ、食事も終わったしいいもの見せてあげる」
ディアンは屋敷の奥へと入って行く。
ザール氏の屋敷は何度か訪れた事はあるが、庭か食堂にしか入ったことが無い。
ディアンも後ろめたいのか、ハンナさんの目を盗むように案内する。
「大丈夫?変な場所に入ると怒られないかな」
「平気よ、お父様今日は夕食も外で済ませてくるはずだから。夜にならないと帰って来ないわ」
それは見つかれば平気ではないと言ってるのと同意だ。
別に怒られるのはいい。しかし殴られでもしたら大変なことになってしまう。
暗い廊下を進み扉の前で立ち止まる。
「ちょっと待ってね」
ディアンは屈むと床板に空いてる穴に指を突っ込む。そのまま引っ張るとパカッと開いた。
開いた場所に手を入れて何かを取り出す。
「ここに鍵を隠しているのはナイショね」
ディアンは取り出した鍵で扉を開いた。
真っ暗な部屋に入ると、すぐに窓を開けて光を取り込む。
部屋の中はいくつもの木箱と織物、鎧に剣まであった。
「何だい、この部屋は」
ホイルは恐る恐る入る。
「ただの物置よ、借金のカタに取り上げたものや、売れ残り、何なのかよくわからないものもあるわ」
ホイルの目の前には、木彫りのクマがあった。その頭を触ると中にバネが仕込んであるのだろう、カタカタと動いた。
何が嬉しくてこんなものを持っているのだろう。さっぱりわからない。
「来て、ホイルに見せたいものがあるの」
ディアンは箱の中から一冊の本を取り出し、差し込む光の下に広げる。
「何の本?」
「武術指南書よ。最近見つけたの」
広げられたページには、人間が何やら構えている絵と、多分その絵に関する説明が書いてあった。
戦う為の手法を記した本だ。
「へえ。すごい本だね。でもこんなものを読んでどうするんだい」
ディアンがあきれた様にホイルを見る
「分かってないわね。これを読んで強くなるのよ。そして世界を巡る商人になるのよ」
「読んだだけで強くなれるの?」
「も、もちろん戦う為の練習もするわよ」
どうやら本を読むだけで強くなると思っていた様だ。
「他にもあるのよ」
そう言って、箱からさらに3冊の本を取り出す。
革製の表紙には、武器指南書、戦術心得と書いてある。
「武器で戦う方法に、戦術の本か。表紙に家名と家紋かなヴァルヴェール家とあるね」
「聞いたこと無い名前ね。どうせお父様に借金をしたどこかの貴族でしょ」
「家名が入ってるってことはその家にとって重要な物って事だよね」
「知らないわよそんな事。ウチにあるならウチの物よ」
非難するつもりは無かったのだが、ディアンはそう受け取ってしまったらしい。
何とか話を変えようと、残っていた一冊の本を手に取る
「これは指南書じゃないみたいだね」
他の本に比べると薄く。ぱらぱらとめくると、半分以降は白紙になっている。
「ちょっと見せて」
ディアンに本を渡す。
「何かしら。日記……じゃないわね。これ詩集だわ」
「詩集?」
「ヴァルヴェール家の誰かが記録してた物のようね。恋の詩かしら情熱的だわ」
ページをめくり、うっとりとするディアン。
何が書いているのかと覗き込むと意味不明な言葉が並んでいる。
何を伝えたいのかさっぱり分からない。
「でも何故、指南書に混ざって詩集がここにあるのだろう」
「表紙が似ているから、間違えて持ち出されたのかもね」
ディアンは、もう一度指南書を手に取ると、得意気にその内容についてホイルに説明を始めた。
誰か情報を共有できる相手が欲しかったのだろう、随分と楽しそうだ。
「何をしている」
その声でディアンはしゃべるのをぴたりと辞めた。
振り返ると入り口にザール氏が立っていた。
「何をしているのかと聞いている」
ディアンの肩がびくりと動き、震えている。
ザールは普段から不機嫌と思えるよな声をしている。
しかし本当に怒った時はやはり違うのだなと思った。
静かに、敢えて平静を保とうとわずかに震える声。
怒られるのはいい。しかし殴られるのはマズイ。皮膚に直接触れられるのは、避けなくてはならない。
「旦那様申し訳ありません。私がお嬢様に珍しい本を見せて欲しいと頼みました」
もしこう言えば、頭の良いザールはディアンを庇って僕が嘘をついていると見抜くだろう。
そうなれば嘘をつかせたディアンにのみ責任の追及をする可能性が高い。
ディアンの話から、ザールが身内に対して厳しいのは分かっている。
誠実な人間性を見せれば怒られるだろうが、殴られるほどではないだろう。それで問題無い。
だがディアンは厳しく叱責される。
……。
ディアンには先ほどパンを譲ってもらった。
ひとに借りを作るのは面白くない。
仕方がない、ディアンも怒られない方法を試そう。
「今日僕たちが店番をしていた時の事です。冒険者の方がお召し物を買いにいらっしゃいました。その方のおっしゃるには、戦いの邪魔にならず、動きやすい、それでいて丈夫な物が欲しいとの要望でした。私もディアンもお客様の要望に応えるべく、いくつかの商品をお見せしたのですが結局満足して頂ける物は見つからず、商品を売ることが出来ませんでした」
ザールはじっとこちらを見ている。突然喋り出した使用人に興味を持ったようだ。
「ディアンは自分に知識が無い為にお客様を逃してしまったと残念がっていました。ですから僕は本を読んで武術の知識を身に着ければ良いではないかと彼女に提案しました。彼女はこの場所を思い出し二人で学ぼうと誘ってくれました。もちろん旦那様に許可を取るべきでしたが、仕事に忙しい旦那様に私達の為に時間を割いていただくのは申し訳なく思い勝手にこの場所に入った次第です。申し訳ありませんでした」
これは全くの嘘だ。しかしこの嘘をザールは信じる。
身内への厳しい態度は商売に対して真摯であって欲しいという気持ちの表れだ。
ザールはディアンが商売の為に行動したとあればそれを信じたい。だから信じるのだ。
「ホイル。今日はずいぶんとおしゃべりだな。……まあいい。商売に対して熱心な事は良いことだ。しかしだディアン。私はここに入るなと言い、お前もそれを承諾したはずだ。この約束を反故した罰は受けなくてはならない」
震えるディアンは一言「ごめんなさい」と言った。
ザールは大きくため息をついた。
「ディアン、夕食は抜きだ。その本は明日渡す予定だから渡しなさい。他に触ったものがあるなら元に戻して、さっさと出ていきなさい」
どうやらザール氏は留飲を下げた様だ。
こうしてこの日一番の危機を乗り切った。
これからの話:さて、ネタばらしです。
次回「ミスターダウト」




