百高地にて
「宮様は皇族らしからぬ男だった。が、何処の誰よりも覇気溢れる男だった」
(猿田照光少将[当時]の回顧録より抜粋)
ポルスィケ=クシェスツォ連合王国の位置するエウロパ平原は広く、黄金色に輝く麦畑が一面に広がっており、遠くを望めば望むほど世界が広がっていく様であった。
第三〇一特別大隊(憲久支隊)副官・勝徳久大尉は山の上から眼下のエウロパ平原を見下ろしていた。
彼は細筆で描いたような綺麗な眉に丸みを帯びた優しい目つきで、鼻は高くも低くもなく、髪は騎兵風で整った短さである。背丈は一間八〇節以上あろうかというくらい高く、身体つきは一見細いが筋肉質であり、「美男」という言葉を体現していた。
彼が街を歩けば女は年齢問わず振り返り、衆道家は思わず感嘆の声をあげるほどであった。
「大尉、勝大尉」
背後から彼を呼ぶ声が響く。若く、どこか覇気のある声であった。勝はその声の主の元に駆け寄り、気をつけの姿勢を示し敬礼した。
「はッ、お呼びでしょうか、隊長」
「休憩中痛み入る、大尉。今後の行動について話し合いたい」
声の主の男の名は征鷹宮憲久少佐。皇親家の征鷹宮家の長子である。しかし、彼は皇族らしさを感じさせない、生粋の軍人であった。顔つきも、キリッとした眉に眦高い目。高くはないが整った鼻に、丸刈りをそのまま伸ばしたかのような短髪。背丈は勝よりも少し小さい。
憲久は勝の同意を得ると、腰に付けた地図を取り出し、地べたに広げて四隅に石を置き、腰を下ろした。
「つい二刻ほど前、紗環平野の方は決着がついたらしい。さっき※念術兵から報告があった」
「はい」
勝は抑揚なく、実に副官らしい返答をした。
「第一軍からも新しい命令が下された」
「と、言いますと?」
「『敵警備戦力の行方知れた為、引き続き偵察任務に従事するも良し、魯州軍と合流し進撃するも良し』とのことだ。黒乃木将軍らしい。実に単純明快な命令だ」
黒乃木の単純明快な命令文を勝は瞬時に意訳した。
「『脅威もない、自由にしろ』ということですね」
「そうだ」
憲久は地図の上に小石を並べ、現在の帝国軍の位置を示した。
「我々の南に魯州軍、北に淡洲軍(第三軍)、そして魯州軍の更に南方のヤイカ要塞に狛州軍(第二軍)……。大尉、君ならどうする?」
勝は顎に少し手を当てて考えた後、地図上の小石を指差し、己の考えを示した。
「我が隊のような、大隊あがりの部隊の補給は決して恵まれているとは言えません。進むならば第二軍の元へ行き、廻船団及び東征艦隊の出迎えの準備を手伝います。
留まるなら、この百高地を強固な陣地に仕上げます」
「その理由は?」
「はい、この百高地、偵察からの報告やこの地点からの観測から察するに、このエウロパ平原における最重要防御拠点となり得ます」
「なるほど、君もか」
「はい隊長、此度の御親征、必ず……」
憲久は勝が言わんとすることを手で口止めし、フッと微笑みながら首を横に振った。そして
「確かに、遮蔽物が何もないこの平原において、標高一〇〇間もの小山は整備すれば要塞級の陣地になるだろう」
憲久は続いて疑問を問いかけた。
「しかし、東方鎮定軍本部や陛下の近衛軍にはどう説明する?」
憲久はおそらくこの時、あるいは、勝が提案した時点でもう気付いていたのかもしれない。実にわざとらしい質問であった。
勝はこう返した。
「はい、『物資を敵の遊撃騎兵から守るために防衛強化した拠点』という子供騙しか、
第三軍、すなわち殿からの命令ということにします。勿論、後者の場合、正式な書類を作成するつもりです」
憲久は笑った。
「実に君らしい、三四郎。どのみちそれしか頭にないのだろう?」
「よくお分かりで、憲久様」
二人は笑い合った。思えば、この二人は乳兄弟であり、主人と従者であり、大親友同士であった。そのことを知らぬ新兵は、実に不思議そうな顔をして笑い合う二人を見ていた。
しかし、憲久と勝の目論見は物理的に不可能となった。
二人の意見が合致した後、憲久は支隊隷下の各隊長を集め軍議を執り行っていた。
そこに、一人の退役間近の老兵がやって来て、憲久とその他の上官たちに敬礼し、憲久の元へ寄った。
「若、勝様、お取り込み中申し訳ございません」
この老兵の名は西田覚ノ助。階級は曹長。古くから征鷹宮家に仕えており、憲久とは憲久が乳飲児であった頃からの付き合いである。現在は憲久の従兵となっているが、この部隊では最古参の古強者であるため、この部隊で実質二番目に偉い人物でもある。
「覚ノ助、どうした?」
憲久は顔だけ西田の方を向いて尋ねた。
「はい、近衛軍の使者だという方がお見えです」
「近衛軍から?」
「はい、しかし、使者と言うにはどうもやんごとなき階級の方でした」
また面倒な。どうせ見栄だけの貴族将校が、補給物資を寄越せだの先導しろだの、終いには自身の身分の高さ(まぁ、僕より低いんだが)をチラつかせて鬱憤晴らしでもされるんだろう。まぁ、後々面倒だから、会うだけ会って適当にあしらっておこう。
嗚呼、先祖の栄光だけでロクに畑を耕そうともしない腐敗貴族ほど苛つくモノはない。まだ見え隠れして出てこない敵の警備騎兵のほうがマシだ。
「わかった、すぐ行こう。副長、西田、付いて来い。皆、軍議を続けておいてくれ」
憲久は勝と西田を伴って丘を下った。
予想通りの貴族将校の場合、まず勝家の名を聞いただけで萎縮し、皇親である征鷹宮家の名を聞いた時など、慌てて馬から飛び降りて地面に額を擦り付けたまま退がって行く。憲久は普段は「身分など戦さ場では関係ない」と言って、決して身分を誇示することなどなく、ただの一軍人として振る舞うのだが、面倒な貴族将校に絡まれた時のみ身分を利用した。
丘の麓には、お供の騎兵を引き連れた二名の軍人がいた。その内の一人を見た憲久は、それまでの嫌々とした態度が一変。とても嬉しそうになった。
「おお!猿田!」
憲久は中佐の階級章をつけた将校の元へ駆け出した。
「ははは!宮様よ!生きてたか!」
この男の名は猿田照光。今となっては小さくなったが、帝国の前身、大鷹国の初代大王・鷹憲大王の頃より皇家に仕える名門将家の者である。憲久とは幼年学校の頃からの付き合いで、とても親しい仲であった。
ちなみに勝とは首席を争った良き好敵手同士であった。
「しかし猿田、何用だ?陛下の御勅命でも伝えに来たのか?」
「いや、それとはちょっと違うな。正確に言うと、この人の護衛だな」
憲久と猿田は横にいるフードを深く被った男の方を向いた。途端、憲久は驚いたように眼を見開いた。
「先生、先生じゃありませんか‼︎」
「先生」と呼ばれたその男は、フードをとると、とても温和な笑顔を見せた。
「いやはや、憲久君、大きくなりましたね。数々の武功、先生も風の便りで聞いておりましたよ」
男の名は光本兼昌。階級は元帥。御親征軍軍事指南役である。
この光本より下された命令が、憲久の今後の人生を大きく動かすこととなるのだが、当然ながらそれに気付く者など誰もいなかった。
続く……
※の解説
※「念術」と呼ばれる術を使い、念話を行い他部隊との連絡を担当する兵士。主な任務は司令部からの指令を各部隊に伝達すること。
念術士はある世界的宗教団体から激しい弾圧を受けており、その宗教を国教とする国では見つかり次第処刑されてきた。八百万の神々を信奉する帝国ではそのような弾圧は一切行われておらず、念術士は国によって保護されている。
まぁ、今回になってやっとこさ主人公の出番ですよ、遅すぎましたかね?
文書が長すぎて、話が見えなさすぎて、支離滅裂な文書と化してしまった
まぁ、頑張ります……
(p.s. 近々改題しようかと思っております)