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ある大征帝の伝記  作者: ウザン工廠
血塗られた東方親征
7/9

紗環会戦 後編

「彼は、その指揮した戦闘の内容だけ見れば、ただの野蛮な将であるが、その人間性を見ると、彼ほど素晴らしい人間はいない。竹を割ったような性格で、豪胆で、誰よりも温和で優しい人であった。私はつくづく『かくありたい』と思ったものだ」

(東方鎮定軍魯州軍騎兵幕僚長ミェシュコ・ジェリンスキ大佐の回想録より抜粋)

勲章という名の羊を追って来たハズが、いつの間にか自分たちが勲章という名の羊と化していた。しかも、狼が包囲する中で。




逃げる帝国軍を追い、一気に勝負を決めに行こうとしたポルスィケ軍第2軍は、優勢から一転、一気に劣勢に陥った。

情け無く逃げ出したように見えた帝国軍主力は囮で、第2軍が追い付いた時には、隊列を整えて、全ての銃口を夷狄に向けていた。

一斉に銃口から火を噴き、白く硝煙臭い煙を巻き上げ、唸る鉛玉は寄せ来る夷狄の腑を喰らいちぎった。

これを受けた前線指揮官は今になって先程の敵の逃走は罠であったことに気づき、即刻撤退せんと自部隊に命令を下そうとしたが、後ろからどんどん何も知らない味方が押し寄せるので、撤退しようにも撤退できず、ただ嬲り殺されるのを待つばかりであった。


前方での異変に気付いた後続部隊の指揮官たちは、敵正面を迂回しようとした。が、それも失敗に終わった。

迂回運動をとろうとしていた後続部隊の左斜め正面より砲音が轟々と鳴り響き、隊列の近くに砲弾が次々と着弾した。敵の伏兵部隊が前進を始めたのだ。

そして後続部隊最終班も混乱と敵兵を迂回するために、右回りに大きく迂回運動をとろうとした。が、案の定、そっちにも敵の伏兵がおり、第2軍は三方より囲まれる形になった。




この戦法は、かつて土元家のお家芸と呼ばれた「釣り野伏せ」という戦法に酷似している。

この戦法について記された最古のものは、帝紀三〇〇年のものである。

当時まだ帝国本土である中央大陸は長きに渡る内乱状態であった。大陸各地の諸侯が、正統派、新王擁立派、独立派に分かれ、正当派の大鷹帝国初代皇帝・太始帝が統一するまで、約四〇〇年以上に渡ってその内乱は続いた。

正統派であった土州候・土元利益(どもととします)の治る土州は、隣州の独立派、織州候・楯部玄山(たてべげんざん)の軍六万五千に攻め入られ、窮地に陥った。六万五千の兵に対して、土元が動かせる兵は三千。そこに馬州候・眞鍋源幸(まなべもとゆき)からの援軍三千が加わり計六千。兵数差はおおよそ一一倍。到底勝てる見込みなどなかった。

利益の弟、土元益久(どもとますひさ)は、この数の差を覆すべく、大胆な策を使った。それが『釣り野伏せ』である。

益久の策は見事成功し、敵味方弓引く間もないほどの大乱戦となった。結果、楯部軍は一万二千ほどの死者を出し敗走した。積み上げられた死体の中には、楯部家重臣の者や楯部玄山本人の死体もあり、この会戦は織州楯部家の崩壊を招くなど多大な影響をもたらした。




そして時を戻し紗環平野。ポルスィケ第2軍はじりじりと包囲の中心部に追いやられ、分裂した3隊が中心部にて再集結するほどまでにその網は迫っていた。

迎え撃とうにも、砲が足りない。前進速度が速すぎたせいで、少数の騎砲しか持って来ることができなかったのだ。僅かな希望にかけて騎砲を撃つも、例の通り敵は怯えることなく前進してくる。


そして勝負は決した。


黒乃木は敵との距離が三隊とも平均して五〇間になったところで攻撃命令を下した。第一軍の持てる火砲全てが火を噴き、包囲網の中心にいるポルスィケ兵は次々と赤い花を咲かせ散っていった。


しかしここで第2軍に天の助けが舞い降りた。

包囲網の一部、紗環川方向がガラ空きだったのである。

生き残った数千名の兵は、皆我先にとそこへ殺到し、自軍の陣地方向へと走った。陣地へ辿り着けば、第2軍ご自慢の重砲隊がいる。


が、これも黒乃木の罠であった。


陣地へ逃げるポルスィケ兵たちの背後から、地鳴りをあげて接近するモノがいた。

大鷹帝国繁栄の第一の理由、その勇敢さ、機敏さ、破壊力、精強さで、世界を震撼させた騎兵である。

二個旅団規模の騎兵隊の突撃。当然生き残れる歩兵は稀である。ましてや、それが背を見せて逃げる敗残兵となれば、生存率はより低い。

そこからというものの、その凄惨さは、数々の地獄を見てきた古参の兵ですら吐き気を覚えるほどであった。

泣きながら逃げる少年兵の首は宙に舞い、躓いて転んだ兵の背骨を馬が踏んでへし折り、連なって逃げる兵たちは槍に串刺しに、騎馬擲弾を投げつけられた兵は四肢がもげ、騎銃の弾で頭に風穴が開いた。

その光景は、地獄の風景の一部を地上に再現したかのようであったという。

これには第一軍幕僚団も驚き、黒乃木にこの地獄を作り上げた理由を問うた。

曰く、


「あれでも一部はそのまま見逃すつもりである。今後の戦局を有利に進めるには、恐怖が有効と見たまで。ただし、降伏した兵は世界国家間規約に基づいて、丁寧に扱うべし」


この会戦における、黒乃木の狙いは「恐怖の伝染」そして「捕虜の扱いの良さの宣伝」なのだという。恐怖は敵の士気を下げ、捕虜待遇の良さは敵の懐柔となる。



包囲網中心部の敵生存者は皆降伏した。

アッシュ大将は戦死しており、第2軍司令官代行には、降伏した生存者の中で最も階級の高い、ミェシュコ・ジェリンスキ大佐が任命され、黒乃木との降伏交渉に臨んだ。

交渉は順調に進み、紗環川対岸で臨戦態勢にあった重砲隊にも停戦・降伏通達がジェリンスキによって下され、ここに紗環会戦は終了した。



しかし、この会戦の影響が後にどうなるかは、まだ誰も知らない。



続く……

また、セリフはない


基本的にこの世界の軍事技術は18後半〜19世紀のものと設定しているので、資料が少なく、苦労してます。至らぬ所、気になった所がございましたら、是非、ご指摘ください。話の展開に差し支えない程度にお答え致します。

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