紗環会戦 中編
『銃剣を笑う者は銃剣に泣き、刀を笑う者は刀に泣き、槍を笑う者は槍に泣く
もし銃万能の時代来ようとも、之不変の真理なり』
(陸軍幼年学校学校長、光本兼昌大将 著「省録」より抜粋)
「敵が背を見せて逃げている」これは絶好の好機である。
そう判断したのが、運の尽きであった。
そもそも、元どおり対岸に陣を構えていれば、ポルスィケ第2軍(第13守備隊)が易々と敗北することは無かったであろう。
陣地には重平射砲などの重砲が多数配備されており、壕が張り巡らされ、優れた指揮系統を実現していた。野戦築城としては完璧だった。
しかし、大鷹帝国第一軍司令官、黒乃木義楨は、この第2軍の最大の弱点に漬け込む、とっておきの策を使い、見事第2軍を紗環平野に引きずり出すことに成功した。
第2軍最大の弱点とは、第2軍の兵士の殆どが「若い」ことであった。若さ故に血気盛んで士気旺盛。が、それが裏目に出た。
老将、黒乃木はこの若獅子共に古典的な挑発を仕掛けた。数名の兵が敵陣の前に躍り出て、敵の神経を逆撫でするような舞を舞い、最後は敵陣に向かって発砲する。といった、おおよそ五〇年ほど前までよく使われたものであった。
結果、見事に頭に血が上った第2軍の兵士達は、逃げて行った憎き敵兵を追うようにして橋を渡り、烈火の如く地を駆け、平地に広がる濁流の如く紗環平野に展開した。
そして今日、一〇月三〇日、朝早くに、第2軍の陣営の近くに、帝国軍※軽兵の姿がちらほらと見え始めた。
予てより迎撃の準備をしていた第2軍司令官、アルベルト・アッシュ大将は、前面の銃兵隊(4個大隊程度)に四列横隊の陣形を組ませ、散発的にやって来る帝国軍軽兵どもに鉛玉の嵐を降らせた。
しかし、散兵線で攻め来る帝国軍軽兵には、ポルスィケ軍の密集陣形から繰り出される集中射撃の効果は薄く、むしろ先行試作量産型の施条銃を装備した帝国軍軽兵の精確な射撃に、一人また一人とやられていく様であった。そうしている間にも、帝国軍軽兵はどんどん自軍の前方に集結し続けていた。
そして戦闘開始の約一刻後、遂に帝国軍第一軍主力が前進を始めた。
その時、ポルスィケ軍第2軍は既に500名以上の銃兵を失っており、帝国軍の戦列歩兵を迎撃、撃退することは困難な状況となっていた。
第2軍は現時点で設置完了していた平射砲、曲射砲、臼砲、騎兵砲などのありったけの火力で忌々しい侵略者どもに鉄槌を下したが、それでも侵略者どもは自国の讃歌を高らかに奏で、歌い、まるで砲弾など無いかの如く前進して来た。
生き残った銃兵が必死に弾を撃ち続けるも、滑腔式歩兵銃では再装填に時間がかかる上に、命中精度が低いため、状況を覆すことはできなかった。
そして両軍互いの距離が※五〇間ほどになり、いよいよ帝国軍戦列歩兵による集中射撃が始まろうとした時、突如帝国軍は謎の行動に出た。
反転して撤退し始めたのである。
まるで何かに怯えるかのように、帝国軍の兵士たちは一目散に、敵に背を向けて逃げ出したのである。その様はまるで、士気崩壊を起こして逃げ惑う敗残兵の様であった。
そして、これを好機と見た前線指揮官たちは、兵士たちを
「見よ、勲章が逃げて行くぞ!追え、追え!」
と囃し立て、態勢を立て直した自部隊を率いて帝国軍を我先にと追い始めた。
一部隊が行くと、また一部隊後に続き、最終的に第2軍ほぼ全ての部隊がこれを追っていた。
アッシュ大将としては、じわじわと詰め寄るつもりであったが、あまり長期戦にすべきでないと判断し、本軍も前進させた。
これこそが黒乃木の狙いであった。
第2軍は墓穴に向かって前進しているとは、もちろん気付いてはいない。
続く……
※の解説
※一間=百節(一間=1メートル)
勉強不足が、目立ちます