龍海伴益 著〈英雄論〉より抜粋
「英雄とは成るものではない。勝手に他人が決めるものだ」
(とある老人の発言)
時とは、川の流れのように常に流れ行くもので、人々の記憶とはそこに浮かべた笹舟のようなものである。
長く浮くものもあれば、すぐに沈むものもある。
俗に「英雄」と呼ばれる人は、ずっと沈まない笹舟のようなものである。
しかし「英雄」とは、語られなければ生まれない。
目撃者・当事者が第三者に語り、その第三者が第四、第五の人間に語り、噂がどんどん広まり、その噂を詩人や文学者が詩や俗本にし、そしてそれがまた広まって、やっと「英雄」は生まれるのである。
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廻国の芸能者が我が国の街角に立ち、人が集まってくると、必ず歌う曲がある。
まず芸能者は歌う前に人々に問う。
「汝らは昭山王七神将の御名をお知りか?」と。
人々は答える。
「勝基寿、嘉井貴逹、寺矢師賢、周義秀、光本秀氏、
土元護久、創野政永。この七人である」
芸能者、また問う。
「では御統一の戦さ、龍巣湖の海戦での英雄は?」
「徳井龍信である」
「では北帝来寇の防衛戦の英雄は?」
「王牧信と幽谷保光である」
「では南伐の遠征の英雄は?」
「淡洲皇親家、征鷹宮直仁親王殿下である」
ここで芸能者は問の趣旨を少し変えて問う。
「では直仁殿下の御子孫といえば誰か?」
人々は待ってましたという顔で答える。
「帝国衆民たるもの、その名を知らぬことはない。
〈大征帝〉憲明帝である」
芸能者はその答えを聞くと、手に持つ楽器の演奏を始める。
「ならば奏でよう。大征帝の御功績を讃えた歌を。改めて皆でその御名を歌い、子に孫に伝えよう。それでは始めようか」
その歌の曲名は「大征帝叙事詩」という。
それは言わば、大鷹帝国第五代皇帝・憲明帝の伝記である。
歌の内容は、軍記物に描かれるような、「英雄」大征帝としての立派な君主像を讃えたものではなく、
「人間」征鷹宮憲久のありとあらゆる視点から観た姿を描いたものである。
もし、この歌の主人公が憲明帝でなければ、御法度になっていただろう。
しかし、憲明帝とはそのような人物なのだ。
どの帝よりも、どの英雄よりも、民衆に尊敬され、讃えられ、愛されている。
それこそ英雄である証拠である。
もし憲明帝、いや、征鷹宮憲久が第二代皇帝、
〈賢帝〉親仁帝の治世に産まれていたのならば、ただ「直仁親王殿下を支えた名将」として名を残すだけであっただろう。
憲明帝は絶好の時に生まれたのだ。
暗雲立ち込める時代に、暗雲を切り裂く一筋の日光の如く。
時代が英雄を求めたときだったのだ。
だから永久不変の英雄なのだ。
もし、後年、憲明帝を超えんとする者が現れたのならば、一つ、助言しておこう。
時代が何を求めているのかを見定め、それに合った活躍をしなさい。
さすれば、人々は君の功績を語り継ぎ、後の世の人々が、君が英雄であるに足りるかどうか、よく吟味してくれるだろう。
「英雄になる」とはそういうものだ。
ずっと英雄の叙事詩を書きたかった。
今回それに挑戦する。