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東奔西走の旅人




 一階の応接室では、ヒメナが内心うんざりしながら穏やかな笑みを浮かべ、旅人たちと向き合っていた。桃色の髪がひらひら揺れている。

 髪質の差は人種の違いからだろうか、この国でこう柔らかな波はそう見ない、なんて考えているのは女の言葉が理解できないからだった。


 旅人は、桃色の髪をした小柄な女と砂色で顔を伏せた長身の男の組だった。

 表でも、中に入ってからも、話すのは女だけ。けれど女は高い声で早口、区切りや音程を違えて捲し立てるので、ヒメナは途中から聞き取ることも放棄して茶酒を手にしていた。苦みと熱が喉を下りる。客人は口を付けただけで置いたので、ただの茶も出した。

 どうやら、レオカディオの郷のものは茶酒を好まないらしい。女はモニカと名乗った。長身の男はリッド。

 揃った名前は間違いなく、レオカディオが語ったかつての仲間のもの。

 呪いの仮面を世に出した原因、彼とヒメナを巡り合わせたそのきっかけ。感謝はあった。けれど此度の訪問で台無しだ。


 きちんと聞き取らないまま、繰り返される部分だけでモニカの用件を知る。

 まだ愛想笑いは保ったまま、目だけ嘲りの色が浮かんだ。


 曰く。


 モニカは、レオカディオを連れ帰りに来たらしい。

 哀れな彼のため東奔西走して知識を掻き集め、ついに仮面の呪いを解く方法に辿りついたと。人は所有物でないのだから、金で買って縛り付けておくなんておかしい。彼に会わせろ、救うのは自分の責任だ、そうして彼は解放されるべきなのだ。呪いの仮面と、ヒメナから。


 目の光る少年を買い取って『展示』していたとは思えない、ずいぶん勝手な話だった。 彼が身の毛もよだつ仮面の子供になって、恐れ売ったのはいったい誰だ? 親のしたことだって、反対もしなかったんだろうに?

 嘲りが、美しいかんばせにまで現れる。

 赤い唇を吊り上げ息を吐き、ヒメナは脇息に凭れかかった。垂れた黒髪で片手を遊ばせる。リッドが黙ったまま唾を飲んだ。

 気圧されかけたモニカは言葉を止め、それでも気の強い瞳で睨みつけた。気だるげに澄んだ黒が跳ね返す。


「会わせるつもりは、ないわ」


 当てつけるよう、殊更丁寧に音を紡いだ。


「どうしてよ!?」

「あの子は私のもの。貴女がどう思おうと、私の所有物よ。貴女に、会う資格は与えてあげない」

「独り閉じ込めて生きさせるつもり!?」

「独りじゃあないわ。私が居るもの。」

「レオはもっとたくさんの人に愛されて生きられる! 昔はそうだった! 彼は愛されて、自由に、そうやって生きるべきなの!」


 吊り上がった瞳は愛らしく潤む。モニカは子供だった、子供だったから仮面の恐怖がより濃く感じられた、そして数多の経験をしたはずの今だって。

 嘲笑さえも消し、目を眇める。

 確かに彼女に苦労の色は出ている。色白な人種のわりに肌は焼け、そばかすが散って、薄っすら傷痕も残っている。柔らかい髪もよく見れば痛んでいる。

 丁寧に磨き上げられたヒメナとは、すべて真反対の女。少女。


「たくさんの人に、ね」


 鼻で笑う。ヒメナに限っては、たとえ嘲弄していようとも美しさを損なわない。


「代わりの効く『たくさん』に、それほど価値があると思っている? 彼が居なくなっても日常の幸福を感じられる人々と、手放せた貴女と、比べられると思うの、私を?」


 呪いの仮面を付けたレオカディオを失えば、ヒメナの日々はまた無味乾燥に戻る。心動かしたのはたったひとつ、あの存在だけなのだ。モニカは頬を赤らめて立ち上がった。

 血色の良くなった肌に、またひとつ、隠れていた傷痕が浮かび上がる。


「あなただって、あなたも、なんでも良いんでしょう!? わたしはずっと、ずっとずっとずっと、レオのことだけ考えてきたの! 条件じゃなくて、レオなの! レオだけなの!」

「だって、その条件を満たすのはレオだけだわ」


 選んだいちばんだって、他に比べるものがなければ唯一と同じこと。それに、後悔と希望ではいつだって後者が正しいのだ。

 呼気が燻る。わなわな震える彼女を横目に手持ちの鐘を持ち上げ揺らした。すぐさま少女が顔を出す。朱帯が軽やかに床に垂れている。


「お客様はお帰りだそうよ」


 表情はいつもの微笑みに戻っていた。はい、と頷きかけた少女の動作を声が遮る。


「話は終わってない!」

「まだ何か?」

「レオを出して! レオだって、自由になりたいはずだわ!」


 どうして猛獣(ペット)の牙を抜かせるため、わざわざ檻に立ち入らせる飼い主が居るだろう? ヒメナは首を傾け、凄艶に微笑んだ。唇の赤い弧。慈愛さえ見いだせそうな、完璧な拒絶の貌だった。

 だれかがごくり喉を鳴らす。誰かはモニカであるかもしれなかった。


「旅の疲れを癒そうというのなら、他の店を紹介しますわ。折角だから、この国にしかないような『見世物』でも買っていったら如何?」


 返答は拒絶。モニカの頭が怒りで白く染まり、浅くなった思考で床を踏み抜かんばかりに勇んで部屋を出る。

 これで帰ってくれればよいものを、別の予感にヒメナは眉宇を寄せた。

 朱帯の少女に目配せすると、心得た通りさっと立ち去りどこかへ向かう。

 桃色を追って、リッドも立ち上がる。モニカが向かったのは案の定店の入り口とは逆だった。


「お帰りの方向が逆だわ」

「こっちが上なんでしょ! 会わせてくれないなら会いに行くだけ!」

「あまり強引なことをするなら、憲兵を呼びます。貴女方は強制送還、レオカディオはそのまま私の元に、それでも宜しいの?」

「ソレより前にぜんぶ終わらせちゃえばいいんでしょ、──リッド!」


 無遠慮な足取りをしとやかになぞるヒメナのさらに後ろ、流れる黒髪を追っていた男が顔を上げる。

 振り返った店主のぬばたまから気まずげに顔を背け、しかし下された命令を従順に受け取った。服の下に吊った親指大の笛を銜え、躊躇いに一時息を止め、それから二人の女に視線をやって目を瞑る。


 吹き込んだ息は、何れの人の耳にも音を届けなかった。ただし聞き留めた一体、山羊のような面立ちの白色。


 繋いだ柵を壊したか紐を引き千切ったか、とにかくそれは裏手から飛び出し戸を破った。

 硬い爪が板を傷つけながら一目散に廊下を駆ける。騒然とした気配は、人のない地下にまで届いた。客もつられて顔を出す。

 店主として、まず客を落ち着かせることが優先された。騒ぎに乗じてモニカは足を進めている。

 駆けつけた警衛が止めようとするも、唸り声をあげる奇怪な大獣に戸惑い揺れる。その状況に満足げに微笑んで、日焼けた足が階段に乗った。三人ゆうに並べる幅のそれが鳴らした小さな音は誰にも届かず、ヒメナだけが目で知った。





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