夢の中の唄
『とおりゃんせ とおりゃんせ
ここはどこの細道じゃ
天神様の細道じゃ
ちっととおしてくだしゃんせ
ご用のない者とおしゃせぬ
このこの七つのお祝いに
お札を納めにまいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらもとおりゃんせ とおりゃんせ』
ふと、この唄が頭に流れた。小さい頃に聞いたことがある程度のこの唄、歌詞までしっかりと頭の中で再生された。
私はきっと、踏み込んではいけない領域に踏み込んでしまったのだ。
行きはよいよい
帰りはこわい
こわい…
「茜ー!遅刻するわよ~??」
お母さんの声で夢うつつの頭が一気に覚醒する。寝汗が半端ない。何か妙な夢を見ていたような気がする。体が重い。気持ちが悪い…。
「茜ー??」
「…はーい!起きてるー!!」
何でもないふりをする。私は誰にばれることもなく、日常生活を送らなきゃいけない。決してばれてはいけない秘密。それを守り通さなければ、皆を守れないから。
だるい体に喝を入れ、ゆっくりと起き上がる。
時計を見るとアラームをセットしていた時間から軽く30分は過ぎてる。…完全な寝坊。それでも焦る気にはなれなかった。遅刻を覚悟して支度をする。
あの夏合宿が終わり、いつも通り2学期は始まった。そこに遙の姿はなかったけれど…それでも、私たちは表面上、元の空気の中を生きていた。
たまに部室に集まったり、それぞれ遙のお見舞いに行って、今日の遙はこんなだった…的な報告をする。
遙の怪我は全治二か月。もう少しすれば学校にも出て来れる。事実、今彼は病室で大変暇を持て余している。お見舞いに行く度に愚痴を言ってくるくらいだ。
今日もまた然り…。
「やー…俺、だいぶ我慢したと思うんですよね。」
「何を?」
「先輩といちゃつくこと。」
「いや、それ怪我したから云々じゃないよね?完治しても許さないよ?」
「えー?もっと労わってくださいよ。観覧車の中で散々俺をいたぶったの先輩でしょ。」
「あんたがあんな行動とらなかったらこうはなってないからね。うん。今病院にいることを感謝しなさいね。」
病室のベッドで不満げな顔をする遙。遙があの時のことをネタにしてくれることが、どれだけ私を救ってくれているのか…彼は理解しているんだろうか?冗談めいて話題にしてくれるから、みんなにも隠す必要がなくなったのだ。
合宿後、皆連れで遙のお見舞いに行った時に遙が落とした爆弾。それが当時の説明だった。
『いや、そもそも俺が先輩襲ったから反撃されたんですよね。』
皆何故こんなことになったのか、聞きたいけどどこまで踏み込んでいいのかわからない…そんな状態だったのに、遙が脈絡もなく話し出したのだ。
『おま…おそ…っ…は!?』
『おぉ…遙なかなかやるな。』
『…馬鹿?』
『僕にはまだ早いーーー!!でも聞きたい…かな♡』
『…自業自得ってわけか。この人騒がせめ。』
多種多様なリアクションの中、私は何も言えずにいた。遙は事実を言ってる。…事実の一部には触れずに。
『だって…デートしてくれるって言ってたのに全然そんな素振り見せない先輩に焦れて…合宿中にすいませんでした。』
淡々と喋る遙に、一同呆気にとられていた。結構な怪我をした理由がそれ…?と。
『えーっと…痴話げんかってこと?』
『ちわ…痴話!?!?』
『あー、うん。翔、とりあえず落ち着くまで黙ってようか☆うるさい☆』
『…はぁ、お前ら何やってんだ。合宿というのはなぁ…』
『はいはい、もう面会時間終了よ。時間はきっちり守らないとね。じゃ、遙。』
ざわつく病室の中、唯一冷静なともちんが場を締めてくれた。…正直助かった。深く突っ込まれたら、遙が確かめたかったこと…そのことを話さなきゃいけなくなるかもしれない。それだけは阻止したかった。
そうだ、口止め…しとかなきゃ。
病室を後にして、皆がエレベーターに乗り込むのを見届けた後、私は素っ頓狂な声をあげた。…この時だけは大女優の幽霊が私に憑いて欲しいと心から願った。勿論、そんなうまく事が運ぶわけなんてなく、私は自らの演技力のみでやりきるしかなかった。
『けっいたい忘れてきた!取りに行くから皆先に帰ってて!じゃ!!』
…若干声が裏返ったけど、まあ上出来だ。私は走った。病院内で走っちゃいけないというのを忘れていて、ナースステーションの前で看護師さんに注意されたけど、途中まで走ったおかげで制止の声を聞くこともなく遙の病室へ戻ることができた。
『…来るかなーと思ってたら…やっぱり。』
突然引き返してきた私に、驚くと思った。でも遙はいつもと変わらぬ調子で私を見ていた。予測…されるくらいに私の行動を単純なんだろうか?
『約束、して欲しい。こないだの…遙が確かめたこと、皆に話さないって。』
『…うん。それは、なんで?』
遙の目が私を貫く。きっとこの瞳の前では私なんかがついた嘘は…見破られてしまうんだろう。私は演技が下手だから。嘘をついたらすぐばれる。それなら…
『罪悪感で…押しつぶされそうなの。』
本当のことを言うしかない。本当の気持ち。それは真実の中の一部。
『私のせいで…私自身の問題のせいで皆を巻き込んだって知れたら、その時皆がどう思うか…それが怖い。』
…うん。私は怖い。皆の気持ちが。真実を知ったら、皆離れていく…
そんなことを心配してるわけじゃない。その逆。
皆きっと、もっと介入してくる。私を助けるため。何が原因で私がユウマに選ばれたのか?原因がわかれば避けることもできるのでは?…皆人がいいから、多分そういうようなことを想ってくれる。
大した自信だ。他人が聞いたら、馬鹿じゃない?自分にそれだけの価値があると思ってるの?…そう言われても仕方ないと思う。それでも私には自信がある。私はそれだけ皆から想われてる。もういいよ…そう言いたい程に。
遙に何が伝わったのかわからない。もしかしたら私の心の奥まで見透かされてるのかもしれない。だけど遙は一言だけ言って笑った。
『…わかった。』
正直完全に安心することはできない。遙は人を食うようなところがあるから。彼の言葉を全て真正面から受け取ることは愚かなことだと、今までの付き合いでわかってる。
それでも、遙がそう言ってくれてよかった。いくらか安心できたのは事実だ。
『…ありがとう。じゃあ、また。』
『待って。』
罪悪感、安堵感、焦燥感、不安感…私の中でぐるぐる廻っていた。そんな私を呼びとめた遙が放った一言が、強烈だった。
『信じてるから。』
シンジテルカラ
胸がぎゅっと縮んだ気がした。ドクドクと無理矢理血液を循環させられているような耳障りな心臓の音がした。
『…私もだよ。』
言葉を返せた私は、少しは成長したと思う。皆の気持ちを裏切るような決意をしておいて、よくこの言葉を選んだものだ。鼻で笑いたくなる。私は裏切るのに。
それから急いで帰路についた。その日は暫く眠れなかった。これからのことを考えると不安で仕方がなかったから。ユウマのことは勿論だけど、うまく嘘をつきとおさなきゃいけないプレッシャーに、気持ちは折れそうだった。
それでも決意したからにはぼろを出さずに頑張ろう。…なんだかんだで自分ポジティブじゃん。半ば自分に言い聞かせるようにして、その日は眠りについた。
「あ、先輩、俺退院決まりそう。」
回想に耽っていると、遙から吉報を聞かされた。なんとも喜ばしいことだ。
「おめでとう!いつ?」
「んーと…三日後?くらい。」
「えらくアバウトだな。にしても思ってたより早かったね。」
「俺の回復力をなめないでよ。」
“約束”を交わしてから、遙とはいつも通り話せるようになった。今まで感じてた微妙な距離感もなく(私が一方的にとってた距離だったのかもしれないけど)、二人でいても気まずい空気にはならない。
きっと遙のおかげ。年下のくせに、私よりもずっと大人。悔しいけど、認めるしかない。
「退院祝いしないとね。」
何気なく言った言葉に、遙は過剰な反応を示した。
「え、してくれんの?マジで?嘘じゃない?ほんとに?」
「何、その反応…するよ、そんなん当たり前じゃん。」
「マジかー…うは、嬉しい…かも?」
白いシーツに白い壁紙。ほとんどが白で埋め尽くされる空間の中で、唯一桜色に染まった遙の頬。
「……そんなに嬉しい?」
たった今大人だと思ったのに…こんな反応をされるとやっぱり年下なんだなと思う。
「嬉しい。すごく。」
遙は割と素直だ。妙に大人びている部分は、もしかしたら彼のおばあさんの影響かもしれない。…遙も大変だったんだもんね。
「ともちんに何食べたいかリクエストしてみなよ。たいてい揃うよ?おじいちゃんの力でw」
しんみりとなりそうな自分を打ち消すために冗談を言ってみると、遙はそれに食いついてきた。
「マジで!?俺一回でいいから三大珍味を吟味したい…。」
「うまい!…が、あれって本当においしいのかな?もっと一般的にこれは絶対おいしい!!ってやつの方がよくない?」
「えー、例えば?」
「…ぶっ豚の丸焼きとか?」
「ぶはっ!!先輩の一般的それ!?絶対量で選んだでしょ!?一人で一匹食べる気でしょ!?」
病室に響く笑い声。こんなくだらない話ができて幸せ。…ここが病室じゃないならもっと幸せ。
私、きっとやれる。演技、うまくできる。
いつも通りの私
それをやりとげる。
遠くで今朝夢の中で流れた唄が流れた気がした。
妙に頭から離れないその唄を、私は口ずさもうとしてやめた…。