動き出した遙
「本気だよ。」
玉木が張りなおしてくれた結界のおかげで、残りの合宿期間中は修行に集中することができた。…こうして今回の個人能力強化合宿は幕を閉じた。
…幕を閉じたってことは、帰るってことで。帰るってことは…そう、打ち上げってこと!
「お前ら…本気だったのか…。」
テーブルの上に所狭しと並んだ肉たちを茫然と見つめる玉木。そんな玉木の声はもう私には届きません。
「おいし…!これやばい!ともちん、食べてみて!すっごくおいしい!!」
「茜、この程度でいいんなら私がいつでも食べさせてあげるわよ。」
「じゃあ春日がこいつの食費を…」
「それじゃ罰にならないじゃん☆」
「そうそう。あ、そこのお姉さん特上カルビ追加で♪」
「…煙が視界の邪魔をする…。」
「先輩、こっちのお肉も焼けてますよ。あ、これも。」
「遙~ありがとう!うっわ、これご飯進むわー!!」
遙がお皿に入れてくれたお肉を頬張りながら、次に白いほかほかご飯を口に放り込む。なんて至福の時…なんて思っていると、こちらに向けられる視線に気付く。…遙だ。急に居心地が悪くなって、そんな気持ちを誤魔化すように大量の生肉を網の上に流し込んだ。
「ばっか、茜!そんなに肉一気に入れんなよなー!」
「…一緒に鍋をしたくない奴ナンバーワンだな。」
「う…ごめん…お腹減ってて…」
「お前…一番食ってるよな…?俺、泣いていいかな?」
「諦めなさい、玉木。存分に食べさせてあげないと。足りなくなったら貸すわよ。」
「…ガチで貸してください…うぅ。」
非日常から日常の世界へ帰ってきた私たち。憔悴しきっていた私たちは打ち上げの日だけを決めて、各々自宅へ帰って行った。
例の如く遙と二人並んで帰ったのだけれど…眠くて眠くて…とにかく眠くて。会話の内容なんて覚えてない。覚えてないんだよ。
…目の前のご馳走に集中しようと思っても、遙の視線が気になって…あー、もー!!
「遙!ほら!せっかく玉木の奢りなんだからいっぱい食べなよ!」
私を見る暇なんてないくらい、遙を食で忙しくさせなければ!!そう思って網の上のご馳走をトングで掴み取り、遙の皿の上に乗せた。
「ありがと、先輩。」
なんてにっこり微笑み、それでもまだ私を見ている。私じゃなくて肉を見ろ、肉を…。
「…なんかあったのかな?」
「これは~…とうとう遙が動きだしたんじゃね?」
とにかく遙の視線に耐えられない私は、いちいち動作がぎこちないものになってしまう。龍太と悠斗がコソコソ話していても、それには気付けなかった。
もう…なんだって遙とあんな約束をしてしまったんだろう…。
―あの日合宿を終えた後、遙は私を家まで送ってくれた。その道中で、私は遙と約束してしまった…らしい。全く覚えてなかった私は、翌日驚くことになった。
合宿の次の日、放課後遙と一緒に家路についていると、珍しく寄り道をしようと言ってきた。美味しそうな甘いケーキの香りに、グー…とお腹が返事をした。席へと案内された私たちはメニューに目を通し、それぞれ注文する。
「あ、そうそう。先輩これ。」
そう言った遙は自然な素振りでテーブルの上に雑誌を一冊取り出したのだった。あまりに自然だったので、雑誌に書いてある文字を理解するまでに時間がかかってしまった。
「うん?何この雑誌?カフェとか乗ってるやつ?…え……ん?………デート特集?」
「約束したじゃん。俺とデートするって。」
「は?デート?…なんで私がデート?そんな約束してません!」
「…ひど。ユウマとの約束は律儀に守るくせに、俺との約束は簡単に反故にするんだ…。」
「いやいや、そもそも約束なんてしてな…」
『デートぉ?あー…はいはい。するする。あー…足が重い~…今日のご飯なんだろ…お腹すい…ブツッ』
私の声が私の声に被さってきた。遙が勝ち誇ったように私の目の前に携帯を差し出す。
「忘れてもらっちゃ困ると思って。録音してた。」
「…うそ?」
「お待たせしました。苺パフェのお客様…と、こちらがレアチーズケーキセットです。……え?あ、いえ…失礼しました。それとワッフル…と紅茶とコーヒーです。」
私の前に甘い物が並んでいく。配膳する店員さんの戸惑いに気付かない程、私は動揺していた。
「いや、デートって…普通付き合ってる人がするものでしょ?」
「そうかな?付き合ってなくてもデートすることはあるでしょ。」
「それは好きだからでしょ。」
「俺先輩のこと好きだからいいでしょ?」
「それはネタでしょ。」
「違うよ。」
テーブルの上で拳を作っていた手に、すっぽりと遙の大きな手が重なる。反射的に手をひっこめようとすると、ぎゅっと強い力でそれを阻止された。
「本気だよ。」
いつになく真剣な遙の目が、正面から私を貫く。…今になって初めて遙の気持ちを理解した。ずっとネタだと思っていたのに…まさか本気で私を、なんて…。
「本気だから。ちゃんと俺を見て。」
「そんな…急にそんなこと言われても…」
「先輩、窓見て。」
言われるまま窓を見る。そこには…私と遙の姿があった。
「傍から見たら、先輩と俺って立派なカップルだと思うけど。」
「そんなことは…」
急に遙が男の人なんだ…と意識してきた。私とは違う、男の人…。
握られた手に意識が集中して…ろくに言い返すこともできない。
「毎日一緒に帰って、そのうち放課後以外も一緒にいることが増えて、それが当たり前になっていって…って、そんな風にゆっくり先輩が俺を見てくれるようになったらなって思ってた。だけど…いつまで経っても先輩にとって俺は男じゃないみたいだから。先輩、俺といるの嫌?」
「嫌とか…そういうんじゃないよ。でも…遙のこと、そんな風に思ったことないから…」
嫌じゃない。一緒にいて気を遣わなくていいし、むしろ好きだと思う。だけど…
「うん、ごめん。ちょっと意地悪だった。先輩…一日、俺にちょうだい。一日だけ、俺を男として見てみて。」
もう…頷くことしかできなかった。遙の真剣さに負けたというか…とにかく驚きすぎて、恥ずかしすぎて、何がなんだかわからなくなって。それから後のことはあんまり覚えてない。どうやって家に帰ったんだっけ?
その一件があってからも、遙は普段通りだった。だから意識せずに私もいつも通りでいられたんだけど…たまに、気付く時がある。私を見る遙の目が優しいこと。その度、あの時聞いた遙の言葉を思い出して、どうしたらいいのかわからなくなる。
デートの日程はまだ決めてない。先送りにしたい気もするけど、さっさと終わらせたい気もする。遙が本気なのだと気付いた以上、私も本気で応えなきゃいけない。
…とにかく今は目の前に並ぶ肉たちに集中させて欲しい。話はそれからだ。
「…バイト増やさないと…。」
玉木の可哀想な呟きさえ耳に入らない私は、皆が食べ終わった後も一人食べ続けていた。
第5章、完。