キレた…
「どこ行ってたんだよ?」
部室へ戻ると開口一番に玉木はそう言った。居残り組がよほど嫌だったのか不機嫌な様子。
「あの人が誰かわかったよ。多分だけど。」
「龍塚先生の同級生だったらしい。」
「紗衣香さんていうんだって。これ預かってきたし、うまくいくと思うよ。…多分。」
「…さっきから多分ってなんだよ…。」
多分としか言いようがないんだから仕方ない。
部室の中では相変わらず悠斗が頑張っている。…あれ?さっきはかなりうるさかったのに、今はそんなに騒々しくない。
「中どうなってんの?」
「言い合いは終わったよ。なんか話してるけど、ここからじゃ聞き取れないからとりあえず放置してた。」
…確かに廊下側からは聞こえない。2人が何かしら話してるってことだけはわかるけど…どのタイミングで入り込めばいいんだろう?
そんなこんなで逡巡していると、いきなり部室のドアが勢いよく開いた。
「捕まえて!!」
悠斗の声は虚しく響くだけ響いて、跡形も無く消えた。…ごめん、逃がしちゃった。なんて言う暇もなく、私たちはともちんこと、紗衣香さんを追いかける。
まずい。階段を駆け登る彼女の行く先なんかさ、ひとつしか想像つかないんだけど。
私の予想、外れてくれと願ったけれど、こういう悪い予感って当たるようになってんだよね。紗衣香さんは迷うことなく屋上へと続く階段を駆け登っていく。
これってまずくない?悠斗何を言ったの?
嫌な予感のせいで額にうっすら冷や汗が滲む。このノート、きっと大丈夫って思ったけど、本当に紗衣香さんの心に触れることができるんだろうか?もしこれが全く意味のないものなら…今の紗衣香さんは危険。もしかしたらこのまま屋上から飛び降りる…なんてあるかもしれない。どうか思い留まって。その体はともちんのものなんだよ…。
懸命に追いかけた。
けれど、ひと足遅かった。紗衣香さんは高いフェンスを越えてしまっていた。一歩踏み出せば地上へとま真っ逆さま。
「ともちん!!」
思わず駆け寄ろうとする…のを悠斗が止めた。
「俺が行く。」
「悠斗…。いろいろあって説明うまくできないけど、今のともちんはともちんじゃ…」
「ないんだろ?あんなのが十百香のはずがない。十百香からひっぺがしてやる。」
「そうそう、あの人は幽霊で…って、え?わかるの?」
悠斗の意外な反応に間抜けな顔で(認めたくないけど、きっとしてたんだろうな)聞いてしまった。悠斗はいつになく真剣な表情で紗衣香さんを見つめている。
「馬鹿にすんなよな。それぐらい俺にだってわかる。待ってろ、十百香。」
そう言って徐々にフェンスに近づく。悠斗とどんな話をしたんだろう。紗衣香さんはかなり取り乱しているみたい。
「来んなってば!!わかってんの!?私はいつでもこの子を殺せる!!それ以上近づけば」
「てめぇ…いい加減にしろよ。」
あまりの迫力にその場にいた誰もが(雅史以外)息をのんだ。後ろで「キレたな。」と雅史が呟いた。
「全部てめーが勝手にしたことだろ。そんなことに他人を巻き込むな。」
…話が見えない。一体悠斗は紗衣香さんの何を知っているんだろう?私と同じく全くの傍観者になっている背後の2人に目配せをする…けれど当然わかんないよね。完璧置いてかれちゃってるよ。
「だって!!相模の気持ちがわかんなかったんだもん!!あいつはいつもそう。期待させるようなことばっかりで、ちゃんとした言葉はくれない。…ひどいよ…。」
相模…?…って誰?話が見えないよ~。
「…おい、それ。」
雅史が私の右手を指す。…あ、ノート。3年2組相模…会長は相模って名前だったのか。
「会長は紗衣香さんに何をしたんだろ…?」
ぽろっと出た独り言。それを見事に紗衣香さんが拾ってくれた。…聞いてほしかったのかな?全部説明してくれた。
「相模とは犬猿の仲…相模は生徒会長になるような優等生で、私は風紀まるで無視のギャルだったからね。合うはずがないんだ。だからいつも顔を合わせると喧嘩してた。最初はなんとも思ってなかった。だけど…面白半分で始めた部活に思いの外はまって、そんな私のことを相模はちゃんと見てくれていた。1人だけ演劇に染まっていく私を、友達はよく思ってなくて…悩んでた時に相模が側にいてくれたの。…気づいたら好きになってた。でも素直になれなくて…相模も私のこと嫌ってるわけじゃないってわかってたし、このままでいい…そう思ってた。…それなのにあいつ…彼女いたの!学祭の直前でそれがわかって…だから賭けたの。私のこと好きなら舞台前に控え室に来てってメモ残した。…相模は来なかった。私待ってた…。もう、頭の中ぐしゃぐしゃで…気づいたら逃げ出してた。」
一気にまくし立てた紗衣香さんは、泣き出してしまった。当時の想いのままここに留まってしまったんだ
。ずっと辛い気持ちのまま、長い間眠ってたんだね。
私は同情していた。かわいそうだなって。だけど…
「だから、なんでそんなに自分本位なわけ?」
悠斗の一言がぶち壊してくれた。
「好きなら好きだって言えばよかったんだ。気持ちを伝えもせずに勝手に被害者ぶられても男は困るって。」
…確かにそうかも?
「だって!!振られたらどうすんの!?それこそ私生きていけない!!」
「そんなに好きなら振られたって振り向いてもらえるよう努力しろよ!このままでいい?そんな中途半端な気持ちだから結局そいつにいいようにされたんだって。」
「違うっ!!相模はそんな奴じゃ…!!」
「じゃあなんで信じてやんなかったんだよ?」
「……っ!!」
「1度だけの挑戦でガタガタ言ってんじゃねーよ。もっと真っ向から当たればよかったんだ。」
「…怖かったのよ…。どうしても…怖かった…。彼女がいるって知っても、すぐに動けなかった。何かの間違いであってほしい…本番が近づいて、こんな気持ちのままじゃ舞台に立てない。…そう思って、やっと動いたのに…。」
紗衣香さんの声は風の音にかき消されるほど小さなものへと変わっていた。…悠斗の言い分はもっともだけどさ…紗衣香さんを責める気にはなれないよ。