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Eleven geniuses  作者: 雪氷
第一話 ~十一人の天才達~
2/32

※2015/10/16大幅修正。

──二〇六三年八月九日。


俺は夕焼けに染まった通学路を、いつものように一人で歩いていた。

ゴミ一つ石ころ一つ落ちていない、アスファルトで舗装された道を一定の調子で歩く。

本格的な夏を迎えた為、この時間帯でもまだじりじりと暑い。

ワイシャツの第一ボタンを開けていようが、袖を捲っていようが、体感的な暑さは変わらないように感じた。

元より暑がりな俺にとって、この暑さは地獄でしかない。

夏の風物詩などと呼ばれる蝉の鳴き声がやけに耳に響く。

それはまるで教室を満たす騒音のようで、苛立ちを加速させた。

今日遭遇した出来事が思い出される。


俺は、大きな溜め息を吐いた。


――


ここ平民地帯、新潟県新潟市に所在するこの底辺公立高校――新潟県立隆栄(りゅうえい)高校に通い始めて二年。

俺は昼休みになると、いつも自分の席で窓の外を眺めていた。

今日もまた同じ事を繰り返す。

真夏らしい雲一つない晴天、目を射る太陽光、五月蠅く喚く蝉。

グラウンドにはサッカーをする男子生徒。

いつも通りのつまらない風景が目に入る。

手元にある、読み込みすぎて擦り切れた文庫本はその風景を潤してくれる事はなかった。


ふと教室を見渡す。

俺以外の人間は大なり小なりグループを作って、何やら楽しそうに会話をしていた。

あまり耳に入れないようにしている為、会話の内容は分からない。

時折響き渡る甲高い笑い声が嫌でも耳に入ると、動物園にでもいるような気分になってくる。

何をそんなに騒ぐ事があるのだろうか、と常日頃から疑問に思っているが、気心の知れた間柄の人間がいない俺には一生理解出来ないのだろうな、とも思っていた。

現状に大きな不満はないが、何故このようになったのかとたまに考える。

心当たりがない訳ではない。というか、ありすぎるくらいだ。


俺は水城怜也みずき れいやという何の変哲もない名前をしており、転校は少々多かったが小学中学そして高校と普通に進学し、ありふれたつまらない生活を送ってきた。

今まで出会った教師に印象を尋ねれば、”いつも本を読んでおり、大人しく無口で目立たない生徒だった”と口を揃えて言うだろう。

面倒事が嫌いなので目立たないようにしていたつもりではあった。

それにも関わらず、幼い頃から何かと他人と衝突していた。

”お前の態度が気に食わない”などと言われて。

俺は普通にしているつもりなのだが、周囲にとっては違うらしい。

何にしろ俺の態度は他人を苛つかせるようだった。

それに加え、自分で言うのもなんだが俺の記憶力は人より数倍も優れていた。

八歳以前の事を全く覚えていないのだが、それ以降で一度見聞きした事柄は決して忘れず脳内に残り、いつでも引き出せるようになっている。

それ故に昔から勉強は人並み以上に出来ていたし、運動も動きさえ覚えてしまえばあとはそれに従って動くだけなので容易だった。

芸術方面だけは人並みだったのだが。


他にも色々あるのだろうが、この二つが現状の主な要因であると確信している。

クラスメートは、俺を避けるか喧嘩を売るか嫌がらせをするかのどれかしかして来なかった。

そのような無駄で面倒臭い事しかしない奴らと関わるのは無駄だと判断し、俺自身関わろうとしなかった。


今までそう生きてきた所為なのだろう。

俺には、夢も希望も憧れるものも親しい同級生も慕っている教師も何一つ、誰一人としていなかった。

不満はない。不満はないが、ただ漠然と生きているだけだ。

時には虚しく感じる事もある。


くだらない思考を停止して視線を再び外に戻す。

すると綺麗に磨かれた窓に自分の顔が反射しているのに気付いた。

人としての最低限の身だしなみとして揃えている細い眉毛は、一重でつり目気味の目をより厳しいものにしている。

その黒い瞳は自覚出来る程につまらなそうだ。

鼻が高いわけでもないし、面長というわけでもない。我ながら純日本人という顔をしているな、なんて思う。

日に焼け茶色がかった黒髪の前髪は目に少しかかっていた。

それに、ワイシャツの襟に載った後ろ髪が首に触り鬱陶しい。

そろそろ切らなければな、と考える。


――突如、机にドンッと衝撃が走った。

俺は予期せぬ事態にバランスを崩し、頬杖を付いていた腕をガクンと沈ませる。


「うわっ!!」


その原因が声を上げながら机の隣に倒れ込んだ。

それは顔に痣のある男だった。誰がどう見ても暴力を振るわれた後だと分かる。

邪魔をされた挙げ句、何らかの面倒事を持ち込んできそうなその男に早く消えろと視線を送る。

しかしその男は俺の視線には気付かない様子で、そのまま荒い呼吸を繰り返していた。

無視されたのは少しだけ癪に障るが、こいつに構う理由はない。

目を離し机の向きを整えると、再び頬杖を付き窓の外を眺めた。


「ッ! ぐっ……」


右から苦しそうな唸り声が薄ら聞こえる。

すると目の端にその男が映った。

扉の方に向かっていく。やっと此処から立ち去っていってくれるようだ。

俺はふう、と安堵の息を吐いた。

と、その時――

――ガラッ、と教室の扉が開かれる音が耳に入る。

その音につられてそちらに目を向けた。

教室が静まり返る。

そこには肩程まである黒髪に赤いメッシュを入れ、口やら耳やら色んな所にピアスをした男が立っていた。

奴はこの学校でも有名な不良だ。

何度も問題を起こしているが、此処新潟市の市長の息子だという事で学校側は何も対処出来ずにいるらしい。

……あいつか。騒がしくなるな。

俺はやや他人事のように考えながら、小さく溜め息を吐いた。


「ひっ!!」


痣のある男が数歩退く。

その様子を見た不良がニヤッと不気味な笑顔を浮かべながら奴に近付いていった。

静まり返った教室に、奴が腰に付けているウォレットチェーンの音がじゃらじゃらと五月蠅く響く。


「逃げられる訳ねーだろ、ばぁーか」


不良は遊び道具を見つけたかのように嬉しそうな、楽しそうな声を上げた。


「う、あ……」


不良の足音がゆっくりと近付いてくる。

それと同時に痣のある男の背中がこちらに迫ってきた。

面倒事に巻き込むなよ、と思いつつ眉間に皺を寄せながらその背中を見る。

男の顔がこちらに向けられた。

顔面蒼白。

今にも泣き出しそうに顔を歪めたそいつは、怯えきった虚ろな瞳で俺を見た。

目が、合う。


「……あ、あ」


奴の口からは荒い息とともに掠れた声が吐き出される。

俺は、不気味で何をしでかすか分からないこいつを警戒し、目を離さなかった。

すると――


「――つっ!?」


――不意に右腕を掴まれる。

訳が分からず腕を引っ込めるが、それは腕を掴んだままだ。

男は縋るような目で俺を見ており、奴の震えている腕が力強く俺の腕を掴んでいる。

不良はきょとんとした表情を浮かべ、首を僅かに傾げた。

俺の顔には訳が分からないという困惑の表情がうっすらと浮かんでいる事だろう。


「こ、こいつが!! 俺の、代わりになるって……!!」


男は泣きながら不良に向かってそう叫んだ。

……は? 何を言っているんだこいつは。

男のあまりにも突飛な発言に、顔を顰めた。

教室がざわめく。


「え、あの水城怜也が!?」

「嘘でしょ!」


クラスメートがそんな言葉を交わしているのが耳に入った。

……俺は何も言ってないだろう。

そう呆れ、溜め息を吐く。

と、不良が男を突き飛ばし俺に向かってニヤリと口角を吊り上げて笑った。

その表情が不快で、眉間にさらに皺が寄る。


「へぇー? お前誰だっけ、えーと、水島? あ、水城だ、水城怜也クン! 存在感無いから名前すぐ分かんなかったわー! ゴメンゴメン!!」


下品な口調で下品な言葉を掛けてくる不良。

俺にはただの雑音にしか聞こえない。雨のように耳障りな音。

その雑音を耳から遠ざけようと、睨み付け言った。


「……黙れ。耳障りだ」


その一言で教室や廊下の盛大なざわめきがぴたりと止んだ。一瞬の張りつめた空気。

不良がぷっと吹き出し、静寂が突き破られる。奴は大袈裟に腹を抱えて笑った。


「ギャハハハハ!! 水城クンもそんな事言うんだ、意外だなぁ!! 何? 存在感無いって言われたのヤだったの!?」


そのうるさい笑い声に、よりいっそう苛立ちが募る。

俺はそれに答えず睨み付けたまま立ち上がって、すう、と息を吸い込んだ。


「用が無いなら消えろ。お前の存在が目障りで耳障りで邪魔で迷惑だ」


奴の耳にしっかりと入るように、声を張った。

不良の顔がひくっ、と引きつる。

正論を言っているだけで何故怒る、そう思いながらまた溜め息を吐いた。

不穏な空気に再びざわつくクラスメート。

その中の数人が教室を飛び出していったのが、不良の背後に見えたような気がした。


「あぁ!? テメェ自分の立場分かって言ってんのかよ!! この俺に喧嘩売ろうってのか!?」


その怒号で辺りの空気が恐怖に染まる。


こういう奴に言葉や態度はあまり意味をなさないと知っていた。

暴力で負かせてやれば簡単に事が付くとも知っていた。

俺には何度もこういった経験がある。


……小学生高学年の時、放課後教室に残り読書をしていたら突如顔を殴られた。

”お前の態度が気に食わない”と、いつも嫌がらせをしてきた奴だった。

その嫌がらせに対し、俺が何も反応を示さないのがいい加減頭に来たのだろう。

椅子から転げ落ちた俺を再び殴ろうと振りかぶったそいつに、正当防衛と称して反撃してやった。

傷が誰かの目に留まって問題になるのが面倒だったので、外に見えない胴体や上腕、大腿を徹底的に攻撃した。

そいつが倒れ込んで悲鳴を上げても腹を蹴り上げるのを止めなかった。

やりすぎない程度にやり返した所で、何事もなかったように帰宅し、翌朝何事もなかったように登校する。

すると、そいつは俺を見た途端逃げ出しそれからというもの嫌がらせをいっさいしてこなくなった。


……中学二年生の時、進路相談があるからと呼び出された場所に行くと同学年の生徒四名がいた。

そいつらはどうしようもない不良だと爪弾きにされている奴らだった。

こいつらも理由は同じだ。”お前の態度が腹立つ”、”だからシメてやる”。

俺一人に対して相手は四人だった為、多少苦戦したが返り討ちにしてやった。

それ以降、そいつらが俺に喧嘩を売る事はなくなった。


その他にもそのような経験が山ほどある。

おかげで言葉や態度ではどうしようもない相手には、暴力で負かすのが一番手っ取り早く解決する手腕なのだと知った。

そんな事を繰り返していた所為か暴力による喧嘩は強くなり、負知らずだった。

放課ならば売られた喧嘩は買うのだが、校内での喧嘩は後処理が面倒極まりない為その気はない。

視線を横にちらりと向けるとクラスメートは身体を震わせて怯えていたが、俺は臆することなく言葉を連ねた。


「そんなくだらない事に時間を費やしている暇はない。早く消えろ。……何度言えば分かるんだ、俺の言葉が理解出来ないのか」


不良の顔が怒りで真っ赤に染まる。

その様子を見て、俺の特技は他人を怒らせる事だな、なんてくだらない考えが浮かぶ。

そんな特技はいらないんだが……。


「……ナメてっとぶっ殺すぞ!!」


不良が大声を上げる。

ヒュオッと空を切る音がすると同時に、俺の目の前には勢いよく放たれた拳が。

周りの生徒が呆然と立ちつくす中、表情を変えず留まる。

そして――


――派手な音が辺りに撒き散らされた。

俺の机はひっくり返り、椅子は吹き飛んだ。

その凄まじい音に誰もが顔を覆った。

だが不良の勝ち誇ったような言葉はない。

それがおかしいと思ったであろうクラスメートが顔を覆っている手をゆっくりと下ろす。

するとそこには俺ではなく、不良が床に倒れ込んでいた。

数人が驚愕の表情を浮かべ、その場に立ったままの俺と唸り声を上げ倒れている不良を交互に見る。

俺はただ身体を横に捻って避けただけであり、不良は勢い余って机に激突したのだった。


「……自業自得だ」


俺は不良には目もくれずひっくり返った机を元に戻し、机の中から文庫本を取りだした。

軽く叩いて埃を落とす。


「げほっ、つっ、」


苦しそうに咳き込む不良に背を向け、騒音にまみれた教室から出ようと扉に向かった。

クラスメートが恐れをなしてか、距離を取る。


「先生! こっちです!」


扉に手を掛けたと同時に、慌てて教室に入ってくる数人の生徒と大勢の教師が。

教師達は目を見開き、先程のクラスメートと同様に驚愕の表情を浮かべる。

……もう少し騒ぎを大きくしないように対応するべきだったな、と少し後悔した。


「ど、どういうことだね?」


教師が尋ねる。


「え……と、その……」


だがクラスメートは本当の事を言ったら自分はどうなってしまうんだろうかなどとと思っているのか、口を開こうとする者はいない。

それに見かねて小さく溜め息を吐くと、口を開いた。


「……その男が急に殴りかかってきたので避けただけです」


一文で事実を述べる。

面倒事に巻き込まれるのは嫌いなので、暴力を受けている奴がいた、とかは一切言わない事にした。


「また暴力沙汰か、どうすればいいのだろうな……。おっと水城、大変だっただろう。中庭にでも行って休んでくるといい」


俺を贔屓している化学教師がそう言って微笑んだ。

元よりそのつもりなので俺は適当に返事をする。


全員の視線が集まる中、一人教室から出て行く。

その時に”殺す”と聞こえたのは気のせいではないだろう。


「……はぁ」


俺は憂鬱に包まれながら本日何度目かの溜め息を吐いた。


――


「……くだらない」


俺は立ち止まり、呟いた。

地面にのびた影も夕焼けに染まって赤みを帯びている。

蝉の声は、未だ鳴りやまない。


……学校とは本当にくだらない場所だ。

孤独を恐れる者同士の馴れ合い。

強者には従わないといけないという暗黙のルール。

自己保身による嘘。

馬鹿げたカースト制度。

どれも面倒なものばかりだ。


やはり俺には必要ない。友人とか思い出とかそんなくだらないものは何一つとして要らない。

この現状に不満はないのだから、それでいい。

虚しさなど感じる必要はない。


そう思い直し、再び足を進めた。


――


自宅前に到着する。

一台しか収まらない家の駐車場に、見慣れない黒いスポーツカーが停まっているのが目に入り、また溜め息を吐いた。

溜め息を吐く事で幸福が逃げると昔から言われているが、それが事実なら俺は今日だけで人生における幸福を全て失っているだろうな。

……科学的根拠のない、くだらない迷信など信じるつもりはないが。


何かに立ち向かうかのように、顔を上げる。

二年前、高校入学と同時に引っ越してきた、片流れ屋根のシンプルな一軒家。

それまではアパート暮らしだった為立派に見えたこの一軒家も、今では見慣れてしまった。

黒い屋根、黒塗りの外壁はどこか威圧的で、俺の心を重くする。

財布から鍵を取り出しながら、玄関扉までの段数の少ない階段を登る。

玄関扉横の”水城”と書かれた表札が今日も綺麗に磨かれていた。

鍵を開け、レバーハンドル型のドアノブに手をかけたまま少し躊躇う。

……入りたくない。いつもの事だが。

しかしいつまでもこうしている訳には行かない。

どうせ顔を合わせないのだから平気だ。

そう自分に言い聞かせ、出来るだけ音を立てないように玄関扉を開けた。


家に入り、素早く鍵をかける。

玄関から廊下を真っ直ぐ行った所にある居間が見えたが、誰もいないようだった。

俺はくたびれた革靴を脱ぎ、靴箱にそれをしまう。

そしてすぐ左手にある俺の部屋に入ろうとノブに手を掛けた時。

右手にある階段から、母の甘えるような声と聞き覚えのない男の声が。

ある事を悟った俺は早々に部屋へと入った。


部屋に入ると二人の声は一時的に遮断された。少しだけ安堵する。

ベッド、本棚、机、椅子と必要最低限のものしかないが、自分の部屋は落ち着くものだ。

鞄をベッドに放り投げると、英語のニュース音声しか入っていないウォークマンのイヤホンをし、音量を最大にした。

ウォークマンを胸ポケットに入れ、クローゼットの前に立つ。

制服から着替えようと思ったが、なんとなく面倒でクローゼットを開けずそれに背を向けた。

紺色のネクタイを緩めながら椅子を引き、机に向かう。

机の上には、三冊の参考書と一冊のノートが開いたままになっていた。

……そういえば片付けるのを忘れていたな。

まあいいか、とそのうちの一冊をぱら、とめくる。


――


十一年前から、俺は母と二人で暮らしていた。

父が死んだ時から。

父は交通事故で死んだらしいが、幼かった俺にはっきりとした記憶はない。

それまでは家族四人、父、母、四歳上の姉と俺で暮らしていた。

当時の記憶はないが、今より家族らしく、そして楽しく過ごしていた筈だ。

しかし父が死んでからというもの、家族はバラバラになった。

姉はどこか遠い親戚の家に引き取られ、居場所を知らない為会えないままとなっている。


いつからだろうか、気付くと俺は住む場所のみを与えられ、その他は全て放棄された。

小学生の頃、俺が朝目覚め食卓につくと、そこには一万円札が一枚だけ。

用意された朝食も、母の姿もなかった。

冷蔵庫を開けてみると中には缶ビールといろいろな酒瓶ばかりで、食材はいっさいない。

部屋の隅には埃がたまり、一杯になったゴミ袋が放置されていた。

……これがネグレクトというやつなのか。

幼心にそんな事を考えたのを覚えている。

中学生になる頃にはその現金すらもなくなり、年齢を詐称してバイトを始め生活費を得た。

現在もバイトを六つ掛け持ちし、何とか普通の生活を送る事が出来ている。

学費や制服代、教科書代などの学校関連のものが全て無料のこの時代でなければ、どれだけ底辺でも学校になんて到底通えなかっただろう。

また、母は水商売を始め家に知らない男をよく連れ込んで来ていた。

比較的金持ちそうな男の時もあれば、柄の悪いチンピラの時もあった。

男を代わる代わる連れ母が何をしていたのか、分からない程幼稚ではない。


そんな母を当然ながら家族と見なすわけもなく、軽蔑の念しか抱かなかった。

血が繋がっているとは思いたくもない。

どうせ放棄するくらいならばいっそ、俺を施設に預けるなりなんなりしてくれと思う。

ただ、母が育児放棄してくれたおかげで料理、掃除、洗濯、仕事など、自分一人で生きていく為に必要な事は全て出来るようになった。

感謝出来る所があるとするならば、その点だけだろう。


――


「……ん?」


参考書をめくりながらそんな事を考えていると、何かの気配を感じた……ような気がして後ろに首を回した。

だがその先には当然ながら動物も人も何もいない。

必要最低限の物しか置いていないこの部屋に隠れる場所は何処にもないだろうと考え、机に向き直る。

……今日は色々と思い出すな。何故だろう。バイトが休みだからか。

不意に、手元が暗くなる。

真後ろにある窓から差し込む陽が、何かに遮られたようだ。

手元にある電気スタンドのスイッチに手を伸ばした、その瞬間――


――ドガッ、と鈍い音が自分自身に響くと同時に後頭部に激痛が走る。


「がっ……!!」


殴られた勢いで椅子から転げ落ちる。

呻き声。

自分のものだ。

鈍器で殴られたらしい。

右半身を床に強か打ち付ける。

衝撃で脳が揺れた。

何だ、何が、俺に。

咄嗟の判断で殴った人物の顔を確認しようとする。

しかし、出来ない。

目を動かすと、頭に刀を突き刺されたかのような激痛が走った。


「……ッ、はっ……!!」


――分からない、何故?

何が、起こった?

ぐにゃり。

景色が大きく歪む。

滲み、霞んでいく。

うっすらと目に入る黒い革靴。


「思い出したまえ。時間は存分にある。そして後悔するのだ……」


――抑揚のない低い男の声が頭の中に鳴り響いた。

その声の主の顔が、歪んでいく世界の中に映り込む。

そこには、表情が読み取れない不気味な仮面が浮かんでいた。

左右非対称の、白と黒の仮面。

それも徐々に霞んでいき……


その言葉の意味を考える間もなく、意識がプツンと途絶えた。

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