Ⅷ
また色々あって遅れてしました……。申し訳ありません……。今回一文一文は短めですが、全体は長めです。第二話終わりです。
……沈黙。
誰も津河井の二の舞にはなりたくないだろうから、な。……俺とて、こんな無惨な姿で死にたくはない。
「時間がありませんよ? ほら、早く早く」
星科は手を打ち、楽しそうに笑っている。……腹立たしい、癪に障る。
「心当たりのある人、いますよね。東京ドーム爆破事件」
「……分かったわ、俺が、やったる」
氷石がずいと前に出て言い放った。
御月がそれを見上げ、怪訝な表情を浮かべている。
……ああ、そうか。
どこか記憶に引っかかる名前だと感じていたが、そういうことだったのか。
東京ドーム爆破事件、爆発物処理班の爆弾解体が失敗した事が原因で起きた事件。
その爆発物処理班のリーダーであり、指名手配されているのは、今俺の目の前にいる氷石響汰、奴だ。
先程までの氷石の異様な態度の理由がようやく分かった。
……何故、そんな犯罪者と、俺が。
全くもって意味が分からない。
「当然ですよね? それでは席へどうぞ」
そう言葉にし、にっこりと楽しげに笑う星科の顔が目に入る。
このアクリル板が無ければ、殴りつけているところだ。
「……っ、これ、は、どうするんや」
「はい?」
氷石が床に転がっている津河井だったものの前で足を止め、尋ねた。
肉塊、血溜まり、その中に倒れているパイプ椅子。惨劇の痕はそのままになっている。
噎せ返るような血の臭いが、俺の全身を包んでいた。
「ああ……、そうですね、邪魔ですもんね? すみません気が利かなくて。でも生憎、この部屋の造りが悪くてですね、ダストシュートもないんです」
「ダストシュート、って、いい加減に――」
「端っこに蹴飛ばしといてください。あ、椅子もこんなんなっちゃってますし、座らなくて結構ですよ」
星科はそう言ってふふふと笑う。
「下衆やなあんた!! 人を、人を……!!」
「その言葉、そっくりそのままお返しします。いいから早く答えてください。最初から時間を使いすぎると後で困りますよ。……もう二十二時間十二分しか残ってないじゃないですか。早くしてください」
ぎりぃと歯を食いしばる音。ぶつけることの出来ない怒りの音だ。
氷石は血溜まりに足を踏み入れる。氷石が歩を進める度にびちゃりびちゃりと血が跳ねた。
「……っ」
早く、早く終わらせてくれ、この場に、とどまりたくない……。
大量の血液や人の死を初めて見る所為か、身体が、精神が、拒否反応を示している。
手は小刻みに震え、汗は収まらず、心臓の鼓動は未だ激しく鳴り響いていた。
頭の中では、この状況を理解した筈なのにも関わらず、だ。
……俺はこんなにも弱い人間だったのか? あいつらと同じ……?
……いや、そんな筈はない、落ち着け。冷静にならなくては。この程度の事で動揺していてはこの先俺は生きていけない。
深く、深く空気を吸い込む。死臭が俺の鼻を通り過ぎていった。
そしてそれを吐き出すように息を吐く。
何度もそうしていると、先程まで酷く早まっていた鼓動は徐々に正常を取り戻した。
「……や。これで終いやろ」
「お見事。まあ、間違う筈なんてないのでしょうけどね」
気付くと二人は質疑応答を終えていた。
ただ単純にあっという間だったのか、自分が想像していた以上に長く深呼吸をしていたのかは分からない。
目に入ったのは星科の笑顔と、怒髪衝天といった表情の氷石。
――ガチャリ、鳴り響いた扉の解錠音が全員を反射的に振り向かせた。
「か、鍵、開いた、っの……?」
「ははは早く、っで、出よう!!」
神之崎が心細げに涙を流しながら小さく呟き、悠川は声を裏返させてそう叫んだ。
「ああ、お待ち下さい。……取りあえず、皆様お疲れ様でした、次の部屋の鍵はこちらです」
星科はそれを引き止め、鍵をすっと差し出す。
目の前にいた氷石が鍵を乱暴に奪い、こちらに見せた。
傷一つ無い鉄製の鍵の上部のつまみには、先程俺が目にしたマークとローマ数字の一が描かれている。
「……と、なると、”魚座Ⅰ”、の部屋だね。闇野くん達か、氷石さん達か、どちらが見つけたのかな」
稲垣が元から青白い肌をよりいっそう不健康そうに青ざめさせながら言った。
……辛そうだ。自責の念に駆られているのかもしれない。
この先もその感情を引きずって、面倒な事にならなければいいのだが。
まあ、それは全体に言える、か。
……津河井が無惨な死に方をした事で全員の精神が揺らいだ筈だ。
恐怖、怒り、後悔、憎悪。それらの負の感情が生まれ、俺達を押し潰し、徐々に徐々に蝕んでいく。
そして、崩壊。
殴り合いの勃発、言い争い、疑心暗鬼、責任の押し付け合い、はたまた殺人でも起きるかもしれない。
……そんな面倒事は御免こうむる。俺は、死にたくなどない。
「……僕達だよ、海音さん」
闇野が先刻と変わらない様子で答えた。
キッ、とした目は揺らいではいない。
「……そう。じゃあ、早く、行こう」
稲垣は顔を俯かせながら扉の方へ向かった。
……足取りはちゃんとしている、大丈夫そうだ。
「ま、待って! 置いてかないで……!」
「……ッ、早く出るぞ」
神之崎と柊がバタバタと稲垣の後を追う。
それにつられてか、一人、また一人と部屋を足早に出て行き、残されたのは俺と氷石、御月の三人となった。
……俺も早く出なければ。
一歩を踏み出し、到底現実とは思えない床に足を置く。
「……さようなら、皆さん。お会いする事はもう二度とないでしょうね」
背後から声が聞こえて、思わず足を止め振り返る。
その声の主である元凶の一味は、あの鬱陶しい笑みを浮かべてはいない。
「……此処から出たら、必ず警察につき出してやる」
俺は星科を睨め付けながら言った。
「こんな大規模犯罪を起こしておいて、ただで済むと思っている訳ではないだろう」
「……」
星科の目が、僅かに下を向く。……動揺しているのか? まさかな。
「……水城君。あんな小さい記事でしか載っていなかった僕を覚えてくれていた事、とても感謝してるよ、ありがとう。……記憶力というものはいささか不思議なものだね」
……何だこいつは。やはり考えが読めない。犯罪者の考えなど、理解したくもないが。
突然記憶の話など、いったい何になる? 時間稼ぎか?
「……記憶の片隅にあっただけだ、感謝される覚えはない。それにお前のような奴に感謝などされたくもない」
嫌悪を込めた言葉を言い放ち、星科に背を向け部屋を後にする。
俺の後ろに、ヒールのカツカツという足音と、血に濡れた革靴の何とも表現しがたい足音が無言で続いた。
――
部屋を出て行く人々の背中をじっと見つめる。
バタンと勢いよく閉められた扉。
ふう、と溜め息を吐いて、手元にあるタブレットを操作する。
第一段階終了、とだけ文字を打ってメッセージを送った。
再びタブレットを操作し、アクリル板の開閉ボタンをタップする。
極めて無音に近い動作でアクリル板の壁が開いていった。
……どうせなら、さっきのも無音にしてくれれば良かったのに。
そう考えながら完全に開くのを待つ。
……よし、開いた。
「……よいしょっと」
机を乗り越え、血の海と化した床に着地する。
びちゃり、と血が跳ね、僕のズボンの裾を濡らした。
「あーあ、随分と無様な格好だね、栄幸君」
転がる肉塊をぐちゃぐちゃと踏み付けながらふふふと笑う。
僕程度の力じゃ、骨を踏み砕いたりなんて出来ないけれど、これでも十二分に憂さ晴らしにはなるな。
「あはははははは、ざまあみろ、ざまあみろ、ざまあみろ」
僕が足を振り下ろす度、ぶちっ、ぶちゅっと内臓が潰れる音か、はたまた血管が千切れる音か、よく分からないけれど心地の良い音が部屋を埋め尽くした。
パーカーが返り血で染まっていき、血が顔にまで飛ぶ。
「どうだ、格下だと見下していた人間に足蹴にされる気分は」
肉塊は当然のごとく答えない。
当たり前だ。死んでいるのだから。
それなのに、何故か無性に腹が立って、僕は肉塊の顔らしき部分を思い切り蹴飛ばした。
貫かれた所から桃色の何かが床に零れる。多分これは脳みそだろう。
ぶちゅりとそれを踏み付け、まるで煙草の火を消すようにぐりぐりと踏みにじる。
「……外面も汚ければ、中身も随分と汚いんだね」
まだ血が広がっていない床に、靴底を擦り付け血を落としながら言った。
「……さて、僕の大仕事は終わり。あとはサポートに回らないと」
そう呟き再び机を乗り越え、タブレットを見る。
了解、と一言だけ書かれたメッセージ。
ふと訪れた静寂に、虚無を覚える。
……憎んでいた奴はあっさりと死んでしまった。三年もの間、憎んでいたというのに。
いつもそうだ。ものが壊れる時、失われる時、死ぬ時はいつも一瞬だ。
それまでの過程は酷く時間が掛かるというのに。
僕の三年間は憎しみしかなかったのに。
……いとも簡単に、終わりを迎えてしまった。
「……んぐっ、おぇっ、」
突然襲った吐き気に堪えきれず、床にうずくまり嘔吐した。
昨日から何も入れていない胃に、吐き出せるものは胃液しかなかった。
息を荒げながら口元を拭う。
力の入らない脚を無理矢理立たせ、ふらふらと扉へ向かった。
大丈夫、復讐は完遂したんだ。これでいい。何も悩む事はない。
……これでいいんだ。僕に、後悔はない。
ドアノブをひねり、扉の向こうに踏み込む。
ベルトに挟んでいる拳銃が、酷く冷たく感じた。
――ゲームオーバーまで二十一時間四十八分。