ふかふか布団の魔法と、秘密のぷるぷるスキンケア
「……うーん、なんだか、すっきり起きられないわねえ」
異世界生活にもすっかり慣れてきたある朝。私は豪華な天蓋付きベッドの中で、重い頭を振って起き上がった。
鏡を見ると、そこにはマリエルとしての美しい容姿があるけれど、目の下にはうっすらと影がある。
五十を過ぎてからの悩みといえば、何と言っても「睡眠の質の低下」だ。
前世でもそうだった。若い頃は泥のようにいくらでも眠れたのに、四十歳を過ぎたあたりから段々と、夜中にふと目が覚めてしまったり、朝早くに目が覚めて二度寝ができなくなったり。おまけに、枕の高さが数ミリ合わないだけで、翌朝は首から肩にかけて鉄板が入ったようにガチガチになってしまう。
健康番組で「質の良い睡眠が、明日の元気を支える」なんて言われるたびに、高級なオーダーメイド枕を買いに走ろうかと真剣に悩んだものだった。
「王太后様、お目覚めでございますか? ……あら、少しお疲れのご様子ですね」
朝の着替えを手伝いに来たガブリエラさんが、私の顔を見て心配そうに眉をひそめた。
昨日のベジブロススープのおかげで、ガブリエラさん自身の肌はツヤツヤしている。
「ええ、なんだか寝苦しくてね。このベッド、マットレスは最高級の物のはずなんだけど……なんだか全体的に『重くて湿っぽい』気がするのよ。ガブリエラさん、このお布団、最後に干したのはいつ?」
「……干す、でございますか?」
ガブリエラさんは、きょとんとした顔で首を傾げた。
「王太后様、王族の寝具は毎日、侍女たちが『洗浄』の魔法をかけ、香草の煙で燻して清潔に保っております。外にさらして『干す』などという、平民のような真似はいたしませんが……」
「魔法でクリーン……。なるほどねえ」
私はマットレスと、ずっしり重い羽毛の掛け布団を手のひらで押してみた。
確かに表面は綺麗だし、良い香りがする。けれど、人間の体は一晩にコップ一杯分の汗をかくのだ。魔法で汚れは消せても、繊維の奥に溜まった「湿気」までは完全に飛ばしきれていない。それが何年も積み重なって、お布団が湿気を吸って重くなり、寝苦しさを生んでいたのだ。
(いくら魔法が便利だからって、おひさまの力には敵わないわよ。外干しを舐めちゃいけないわ)
「ガブリエラさん。今日の午前中は、絶好のお布団干し日和よ。王宮の私の部屋の寝具、それから子供たち(レオンとシア)の寝具も全部、中庭の陽当たりの良い場所に運び出しなさい」
「ええっ!? お、王太后様のお布団を、日の当たる場所に晒すなど、そのような不調法……!」
「不調法じゃないわ。おひさまの光にはね、どんな魔法にも負けない『乾燥と殺菌の力』があるのよ。一度だけ、私の言う通りにして欲しいの」
私の押し口調に、ガブリエラさんは「は、はい……!」と圧倒されて、すぐに若い侍女たちを集め始めた。
王宮の広い中庭に、突如として並べられた豪華な寝具たち。
白い絹のシーツ、金糸の手刺繍が入った掛け布団が、おひさまの光をいっぱいに浴びている。
通りかかる騎士や文官たちが「一体何事が起きたのか」と足を止めて見つめていたけれど、私は気にしない。
「みんな、ただ並べるだけじゃダメよ。一時間おきに裏返して、両面にしっかりとおひさまの熱を吸わせるの。それから、これは叩いちゃダメ」
「叩かないのですか?」
布団叩きのような棒を持った侍女が不思議そうに尋ねる。
「そうよ。強く叩くと、中の羽毛や綿の繊維がちぎれて、かえって布団が硬くなっちゃうの。表面の埃を、手で優しく『払う』だけで十分よ」
前世のテレビの生活情報番組で得た知識だ。当時は「へえー、布団は叩いちゃうとダニの死骸が細かくなって逆効果なのね」と、感心してメモを取ったものだった。
お布団を干している間、私はもう一つの問題に着手した。
「枕」だ。
王宮の枕は、大きな袋に贅沢に綿や羽毛が詰め込まれているのだけれど、柔らかすぎて頭が沈み込み、首に大きな負担がかかっていた。
「ガブリエラさん、昨日の倉庫の整理の時に、何か『粒々したもの』で、余っているものはなかったかしら? ロロの種以外で、少し硬くて、通気性の良いもの」
「それでしたら、王宮の馬車用のクッションに使われている『ササ麦の殻』が、納屋に大量に保管されておりますが……」
「それよ! それを持ってきてちょうだい」
私はササ麦の殻を取り寄せると、それを丁寧に水洗いして天日干しにし、羊毛の布で作った細長い袋に詰め込んだ。地球での「蕎麦殻枕」の再現である。
袋の端を紐で結ぶようにして、中の殻の量を減らしたり増やしたりできるように工夫した。
「ガブリエラさん、ちょっとここに仰向けに寝てみて」
「えっ!? わ、私が王太后様の御前で横になるなど……!」
「いいから、これは実験よ」
無理やりガブリエラさんを寝かせ、手作りのササ麦枕を頭の下に差し込む。紐を調節して、彼女の首のカーブにぴったり合うように高さを調整した。
「……あ」
ガブリエラさんの口から、ぽかんと間の抜けた声が漏れた。
「どう? 首が楽でしょう」
「な……なんですの、これ。頭が沈み込まず、しっかり支えられているのに、首の裏側の突っ張るような痛みが、まったくありません……! それに、頭の周りを風が通り抜けるように涼しいですわ……!」
「頭寒足熱、よ。頭は涼しく、足は温かく。これが熟睡の基本。五十代の私たちの首を優しく守ってくれる、特製の『快眠マイ枕』よ」
ガブリエラさんは、またしても涙ぐみながら枕を抱きしめていた。
お布団干しと枕作りがひと段落したところで、私は自分の「手」を見つめた。
異世界に来てから気になっていた、もう一つの大問題。
それは「乾燥」だ。
ソルディス王国は、湿気が強い日もあるけれど、王宮の建物内は石造りのせいか、妙に空気が乾燥している。おまけに五十代の肌というものは、油断すると一瞬で水分が蒸発してしまうのだ。
最近、洗顔の後に顔がつっぱるし、手の甲や指の節々がカサカサして、粉を吹きそうになっていた。
(この世界の化粧水って、香料がキツくて、油分ばかりがギトギトしているのよね。水分が足りない肌に油だけ塗っても、インナードライになるだけなのに……。前世の知恵で、ぷるぷるの保湿ローションを作らなくちゃ)
私はガブリエラさんを伴って、王宮の裏手にある高名な「宮廷薬草園」へと向かった。
そこは、珍しい魔法植物や薬草が整然と植えられている場所だ。
「おや、王太后様。このような場所に、一体どのような御用で?」
奥から現れたのは、白髪交じりの気難しい顔をした老人だった。この国の最高医官であり、薬草学の権威でもあるロベルト先生だ。彼は医学に対するプライドが高く、以前のマリエル(鉄の女)の時代からも、あまり王族に媚びない偏屈さで知られていた。
「ロベルト先生、お仕事中にごめんなさいね。ちょっと、お肌の保湿に良い薬草を分けていただきたくて」
「肌の保湿……? ふむ、貴族の婦人方が使うような、気付け薬まがいの香水なら、私の管轄ではございませんな。あんなものは、ただの油に匂いをつけただけの代物です」
ロベルト先生は、フンと鼻を鳴らした。どうやら彼も、宮廷のギトギトした化粧品には懐疑的だったらしい。
「私もそう思うの。だから、肌の奥にしっかりと『水分』を届けて、閉じ込めるための、優しい化粧水を自分で作ろうと思って。先生、この園内に、葉っぱを切ると中から『透明なぷるぷるしたゼリー』が出る植物はないかしら? それから、お肌を柔らかくする、ほんの少しの植物性の油と、お花の蒸留水がほしいのだけど」
私の頭の中にある「アロエ」や「ヘチマ」のイメージを詳しく伝えると、ロベルト先生は眼鏡の奥の目を鋭く光らせた。
「……葉の中から透明な粘液が出る植物、ですと? それは、南方の砂漠地帯に自生する『スイレン草』のことですな。確かにあれの粘液は、火傷の炎症を抑える民間療法に使われますが……。それを怪我もしていない肌に塗ると?」
「火傷に効くということは、肌の炎症を抑えて、水分をたっぷり蓄える力があるということよ。先生、そのスイレン草の粘液を少しと、魔力を秘めた清らかな『ルナ草の蒸留水』、そして厨房にある『ハチミツ』をほんの少し、混ぜてちょうだい。それらを絶妙な比率で混ぜ合わせるの」
「ハチミツ……!? あれは食品だですし。そんなベタベタするものを肌に塗るなど、正気の沙汰とは思えません!」
ロベルト先生が声を荒らげる。
「先生、ハチミツはね、世界(前世)最古の『保湿剤』なのよ。水分を引き寄せて肌に閉じ込める力が、もの凄いの。騙されたと思って、私に協力してみて」
私の、一歩も引かない主婦の(テレビの美容特番で日々仕入れた)確信に満ちた目が、偏屈な老医師を圧倒した。
「……ふん、そこまで仰るなら、実験台を作って差し上げましょう。ただし、肌が荒れても私は知りませんぞ」
ロベルト先生はブツブツ言いながらも、最高品質のスイレン草の粘液と、ルナ草の蒸留水を調合室に用意してくれた。
私はそれらを受け取ると、前世で一時期ハマっていた「手作りナチュラル化粧品」の要領で、慎重に混ぜ合わせていった。
ベースはルナ草の蒸留水。そこにスイレン草のぷるぷるの粘液を加え、よーく振って混ぜる。仕上げに、厨房から分けてもらった純粋ハチミツを数滴。
「よし、完成よ。特製『おひさまのぷるぷるローション』」
完成した液体は、ほんの少しとろみがあり、ルナ草のみずみずしい上品な香りが漂っている。
「さあ、ガブリエラさん。あなたのカサついた手の甲で、試してみて」
「は、はい……」
緊張した面持ちのガブリエラさんの手に、私はローションを数滴垂らした。
「いい? ゴシゴシ擦っちゃダメよ。手のひら全体で、優しく包み込むように、肌に『浸透してね』って語りかけるように。
その日以来、王宮や貴族達の間で、ブームが巻き起こったのは、言うまでもない。




