第四十九話 静かなる産声
エンジェルステーションの一角にある、ガラス張りの温室。
普段は薬草や野菜が青々と茂り、土と緑の匂いが満ちているその場所は、今は異質な緊張感に包まれていた。
マリアの作業用スペースの作業台には、吊り下げられた機械、それは人の姿を模している。アリスから渡された特別なコアを、アヴァロン襲撃時に回収した強化スーツをベースに、内部フレームを極限まで改造した、等身大の人型機械だった。
「……コロン、電圧チェック。第3回路へのバイパス、安定してる?」
マリアの声が、静かな温室に響く。彼女は作業台に向かい、顕微鏡のような拡大鏡を覗き込みながら、ピンセットよりも細い工具を操っていた。
『ピューイ、ピポ』
空中に浮かぶ球――コロンが操作する作業用ドローンが、電子音を鳴らしてマリアの周囲を旋回する。
コロンは、マリアが最初に作った友達で、精密な作業に向いている。戦闘能力には乏しいが、その精密なセンサーとデータ処理能力は、マリアの「目」となり「手」となって彼女を支えていた。
『ポワッ』
作業が一段落ついたタイミングに合わせて、コロン本体が、淹れたての紅茶を運んで来た。
「ありがとう、コロン」
「……アリスさんとモリィが帰ってくるまでに、この子を目覚めさせないと」
一息ついたマリアは、作業を続行した。目の前にあるのは、アリスから託された青い球体パーツ特別なコア。
アリスでさえ全容を掴んでいない特殊なコアであり、現代の技術では解析不能なブラックボックス。だが、マリアにはこのコアから『何か』を強く感じていた。
チチチ……ジジッ……
微細な配線を一本一本、コアの神経端子に接続していく。それは、外科手術よりも繊細で、爆弾処理よりも張り詰めた作業だった。
一度の手元ミスが、回路のショート、最悪の場合はコアの自壊を招く。
「……集中、集中」
マリアは息を止める。世界が狭まり、視界の中には青い光と、銀色の配線だけが残る。指先が熱い。このコアに触れるたびに感じる、奇妙な熱。それは不快なものではなく、まるで古い友人と握手をしているような、懐かしい温もりだった。
(不思議……。このコア、まるで生きてるみたい)
このコアの内部に眠っていたもの。それは原初のナノマシン。地下深くの軍事施設で厳重に保管されていたそれは、暴走ナノマシンの侵食を受けずに生き残っていたのだった。
ナノマシンに対して特異な親和性を持つマリアと、原初のナノマシン。2者が触れ合うことにより何が起こるのか。それはまだ誰も知らない。
――
その頃、温室の外では。
ガラス越しに見えるマリアの姿を、数人の男たちが心配そうに見守っていた。
「……マリア、昨日の夜から一睡もしてねえぞ」
「食事もレーションを少しかじっただけだ」
スパナを片手に持ったプリスキンと、食事の担当であるイノシロウが温室前でうろうろしている。
彼らにとってマリアは、守るべき娘だ。そんな彼女が、鬼気迫る表情で何かに没頭している姿に、何かしてやりたいという気持ちに駆られる。
「声をかけるなよ」
低い声がして、一同が振り返る。腕を組んで立っていたのは、アレンだった。彼もまた、作業の合間を縫って様子を見に来ていたのだ。
「私たちがしてやれるのは、邪魔をしないこと。……そして、マリアが作る『希望』を無駄にしないよう、私たち自身の準備を完璧に整えることだ」
「……そうだな」 頷くイノシロウ。
「よし、俺たちは人型重機の整備に戻るぞ! アリスたちが戻ったら、すぐに飛び出せるようにな!」
プリスキンはそう言うと、肩をぐるぐる回しながらハンガーへ向かった。
ギーグスたちは、マリアの背中にもう一度だけ敬意のこもった視線を送ると、それぞれの持ち場へと散っていった。
温室の中のマリアは、彼らの視線に気づくことなく、ただひたすらに目の前の世界と向き合っていた。
――
カチッ。
最後の一本。 0.1ミリのコネクタが、完璧な位置に収まった。 マリアは大きく息を吐き、椅子にもたれかかった。
「……接続、完了。コロン、冷却システム起動」
『ピピッ』
シューッ……
白い冷気が強化スーツの隙間から漏れ出し、熱を持っていた回路を冷やしていく。マリアは震える手で、起動コンソールを操作した。
「いくよ。……目覚めて」
エンターキーを叩く。
ドクン。
温室の空気が震えた。強化スーツの内部に埋め込まれた青いコアが、心臓の鼓動のように強く脈打った。光の粒子がケーブルを伝って全身へ奔流となり、無機質な装甲の内側に「命」を吹き込んでいく。
ウィィィィン……ガシャン!
吊り下げられていた機体が、自らの意思で腕を持ち上げた。関節駆動音は静かで、滑らか。頭部のバイザーがスライドし、その奥にあるセンサーが青く輝いた。
『……システム、オンライン。……認識中』
スピーカーから流れる合成音声。コロンの電子音とも、アヴァロンの機械的な音声とも違う。どこか幼く、純粋で、透明感のある響き。
マリアは脚立を登り、機体の顔の高さまで近づいた。青い瞳が、マリアを映す。
「……はじめまして。私の声、聞こえる?」
『……聞コエマス。マイマザー』
「私はマリア」
マザーと言われたマリアは驚いたように微笑み、鋼鉄の仮面にそっと手を触れた。
『マリア……』
機体は言葉を反芻し、理解しようとするように瞬きをした。その反応速度、学習能力。マリアの予想を遥かに超えている。これが旧時代のコアの力なのか。
「あなたの名前は『シエル』。……この天井の向こうにある、青い空の色」
マリアは温室の天井を見上げた。
『シエル……。ソラ……。……了解。ワタシハ、シエル』
シエルが、嬉しそうに全身の装甲を微振動させた。コロンもまた、パチパチとマニュピレーターで器用に喜びを表現する。
『ピューイ! ピューイ!』
「うん……ありがとう、コロン。コロンは友達として優しくしてあげてね」
「……ヨロシク、コロン……センパイ」
マリアの目から、安堵の涙がこぼれ落ちた。
その時。 マリアの指先から、再びあの「熱」が流れ込んだ。ナノマシンが、マリアの感情の高ぶりに呼応し、シエルのコアと見えないリンクを形成する。
(……お母さん、泣かないで)
声ではない。直接、脳に響くような感覚。マリアは驚いて顔を上げたが、シエルは静かに佇んでいるだけだった。
「……今、何か言った?」
「? イイエ。……何カ?」
「……ううん、なんでもない」
マリアは涙を拭い、強く頷いた。 気のせいかもしれない。でも、この子はきっと、私の心と繋がっている。
「さあ、シエル。最終調整をするよ。……もうすぐ、出番が来るはずだから」
マリアは再び工具を握り直した。 温室のガラス越しに、ギーグスたちが慌ただしく動き回るのが見えた。ステーション全体が、来るべき戦いに向けて動き出していた。




