第四十八話 プロジェクト『A.L.I.C.E』
その日の午後。
厳戒態勢の続く司令室の扉が、静かにノックされた。モリィに連れられて入ってきたのは、普段は自分の店から滅多に出ないはずのアリスだった。
「どうしたんだモリィ、わざわざここまでアリスを連れて来るとは、店に泥棒でも入ったのか?」
レドリックが椅子から立ち上がる。 アリスは真剣な眼差しで室内を見渡すと、静かに口を開いた。
「……耳に入れておきたいことがある。肉塊と、死者が歩く現象についてだ」
「何か知っているのか?」
「確証はない。だが、心当たりはある」
アリスは一度深呼吸をすると、意を決したように語りだした。
「その前に、私の出自について話しておく必要があるだろう。……私は、この時代の人間ではない」
「なに?」
「私は数百年の冷凍睡眠から目覚めた『過去の人間』だ。マンシーと同じ、旧時代の遺物だよ」
アリスの告白に、室内に衝撃が走る。だが、アリスは淡々と続けた。
「当時は、世界中が戦争をしていてね。酷い時代だったよ。敵を倒すため、どの国も常に新しい力を求め、いくつもの計画が進められていた」
「私はその中の一つ『A.L.I.C.E』計画によって作られた強化兵士。……人殺しの道具として設計され、生まれた存在だ」
重い沈黙が降りるはずだった。だが、レドリックは顎に手を当て、感心したように深く頷いた。
「なるほど、道理で美しいわけだ」
「……は?」
アリスが呆気にとられ、言葉を失う。確かに自分の容姿にはそれなりの自信があるし、酒場の男たちにそういう目で見られることも少なくない。
だが、まさか「自分は人殺しの道具だ」と告白した直後に、こんな口説き文句のようなことを言われるとは思わなかった。
「え、あ、あの……?」
歴戦の兵士であるアリスが、珍しく頬を染めて狼狽える。その様子を見て、隣にいたアロウェイが「コホン!」とわざとらしい咳払いをした。
「……ん? ああ、いや、すまない! 変な意味じゃないんだ!」
レドリックはハッとして、慌てて手を振った。そして、熱っぽい視線でアリスの腰――そこに佩かれている『単分子剣』を指差した。
「その剣……まさにロストテクノロジーの結晶だと思ってな。私は旧時代の遺物に目がなくてね」
一瞬の空白。
「……プッ、アハハ、アハハハハハ!」
アリスは腹を抱えて笑い出した。自分が「人殺しの道具」だという悲壮な告白よりも、腰の剣のスペックの方が気になるなんて。この男は、どこまで「ズレて」いるのか。
だが、そのズレが、アリスの張り詰めていた緊張の糸を断ち切ってくれた。
「ぱぱ?」
マリアの声が、心なしか冷たい。 横にいるモリィも腕を組み、絶対零度のジト目でレドリックを見上げている。
「あ、ああ、いや、すまない」
レドリックが脂汗をかいて弁解する。アリスはひとしきり笑うと、目尻の涙を拭って表情を引き締めた。
「……いいよ、気に入った。この剣が気になるなら、後でいくらでも見せてやる」
「おお、それはありがたい!」
「だが、今は話の続きだ」
アリスの声色が、再びシリアスなものに戻る。
「私の生きた時代、軍部である極秘プロジェクトが動いていた。次世代の技術、新たな『力』を得るための計画だ。……それはいくつかあったが、そのうちの一つに『モノリスゲート』と呼ばれるものがあった」
「モノリスゲート?」
聞き慣れない単語に、クラークが眉をひそめる。
「ああ。理論の詳細は私にも分からない。だが、概要は『異界からの力の流入を利用する』という構想だったらしい」
「異界? そんなおとぎ話みたいなことが?」
「だが、そのプロジェクトは突然中止になった。……いや、破棄されたんだ」
アリスの瞳に、暗い影が差す。
「責任者だった研究者が突如失踪し、研究所は軍によって爆破処理された。……噂によると、研究所の中が『肉塊』で埋め尽くされていたらしい」
「肉塊……」
その言葉に、ファルケンバーグとプリスキンが顔を見合わせる。森で見た、あのグランプーの背中のコブ。それと符合する。
「空間を繋げてはならない場所へ繋げた結果、向こう側から『何か』が漏れ出した……あるいは、侵食された。それが当時の軍の結論だった」
アリスはレドリックを真っ直ぐに見据えた。
「もしも、その『モノリスゲート』を再現しようとしている者がいるとしたら……事態は感染症なんてレベルじゃない。世界そのものが、侵食されているのかもしれない」
アリスのもたらした情報は、エンジェルステーションだけに留まらない。世界規模の危機を示していた。
「問題は、誰がそれを行っているかだが……」
クラークが疑問を口にする。彼のような理性的な人間からすると、世界を破滅させるリスクを負ってまで、そんな禁忌の実験を行う者の思考は理解しかねた。
「サイエンだよ。そんなことするのは、アイツに決まってる」
怒りに震えるモリィが、吐き捨てるように口にした名は、狂気の科学者サイエン。かつて『ウルトラヴァイオレンス』という組織で、非道の限りを尽くした人体実験を繰り返していた男だ。
「モリィ……」
マリアがモリィに寄り添い、その手を握る。マリアの体温が伝わると、モリィの呼吸は少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「すまない、モリィ。辛い記憶を思い出させる事になって申し訳ないが、そのサイエンの居所に心当たりはあるのかい?」
アレンが、極めて静かな、しかし確固たる意志を込めた声で尋ねる。それは同情ではなく、戦友に対する確認の声色だった。
モリィは一度ぎゅっと目を閉じ、そして大きく目を見開いた。
「……ある。奴等の拠点だった場所、『ファクトリー』だ」
「ファクトリー?」
「ああ。ここから北西の山岳地帯にある、地下工場だ。……アタシたち実験体が『造られた』場所さ」
モリィが唇を噛み締める。冷たい手術台、薬品の臭い、絶え間なく響くうめき声。忌まわしい記憶が蘇るが、彼女はもう逃げなかった。
「奴等は壊滅したと思っていたが、あの地下深くにまだネズミの巣穴が残っていたってことか」
「地下施設か……。悪巧みをするにはお誂え向きだな」
アリスが腕を組み、納得したように頷く。地下深くであれば、空間の歪みによるエネルギー漏出も、ある程度は隠蔽できる。
「場所は割れた。敵の正体も、最悪の相手ではあるが、想定はできた」
レドリックがテーブルに両手をつき、全員を見渡した。その瞳には、エンジェルステーションの指導者としての決意の炎が宿っている。
「座して死を待つわけにはいかん。……その『ファクトリー』を叩く」
レドリックの力強い宣言に、全員が頷く。だが、その熱気に水を差すように、冷静な声が響いた。
「待った。逸る気持ちは分かるが、少し落ち着け」
アリスだ。彼女は腕を組んだまま、壁にかかった地図を睨んでいた。
「本格的に動く前に、偵察を送る必要がある。本当にそこが拠点となっていればいいが、そうでない場合、戦力を無駄に切り離すことになる」
アリスはかつての戦場での経験を元に、軍人としての視点から警鐘を鳴らす。
「そのサイエンとやらは悪知恵が働くようだ。もし、こちらの動きを読んでいたら? もぬけの殻の『ファクトリー』を囮にして、主力を引きつけておいて、手薄になったここを襲うかもしれない。あるいは、ファクトリーそのものが巨大な罠という可能性もある」
アリスの指摘に、レドリックがハッとして頭を冷やす。確かに、相手は常軌を逸した科学者だ。正面突破が常に正解とは限らない。
「確かに、アリスの言う通りだ。情報なしに全軍で突っ込むのはリスクが高すぎる。それなら、誰かを先行させて……」
「アタシが道案内する!」
真っ先に手を挙げたのは、モリィだった。
「モリィ! だめよ! 危険だわ!」
悲鳴のような声を上げて、マリアがモリィの腕にすがりついた。その顔は蒼白で、目には涙が溜まっている。
「危険な場所なんでしょう? サイエンという人にもし見つかったら、また……!」
マリアの脳裏には、かつて傷つき、ボロボロになっていたモリィの姿が焼き付いている。あんな思いは二度とさせたくない。失いたくない。
「マリア……」
モリィは少し困った顔をして、自分の腕を掴むマリアの震える手に触れた。マリアの気持ちは痛いほど分かる。だが、だからこそ、自分が行かなければならないのだ。
「アタシしかいないんだ。あそこの場所を知ってるのはアタシだけだ。……それに、アタシはもう、あの頃の逃げ回るだけの実験動物じゃない」
モリィの決意は固い。しかし、マリアの手は離れない。その膠着状態を解いたのは、ポン、とマリアの頭に置かれた手だった。
「私もついて行こう」
アリスが、優しく、しかし力強くマリアの頭を撫でる。
「アリスさん……?」
「マリアちゃん、モリィは私の弟子だ。師として、責任を持って私が無事に連れ帰ってくるよ」
アリスは屈み込み、マリアと目線を合わせた。その赤い瞳には、絶対の自信と慈愛が宿っていた。
「私の腕前は知っているだろう? どんな罠があろうと、どんな怪物が潜んでいようと、私の弟子には指一本触れさせない。……約束する」
アリスの言葉には、不思議な説得力があった。あの時、たった一人で広場の蟲を殲滅した彼女なら。
「……本当? 絶対に、無事に帰ってくる?」
「ああ。この『単分子剣』にかけて誓うよ」単分子剣は、アリスの歴戦の友であり誇りだった。
アリスが腰の剣を軽く叩いてみせると、マリアは躊躇いながらも、ようやくモリィの腕を離した。
「……わかった。アリスさん、モリィをお願いします」
「任された」
アリスは立ち上がり、レドリックに向き直った。
「斥候は私とモリィの二人で行く。少人数のほうが隠密行動には向いているからな」
「……恩に着る、アリス。モリィを頼んだぞ」
「任せてくれ。無線機は持っていく。状況を確認次第、連絡を入れる」
方針は決まった。まずはアリスとモリィによる潜入偵察。その間、レドリックたちはいつでも動けるように準備を整える。
「行くぞ、モリィ。準備はいいか?」
「おう! 師匠、背中は任せな!」
二人は顔を見合わせ、ニヤリと笑った。最強の師弟コンビが、悪夢の工場へと挑む。




