第四十七話 忍び寄る脅威と、鉄の決意
エンジェルステーション、中央司令室。
普段は穏やかな空気が流れるこの場所に、今日は重苦しい沈黙が支配していた。
大きなテーブルを囲むのは、ステーションの中核を担うメンバーたち――「ギーグス」の面々と、マリア、モリィだ。
「……以上が、我々が遭遇した『何か』の報告だ」
ファルケンバーグが報告を終え、重く息を吐いた。
グランプーの変異、肉塊の寄生、そして火への耐性と断末魔。その生々しい描写に、同席していたメンバーの表情が曇る。
「急にホラーめいてきたな」
アレンが肩を竦め、嫌悪感を隠そうともせずに言った。
彼は元々、幽霊やオカルトの類が大の苦手だ。今回の敵が「科学的に説明がつかない」存在であることに、本能的な忌避感を覚えているようだった。
「ただの病気や寄生虫なら、宿主が死ねば活動を停止するはずだ。……だが、そいつは宿主の脳を破壊しても動き続け、焼かれる時には悲鳴を上げた」
イノシロウが腕を組み、難しい顔で唸る。
「生物学の常識からは外れているな」
その言葉に、場が凍りついた。
自然界の摂理から外れた生物。それが意味することは一つしかない。
何者かが意図的に作り出した、実験体である可能性だ。
「……サイエン」
その名を呟いたのは、モリィだった。
無意識に出た言葉だったのかもしれない。だが、その響きには底知れぬ恐怖が張り付いていた。
モリィの小さな体が、カタカタと小刻みに震えだす。
脳裏にフラッシュバックするのは、かつて実験台として縛り付けられ、弄ばれた冷たい手術台の感触。そして、あの狂った科学者の笑い声。
「……ッ」
それに気づいたマリアが、何も言わずにモリィをそっと抱きしめた。
震える背中を、温かい手で優しく撫でる。
「大丈夫だよ、モリィ。……私がいる。パパたちもいる」
「マリア……」
マリアの体温に触れ、モリィの震えが少しずつ収まっていく。その様子を見て、レドリックの目が鋭く細められた。
サイエン。かつてマリアたちを狙い、エンジェルステーションを襲ってきたウルトラヴァイオレンスに所属しており、モリィを実験体として扱った狂気の科学者。
もし奴が関わっているのなら、これは単なる災害ではない。悪意を持った侵略だ。
「サイエンの居場所が掴めないと、どうしても後手に回ってしまうな」
レドリックが低い声で言い、卓上の地図を指で叩いた。
敵の正体は限りなく黒に近いグレーだ。ならば、最悪の事態を想定して動くしかない。
「プリスキン。銃を増産してもらいたい。……特に、散弾銃を頼む」
レドリックの視線を受けたプリスキンが、顔を上げる。
「散弾銃か。……ああ、確かにあいつら相手には、ピンポイントで急所を狙うより、面で吹き飛ばして肉を削ぎ落とす方が有効だ」
実際に戦った、ファルケンバーグが賛同する。
「任せとけ」
レドリックの要請に、プリスキンが力強く頷く。
彼もまた、直接その脅威を目にしただけあって、危機感を人一倍感じていた。あの不気味な肉塊を近づけさせる前に、鉛の嵐でミンチにする。
それが今のところ唯一の対抗策だ。
「資材は優先的に回す。頼んだぞ」
「ネイバーや住人たち、立ち寄るキャラバンの皆にも注意喚起しておく必要があるわね」
アロウェイが冷静に意見を出す。
彼女は既に、万が一の感染に備えて医療区画の隔離準備を頭の中で進めていた。
「『森で変な肉腫のある動物を見ても近づくな』『死体には触れずに燃やせ』……そんなところかしら」
「ああ。リンジー、広報を頼めるか?」
「了解。無線で周辺の集落にも警告を出しておくよ」
リンジーはそう言うと、通信室へと向かう。
大人たちがテキパキと対策を練る中、レドリックは視線を二人の少女へと戻した。
「マリア、モリィ。……お前たちには不自由させるが、暫くステーションからの外出は控えてくれ」
それは命令というより、父親としての懇願に近い響きだった。
奴の影がちらつく以上、子供たちを危険な森に出すわけにはいかない。
「はーい、パパ」
マリアは素直に頷いた。
彼女も感じ取っていた。モリィをあんなに震えさせる敵に立ち向かうには、もっと準備が必要だと。
アリスから譲り受けた青いコアを使って、新しいマシン――シエルの調整と、さらなる機能拡張を急がなければならない。
「市場までは行ってもいいか?」
モリィが手を挙げて尋ねる。
まだ顔色は少し悪いが、その瞳には再び闘志が宿り始めていた。恐怖に縮こまっているだけでは、誰も守れないと知っているからだ。
「アリスのところだな? ……まあ、あそこならいいだろう」
レドリックは少し考え、許可を出した。
あの店主――アリスの実力は、レドリックも認めている。もし万が一、市壁の中に何かが侵入したとしても、アリスの側にいればマリアたちを守りきれるだろう。
「何かあったとしても、あの店主なら安全そうだしな」
「ああ、師匠は最強だぜ」
モリィがニッと、いつもの不敵な笑みを浮かべる。
だが、その拳は固く握りしめられていた。
こうして、エンジェルステーションは厳戒態勢へと移行した。
表向きは平穏を保ちつつも、工場では銃器の製造音が鳴り響き、外壁の警備は倍増された。
見えない敵、そして過去からの亡霊との戦いが、静かに幕を開けようとしていた。
エンジェルステーションに厳戒態勢が敷かれた、その翌日のこと。市場の端にあるアリスの店に、モリィが息を切らせて駆け込んできた。
「師匠! いるか!?」
その必死な形相に、カウンターで帳簿をつけていたアリスが顔を上げる。
「どうした、モリィ。今日は稽古の日じゃないぞ」
「それどころじゃないんだ! ……森で、変なものが出た」
モリィはカウンターに身を乗り出すと、声を潜めてファルケンバーグたちから聞いた話を伝えた。森で見つかったグランプーの異変。背中に寄生した赤黒い肉塊。宿主が死んでも動き続ける執念深さ。そして、火にくべられた時の断末魔の叫び。
「……パパたちは『未知の病気か寄生虫かもしれない』って言ってる。でも、アタシにはどうしてもそうは思えないんだ」
モリィは自分の二の腕を抱き、震えを抑えるように言った。
「話を聞いただけだけど、どう考えても自然のものじゃない、もっと禍々しい何かだよ」
モリィの話を聞き終えたアリスの表情から、いつもの余裕が消え失せていた。彼女はペンを置き、眉間に深い皺を刻んで考え込んだ。
「宿主を操る肉塊……。焼却時の特異な悲鳴……」
アリスの脳裏に、かつて軍のデータベースで見た、ある『特級危険指定』のレポートがフラッシュバックする。本来なら、この世界には存在し得ないはずの悪夢。
「……まさか。あれが、ここにあるというのか?」
アリスが独り言のように呟く。
「アリス? 何か知ってるのか?」
「……確証はない。だが、もし私の懸念が当たっているなら、ステーションの壁を閉じる程度じゃ防ぎきれないぞ」
アリスは立ち上がると、店の奥から愛用の『単分子剣』を取り出し、腰に佩いた。その目は、戦場に赴く兵士のそれだった。
「行くよ、モリィ」 「えっ? どこへ?」
「司令室だ。……レドリックに話がある」
普段、自分から街の運営に関わろうとしないアリスの言葉に、モリィは目を見開いた。 だが、すぐに力強く頷く。
「わかった! 案内する!」
二人は店を出て、早足でステーションの中心部へと向かった。アリスの背中は、かつてないほど張り詰めていた。
彼女は悟っていたのだ。自分が「ただのジャンク屋」でいられる時間は、もう終わったのだと。




