第四十話 謎の英雄
アヴァロン自治区からの帰路は順調だった。
往路と同じく途中で一晩の野営を挟んだが、コロンは初めての外泊に興奮したのか、あるいはマンシーの真似をして警備モードに入っていたのか、一晩中カメラアイをクルクルと回して起きていたようだ。
そして今、マンシーの背の上で、コロンは満足げにアームを動かし、時折マンシーと何かを通信し合って遊んでいる。
「ふふ、コロンは元気だね」 「ああ。見てる分には和むよ」
マリアとモリィが微笑ましく眺めていると、懐の無線機が鳴った。
「……はい、こちらマリア。パパ、聞こえる?」
『――マリアか! 今どこにいる!』
スピーカーから飛び込んできたのは、いつもの冷静なレドリックとは思えない、切羽詰まった怒号だった。背景には、人々の悲鳴と何かが破壊される音が混じっている。
「え……? もうあと数時間で着くと思うけど……パパ、何があったの?」
『来るな! 今すぐ引き返せ!』
レドリックが叫ぶ。
『緊急事態だ! 壁の内側……居住区の地面から、突然「蟲」が湧き出した! 防壁の中だ! 今、広場が戦場になって……』
「中から!? そんな!」 「おい大将! 無事なのか!?」モリィが無線機に身を乗り出す。
『……いいか、マリア。お前たちはアヴァロンへ戻れ。落ち着いたらまた連絡する!』
その言葉を最後に、通信は切れた。
「戻るなんてできない! 私たちにはマンシーがいるわ! それにコロンだって!」
「行くぞマリア! 家族がピンチなんだ!」
「うん!」
マリアは通信を切ると、マンシーの装甲を叩いた。
「マンシー、戦闘速度へ! 全速力で戻るよ!」
『ジジッ!!』
マンシーが雄叫びのような駆動音を上げ始めた。コロンが3人をしっかりと抱え、振り落とされないようにフォローする。
それを確認すると、鋼鉄の巨体は砂煙を上げ、エンジェルステーションへとひた走った。
――
エンジェルステーションの正門ゲート前に、マンシーが滑り込んだ。
外側に蟲の姿はない。静かだ。あまりにも静かすぎる。
「……どうなってるの?」
マリアたちが警戒しながらゲートをくぐる。そして、広場に足を踏み入れた瞬間、彼女たちは息を呑んだ。
「うわ……なんだこりゃ」
モリィが呟く。
広場の地面には、あちこちに巨大な風穴が空いていた。
そこから湧き出したと思われる蟲たちの死骸が、至るところに散らばっており、総出で片付けている最中だった。
「マリア! 無事か!」
死骸の山の向こうから、レドリックが駆け寄ってきた。
煤で顔を汚しているが、大きな怪我はないようだ。周囲のネイバーたちや住民たちも、呆然としてはいるものの、目立った死傷者は見当たらない。
「パパ! みんな無事なの!? 蟲たちは……?」
「ああ。……正直、我々も何が起きたのか理解が追いついていないんだが」
レドリックは、積み上げられた蟲の山――頭部を一撃で切断された蟲の死骸に、複雑な表情を浮かべた。
「地面から奴らが湧き出した時は、終わったと思ったよ。我々の武器は倉庫にあり、住民たちは無防備だったからな。大虐殺が始まる……そう覚悟した」
「それじゃあ、誰がこれを……?」
「目撃者の話では、フードを被った人物だ。……そいつが、たった一人で、湧き出した蟲を次々と切り捨てていたそうだ」
「えっ……一人で?」
マリアとモリィは顔を見合わせた。
この巨大な蟲の群れを相手にするのは、モリィですら苦労する(真の力を解放すれば別だが)。
「私も直接は見ていないのだが、どうやらそうらしい。さらに信じられないことに、女性だという話まである」
レドリックの声には、畏怖と感謝が入り混じっていた。
「騒ぎが収まる頃には、いつの間にか姿を消していたようだ」
「……とにかく、助かったわね」
アロウェイが安堵の息を吐く。
被害は最小限。建物の一部と地面が損壊した程度で、人的被害はほぼゼロだ。謎の英雄のおかげで、奇跡的に惨劇は回避された。
「ああ。だが、安心はできんぞ」
レドリックが表情を引き締めた。彼は広場に空いた大穴――粘液にまみれた不気味なトンネルの入り口を指差した。
「奴らは地下から来た。……おそらくこの穴は、地下深くに広がる『蟲の帝国』へと繋がっている。今は静かだが、いつまた第二波が湧き出してくるか分からん」
自警団のメンバーたちも、穴の奥から漂う腐臭と気配に、緊張の色を崩せないでいる。穴を埋めるにしても、作業中に襲われればひとたまりもない。
「ふふ、それなら心配いらないわ。そのために『お土産』を持ってきたんだもの」
アロウェイが自信ありげに微笑み、白衣のポケットから金属製の容器を数本取り出した。表面には危険のマークと、毒々しい蟲のイラストが描かれている。
「これは……?」
「アヴァロン自治区で開発した、対巨大昆虫用の特殊燻煙剤よ。蟲が嫌がるフェロモンと、神経を麻痺させるガスを混合してあるの。これをコロンに穴の中で散布してもらうのよ」
「コロン?」 聞き慣れない名前に、レドリックが首を傾げる。
「パパ見て! この子がコロン! マンシーの弟分だよ!」
マリアがマンシーの足元に隠れるようにしていた、小さなロボットを指差した。緑色の丸いボディに、六本の短い脚。つぶらな単眼カメラ。
コロンはマリアに紹介されると、一歩前に出て『ピロリッ!』と電子音を鳴らし、小さなマニピュレーターをカチカチと動かして、レドリックに向かってピシッと敬礼してみせた。
「ほう……これがアヴァロンの土産、というわけか。小さい分、小回りがききそうだな。それに愛嬌にある顔つきだ」
レドリックは目を丸くし、それから少しだけ口元を緩めた。この新しい住人を早くも気に入った様子だった。
「人間がこの穴に入って散布するのは危険すぎるわ。中でもし鉢合わせたら逃げ場がないもの。でも、この子なら……」
「僕に任せて、って言ってるよ!」
マリアがコロンの背中をポンと叩く。
コロンは『ポワッ!』と音を鳴らすと、アロウェイから受け取った燻煙剤の容器を、器用にマニピュレーターで抱え込んだ。
コロンは短い脚を動かして、恐れることなく大穴の縁へと近づいていく。
そして、暗闇の中へとその小さな体を滑り込ませた。
固唾を飲んで見守る住人たち。数秒後、穴の底でプシューッ!!という激しい噴出音が響いた。
もくもくと、黄色い煙が穴から溢れ出してくる。煙は生き物のように穴の奥深く、地下通路の方へと吸い込まれていった。
すると、地底の奥からギギッ……ギチチ……という苦しげな鳴き声が微かに聞こえ、それもすぐに遠ざかっていった。
『ピロリ〜♪』
煙の中から、コロンがひょっこりと戻ってきた。そのボディは蟲の体液で汚れてるが傷一つ無い。コロンのカメラアイは誇らしげに点滅している。
「すげえ……。でも博士、煙が晴れたらまた戻ってくるんじゃ?」ネイバーの一人が不安そうに尋ねる。
「いいえ、そこがポイントよ」
アロウェイは人差し指を立てて、得意げに微笑んだ。
「このガスの成分は、トンネルの壁や土壌に吸着して、長時間残留するように設計されているの。煙が見えなくなっても、この先一ヶ月は、あの蟲たちは臭いを嫌がってここには近づけないわ」
「一ヶ月もか! そりゃあ助かる!」
「流石だな、アロウェイ。いい仕事だ」
レドリックが感心したように頷く。
その間に穴を物理的に塞ぐもよし、迎撃体制を整えるもよし。この「猶予」こそが、何よりの救援物資だった。
これで当面の危機は去った。ネイバーたちが安堵の声を上げ、すぐに土嚢や鉄板を持って集まってくる。復旧作業の始まりだ。
レドリックは、マリアに褒められて嬉しそうに体を揺らしているコロンの頭を大きな手でポンと撫でた。
「よくやってくれたコロン、これからもよろしく頼む。……そしてマリア、モリィ二人ともおかえり」
「ただいま、パパ!」
謎の英雄の武力と、アロウェイの科学力、そしてマリアが持ち帰った新たな希望。
多くの力に支えられ、エンジェルステーションは今日も生き延びたのだった。




