第三十三話 たったひとつの冴えたやり方
【同期率:100%】
【リミッター解除】
エンジェルステーションの外部ゲート前。
マリアは一人、毒の暴風雨の中に立っていた。
バチチチチッ……!
本来なら、その身を犯していくはずの毒の雨が、マリアの体に触れる寸前で蒸発していく。
彼女の全身から噴き出す青い光が、物理的な障壁となって世界を拒絶していたのだ。
マリアはゆっくりと空を見上げた。
視界を埋め尽くすのは、ドス黒い緑色の雨と灰色の雲。
アヴァロンが捨てたゴミと、地上の汚染が混ざり合った、呪いのような天井。
(……さようなら、私の翼)
マリアは目を閉じ、意識を体内深くへと沈めた。
コアと完全に同化したナノマシンが、解放の時を待って唸りを上げている。
これを放てば、私はもう空を飛べない。不思議な力も使えない。
でも、怖くはなかった。
パパが、みんなが、待っていてくれるから。
マリアはカッと目を見開き、両手を天に突き上げた。
「……お願い。消えて!!」
【全ナノマシン・強制開放】
【対象:灰色の雲】
ズガアアアアアアアアアアアアアン!!!!
マリアの小さな体から、エンジェルステーション全体を飲み込むほどの巨大な「光の柱」が噴き上がった。
それはレーザーのように真っ直ぐに空を刺した。
雨を蒸発させ、暴風を引き裂き、成層圏に居座る『灰色の雲』へと突き刺さる。
逆巻く光の渦となって、少女の命の輝きが天を焦がした。
――
一方、その頃。
西へ数百キロ離れた、アヴァロン不時着地点。
「くそっ、隔壁が持たん! 全員、第1区画の奥へ退避しろ!」
ケイスは絶叫していた。
彼らの拠点もまた、毒の雨と暴風によって深刻な被害を被っていた。
カッ……!!
突如、東の空が昼間のように明るく染まった。
水平線の彼方から、天を貫く蒼い光の柱が立ち上っていたのだ。
「……なんだ、あれは」
逃げ惑っていた市民たちが、足を止めて見入る。
その光は、荒れ狂う嵐をねじ伏せるように広がり、頭上を覆っていた黒い雲を、次々と透明な粒子へと変えていく。
「……まさか」
ケイスは震える手で窓枠を掴んだ。
この波動、この輝き。見間違えるはずがない。
かつてアヴァロンの中枢で見た、あの少女の光だ。
「マリア……なのか? お前が、俺たちを……この世界を、守っているのか……?」
――
何処とも知れぬ荒野の地下深く。
薬品の臭いが充満する、薄暗い実験室。
無数の計器と培養槽に囲まれたその部屋の中央で、男は深い眠りについていた。
顔の半分が機械化され、赤い義眼が埋め込まれた男――アレックスだ。
彼のバイタルサインは低調で、死体のように動かない。
カッ……!!
突如、壁一面のモニターが青白く発光した。
地上のカメラが捉えた、天空を貫く光の柱が映し出されたのだ。
その瞬間だった。
ドクンッ!!
カプセルの中のアレックスの体が、一度だけ大きく跳ねた。
心拍計のアラートが鳴り響く。
閉ざされていた赤い義眼が、カッと見開かれた。
「時よ止まれ。お前は美しい……」
培養液の中で、機械混じりの恍惚とした声が漏れる。
彼の意識は、地上の光に呼び戻されたのだ。
アレックスはガラス越しに、モニターに映る蒼い光をうっとりと見つめた。
その背後で、白衣を着た男――サイエンが、跳ね上がったデータを見て歪んだ笑みを浮かべていた。
「ヒッヒッヒ……驚いたな。まさか、こんなに早く覚醒するとはね」
サイエンはカプセルのガラスをコツコツと叩いた。
「王様が、女王様に目覚めさせてもらったというわけか、意外とロマンチストじゃないか」
光あるところに影があるように、救世主の誕生は、同時に最悪の怪物の目覚めでもあった。
――
エンジェルステーション、指令室。
「……すごい」
アレンたちは呆然と窓の外を見つめていた。
目の前で起きている現象は、科学を超えていた。
蒼い光の粒子が、空を埋め尽くす毒素に吸着し、対消滅を起こしているのだ。
黒い雨が、光の粉雪となって消えていく。
「マリア……!」
クラークが祈るように手を組む。
あれほどの放出量だ。彼女の体内のナノマシンは、文字通り一滴残らず絞り出されているはずだ。
それは「天使」から「人」への不可逆な墜落。
バリバリバリッ……!!
やがて、天頂付近で雷のような音が轟いた。
雲が、割れる。
分厚い灰色の天井に、巨大な亀裂が走る。
その裂け目の向こうに、マリアはずっと見たかったものを見た。
(ああ……パパが言ってた通りだ)
(空って、本当に……青いんだ)
最後の力を振り絞り、マリアはその青空を地上へと取り戻した。
カッ……!!
光の柱が弾け飛び、衝撃波が雲を一気に吹き飛ばした。
風が止む。
雨が止む。
そして。
地平線の彼方から、強烈な、暴力的なまでの黄金色の光が差し込んだ。
「……あ……」
誰かが声を漏らした。
窓から差し込む光が、彼らの顔を照らす。
LEDの冷たい白でも、ネオンの毒々しい赤でもない。
圧倒的な熱量と、生命力を持った「太陽」の光。
この日、地上に居た誰しもが、空を見つめ続けた。
行きかう人も、呼び合う人も、争う人も、雲のない空を、ただただ見上げていた。
――
「太陽だ……。本物の、お日様だ……」
クラークが眼鏡を外し、涙を流す。
アレンも、モリィも、言葉を失ってその光景に見入っていた。
毒の雨に打たれていた黒い大地が、黄金色に輝き始める。
農業プラントのガラス屋根も、生き残った作物の緑も、すべてがキラキラと輝いている。
それは、長い長い冬の時代の終わりを告げる光だった。
地下の穴蔵で震えていた人類が、再び「星の下」へと帰ってきたのだ。
しかし。
その光の中心にいたはずの少女の姿は、もう立っていなかった。
「マリアッ!!」
我に返ったアレンが、ゲートをこじ開けて飛び出した。
モリィも、クラークも続く。
光の消えたゲート前。
蒸発して乾いた地面に、小さな影が倒れていた。
背中の翼はない。頭上の輪もない。
青い発光も消え失せ、ただの人間となった少女が、泥の上に横たわっていた。
「マリア! おい、マリア!」
アレンが駆け寄り、その体を抱き起こす。
冷たい。そして、驚くほど軽い。
その顔は安らかだったが、胸の上下動はあまりにも微かだった。
「……息は?」
追いついたリンジーが、震える手でマリアの首筋に指を当てた。
長い、永遠のような数秒間。
降り注ぐ太陽の光が、静まり返った彼らを、残酷なまでに鮮明に照らし出していた。




