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第三十二話 ひとにぎりの未来

 アヴァロンの墜落から半年。

 エンジェルステーションは都市としての機能を整えつつあったが、自然の猛威は彼らに安息を与えなかった。


 ザァァァァァ……


 空から降り注ぐのは、緑色がかった不気味な雨だった。

 『超大型ハリケーン』の前触れだ。

 アヴァロンの暴走ナノマシンと、大気中の汚染物質が結合したこの雨は、微弱な毒性を含んでいた。

 微弱とはいえ、それは蓄積することで確実に死に至る脅威。


「総員、屋内退避! 絶対に肌を晒すな!」

「第2農業エリア、閉鎖! もう手遅れだ、諦めろ!」


 アレンの叫び声が響く。

 防護服を着た作業員たちが、泥だらけになって屋内へ駆け込んでくる。

 彼らは悔しげに、厚いガラスの向こうの農場を振り返った。


 丹精込めて育てた作物が、毒の雨に打たれ汚染されていく。

 建物の中にいれば人間は安全だ。頑丈な壁とエアフィルターが毒を防いでくれる。

 だが、植物は違う。

 この雨が止む頃には、すべての作物は死滅し、土壌は数年にわたって不毛の地となるだろう。


「……終わりだ。これじゃあ、冬を越せない」


 窓際で、アレンが絶望的な声で呟いた。

 食料備蓄はカツカツだ。この収穫頼みだったのだ。

 それが全滅すれば、待っているのは緩やかな餓死だけだ。


 ――


 その夜。

 雨音だけが響く静寂の中、マリアは一人、閉鎖された農業エリアへの通路に立っていた。

 ガラス越しに見える畑にポツンと立つ案山子が、死への案内人のようだった。


 (……パパたちが、困ってる)

 (みんなのお腹が空いちゃう)


 マリアはガラスに手を当てた。

 彼女にはわかっていた。この雨が、かつてアヴァロンが切り捨てた「ナノマシン」の成れの果てであることを。

 自分たちの「業」が、雨となって降り注いでいるのだ。


 (私が……守らなきゃ)


 マリアは瞳を閉じた。

 体内のナノマシンに意識を深く、深く沈めていく。


 ……ンンンン……


 彼女の体から、淡い青色の光が溢れ出した。

 それはガラスを透過し、雨に打たれる大地へと広がっていく。

 『浄化』の光だ。

 土壌に染み込んだ毒素を分解し、植物の生命力を無理やり活性化させる。


 光が届いた場所だけ、枯れかけた苗が緑を取り戻す。

 だが、雨は降り止まない。

 浄化しては汚染され、汚染されては浄化する。

 それは、終わりのない消耗戦だった。


「……ぐっ、うぅ……!」


 マリアの口から苦悶の声が漏れる。

 全身が焼けるように熱い。

 体の中のナノマシンが、マリアの生命力を燃料にしてフル稼働している。

 視界が明滅し、耳鳴りがキーンと響く。


 (まだ……もっと広く……!)


 バチッ!


 指先から青い火花が散った。

 限界を超えた出力に、生身の肉体が悲鳴を上げたのだ。


「――マリア!」


 誰かが叫んで、マリアの体を後ろから引き剥がした。

 モリィだった。


「モ、モリィ……?」

「死ぬ気かよ! 顔色が真っ青だぞ!」


 モリィはマリアを支えようとしたが、マリアの体は糸が切れた人形のように崩れ落ちた。


 ――


 目が覚めると、そこは医療室だった。

 独特の薬草の匂い――リンジーの調合した漢方の香り。


「……気がついたかい?」


 白衣を着たリンジーが、厳しい顔で覗き込んでいた。

 枕元には、心配そうなアレン、クラーク、そしてモリィがいる。


「リンジー先生……畑は……」

「畑の話は後だ。自分の体の心配をしなさい」


 リンジーはマリアの手首を掴み、脈を診ながら言った。


「過労と、極度のエネルギー枯渇だ。自分の生命力を削ってナノマシンを動かしたね? まるでロウソクの火を一気に燃やしたみたいになってるよ」


 リンジーの言葉には、マリアに無理をさせたことに対する悔しさが滲んでいる。

 クラークは、モニターの数値を指差した。


「この数値。マリアの『同期率』が跳ね上がってる。毒の雨に対抗しようとして、体が過剰適応を起こしたんだ」


 【同期率:98%】


 その数値を見て、リンジーが息を呑む。

 あと2%、いつの間にかマリアとナノマシンの同期率は跳ね上がっていた。

 いくら何でも急激すぎる。


「……マリア」


 アレンがマリアの手を握りしめた。その手は震えていた。


「もういい。もう無理をするな。畑なんて、また作ればいい。でも、お前がいなくなったら、代わりはいないんだぞ」

「……ごめんなさい、パパ」


 マリアは弱々しく謝った。

 でも、彼女は知っていた。

 「また作る」なんて時間はないことを。

 この雨が本降りになれば、土そのものが死んでしまうことを。


 (……あと、もう少し)


 マリアは自分の手のひらを見つめた。

 同期率が上がったことで、不思議と恐怖は消えていた。

 代わりに、ある「確信」が生まれていた。


 私なら、できる。

 この雨だけじゃない。

 あの空を塞いでいる『灰色の雲』ごと、すべてを終わらせることが。


 窓の外で、風の音が強まり始めた。

 本隊である巨大なハリケーンが、すぐそこまで迫っていた。


「……来る」


 マリアが小さく呟く。

 それは、少女としての最後の言葉のようだった。


 ――


 ザアアアアアア……


 エンジェルステーションの指令室。

 分厚い壁の向こうから、緑色がかった粘着質の雨が叩きつける音が響いていた。

 不快で、陰湿な雨音。それがアレンたちの神経を削り取っていく。


「第1エリア、土壌汚染度上昇! 中和剤、散布急げ!」

「ダメです、追いつきません! 換気フィルターも目詰まりを起こして、微細な毒素が入り込んでいます!」


 アレンがモニターを睨みつける。

 ガラスの向こう、青々としていたはずのジャガイモの葉に、ドス黒い斑点が浮かび始めていた。

 『毒性物質の雨』だ。

 アヴァロンのナノマシンと汚染物質が結合したこの雨は、触れた生物の体内に蓄積し、細胞を内側から壊死させる。


「……くそっ、これじゃあ真綿で首を絞められているようだ! おいケイス、聞こえるか!?」


 アレンが通信機に向かって怒鳴る。

 壁面のモニターに、ノイズ交じりのケイスの顔が映し出された。彼は遠く離れたアヴァロンの統制室から、共有されたセンサーデータを解析していた。


『……聞こえている。だが、状況は最悪だ』


 モニターの中のケイスは、苦渋の表情でグラフを指し示した。


『この雨に含まれるナノマシン毒素は、あらゆる隙間から浸透している。植物の毒素蓄積量を見てみろ。もう危険域だ』


 モニターに表示された赤いゲージが、ジワジワと上昇している。


『今のところ作物は生きているが、あと1時間……いや、長くても2時間だ。それを超えれば、作物の細胞は不可逆的な壊死を起こす。そうなれば、もう収穫はできない』


「2時間……」


 その言葉に、室内にいた作業員やクラークたちが頭を抱えた。

 ガラスの向こうの作物は、まだ形を保っている。

 だが、見えない毒が確実に「命」を蝕んでいるのだ。

 作物が全滅すれば、アヴァロンの民も含めた全員が冬を越せない。備蓄は底をつき、待っているのは緩やかな餓死だ。


「……万策尽きたか」


 アレンは拳を机に叩きつけ、天井を仰いだ。

 沈黙が落ちる。

 誰もが言葉を失い、絶望に押しつぶされそうになっていた、その時だった。


 ガチャ……


 ミーティングルームのドアが静かに開き、白い影が入ってきた。


「……マリア?」


 アレンが掠れた声で呼ぶ。

 そこに立っていたのは、白い病衣を着たマリアだった。

 だが、その姿は異様だった。

 全身が青白く発光し、背中には陽炎のような光の粒子が揺らめいている。

 ただならぬ「気配」に、大人たちは息を呑んだ。


「マリア、どうしたんだ。医務室にいなきゃ……」

「パパ」


 マリアは静かにアレンを見つめた。

 その瞳は、透き通るように澄んでいて、どこか悲しげだった。


 彼女は少しだけ俯き、震える声でずっと胸に秘めていた問いを口にした。


「ねえ、パパ。クラーク博士。みんな。もし私が、翼をなくしたら。不思議な力が使えない、ただの弱い女の子になっちゃったら……」


 マリアは涙を浮かべ、アレンを見上げた。


「……私はもう、いらない子かな?」


 その言葉は、雨音よりも大きく、大人たちの胸を貫いた。

 彼女はずっと恐れていたのだ。

 自分が「機能」でしか評価されない道具なのではないかと。

 役に立たなければ、捨てられるのではないかと。


 アレンは、泣き出しそうな顔を歪め、一歩踏み出した。

 彼はマリアの細い肩を、壊れ物を扱うように、しかし力強く掴んだ。


「バカ野郎……!」


 アレンの声が震える。


「いらないわけ、あるか! 翼があろうがなかろうが、お前はマリアだ! 俺達の大事な娘だ!」


「マリア、君は道具じゃない」クラークも眼鏡を外して涙を拭った。「私たちの家族だ」

『そうだぞマリア!』


 モニター越しに、ケイスも叫んだ。


『お前はアヴァロンの、俺たち全員の希望なんだ! 力があるからじゃない、お前がそこにいてくれることが希望なんだ!』

「そうだ! あんたがいてくれれば、それでいいんだ!」


 モリィが、イノシロウが、作業員たちが次々と頷く。

 誰も、彼女に「世界を救ってくれ」とは言わなかった。

 ただ「生きていてほしい」と、それだけを願っていた。


 その温かさに包まれ、マリアの目から大粒の涙が溢れ出した。

 それは恐怖の涙ではなく、安堵の涙だった。


 (ああ……よかった)

 (私は、愛されていたんだ)


 マリアはアレンの目の前で、あどけない子供の顔で笑った。


「ありがとう。……大好きだよ、パパ、みんな」


 そして。

 彼女はそっと身を離した。

 その表情からは、もう迷いは消えていた。


「えっ……マリア!?」


 止める間もなかった。

 マリアは踵を返し、開いたままのドアから廊下へ、そして外部へ通じるゲートへと向かって全力で走り出した。


「おい、待て! マリアァァァッ!!」


 大人たちの声にもマリアは止められない。


「いくよ! マンシー!」

 マリアの呼び声に応え、マンシーがその身を低くする。その背にマリアを乗せるとマンシーは外壁の外へと飛び出していった。


 彼女視線の先には、毒に侵されかけた大地と、それを覆う憎き灰色の空がある。

 

 【同期率:100%】

 【リミッター解除】

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