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第三十一話 危険なヴィジョン

 アヴァロンの墜落から半年。

 かつて孤独な要塞だったエンジェルステーションは、いまや荒野に聳え立つ『鋼鉄の都市』へと変貌を遂げようとしていた。


 カンッ! カンッ! ジジジ……!


 朝から晩まで、ハンマーが鉄を叩く音と、溶接のスパーク音が絶えることはない。

 グラヴシップの残骸や、墜落したアヴァロンの残骸を回収、解体し、新たな居住区画を増設しているのだ。


 生存という絶対的な目標が、彼らを一つのチームに変えていた。

 地熱発電所が唸りを上げ、リサイクルされたパイプを通って温かい蒸気が各部屋へ送られる。

 厚い断熱材に覆われた居住区内は、シャツ一枚で過ごせるほど快適だった。


 住環境は整った。

 だが、都市が大きくなればなるほど、解決できない問題が巨大な影を落としていた。

 それは、人口が増えたことによる「食」の問題だった。


 ――


「……全滅だ。また、枯れてやがる」


 拡張された農業エリア。

 今までは厳しいながらも育っていた作物が、枯れるようになって来ていた。


 半年前のアヴァロン墜落。生き延びるためにやむを得ない対処だったとは言え、それは地上に甚大な影響を及ぼしていた。

 灰色の雲を突き抜ける際、盾にしたアヴァロンの暴走ナノマシン。

 それらが融合したことで、大規模な環境変動が起こっていたのだ。


「……太陽さえ、あればな」


 アレンの呟きは、この場にいる全員の願いだった。

 技術で壁は作れる。熱も作れる。水も作れる。

 だが、太陽だけは作れない。

 この『灰色の天井』がある限り、人類はいつまでも暗く、ジメジメした地下室のような場所で、カビのように生きるしかないのだ。


 ――


 その日の深夜。

 住民たちが寝静まり、機械の駆動音だけが響く時間。

 マリアは一人、宿舎を抜け出して農業エリアへと向かっていた。


 ハウスの中は冷え切っていた。

 マリアは枯れかけたジャガイモの苗の前に膝をつく。


 (ごめんね。苦しいよね)


 マリアはそっと手袋を外し、凍てつく土に素手を触れさせた。

 目を閉じ、体内のナノマシンに意識を集中させる。

 イメージするのは、温かな春の日差し。生命の芽吹き。


 ……ンンンン……


 マリアの身体が淡い青色に発光し始めた。

 蛍のような光の粒子が、彼女の指先から溢れ出し、土の中へと染み込んでいく。

 それは植物の細胞に直接働きかけ、遺伝子レベルで活力を与える「恵みの光」だった。


 しおれていた葉が、見る見るうちに緑色を取り戻し、茎がシャキッと立ち上がる。

 1株、2株、3株……。

 マリアの周囲だけ、まるで早送り映像のように緑が蘇っていく。


 だが、その代償は小さくなかった。


「……っ、うぅ……」


 マリアの口から苦悶の声が漏れる。

 額からは玉のような汗が噴き出し、視界がチカチカと明滅する。

 熱い。身体の奥底で、何かがギシギシと軋んでいる。

 ナノマシンが活性化しすぎて、生身の肉体が悲鳴を上げているのだ。


 (まだ……もっと……!)


 アレンの困った顔。お腹を空かせた子供たちの顔。

 それを思い浮かべ、マリアはさらに出力を上げようとした。

 その時だった。


「――おい、バカ。死ぬ気か」


 冷ややかな声と共に、肩を強く掴まれた。

 ビクッとして振り返ると、そこには不機嫌そうに眉を寄せたモリィが立っていた。

 彼女の手には、毛布と、湯気の立つマグカップが握られている。


「モ、モリィ……? どうしてここに」

「トイレに起きたら、お前のベッドが空だったんだよ。……こんなとこだろうと思ったぜ」


 モリィは乱暴にマリアの肩に毛布を被せると、無理やりその身体を引き起こした。


「見ろよ、顔色が真っ青だぞ。……また、無理やり『魔法』を使ったな?」

「う、ううん。これくらい平気だよ。あともう少しで、この列が終わるから……」

「バカ野郎!」


 モリィの怒鳴り声が、静かなハウスに響いた。

 マリアは驚いて目を丸くする。


「いいか、調子に乗るなよ。お前は確かに便利かもしれない。ナノマシンのお姫様かもしれない。でもな、神様じゃねえんだ! 生身の人間なんだよ!」


 モリィはマリアの手首を掴み、目の前に突き出した。

 その指先は、極度の疲労と寒さで震えていた。


「ファクトリーにいた頃、お前みたいな奴を何人も見た。能力を使いすぎて、脳が焼き切れたり、身体が崩れたりした奴らをな。……お前もそうなりたいのかよ!」


 モリィの声は震えていた。

 彼女は知っているのだ。力を過信した実験体の末路を。

 そして何より、自分に初めてできた「友達」が、目の前で壊れていく恐怖を。


「……ごめん。ごめんね、モリィ」


 マリアはうつむいた。

 心配をかけてしまった申し訳なさと、それでも現状を変えられない無力感で、涙が滲んだ。


「……わかったら、これを飲め。ホットミルクだ。砂糖たっぷりのやつ」


 モリィはため息をつき、マグカップを押し付けた。

 温かい甘さが、冷え切った内臓に染み渡る。


「ありがとう……おいしい」

「ふん。……ほら、メイも心配してるぞ」


 足元を見ると、いつの間にか猫のメイが来ていて、「ナァー」と鳴きながらマリアの足に頭突きをしていた。

 冷たい夜の中で、その温もりだけが救いだった。


 ――


 翌日。

 マリアの密かな努力により、一部の作物は持ち直したものの、全体的な食糧事情は好転していなかった。

 そんな中、さらなる絶望がエンジェルステーションを襲った。


 研究室のモニターを見ていたクラークの顔色が、さっと青ざめた。


「……おい、レドリック。皆を呼んでくれ、ケイスとも通信をつないで、緊急事態だ」


 呼び寄せられたリーダーたちが、緊迫した面持ちで画面を覗き込む。

 映し出されているのは、衛星軌道上のデブリに残されたセンサーから受信した、広域気象データだ。


「なんだ、このどす黒い渦巻きは」

「巨大な寒冷前線だ。だが、ただの寒波じゃない」


 クラークはキーボードを叩き、成分分析データを表示させた。

 そこには、信じられない数値が並んでいた。


「超大型ハリケーンだ」

「なんだと!?」


 ケイスが叫ぶ。

 天候が悪くとも時折雪と共に落ちて来るくらいのものだった。

 それが超大型ハリケーン?


「ケイス、お前たちの『アヴァロン降下作戦』を覚えているな?」

「ああ。外周ブロックの暴走ナノマシンを盾にして、大気圏の熱と雲を突破した……」


 言いかけて、ケイスはハッとして言葉を失った。


「まさか……」

「その『まさか』だ」


 クラークは重苦しく頷いた。


「あの時、熱エネルギーを喰らって活性化したナノマシンたちは、燃え尽きたんじゃない。 空を覆う『灰色の雲』の中にばら撒かれ、そこのウイルスと融合しやがったんだ」


 モニターのシミュレーション映像が、その悪夢を再現する。

 アヴァロンが切り捨てた「盾」は、雲の中で死ぬどころか、新たな宿主を見つけて爆発的に増殖・変異していたのだ。


「こいつが依然と比べものにならない環境変動を巻き起こしている。……生物にとっては死刑宣告だ」


 地図上の不吉な渦巻きが、エンジェルステーションへ向かってゆっくりと、しかし確実に移動していた。

 進路予想図は、無慈悲にもこの拠点上を示している。


「ちょ、ちょっと待て! こんなのが直撃したら、農作物は全滅だぞ!」

「建物もどこまで耐えられるか……水害に対しての備えはほぼ出来ていない。」


 アレンの悲痛な叫びに、ケイスは頭を抱えた。


「俺のせいだ……。俺があの時、あんな作戦を立てなければ……!」

「自分を責めるな。あれしか生き残る道はなかったんだ」


 生き延びるために捨てたゴミが、最悪の毒となって降ってくる。

 それは、逃れようのないカルマのように思えた。


「到着はいつだ!?」

「……2週間後だ」


 室内に、重く、粘りつくような沈黙が落ちた。 『灰色の雲』は、地上で生きようとする人間たちを、決して許そうとはしなかった。

 それはまるで、「お前たちはここで死ぬ運命だ」とあざ笑っているかのようだった。


「……どうする? 避難するか?」

「無理だ。2500人を連れて、移動などできない。ここで耐えるしかない」


 アレンが拳を握りしめ、机を叩いた。

 だが、打開策はない。

 ただ嵐が過ぎるのを待ち、その後には全滅した農場と、飢餓が待っているだけだ。


 ――ガタン。


 入り口で、小さな音がした。

 全員が振り返ると、そこには顔面蒼白のマリアが立っていた。

 彼女はメイの餌をもらいに来て、今の話を聞いてしまったのだ。


「超大型ハリケーン……?」

「マリア……」


 マリアの瞳が揺れる。

 農作物が吹き飛ばされ、荒れ果てた畑。みんながお腹を空かせ、苦しむ姿がマリアには見えた。


 (私が……私がなんとかしなきゃ。私しか出来ないんだから……!)


 彼女の背中の見えない翼が、不安と決意に呼応するように、微かに、しかし強く脈動した。

 クラークのコンソールに表示されたマリアのバイタルデータ。

 その『ナノマシン同期率』の数値が、静かに、しかし確実に上昇を始めていた。


 【同期率:86%】

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