第三十話 パンドラの少女
エンジェルステーションへの帰路。
アレンたちは、ケイスから教えられた座標へ寄り道をした。
そこにはアヴァロンからパージされた工場ブロックの残骸があった。
「よし、あそこなら使える部品が残っているかもしれん。回収して帰るぞ」
車両を停め、アレンたちが瓦礫の山へと近づいた時だった。
「こっちへ近寄るなっ!」
瓦礫の隙間から、鋭い声が飛んできた。
現れたのは、ボロボロの布を纏った小柄な影。
髪は非常に短く、最近まで坊主頭だったようだ。そのせいで一見すると少年のようにも見えたが、その声は女の子のものだった。
手には鋭く研いだ鉄パイプを握りしめているが、その足元はふらつき、顔色は土気色だった。明らかに具合が悪そうだ。
「おちつけ、お前さんをどうこうするつもりはない」
プリスキンが両手を上げてなだめようとするが、少女はさらに警戒を強めた。
「大人なんて信用できるかっ! ……ゴホッ! ゴホッ!」
大声を出した反動か、少女は激しく咳き込んだ。
それでも、射るような鋭い視線だけは逸らさない。獣のような目だ。
その言葉を聞いて、マリアが前に出た。
「大丈夫。皆いい人よ。誰もあなたを傷つけたりしない」
少女の視線がマリアに向く。
そして、マリアの背中にあるナノマシンの翼と、その人間離れした美しさを見て、少女の目が驚愕に見開かれた。
「お前……その姿は? お前もそうなのか? それならなんで、大人たちと一緒にいる!」
「どういう──こと?」
マリアは首を傾げた。少女の言っている意味がわからない。
少女は歯を食いしばりながら言った。
「お前も『ファクトリー』から脱走した口じゃないのか?」
「ファクトリー?」
「とぼけるな! 知らないわけないだろ! サイエンも、アレックスも!」
その名が出た瞬間、場の空気が凍りついた。
サイエン、そしてアレックス。
「アレックス……! アレックスを知っているの?!」
マリアが詰め寄る。少女は忌々しげに吐き捨てた。
「知ってるも何も、アレックスは組織のボスだ。……アタシはそこの『実験体』だったんだよ」
実験体。
その言葉に、アレンとプリスキンは、胸が締め付けられる思いがした。
ウルトラヴァイオレンス。あの薬漬けの暴力集団の裏には、子供を実験台にするような闇も存在していたのか。
あの連中は本当に救いようがない。
「……アレックス。彼は、死んだわ」
マリアが静かに告げた。
少女が一瞬、呆けたような顔をする。
「死んだ? あいつが死んだ……?」
次の瞬間、少女の口から乾いた笑いが漏れた。
「ハハ! アハハハハ! ざまぁみろ! チクショウ! アタシの手で殺してやりたかったぜ! ハハハハ!」
少女は腹を抱えて笑った。涙を流しながら、狂ったように笑い続けた。
それは喜びと言うにはあまりに悲痛で、壊れたラジオのような笑い声だった。
マリアは複雑な心境で、黙ってその様子を見つめていた。
自分にとっては、憎むべき敵であり、最後に命を救ってくれた人。けれど、この子にとっては地獄を作った悪魔でしかない。
その事実は変えようがない。
ひとしきり笑い終えると、少女は糸が切れたようにへたり込んだ。
咳が止まらない。限界だった。
「……私たちと一緒に行かない? ここは、とても……寒いわ」
マリアが手を差し伸べる。
少女は自嘲気味に笑った。
「よせよ。アタシは『失敗作』らしい。一緒に居てもいいことなんてないぞ」
「そんなことない」
マリアは首を振った。
「だって私、お友達が欲しかったんだもの。私マリアっていうの、あなたの名前聞かせてくれる?」
真っ直ぐな瞳。
差し出された白い手。
少女はいくらかの逡巡の後、泥だらけの手でその手を握り返した。
「……アタシは、モリィ」
掴んだマリアの手は、温かかった。
それは、冷たい実験室とも、凍える荒野とも違う、モリィが初めて触れる「安心」の温度だった。
――
モリィがエンジェルステーションに保護されて三日。
マリアの傍から離れようとしない彼女に、周囲の大人たちは手を焼いていた。
マリアに懐いているというより、周囲の大人たちを恐れている様子が見られる。実験体だったという経験がそうさせるのだろう。
そんなモリィに、積極的に接していったのはアヴァロンから来たアロウェイ女史だ。
何がそんなに彼女の琴線に触れたのかは分からない。だが、妙に気にかけているのは傍から見ても明らかだった。
「……こっちに来るな」
部屋の隅、マリアの背に隠れるようにして、モリィが低く唸った。
その瞳は、獲物を狙う獣のように鋭く、そして怯えていた。
アロウェイが一歩近づくたびに、モリィの全身の筋肉が強張り、マリアの腕を掴む手に力が入った。
マリアは嫌な顔一つせず、ただ黙って様子を見ている。
「あら? 人の背に隠れてる割りには勇ましいセリフね」
そう言うと、アロウェイは無遠慮にモリィに近づき、頭に手を伸ばすと撫でまわし始めた。
「なぁっ…………」
ビクリと体を震わせたモリィだったが、アロウェイの優しい手つきに、緊張が解けて行く。
アロウェイの手つきがよほど上手なのか、モリィが若干ウトウトしてきた辺りでようやく解放された。
「なんなんだ、アイツは……」
去っていたアロウェイの方を、不満気に睨むモリィ。
だが、モリィの受難(?)はこれだけでは終わらなかった。
――
オンセン、女湯にて。
「はーい、体洗うわよ」
「1人で出来る!」
そう言いつつも、ワシワシと洗われていくままになっているモリィ。
「はい、綺麗になりました」
「……ふん」
体の洗浄が終わると、そのまま出て行こうとするモリィ。
彼女はオンセンを見るのは初めてだったし、湯舟に浸かった経験もないのだ。
「体を洗ったら、湯舟につかるのがオンセンのサホーよ」
「サホー?」
「いいから、いいから」
モリィの手を引いて湯舟に向かうアロウェイ。
「こんな熱そうなお湯に入れってのか? 何かの実験か?」
怪訝な顔をするモリィだが、アロウェイが湯につかっていくのを見て、自分もゆっくりと湯につかっていく。
「……ふぁ~」
初めての体験に、モリィの口からため息ともつかない声が漏れた。
アロウェイはそんな様子を見て、嬉しそうに微笑んでいる。
「肩まで浸かって、100数えるのがサホーよ」
「またサホーか、1.2.3……」
――
モリィはキャラバンから購入した一匹の動物、ふわふわの毛並みをした、愛らしい猫に夢中だ。
「……かわいいな」
モリィが誇らしげに猫を抱き上げる。
「お前の名前は『メイ』だ!」
メイは「ニャア」と鳴いて、モリィの頬にスリスリと体を擦り寄せた。
過酷な実験施設で育ったモリィにとって、ただ愛でるだけの存在であるペットは、心の安らぎそのものだった。
「ふふっ。よかったね、モリィ」
マリアも、その柔らかな毛並みを撫でて目を細めた。
――
食堂にて。
今日の料理は、肉をそら豆とジャガイモと一緒に炒めたものだ。
モリィはその中から、肉だけを選んで食べている。
「あら? お肉ばかり食べているのね」
「肉は力になる。野菜は嫌いだ」
堂々と食わず嫌いを宣言するモリィの後ろで、イノシロウがピクリと肩を震わせるが、アロウェイに視線を向けられ押しとどまった。
「そのお野菜、マリアちゃんが一生懸命作ったんだけどなぁ」
「えっ?!」
マリアが作った野菜を食べないというのは、流石に悪い気がしたモリィは、ジャガイモにフォークを突き刺した。
ゆっくり口もとに近づけると、覚悟を決めてほおり込んだ。
「う、美味い!」
次々と口に運び込まれ、皿はあっという間に空になった。
「お野菜を作ったのはモリィだけど、料理をしてくれたのはイノシロウよ」
「そうか、イノシロウは凄いな」
食べ物がこんなに美味しいと感じたのは、生まれて初めてだった。
モリィの言葉を受けて、後ろではイノシロウが鼻を膨らませている。
「食事が終わったら、これを飲むこと」
タイミングを見計らっていたリンジーが、モリィに湯のみを差し出して来た。
湯呑の中では緑の液体が湯気を立てており。何とも言えない独特の香りがした。
「これは何?」
「カンポーという、君の体を良くするためのものだよ」
「カンポーねえ、サホーといい、良く分からないものが色々あるんだな」
モリィは意を決して、湯のみを傾け、一気に液体を流し込んだ。
「ンンンーっ!!」
直後、モリィは噴き出しそうになるのを必死で手で堪えた。
「これ、本当に薬なのか? 毒じゃないのか?」
「毒を盛るなら、もっと美味しくするよ」
リンジーが真顔で答える。
その冗談とも本気ともつかない表情に、モリィは逆に信用せざるを得なかった。
リンジーが涼しい顔で眼鏡を押し上げる。
「『良薬は口に苦し』と言う。 全部飲むのがサホーだよ」
「またサホーかよ」
涙目になりながらも、モリィは「残すとリンジーが怖い(目が笑っていない)」という野生の勘に従い、なんとか残りを飲み干した。
「……うう、口の中が変な感じだ……」
「はい、よく頑張りました」
げんなりとテーブルに突っ伏すモリィの口元に、アロウェイが何かを差し出した。
小さな、包み紙。
「口直しにどうぞ、飴玉よ」
「飴玉?」
モリィは疑わしげに包み紙を開け、琥珀色の粒を口に放り込んだ。
瞬間、強烈な甘みが苦みを塗り替えていく。
「ん……甘い」
「でしょう? 苦いことの後には、甘いご褒美があるものよ」
アロウェイが優しく頭を撫でる。
その手つきに、モリィはもう抵抗しなかった。
口の中で転がる甘さと、頭上の温もりに、強張っていた肩の力が完全に抜けていく。
その時、ふと涙が溢れて来た。何故だか自分でもわからない、だがどうにも止められなかった。
この飴玉とやらのせいだ、きっとそうに違いない。モリィはそう思った。




