第二十九話 移動都市②
中央統制室で、ケイスの意識は朦朧としていた。
指先の感覚はもうない。睫毛も凍りついている。
(……ここまで、か。すまない、みんな……)
その時。
ドォォォォォン!!
地響きと共に、凍りついたメインゲートが激しく揺れた。
物理的な強制開放だ。
ガギィィッ! ズドォォン!!
分厚い合金の扉が、外側から強引にこじ開けられた。
猛吹雪と共に飛び込んできたのは、異形の重機と、防寒着に身を包んだ男たち。
その先頭に立つ男が、ゴーグルを外しながら叫んだ。
「ケイス! 諦めるな! 助けに来たぞ!」
その声に、ケイスは弾かれたように顔を上げた。
雪と蒸気の中から現れたその顔。見間違えるはずがない。
かつて『救済の手』で机を並べ、共にアヴァロンの未来を憂いた同志。
「……クラーク!? 生きていたのか!」
ケイスの声が震える。
地上へ追放され、死んだと思われていた男が、生きて目の前に立っている。
しかも、救援部隊を引き連れて。
「地獄の底から這い上がってきたさ! ……積もる話は後だ、状況は!?」
「最悪だ……! ナノマシンが機能を麻痺させている! 中枢プログラムも侵食されて、再起動できない!」
「なら、上書きするぞ! マリア、やってくれ!」
クラークの指示で、背後に控えていた少女が飛び出した。
「うん!」
マリアは迷わず、死にかけているメインコンソールへと走った。
彼女には見えていた。アヴァロンという巨大な機械が、外から張り付いた無数の「悪い雪」によって窒息させられ、悲鳴を上げている姿が。
マリアはその端子に、素手を押し当てた。
(……大丈夫。私が目を覚ましてあげる)
カッ……!!
マリアの手から、鮮烈な青い光が奔流となってケーブルを駆け巡った。
それは物理的な修理ではない。『女王天使』による、強制支配だ。
マリアの信号は、外壁にへばりつく暴走ナノマシンたちを一喝した。
『離れろ』『眠れ』『従え』。
「な、なんだ……!?」
ケイスが目を見張る。
エラーで埋め尽くされていたモニターが、次々と正常値へと変わっていく。
壁面のスマートマテリアルが息を吹き返し、本来の断熱機能を取り戻す。
「外部干渉、遮断! システム、再起動します!」
ブゥゥゥン……
消えかけていた照明が、力強く輝きを取り戻した。
止まっていた空調が再び唸りを上げ、温かい空気を吐き出し始める。
凍り付いていたアヴァロンに、再び「命」が宿ったのだ。
「……直った、のか?」
呆然とするケイスの肩を、クラークがバシッと叩いた。
その顔には、技術者としての誇らしげな笑みが浮かんでいた。
「主導権を取り戻したんだ。マリアがいる限り、外の有象無象がどれだけ張り付こうと、この城のシステムは揺るがない。……どうだケイス、これが俺たちの天使だ」
「……ああ。大したもんだよ、全く」
ケイスは涙ぐみながら、震える手でクラークの手を握り返した。
システムが生きていれば、壁は守ってくれる。暖房は動く。
彼らは生き延びたのだ。
こうして、かつての同志たちの連携と、マリアの奇跡によって、全滅寸前のところ首の皮一枚で繋がったのだった。
――
マリアの処置により、アヴァロンのシステムは安定を取り戻した。
暖房が効き始め、凍えていた市民たちの顔に赤みが戻る。
だが、危機が去ると同時に、もっと原始的で、切実な問題が浮上した。
グゥゥゥゥ……
あちこちで腹の虫が鳴く音が響いた。
彼らは数日間、まともな食事をとっていない。
「食事なら用意できる! 第1区画の『有機物合成プラント』を再稼働させた!」
クラークの宣言に、市民たちは安堵の表情で配給口へ殺到した。
ノズルからひねり出されたのは、鮮やかな緑色をした、粘度のあるドロドロの物体だった。
湯気が出ており、ケミカルな匂いが漂う。
「おお……ペーストだ!」 「よかった、これで助かる……」
市民たちは涙を流して喜んだ。
成分調整され、病原菌もなく、消化吸収に優れた完全栄養食。
管理されたコロニー市民にとって、これこそが「まともな食事」であり、文明の証なのだ。
たとえ原料が、現地の苔や木くずだとしても、プロセスを通っているだけで彼らは安心した。
「うえぇ……よくそんな色の食べ物が食えるね」アレンが顔をしかめる。
横で、プリスキンがニヤリと笑った。
「俺はパスだ。せっかく地上に降りたんだ、もっといいモン食わせてやるよ」
プリスキンは自信満々に、外で仕留めてきたばかりの獲物をドンッ! と床に放り出した。
巨大な変異オオトカゲの死骸だ。
その場でナイフを取り出し、鮮やかな手つきで皮を剥ぎ、肉を切り分けていく。
「見ろよこの脂! 焼けば最高だぞ!」
プリスキンは満面の笑みで、滴る肉塊を市民たちに差し出した。
ご馳走だ。感謝されるに違いない。
だが――反応は真逆だった。
「ヒッ……!?」 「や、野蛮な……!」
市民たちは悲鳴を上げて後ずさり、口元を押さえた。
彼らにとって、検査も滅菌もされていない、原型のままの生物の死骸など、見るのも初めてだった。
「な、なんだその汚らわしい物体は! あっちへやれ!」 「血が! 床に血がついたじゃないか! 不潔だわ!」
拒絶反応。
善意を踏みにじられたプリスキンのこめかみに、青筋が浮かぶ。
「あぁ!? てめぇら、人がせっかく命がけで狩ってきたのに、その言い草はなんだ!」
「誰がそんなものを頼んだ! 私たちは文明人だぞ、そんなものを貪ったりしない!」
一触即発の空気になった時、割って入ったのはリーダーのケイスだった。
「ひとつ、いただこう」
ケイスはプリスキンから、焼けたばかりの串刺しの焼肉を受け取ると、市民たちの前で大きく齧り付いた。
「ケ、ケイス様!?」
「……なんとも言い難い匂い。だが…旨い。これが生きるという事か」
ケイスは何度も咀嚼し、飲み込んだ。
そして、呆然とする市民たちを見渡した。
「力が湧く。……いいか、よく聞け。プラントのペースト配給だけでは、カロリーが足りないんだ。ここは極寒の荒野だ。体を温め、作業をするには、『肉』を食うしかないんだ!」
ケイスは口元の脂を拭った。
「消毒された部屋で管理されていた時代は終わった! 汚くても、不潔でも、泥を啜ってでも生きる。それが『地上で生きる』ってことだ!」
リーダーの覚悟。市民たちは押し黙り、恐る恐る焼かれた肉を見つめた。
やがて、一人の若者が震える手で肉を受け取り、口に運んだ。
「……かたい。でも、不思議な味がする」
その言葉が合図となった。 生きるための、文化の転換点だった。
――
だが、全員が順応できたわけではなかった。
数日後。
どうしても「労働」と「野蛮な生活」を受け入れられない一部の男たちが、不満を爆発させた。
「私は元議員だぞ! なぜ肉体労働をしなきゃならん!」
「ペーストの配給を優先しろ! 肉なんて食えるか!」
彼らは作業を拒否し、プラントの前で座り込みを始めた。
だが、地上の掟は厳しかった。 『働かざる者、食うべからず』。
一週間後。
エンジェルステーションの救援部隊が、帰還する時が来た。
マンシーに取り付けた荷台へ乗り込むアレンたちに、作業を拒否していた男がすがりついた。
「ま、待ってくれ! 私も連れて行ってくれ!」
「断る。定員オーバーだ」
「嘘だ! 荷台が空いているじゃないか! こんな場所はこりごりなんだ、頼むよ!」
アレンは冷ややかな目で見下ろした。
「あんたを乗せるスペースには、帰り道で拾うかもしれない『使える資材』を積むんだ。文句ばかり言って手を動かさない人間より、鉄屑の方が価値がある」
「な……っ!?」
突き放された男の顔が、絶望から憎悪へと歪んだ。
「この……人でなし! 自分たちだけ助かればいいのか!」 「卑怯者! 裏切り者! 地獄へ落ちろ!!」
男の吐き捨てる罵詈雑言が、寒空に響いた。
命を救った相手からの、あまりに心ない言葉。
マリアは、じっとその男を見ていた。
ショックではあった、だがそれで失望はしない。
人は複雑な面を持つということを、すでに痛いほど学んでいた。
(……綺麗で感謝してくれる人ばかりじゃない。……それでも)
マリアは男に背を向けた。
「……行こう、パパ」
マンシーが動き出す。
罵声を浴びせ続ける男は、やがてケイスたちによって取り押さえられ、ゲートの外――真の荒野へと引きずり出されていくのが見えた。
アヴァロンという組織を守るための、ケイスの判断だった。
厳しい現実を背に、マリアたちはエンジェルステーションへの帰路につく。
その道中で、また別の「捨てられた命」と出会うこととなる。




