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第二十八話 移動都市

 特権階級が逃げ去った後、アヴァロンに残されたのは絶望だけだった。

 制御不能の警報が鳴り響き、正常なナノマシンの数字は死へのカウントダウンのように減っていく。


 暴動は過熱し、醜い争いが続いた。

 事態に絶望し、自殺するグループも出始めた。

 

 だが、その混沌とした中。

 中央統制室で、ケイスたち『救済の手』のメンバーは、まだ諦めてはいなかった。

 彼はモニターに映る『赤い領域(暴走ナノマシン汚染区画)』をじっと睨みつけていた。


「……アヴァロンごと、地上に落とす」


 ケイスが低く呟いた言葉に、周囲が凍りつく。


「正気か!? そんなことをすれば全員即死だぞ!」

「このまま落ちればな。……だが、やり様はある」


 ケイスはメインコンソールを操作し、大胆な図面を表示させた。

 それは、生き残った市民を集めた『第1居住区画』を、汚染された外周ブロックで包み込むような形状だった。


「暴走ナノマシンを利用するんだ」

「なんだと……!?」


「奴らの『異常再生能力』と『捕食本能』を逆手に取る。いいか、第1区画の周囲に、あえて暴走ナノマシンに侵食された外周ブロックを密着させる。奴らは熱もエネルギーも喰らう。大気圏突入の高熱さえも、奴らにとっては餌だ。奴らが熱を吸収し、再生を繰り返している間に、我々は大気の壁を突破する」


 それは狂気の沙汰だった。

 自分たちの船を、自分たちを食い殺そうとしている怪物で、自らをコーティングしようというのだ。


「だが、空には『灰色の雲』があるぞ! あそこを通過する時、暴走ナノマシンが連鎖反応を起こして暴発するんじゃないか?」


「そこが狙い目だ」


 ケイスはニヤリと笑った。


「暴走ナノマシン同士が反応し合えば、強烈な干渉波が生まれる。その間に、内部の『正常なナノマシン』を保持したまま雲を突き抜けるんだ。そして、雲を抜けた後は――第1区画内部に温存しておいた『正常なナノマシン』をフル稼働させる」


 彼は、青く光る第1区画のコアを指差した。


「外部の暴走種が燃え尽きた瞬間、内部の正常種で船体全体に慣性制御フィールドを展開する。理論上、これで地上への激突ショックは最小限に抑えられるはずだ」


 あまりに綱渡りな作戦だった。

 外側の怪物が内側を食い破るのが先か、それとも熱で燃え尽きるのが先か。

 タイミングがコンマ1秒でもズレれば、全員が圧死するか、焼き尽くされる。


 沈黙が落ちた。

 誰もが、その確率の低さに言葉を失っていた。


「……それがもし、うまくいかなければ?」


 震える声で、若い技術者が尋ねた。

 ケイスはふっと息を吐き、肩をすくめて窓の外の宇宙を見た。


「盛大な流れ星になるだけさ」


 その一言が、全員の腹をくくらせた。

 どうせ死ぬなら、足掻いて死ぬ。そして運が良ければ、生きて大地を踏めるのだ。


「……上等だ、やってやろうじゃねえか!」

「総員、配置につけ! ナノマシン誘導、開始!」


 アヴァロンの最後の機能が唸りを上げる。

 それは楽園の崩落ではない。

 毒を纏い、炎を食らいながら地上を目指す、決死のダイブの始まりだった。


 ――


「……座標固定。これ以上深くても浅くても、燃え尽きるか弾かれる」


 アヴァロン中央統制室。

 警報音が鳴り響く中、ケイスはまるで祈るようにエンターキーに指をかけた。


「さらばだ、楽園」


 ガコンッ!!


 爆発ボルトが作動する鈍い音が、船体骨格を伝わってきた。

 モニターの中で、アヴァロンの外周リング、工業区画、農業プラント――かつて人々の生活を支えていた巨大な構造物が、次々と切り離されていく。

 だが、それらは宇宙の彼方へ飛んでいくのではない。

 第1居住区画の前方へ、まるで蓑虫の殻のように密集し、張り付いていく。


「ナノマシン誘導、成功! 外周ブロック、本機を包囲! 『死の盾』形成完了!」


「よし……! 地獄への道路の建設の始まりだ!」


 ゴオオオオオオオオッ!!


 巨大な質量が、大気圏の壁へと突っ込んだ。


 ――


 誰かの絶叫が轟音にかき消される。

 窓の外は、紅蓮の炎に包まれていた。

 通常なら、この時点で第1区画の装甲は融解し、全員蒸発しているはずだ。

 だが――。


「見ろ! 奴らが……食っている!」


 ケイスが叫ぶ。

 外側を覆っている外周ブロックの残骸。

 そこに巣食う『暴走ナノマシン』たちが、突入時のプラズマ熱に異常反応を起こしていた。

 熱で溶けるのではなく、熱エネルギーを吸収し、爆発的な速度で自己増殖と再生を繰り返しているのだ。


 燃えては再生し、再生しては燃える。

 その無限のサイクルが、第1区画へ届くはずの致死的な熱を遮断していた。

 まさに、怪物を盾にして炎の海を渡る悪魔の所業。


「外壁温度、臨界点突破! 盾が持ちません!」

「まだだ! まだ耐えくれ! 『灰色の雲』はまだか!」


 高度5万メートル。

 眼下に、地球を覆う分厚い大気層――『灰色の雲』が迫る。


「突入します!」


 ズガガガガガガッ!!


 雲に入った瞬間、世界が一変した。

 暴走ナノマシンと、雲の中のウイルスや重金属が化学反応を起こし、紫色の稲妻のような放電現象が発生したのだ。


「ぐわあああッ! 揺れるッ!」

「ナノマシン共が発狂してるぞ! 互いに食い合ってやがる!」


 船体はミキサーの中に入ったかのように振動した。

 だが、それこそがケイスの狙いだった。

 外側の盾が起こすリアクション。それが内部のナノマシンを保持したままこの分厚い雲を強引にこじ開ける「破城槌」となる。


「今だ! 雲を抜けた! 『盾』をパージしろぉぉぉッ!」


 ドォンッ!!


 ケイスの合図と共に、燃え尽きる寸前だった外周ブロックの残骸が、第1区画から弾き飛ばされた。

 炎の殻を脱ぎ捨て、黒く焦げた本丸だけが、荒野の空へと飛び出す。


「パラシュート展開! 逆噴射用意!」

「緩衝フィールド、最大展開! 内部のナノマシンを信じろ!」


 ケイスはレバーを限界まで押し込んだ。

 第1区画の内部に温存されていた正常なナノマシンが、緩衝フィールドを居住区全体に展開する。

 乗員全員が、見えないエネルギーのゼリーに固定される感覚。


 そして。


 ズズズズズズズ――――――ン!!!!


 世界が終わるような衝撃。

 数万トンの鉄の城が、大地を削り、土煙を上げながら数キロメートルに渡って滑走する。

 金属の悲鳴。ガラスが割れる音。人々の悲鳴。


 やがて。

 全ての音が止んだ。


 「…………」


 暗闇の中で、ケイスは息を呑んだ。

 生きているのか? 死んだのか?

 非常灯がチカチカと点滅し、赤い光が埃の舞う室内を照らす。


「……生存者、応答せよ」


 マイクに向かって囁く。

 数秒の沈黙の後。


『……居住区ブロック、破損甚大ですが……気密は保たれています』

『動力炉、生きています……!』

『みんな、生きてるぞおおおッ!』


 ワッと歓声が上がった。

 ケイスは崩れ落ちるように椅子に沈んだ。

 窓の外を見る。

 黒煙の向こうに、荒涼とした、しかし確かな大地が広がっていた。


「……着いたぞ。ここが、俺たちの新しい世界だ」


 黄金のリンゴは重力に引かれ落ちた。

 それは人類史上もっとも乱暴な、しかし偉大なる「引越し」の完了だった。


 ――


 喜んでいられたのもわずかな間。

 ここで生きていく方法を見出さなければならない。

 今現在、稼働しているのは、最低限の灯り、暖房、水回りといったライフライン機能のみだ。


 食料の備蓄はまだあるが、ここに居るのはおよそ2,500人。

 かつての人数からするとほんの一部だが、それでも今を生き延びるには大変な数だ。

 そう長くは持たない。


 ケイスはダメもとで、通信機で呼びかけを行った。

「こちらアヴァロン。地上へと不時着。救援を求む――」


 返事は、ない。

 念のため、通信を繰り返し再生で送り続けておく。

 本来、テイカー達に見つかれば今のアヴァロンは良いカモでしかない。

 だが、幸いなことに最近ウルトラヴァイオレンスが薬で人をかき集めた影響で、近隣のテイカーはあらかた居なくなっていた。

 

 ――

 

 偉大なる引っ越しから3週間。

 

 アヴァロン内部は、死のような静寂に包まれていた。

 

 あれから外に、偵察部隊を送りもした。

 だが、未知の肉食動物に襲われるなど、不慮の事故が相次ぎ、外での食料探しは難航。

 

 やがて灰色の雪が降り積もると、その中に潜んでいた暴走ナノマシンが、アヴァロンのライフラインを支えていたナノマシンを食いつぶしていった。

 

 システムは沈黙し、暖房も停止。

 マイナスの冷気が、機能不全に陥った壁を通して内部を凍らせていく。


 中央統制室で、ケイスの意識は朦朧としていた。

 指先の感覚はもうない。睫毛も凍りついている。

 (……ここまで、か。すまない、みんな……)

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