第二十二話 発狂した宇宙
ギーグスの拠点、『エンジェルステーション』。
高い鉄条網とスクラップの壁に囲まれたその場所は、クラークたちにとって異世界だった。
漂うオイルと錆の匂い。鳴り響くハンマーの音。
無菌で管理されたアヴァロンから来た彼らにとって、そこはあまりにも不衛生で、無骨で……そして、圧倒的な「生」のエネルギーに満ちていた。
「パパ! お客さん?」
クラークとアロウェイは、息を呑んで硬直した。
金色の髪、透き通るような肌、そして好奇心に満ちた大きな瞳。
モニター越しに何度も見た、あの赤ん坊が、今は元気に走り回っている。
「……ッ!」
アロウェイが口元を抑え、涙を堪えるように視線を逸らした。
直視すれば、抱きしめて「お母さんよ」と叫んでしまいそうだったからだ。
クラークもまた、挙動不審に眼鏡の位置を直しながら、しどろもどろになる。
「あ、ああ……初めまして、お嬢さん。我々は……その、旅の……技術屋だ」
「ふーん? 変な格好!」
マリアは無邪気に笑うと、クラークの白衣の裾を引っ張った。
その瞬間、クラークの脳内では高速で分析が行われていた。
(……信じられん。肌のツヤ、眼球の動き、呼吸音。全てが正常値だ。いや、それどころか成長速度が予測値を遥かに超えている。ナノマシンが環境に適応し、身体機能を最適化しているのか? ……何より、この表情。アヴァロンの保育器では一度も見せなかった、豊かな感情……!)
「こらマリア、困らせるな。こいつらは今日からここで働く新入りだ」
アレンがマリアをひょいと持ち上げる。
その乱暴だが愛情のこもった手付きを見て、クラークは改めて「勝てない」と悟った。
「そっか! よろしくね、おじちゃん、おねーさん!」
「う、うむ。よろしく……マリアちゃん」
クラークは震える手で、小さく手を振り返すのが精一杯だった。
――
感動の対面も束の間、二人を待っていたのは過酷な「原始生活」だった。
「……おい、水が出ないぞ」
「当たり前だ。ポンプを手動で汲み上げるんだよ。そこにあるレバーを動かせ」
炊事場での一コマ。
蛇口をひねれば温水が出る生活に慣れきっていたクラークは、重い鉄のレバーを上下させるだけで息を切らせた。
「はぁ、はぁ……知識として知ってはいたが、これが水汲みか……」
「水汲みが終わったら、次は芋の皮むきだ」
ライオネルが放り投げたのは、泥だらけのジャガイモと、ピーラー。
合成食料しか知らないアロウェイは、困惑顔でジャガイモを見つめる。
「……これ、どうやって使うの?」
「こうやって使うんだ、良く見てろ、安全な器具ではあるが間違えれば怪我もする」
悪戦苦闘する二人を、拠点に出入りする『ネイバー』たちが物珍しそうに眺めていた。
彼らも、元は外の住人だったが、外敵と共に戦い、今ではギーグスの一員となっていた。
「地上の人間は野蛮だと教わってきたが……ここでは誰もが、それぞれの役割を持って生きているんだな」
不格好に剥かれたジャガイモを見ながら、クラークは自嘲気味に呟いた。
自分が一番、何もできない「野蛮人」なのかもしれない、と。
その時だった。
ガシャン、ガシャンと、重低音が響いてきた。
「な、なんだ!?」
「マンシーが戻ってきたようだ」
マリアが嬉しそうに駆け出す。
その後ろ姿を追ったクラークは、アゴが外れそうになるほど口を開けた。
拠点のゲートをくぐって現れたのは、異形の自律機械だった。
ガシン、と地面を揺らしたのは、人間の足ではない。八本の多脚だ。
蜘蛛のような胴体から、カマキリを思わせる巨大な鎌状のアームが伸びている。長い首の先にある頭部では、昆虫のような赤い複眼が不気味に明滅していた。
高さ五メートル、幅四メートルはあろうかという、旧時代の多脚決戦兵器。
「大戦期でも最悪と言われた殺戮兵器! 全て廃棄されたはずではなかったのか!?」
アヴァロンのデータベースでは残存していないはずの化け物が、そこにはいた。
「おかえりー! マンシー!」
『ヴォォォン……』
多脚戦車が低い駆動音を鳴らす。それはまるで、愛猫が喉を鳴らすような響きだった。
クラークは戦慄した。
(ナノマシンによる修復だけじゃない……あれは『対話』だ。マリアは、あの異形の殺戮兵器と意思疎通が可能なのか……!?)
それは、生みの親のクラークですら、想定していなかった進化であった。
このまま進化しつづけるとしたら、マリアは天使どころか神にすらなりうる……クラークは戦慄した。
――
一方その頃。
アヴァロンでは、事態が急変していた。
隠蔽しきれなくなった、エラーの頻出が治まらず、市民からコロニストへの突き上げが強まっていた。
犯人が確保できなかった事より、それよりも現状に対して手をこまねいている事こそ、そこで暮らしている人々にとって重要だった。
中央統制局、戦略会議室。
真っ赤な警告灯が点滅する中、ミュラー長官が端末を拳で叩き割らんばかりに激昂していた。
「クソッ! うちの研究員たちは何をしているんだ! 穀潰しどもめが!」
実際はその研究員たちの必死な作業のおかげで、この程度の被害で済んでいるのだが、ミュラーはそれを認めようとはしない。
それどころか、この期に及んでまだリソースをクラークとアロウェイの捜査に対して割いている始末だった。
「ミュラー長官、クラークの使っていた端末の解析が完了しました」
渡された解析結果を食い入るように見つめるミュラー。
「見つけたぞ……! あのネズミ共め!」
技術班が解析したデータ。
それはクラークとアロウェイが脱出に使用したポッドの軌道ログだった。
「ここ数年、地上からの特定の信号が、意図的に隠蔽されていた痕跡があります。座標は、ポッドの着地点近辺です」
「そこであの天使が生きている、ということか。そうか、奴らめ汚い真似を! 奴らはの計画通りだったと言う事だ! 暴走ナノマシンが蔓延しているのも、天使が生きているのも、全てだ!」
激昂するミュラー。彼の中でストーリーが繋がってしまった。もうその妄執から離れる事は出来なかった。
「と言いますと……?」
「良いか、あの天使は元々暴走ナノマシンに対して有効なナノマシンの適合体だったはずだ。それをあえて地上に落とさせ、育った頃合いで、アヴァロンに暴走ナノマシンを蔓延させる」
ミュラーは鼻息荒くまくし立てる。
「そこで、地上に行き、天使を連れて帰ってくることで英雄を気取るつもりなのだ!」
「それは……」
現実的では無い。そう言いかけた研究員だったが、ミュラーの剣幕に口をつぐまざるを得なかった。
下手に刺激して、自分まで巻き添えになるのはごめんだった。
「直ちに回収班を編成しろ! 治安維持部隊の全戦力を投入しても構わん!」
「前線力を投入してしまっては、アヴァロンの治安維持に問題が……」
「構わん! 天使の確保が最優先だ! 天使の『中身』さえ無事なら、手足の一本や二本、千切れていても問題ない!」
ミュラーの怒号が飛ぶ。
もはやなりふり構っていられなかった。
楽園の崩壊を止めるというよりも、自分の立場を守りたいがため、狂った執着の矛先は地上の天使に向けられていた。
強化スーツで身を固めた悪意の軍団が、静かに降下準備を開始した。




