第二十話 地球へ…
地上から遥か上空、静止軌道上に浮かぶ宇宙コロニー『アヴァロン』
――
コロニー深層部、環境維持システムのサーバー室。
冷房のファンが唸る薄暗い部屋で、一人の女性が高速でキーボードを叩いていた。
腰まである長い金髪、透き通るような白い肌。
かつてクラークの助手を務めていた才媛、アロウェイだ。
「……嘘でしょう。ここまで進行しているなんて」
彼女がハッキングして表示させたホロスクリーンには、アヴァロンの構造図が映し出されている。
だが、その配管や外壁の30%以上が、警告色である『赤』で染まっていた。
暴走ナノマシンによる侵食だ。 公式発表では「軽微な老朽化」とされているが、実際にはコロニーは内側から溶け始めている。
「今の政権……『コロニスト』たちは、まだこの状況を制御できると信じているの?」
アロウェイは戦慄した。
逃げる場所などないのだ。
月面都市との通信はとうの昔に途絶え、地上へ降りることは、彼らの選民思想――「地上の穢れを無視する」という教義を自ら否定することになる。
だから彼らは、この沈みゆく船にしがみつくしかない。
マリアという「部品」を犠牲にしてでも、楽園の夢を見続けようとしているのだ。
「狂っている……」
アロウェイはデータを抜き取ると、身を翻した。
この事実を、彼女が所属する組織『救済の手』のメンバーに伝えなければならない。
だが、彼女がサーバー室を出ようとした瞬間、自動ドアのロックが掛かった。
『そこまでだ、アロウェイ君』
スピーカーから粘着質な男の声が響く。現政権の幹部、ミュラーだ。
同時に、反対側の通用口が爆破され、武装した警備兵たちが雪崩れ込んできた。
「国家機密への不正アクセス。やはり『救済の手』のネズミだったか。……残念だよ、君のような美しい女性を拘束しなければならないのは」
銃口を向けられ、アロウェイは氷のような表情で唇を噛んだ。
(罠だったのね……) 彼女が両手を上げようとした、その時だ。
ガガガガガッ! ウィィィィン!
突如、通気ダクトを突き破って、巨大な黒い影が飛び出してきた。
それは清掃用の大型ドローンだったが、アームには工業用のカッターが溶接され、センサーアイは狂ったように赤く点滅している。
「な、なんだこんな時に、また不具合か!? 撃て! 撃てぇ!」
警備兵たちが慌てて発砲するが、ドローンは厚い装甲で弾き返し、回転するモップとカッターを振り回して暴れまわる。
『やあ! アロウェイ! 迎えに来たよ!』
ドローンのスピーカーから、聞き慣れた野太い声が響いた。
アロウェイは驚きに目を見開き、そして微笑んだ。
「……登場が派手すぎるわよ、クラーク博士!」
『お説教は後だ! そいつの背中に乗れ! 強行突破する!』
アロウェイは混乱する警備兵たちの隙を突き、暴れるドローンの背部ハッチにしがみついた。
ドローンはジェット噴射で廊下を滑走し、煙幕を撒き散らしながら逃走経路へと消えていった。
アヴァロン最下層、未登録の廃棄区画。
ここにクラークが隠れ家として使っているコンテナがあった。
逃げ込んだ二人は、ようやく荒い息を整える。
「……助かりました、博士。まさか清掃ドローンを改造しているなんて」
「以前、偽の清掃員にしてやれたろう? お返しに清掃ドローンてわけさ」
クラークの軽口に、苦笑するアロウェイ。
「だが、状況は最悪だ」
クラークが無精髭をさすりながら、壁のモニターを顎でしゃくった。そこにはニュース映像が流れている。
『――緊急報道です。環境システムへのサイバーテロが発生しました。犯人は『救済の手』所属のアロウェイ容疑者。彼女は暴走ナノマシンを故意に散布し、コロニーの汚染を拡大させた模様です――』
画面にはアロウェイの顔写真と、『指名手配』の文字。
真実はねじ曲げられ、彼女はコロニーを危機に陥れた魔女として報道されていた。
「ハメられたな。連中は汚染の責任をすべてお前に押し付けて、自分たちは被害者面をする気だ。……まだ、自分たちの楽園が永遠だと信じ込んでいやがる」
「……ええ。彼らにとって地上に降りることは、死ぬことよりも屈辱的なのよ。だから目を背けて、夢の中に逃げている」
アロウェイは乾いた笑いをもらした。 もはや、この狂った天上界に居場所はない。
「どうする? 『救済の手』の別動隊と合流するか?」
「いいえ。私の顔はもう割れています。今合流すれば、彼らまでテロリスト扱いされ、一網打尽にされてしまう……。これ以上、仲間に迷惑はかけられません」
アロウェイは首を振り、決意の籠もった瞳でクラークを見つめた。
「私はいいのかい?」
「博士は自分から巻き込まれに来たじゃないですか」
「ははは、違いない」
真面目な顔になると、クラークが言った。
「取れる手は限られている。こうなったら、地上へ降りるしかない」
クラークの言葉に、アロウェイが覚悟を決める。
「博士、行きましょう。地上へ。私たちがここから消えれば、組織への追求も弱まるはずです」
「ちょうど、地上からは元気なシグナルも届いていることだしね」
「ええ。あの子……マリアに会いに行きましょう」
2人は降下の準備を始めた。幸いこのセーフハウスは色々な物が備えてある。
「地上はここより数段寒い、全天候スーツを着ておくといい」
「はい」
暴走ナノマシンの雲を抜けるため、ナノテク製品は持ってはいけない。
そうなるとコロニーから持ち出せるものはそう多くは無かった。
「うーん、あと大丈夫そうなのは携帯食品くらいか」
部屋の奥には、かつてマリアが詰め込まれたのと同じ型の鉄の棺桶――ゴミ用の廃棄ポッドが並んでいる。
「皮肉なものだな。天使が捨てられたポッドで、自分たちがコロニーを捨てる事になるとは」
「でも、正規のシャトルは使えませんから。……準備はいいですか? 博士」
「ああ。片道切符だが、ここの腐った空気よりはマシだ」
二人はポッドに乗り込み、ハッチを閉めた。狭い暗闇の中、射出シークエンスが起動する。
ガコンッ、ゴォォォォォ……
激しい振動と共に、二つの鉄塊が宇宙空間へと吐き出された。
窓の外、遠ざかっていく白亜のコロニー。
それは美しく輝いていたが、中身は腐りきっている。
重力に引かれ、二人は青く濁った地表へと堕ちていく。
かつて守れなかった天使。どんな姿になっているのか、再会した時なんと声を掛ければ良いのだろうか。
コロニーからの新たな入植者、それはマリアたちが過ごす平和な冬に、新たな波乱を生むことになる。




