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第十九話 デモン・シード

 アヴァロンの天使たちが湯けむりの中で安らぎを得ていた頃。

 荒野の遥か西、有毒なスモッグに覆われた工業地帯の一角で、ある「帰還」が行われていた。


『ファクトリー』

 西側地区を支配する暴力集団「ウルトラヴァイオレンス」の拠点であり、巨大な麻薬製造プラント。

 その薄暗い搬入ドックに、敗北した王――アレックスが降り立った。


 ほぼ壊滅と言った具合の手勢との帰還に、留守を預かっていた幹部の男が、嘲るような視線を向けた。


「おや……。これはまた、随分と派手にやられたもんだ。あのアレックス様がどうしたんですかね?」


 幹部は内心で舌を出していた。こいつは終わった、と。あの無敵の神話もこれまでだ。これからは俺が組織を乗っ取る番だ、と。

 男はニヤニヤと笑いながら、アレックスの前に立った。


「これじゃあ、他の連中に示しがつきませんなぁ。少し休んだらどうです? 引退も含め――」


 ゴロン

 

 次の瞬間、軽口を叩こうとした男の頭は地面を転がっていた。

 あまりにも唐突で、あまりにも正確な暴力。


「どうした、もうお喋りはおしまいか?」


 その表情は穏やかで、怒りの色は微塵もない。


 その様子に幹部の手下だった者達は、震えあがった。やはりアレックスは絶対だ。


 彼は血の海に沈んだ元部下を一瞥もしなかった。

 

 敗北とは何かも知らぬ、愚か者よ。

 彼の脳裏には、瓦礫の中で凛と立つマリアの姿が焼き付いている。


「クイーンを穢す。それが叶わなかった時こそ、敗北だ」


 アレックスはうっとりと目を細めた。

 胸を満たすのは、恋い焦がれた恋人にようやく出会えた時のような、甘美な悦びだけだった。


「さて、サイエンを喜ばせてやろう」


 サイエン、人体改造を趣味としている変態博士。スノウクラッシュの製造も担っている男だった。

 アレックスは優雅な足取りで、工場の最奥へと歩を進めた。


 ――


「やあアレックス。外の様子は見たよ。『キング』の修理は無理だ、ここまでよく動いたものだ……一体何と戦ったのだ?」


 ウルトラヴァイオレンスの中で、アレックスと呼び捨てにするのを許されているのは、このサイエンのみだった。

 

「多脚の――蜘蛛のようなボディにカマキリのような腕。長い首についた小さい頭には赤く光る複眼」

 あの混沌とした戦場でも、アレックスは冷静に観察していた。

 

「フーム、フムフム。素晴らしい、実に素晴らしい」

 アレックスの話に興奮した様子のサイエン。

 

「旧時代の遺物で間違いあるまい。しかも、聞く限りでは、禁忌指定の殺戮兵器と特徴が一致しておる。よく帰ってこられたものだ」

「ほう、随分と御大層なシロモノだったようだ。それで、対抗手段はあるか?」

 

「直接的な戦いで破壊すると言う意味であれば、それは不可能だ。ファクトリーの人型重機が全て動くようになったとしても、相手にならんだろう」

 人型重機は娯楽としての格闘スポーツ用の機体。本当の殺戮兵器とは比べるべくもない。


「直接の相手はせずに、本丸を叩くのが最善か。そうなると必要になるのは……」

 アレックスが考えをめぐらし答えをだすのを、サイエンは教師然とした顔で、じっと待っている。


「スノウクラッシュを増産だ、質は落ちても構わない。とにかくばら撒け、それと……」

「それと?」

「蟲を増やす」

「いいのかい? 今以上増やすとスノウクラッシュでも抑えられなくなると思うが」

「問題ない、必ず飼いならしてみせる。失敗した時はサイエン、お前の好きにしたらいい」


 エンジェルステーションで、マリアを軽々とあしらった、アレックスの驚異的な身体能力。

 人の数倍の反射、脳内物質の分泌による出力増加、驚異的な肉体修復。

 それは体内に打ち込まれた寄生虫による効能だった。


 だが、それは万能ではない、常人では耐えがたい痛みに襲われ続ける。

 スノウクラッシュは元々そのための鎮痛剤だったのだ。


「わかった、そこまでの覚悟なら何も言わない。それと、もう少し待つ余裕があるなら、新作が出来そうなんだが、どうするね?」

「新作? 効果はどうなんだ?」

「今までの倍は見込める、痛みは三倍だがね」

「いいね、それでいこう。どれくらいかかるんだ?」

「もうあと少し、今最終実験中なんだ。長くても3カ月と言ったところだ」

「ああ、それくらいなら問題ない、どのみちスノウクラッシュをばら撒いて駒を増やすのにも時間が必要だ」


 痛みが何倍になろうと、アレックスに迷いはない。

 ただ、あの白を穢すためだけに生がある。

 

「人型重機の改修も進めさせろ。装甲は考えなくていい、どのみちアレには無駄だ。囮としては動くだけ十分」

 

「早速、取り掛かるとしよう。では私はこれで」

 (総力戦か、ここももう潮時だな。それにしてもアレックスが、あれほどまでに執着する何か……気になるじゃないか)


 サイエンは昏い笑みを浮かべながら、廊下を歩いていく。

 

 ――


 その日を境に、ファクトリーの様相は一変した。

 二十四時間体制で稼働するプラントから吐き出される煙は、黄色からどす黒い紫色へと変わり、周囲の荒野を汚染していく。

 生産ラインから次々と吐き出されるのは、精製工程を極限まで省略した粗悪品――通称『黒雪ブラック・スノウ』だ。


 それはもはや快楽を得るためのドラッグではない。

 脳のリミッターを焼き切り、恐怖心を麻痺させ、服用者を「命令に従うだけの肉塊」へと変える劇薬だった。


 噂は風に乗って西側の荒野を駆け巡った。 『ファクトリーが力を配っている』 『飲めば痛みも飢えも消える』 その甘い毒に誘われ、スノウクラッシュ中毒者や、食い詰めた野盗たちが、蛾が火に集まるようにファクトリーの門へと押し寄せた。


「素晴らしい……。実に壮観だ」


 工場の屋上から、眼下を埋め尽くす群衆を見下ろし、アレックスは満足げにグラスを傾けた。

 広場では、黒雪を煽った男たちが獣のような咆哮を上げ、互いに殴り合っている。

 だが、どれだけ殴られても倒れない。痛みを感じなくなっているのだ。


「理性と引き換えに、死を恐れない心を手に入れた。理想的な使い捨ての駒」


 あの戦いで失った数の優に倍以上、百に近いか。あと2カ月もすれば三百は超えるだろう。

 これだけの数が、痛みも恐怖もなく四方八方から押し寄せれば、あの「鉄の蜘蛛」といえども処理しきれまい。

 その隙に、自分が本丸――クイーンの喉元へ食らいつけばいい。


「……ッ、グゥ……ッ!」


 不意に、アレックスが胸を押さえて膝をついた。

 グラスが落ちて砕ける。


「おやおや、大丈夫かね」


 背後からサイエンが声をかけた。

 彼の手は冷徹にアレックスの様子を記録している。

 新しい蟲の適合手術のため、痛み止めの接種を断っているのだ。そのため常人ならば正気でいられないほどの痛みが全身を襲っている。


「……問題ない。この程度の痛み……心地よい愛撫のようなものだ」


 アレックスは脂汗を流しながらも、口の端を吊り上げて笑った。

 正気ではない。だが、その瞳に宿る光だけは、冷徹なまでに理性的だった。

 痛みが増すほどに、脳内麻薬が分泌され、思考は鋭敏に、感覚は研ぎ澄まされていく。


「薬の増産。人型重機の改修も予定通り進んでいる。実験の方も順調だ、2カ月後には間違いなく手術に入れる」


 サイエンの報告を聞きくと、アレックスは立ち上がり、東の空――マリアのいる方角を見据えた。

 冬の厚い雲に覆われた空。

 だが、彼には見える。瓦礫の中で凛と咲く、白い花。それを手折る、その悦びを待ち続けているのだ。


 三ヶ月後。  雪解けと共に、死を運ぶ黒い軍団が動き出す。

 それはエンジェルステーションにとって、かつてない悪夢の幕開けとなるはずだった。

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