第十八話 新生
戦いの熱狂が去った後、荒野に残されたのは冷たく、残酷な現実だった。
ウルトラヴァイオレンスの襲撃部隊を撃退したものの、ネイバーたちの集落は見る影もなかった。
畑は軍靴に踏み荒らされ、家屋は自ら放った火で全焼し、炭化した柱の黒い骨組みだけが、無数の墓標のように立ち尽くしている。
ヒュオオオ……。
乾いた風が吹き抜け、灰を巻き上げる。その風には、明らかな「冬の匂い」が混じっていた。
「……もうすぐ冬が来る」
鉛色の空を見上げ、アレンがぽつりと呟いた。 この辺りの冬は過酷だ。夜は気温がマイナス二〇度を下回ることも珍しくない。
家や食料、燃料さえもない状態で荒野に放り出されれば、彼らが春を迎えることは不可能だろう。
生き残った数十名の村人たちは、呆然と焼け跡に立ち尽くしていた。
勝利の喜びはない。あるのは、明日への絶望だけだ。
リーダーのライオネルでさえ、煤けた顔でうなだれている。
「パパ、お願い」
マリアがアレンの袖を引いた。その瞳は、いつになく真剣だった。
「みんなを中に入れてあげて。あんなに頑張ってくれたんだもの。……見捨てられないよ」
「……」 アレンは腕を組み、仲間たち――ギーグスを見渡した。
正直なところ、不安はある。ネイバーたちのマリアに対する信仰心は狂気スレスレだ。そんな集団を、寝食を共にする距離感で受け入れて、トラブルが起きない保証はない。衛生面の問題もある。
だが、共に血を流して戦った彼らを、この寒空の下に見捨てることなど、彼らにはできなかった。
「仕方ねえな」
プリスキンが頭をガシガシと掻きむしりながら、短くなった葉巻を噛んだ。
「マンシーの修理で忙しいってのに、手間のかかる客だぜ」
「労働力は増えますよ。ステーションの拡張には人手が必要です」
アレンも受け入れるようだ。
「よし、わかった。……ただし、ステーションのルールは絶対厳守だ。あと、マリアに変な祈りを捧げ始めたら即刻叩き出すぞ。ここは『神殿』じゃない。『家』だ」
レドリックが最終決定をネイバーに伝え、エンジェルステーションの重厚なゲートは再び開かれた。
今度は避難民としてではなく、新たな居住者として彼らを迎え入れるために。
――
ギーグスたちが彼らに提供したのは、ステーションの居住ブロックの一角を改装して作られた区画――『リョカン』の大広間だった。
かつてレドリックの趣味で作られたその空間には、畳(に似せた合成繊維のマット)が敷き詰められ、清潔な布団が整然と並べられている。
「こ、これが……天使様の宿……!」
「なんて暖かくて、柔らかい床なんだ……」
村人たちは入り口で履物を脱ぐと、震える足で畳を踏みしめた。
荒野の穴蔵や、廃材を組み合わせただけの家で暮らしてきた彼らにとって、風の吹き込まない壁と、柔らかな床は、王宮にも等しい贅沢だった。
だが、彼らを真に驚愕させたのは、その奥にあった。
地下からの恵み。地熱エネルギーを利用して汲み上げられた大浴場――『オンセン』だ。
脱衣所でボロボロの衣服を脱ぎ捨て、湯気の充満する浴室へと足を踏み入れた男たちは、言葉を失った。 巨大な岩風呂に、並々と湛えられた湯。
荒野において、水は血液と同等の価値を持つ。
それを、これほど大量に、しかも温めて使うなど、狂気の沙汰とも言える贅沢だった。
「さあ、入れ。垢と一緒に、辛気臭い顔も洗い流してこい」
案内役のプリスキンに促され、ライオネルたちは恐る恐る湯船に足を沈めた。
瞬間。
「あ、あ、あたたかぁぁぁ……!」
ライオネルが、魂が抜けるような声を上げて空を仰いだ。
熱い湯が、冷え切った皮膚を包み込み、凍りついた骨の芯まで染み渡っていく。
戦いの傷、火薬の臭い、長年の過酷な労働による痛み、そして心の底にこびりついていた恐怖。
それら全てが、湯けむりの中に溶け出していくようだった。
「極楽だ……。ここは本当に、地上の楽園だったんだな……」
「お湯だ……本物のお湯だ……」
あちこちで、男たちのすすり泣く声が聞こえた。
それは悲しみの涙ではない。人間としての感覚を取り戻した、再生の涙だった。
湯気の中で、彼らの顔から狂信的な険しさが消え、ただの疲れた、しかし安らぎを得た「人間」の表情が戻っていく。
――
共同生活が始まって数週間。
ステーションの中では、劇的な変化が起きていた。
最初はマリアのことしか見ておらず、ギーグスたちを「天使の従者」としか思っていなかった彼らが、次第にギーグスたちの持つ「文化」や「技術」に敬意を持ち、学び始めたのだ。
厨房では、香ばしい匂いと共に活気ある声が響いていた。
若いネイバーたちが、イノシロウの手元を食い入るように見つめている。
「すげえ……。ただの干からびた芋が、こんな美味いスープになるなんて」
「魔法だ……イノシロウ様は食の魔術師だ」
彼らは今まで、食事とは「死なないために燃料を詰め込む作業」だと思っていた。
だが、ここでは違う。
「いいか、まずは食材への敬意を持て。丁寧な下処理と、素早い手際が肝要だ」
イノシロウは巨大な包丁を振るいながら、料理の哲学を説いた。
「美味いものを食って笑う。それが人間だ。ただ生き延びるだけの獣になるな」
「は、はい! 師匠!」
彼らは嬉々としてジャガイモの皮を剥き、スープをかき混ぜた。「美味いものを食う」という原始的だが強力な喜びは、彼らに生きる活力を与えていた。
一方、医務室ではリンジーによる即席の医学講座が開かれていた。
これまでの彼らは、怪我や病気をしてもろくな知識も無く、せいぜいが血を粗末な布で止め、怪しげな薬草を塗るだけだった。結果、多くの命が破傷風や感染症で失われていた。
「いいか、傷口が化膿するのは悪霊のせいじゃない。細菌という微細な生物の仕業だ」
リンジーは顕微鏡を覗かせながら淡々と説明した。
「処置する前にまず洗え。自分たちの手も消毒しろ。神様も、不潔な傷口は治せないぞ」
「は、はい! ドクター!」
包帯の巻き方、止血の方法、薬の知識。 「知る」ことは恐怖を減らすことだ。
彼らは医学を学ぶことで、互いの命を論理的に守り合う術を身につけていった。
そして、最も意外な変化を見せたのは、元狂信的リーダーのライオネルだった。
――
リョカンの縁側。
障子越しに柔らかな午後の光が差し込むその場所で、穏やかな時間が流れていた。
「……動かないでください、マリア様。そのままで。光の加減が絶妙なのです」
「うう、ライオネルさん……これ、いつまで続くの? もう一時間だよぅ」
マリアが顔を赤らめ、もじもじと座布団の上に座っている。
その目の前で、ライオネルは真剣な表情で、廃材の炭と、裏紙を束ねたスケッチブックに向き合っていた。
彼は天使の絵を描いていた。
元々手先が器用だった彼は、マリアの美しさ、そして彼女がもたらしてくれた平和をどうにかして形に残したいと願い、「信仰」ではなく「芸術」という表現手段に目覚めたのだ。
ザッ、ザッ、ザッ。 炭が紙を擦る音が、心地よいリズムを刻む。
最初は稚拙だった線は日を追うごとに洗練され、今やマリアの慈愛に満ちた表情や、柔らかい髪の質感、そして背景にあるステーションの安らぎを驚くほど忠実に捉えていた。
「ほう……。これは素晴らしい」
後ろから覗き込んだレドリックが、感嘆の声を漏らした。 彼はコーヒーカップを片手に、そのスケッチに見入った。 旧時代の遺物を集める蒐集家である彼にとって、この光景は衝撃的であり、感慨深いものだった。
「今までは俺たちが、過去の死んだ遺産を掘り起こすだけだった。だが、今は違う」
レドリックは、真剣な眼差しで筆を走らせるライオネルと、そのモデルを務めるマリアを見て、目を細めた。
かつて狂気を孕んでいた男の目は、今、美を探求する芸術家の目に変わっている。
「新しい文化が、ここから生まれているんだ」
衣食住が満たされ、命の安全が保証されて初めて、人は「美」や「楽しみ」を求めることができる。 今までは「生きる」ことで精一杯だった集団が、料理を楽しみ、衛生を学び、そして芸術を生み出そうとしている。 それは、文明の芽吹きだった。 ギーグスという種が、ネイバーという土壌を得て、マリアという太陽の下で花開こうとしているのだ。
「悪くねえな。……おいライオネル、その絵が完成したら俺が第一号の客になってやる。秘蔵の桃の缶詰三つでどうだ?」
「ははは、レドリックさん。高く評価していただくのは光栄ですが、これはマリア様に捧げるものですから非売品ですよ」
「ちぇっ、堅いこと言うなよ」
穏やかな笑い声が、湯けむりの漂うステーションに響く。 窓の外では灰色の雪がちらつき始めている。厳しい冬がすぐそこまで来ている。
だが、彼らの拠点は、かつてないほどの温もりと、未来への希望に満ちていた。
それは、アヴァロンの高度なテクノロジーでも作り出せない、人と人が寄り添うことでしか生まれない熱だった。




