第十四話 白い服の男
荒野の風には二種類ある。
乾いた砂の匂いを運ぶ風と、腐臭と鉄錆の匂いを運ぶ風だ。
そして今、エンジェルステーションの南方に広がる岩場には、後者の風が淀むように吹き溜まっていた。
略奪者集団『ウルトラヴァイオレンス(超暴力)』の野営地。
そこは、人間の形をした獣たちの巣窟だった。
「おい、てめぇ! その肉は俺んだよ!」
「うっせぇ、離せ! 噛みちぎるぞ!」
岩陰に作られたキャンプでは、薄汚れた男たちがわずかな食料や燃料を巡って、常に怒号を上げ、殴り合っていた。
その喧騒の横で、巨大な毛玉のような獣たちが繋がれている。
『グランパカ』だ。
かつての文明が「子供向けの乗用生物」として生み出した、巨大なアルパカの亜種である。
本来は愛くるしいつぶらな瞳をした生き物だが、その毛並みは荒野の土と同じ茶褐色で、さらに泥と油にまみれて薄汚れている。
遺伝子調整された彼らは極めて温厚で、決して人間に逆らわない。略奪者たちはその優しさに付け込み、彼らを殴り、荷物を背負わせ、その背に跨って移動していた。
秩序などない。あるのは剥き出しの暴力と、搾取のみ。
その混沌とした野営地の中心に、ひときわ異様な空気を放つ「玉座」があった。
それは、巨大な無限軌道の上に据え付けられた、豪奢な赤いベルベットのソファーだった。
その土台となっているのは、かつての文明が生んだ戦闘遊戯の遺産――全高4メートルを超える人型重機だ。
錆びついたフレーム、剥き出しの油圧シリンダー、そして背負ったタービンから吐き出される黒煙。
その鉄の怪物の頭上に、彼は座っていた。
アレックス。
この狂った集団を統べる王。
彼が異様なのは、その鉄の玉座に座っていることだけではない。
この泥と油と獣臭に塗れた世界において、彼だけが「純白」を纏っていたからだ。
仕立ての良い、真っ白なスーツ。
首元には赤いスカーフ。
足元には磨き上げられた革靴。
その衣服には、一滴の血も、一粒の砂埃さえ付着していなかった。
そして、彼の玉座の傍らには、一頭の特別なグランパカが侍っていた。
周囲の茶色い個体とは異なり、その獣だけが輝くような純白の毛並みを持っていた。
アレックスの専用騎獣だ。毎日部下に洗わせ、ブラッシングさせているその白さは、彼の権威の象徴だった。
「……騒がしいな」
アレックスが、グラスに入れた蒸留酒を揺らしながら呟く。
その声は小さかったが、不思議なほどよく通り、周囲の喧騒を一瞬で凍りつかせた。
「ボ……ッ! 申し訳ありません!」
肉を奪い合っていた手下の一人が、慌てて平伏する。
だが、恐怖のあまり口が滑った。
「許してください、ボス! ついカッとなって……」
その瞬間。
アレックスの優雅な所作が止まった。
「……今、なんと言った?」
氷点下の声。
手下は自分の失言に気づき、顔面蒼白で震え上がった。
「あ、いえ! 違います! ア、アレックス様! アレックス様です!」
「遅い」
アレックスが指をパチンと鳴らす。
ズドン!!
彼の背後に控えていた随伴機(二足歩行型重機)が、ためらうことなく手下を踏み潰した。
断末魔を上げる暇もない。ただ、濡れた雑巾を絞ったような音が響いただけだ。
「汚らわしい」
アレックスは、靴底にこびりついた汚れを見るような目で、潰れた死体を見下ろした。
傍らの白いグランパカも、血の匂いを嫌うように顔を背ける。
「何度言わせる? 私はボスでもリーダーでもない。アレックスだ」
彼は白衣の襟を正し、周囲の凍りついた部下たちを見渡した。
「この世界に、アレックスという名の存在は私一人でいい。もし他にアレックスがいれば殺す。同じ名を名乗ることすら許さん。……お前たちが呼んでいいのは、唯一無二の私の名だけだ」
「は、はい! アレックス様!」
「アレックス万歳!」
部下たちは一斉にひれ伏し、その名を連呼する。
それは忠誠というより、宗教的な儀式に近かった。
そこへ、偵察に出ていた部隊が戻ってきた。
彼らは茶色いグランパカの分厚い毛を強引に掴み、鞍から飛び降りると、息せき切って報告した。
「ア、アレックス様! 見つけやした! とんでもねぇ獲物です!」
アレックスは報告を聞くと、冷たい笑みをより一層深いものにした。
「……素晴らしい」
ここしばらくお目に掛からなかった、大規模な拠点。
暴力と自分の名を刻むためにこそ、存在しているのだ。
ようやく飢えが満たされる。
「よくやった。私の役に立ったな」
アレックスは、報告した斥候の男に優雅に手招きをした。
「近くへ寄れ。褒美をやろう」
「は、はいっ! ありがたき幸せ!」
男が震えながら近づくと、アレックスは懐から小さなガラス瓶を取り出した。
中には、新雪のようにきめ細かい、白い粉が入っている。
「『スノウクラッシュ』だ」
その名を聞いた瞬間、男の目が血走り、口端から涎が垂れた。
周囲の部下たちも、ゴクリと喉を鳴らす。
それは、アレックスだけが精製法を知る秘薬。
ひと舐めすれば、古傷の痛みも、飢えの苦しみも、死への恐怖もすべて消え失せる。
ただ真っ白な多幸感だけが脳髄を支配し、痛みを感じない狂戦士へと変貌させる魔法の粉だ。
「アレックス様……! ああ、アレックス様……!」
男は涙を流しながら瓶を受け取り、震える手で粉を歯茎に擦り込んだ。
次の瞬間、男の瞳孔が開き、恍惚の表情で空を仰いだ。
「効くだろう? 痛みは消えたか?」
「はいぃぃ……! 体が……軽いですぅぅ……!」
「ならば働け。私のために」
アレックスは立ち上がり、両手を広げた。
「野郎ども、聞けェ!!」
アレックスの声が野営地に響き渡る。
百人近い暴徒たちが、武器を掲げて呼応する。
繋がれていた茶色いグランパカたちが、その殺気に怯えて「キュウ……」と情けない声を上げたが、すぐに手下たちに蹴り飛ばされて無理やり立たされた。
「楽園は見つかった! あそこにある全ては、このアレックスのものだ! 水も、食い物も、ガラクタの一つに至るまで、全て私が選別する!」
オオオオッ! と野獣のような歓声が上がる。
「抵抗する者は、手足をもいで荒野に晒せ。降伏する者は、奴隷として鎖に繋げ。……活躍した者には、さらなる『白き祝福』を与えよう!」
その言葉に、暴徒たちの狂気が沸点に達した。
アレックスがコクピットに乗り込み、操縦桿を握る。
ブロロロロロ……!!
背中のタービンが咆哮を上げ、黒い煙を空へと吐き出す。
無限軌道が回転し、大地を削り取る。
「進め! ウルトラヴァイオレンス! 世界にその名を轟かせるのは、この私、アレックスのみだ!」
白き服の暴君を先頭に、二機の鉄の巨人が進み始める。
それに続き、悲しげな瞳をした茶色のグランパカ騎兵隊と、純白の薬物への渇望に突き動かされた徒歩の暴徒たちが蟻の行列のように続く。
その隊列の中で、アレックスの白いグランパカだけが、汚れることを許されず、主の権威を示すように歩いていた。
残酷で、暴虐で、そして誰よりも「支配」を愉しむ王が、今、静かなオアシスを飲み込むために動き出した。




