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第十三話 少女庭国

 エンジェルステーションに空からの贈り物が届いてから、二年の月日が流れた。

 たった二年。だがその時間は、マリアという少女にとっても、この閉ざされた世界にとっても、劇的な変化をもたらす魔法の時間だった。


 かつて、灰色の岩と赤茶けた鉄屑しかなかった荒野の一角に、今、奇跡のような「緑」と「生命」が満ち溢れていた。


「パパたち、見て! 今日もすごいよ!」


 ゲートをくぐり、ガレージへと駆け込んでくる少女の声が響く。

 荒野の埃をものともせず、太陽をそのまま溶かしたような黄金色の髪を揺らして走ってくるその姿は、どう見ても十歳前後の少女にしか見えない。

 マリアだ。

 

 アヴァロンの尖端技術であるバイオテクノロジーとナノマシンによる肉体調整は、彼女の成長速度を劇的に加速させていた。過酷な環境下で「守られるだけの乳幼児期」を最小限に短縮し、生存に有利な身体能力を早期に獲得させるためのプログラムだ。


 彼女の両手には、それぞれ収穫物が入ったバスケットが抱えられている。


「お、マリア。今日は『ファーム』の当番だったか?」

 作業の手を止めたアレンが、目尻を下げて迎える。


「うん! タマちゃんたちがね、すっごく大きいのを産んでくれたの!」


 マリアが得意げに見せたバスケットの中には、真っ白でツヤツヤした卵が山のように積まれていた。

 これは『スノー・ヘン(雪見鶏)』の卵だ。

 寒冷地適応型のこの鶏は、ボールのように丸々とした白い羽毛に覆われており、ステーション内の「バイオ・ファーム」区画で放し飼いにされている。マリアがヒヨコの時から世話をしているため、彼女の後ろをピヨピヨと列をなしてついて歩く姿は、殺伐とした基地の癒やしとなっていた。


「こっちのタンクはミルクだよ。ヤギさんたち、今日は機嫌が良くて」

 もう一つの容器には、濃厚なミルクが波打っている。

 こちらは『ケミ・ゴート』の乳だ。

 

 旧時代の廃棄物処理用に改良された彼らは、不要になった書類や段ボール、生ゴミさえも喜んで食べ、体内の強力な発酵槽で分解して栄養豊富なミルクに変えてくれる。角の丸い温厚な彼らは、マリアの良い遊び相手でもあった。


「でかしたぞ、マリア。これで今日の晩飯は特製オムレツとシチューだ」

 厨房から顔を出したイノシロウが、食材を受け取りながらニカっと笑う。

「外の畑からはジャガイモも届いてます。……こんな贅沢な食卓、空の上の連中だって食えませんよ」


 ガレージの隅では、プリスキンが自動織機の前で作業をしていた。

「こっちも順調だ。刈り取ったばかりの『グランパカ』の毛だ。見てみろ、このツヤ」


 彼が指差した先には、クリーム色のフワフワした毛玉の山があった。

 グランパカ。巨大なアルパカの変異種だ。

 ステーション内で大切にブラッシングされ、栄養たっぷりの苔を食べて育った彼らの毛並みは、シルクのように滑らかで、驚くほど暖かい。

 

「これでマリアの新しいセーターと、俺たちの靴下を編む。冬が来ても怖くねえな」


 卵、ミルク、肉、野菜、そして暖かい衣服。

 ギーグスたちの技術と、ネイバーたちの労働力、そしてマリアという希望。それらが噛み合い、エンジェルステーションは完全な自給自足を実現する「楽園」へと進化していた。


 ――


 だが、光が強ければ強いほど、落ちる影もまた濃くなる。


 屋上の監視デッキで、レドリックは淹れたてのミルクコーヒーを啜りながら、ゲートの外を見下ろしていた。


「……見違えたもんだな。あのゴミ溜めが、立派な『村』になりやがった」


 彼の視線の先には、ネイバー教団の居住区が広がっている。

 かつてはボロテントが散乱するだけのスラムだった場所は、今や廃材を組んだ防風壁で囲まれ、整然とした区画が並んでいる。

 彼らは、ギーグスたちがステーション内で行っていた効率的な生活様式を模倣し、狂気的な勤勉さで不毛の大地に実りをもたらしていた。


 中心にそびえる鉄の要塞と、その周囲を固める狂信者たちの城下町。

 それは、荒野に出現した小さな都市国家の様相を呈していた。


「おかげでマリアの腹を満たすには困らなくなったが……」

 アレンが隣に並び、双眼鏡を覗く。その表情は険しい。


「ああ。……目立ちすぎる」


 レドリックが低く唸る。

 灰色の死の世界において、ここだけが異常なほどの色彩と熱量を放っているのだ。

 ステーションの排熱塔から立ち上る白い蒸気。

 夜になれば、ネイバーたちの焚く火と、ステーションから漏れる電灯の明かりが、闇の中に浮かぶ灯台のように輝く。

 そして風に乗って漂う、家畜の匂いと、調理の香り。


 飢えた獣にとって、これほどの御馳走はない。


「富める者は狙われる。この世の真理だ」

 レドリックが愛銃の整備をする手つきが速くなる。

「ここ数年、小規模な野盗や野良犬程度しか来なかったのが奇跡みたいなもんだ。……だが、そろそろツケが回ってくる頃合いだろうな」


 彼らの予感は、不吉なほど正確だった。


 ――


 エンジェルステーションから南へ二十キロ。

 岩山の尾根に、数つの影があった。


 彼らが乗っているのは、全身を泥と汚物にまみれた灰色の長毛で覆われた、巨大な獣――グランパカだ。

 だが、ステーション内で飼われている手入れの行き届いた個体とは似ても似つかない。

 毛はフェルト状に固まって悪臭を放ち、目は恐怖で濁り、鼻には鉄のピアスがねじ込まれている。乗り手のムチに怯え、荒い息を吐いている。


 その背に跨っていたのは、略奪者集団『ウルトラヴァイオレンス』の斥候部隊だった。


「……おい、マジかよ」


 モヒカン頭の男が、古びた単眼鏡から目を離さず、震える声を出した。

 レンズの向こう、陽炎に揺れる地平線の先に、それはあった。


 立ち上る豊かな水蒸気。

 強固な壁の内側に見える、青々とした畑。

 そして何より、排熱塔の輝き。あれは旧時代のジェネレーターが生きている証拠だ。


「あそこには熱がある」


 この冷え切った時代、それは何よりの宝だった。


 男は鼻を鳴らした。風に乗って、微かだが確かに、家畜の糞の匂いと、甘いミルクの香りが漂ってくる。


「家畜がいやがる。それも、俺たちが乗ってるこんなボロ雑巾みてぇな獣じゃねえ。丸々と太った、極上の肉に違いない」


 斥候たちは顔を見合わせ、黄色い歯を剥き出しにしてニタリと笑った。

 彼らは知っている。

 彼らの王――「白い服の男」が、何を欲しているかを。


「大当たりだ。宝の山を見つけたぞ」

「アレックス様に報告だ。……これだけのネタなら、間違いなく『白い粉』をご褒美に貰えるぜ」


 男が手綱を乱暴に引く。

 グランパカの鼻輪に電流が走り、悲鳴のような鳴き声を上げて巨体が反転する。


「戻るぞ! 祭りの準備だ!」


 斥候たちは全速力で駆け出した。

 平和な収穫の日は、静かに終わりを告げようとしていた。

 風の音が変わる。

 それは豊穣を運ぶ風ではなく、血と鉄錆、そして狂気を孕んだ、破壊の嵐の予兆だった。

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