第十一話 所有せざる人々
異変は、ある朝突然始まった。
「……なんだ、これは?」
朝の見回りをしていたファルケンバーグが、眉間に深い皺を寄せて立ち尽くしていた。
彼が見下ろす先、エンジェルステーションの正門ゲートの前に、奇妙な物体が置かれていたからだ。
錆びた鉄パイプを捻って作った「花」のようなオブジェ。
ラベルの剥がれた、中身の怪しい缶詰。
そして、泥と枯れ草で作られた、不気味な人形。
「呪いか?」
後ろから来たプリスキンが、嫌そうに顔をしかめる。
「テイカーの新しい嫌がらせかもしれん。毒入りか、爆発物か……」
「わぁ! かわいい!」
殺伐とした推測を遮ったのは、マリアの弾んだ声だった。
彼女は大人たちの制止をすり抜け、泥人形を拾い上げてしまった。
「マリア! 触るな、汚い!」
「えー? でも見てパパ、これ、わらってるよ?」
言われてよく見れば、泥人形の顔には小石でニッコリとした笑顔が描かれている。
呪いの藁人形というよりは、子供の拙い工作のようだった。
だが、誰が? 何のために?
この荒野に、こんなことをする酔狂な人間がいるとは思い難い。
「……今夜、張り込みをするぞ」
レドリックが低い声で決断した。
「正体不明の不審者だ。とっ捕まえて尋問してやる」
――
その夜。
氷点下の寒空の下、アレンたちは暗視ゴーグルを装着し、ゲートの陰に潜んでいた。
マリアは寝室でイノシロウが付き添っている。
「……来たぞ」
深夜二時。
闇の向こうから、複数の人影が音もなく近づいてきた。
かつてのテイカーのような殺気はない。だが、足取りは奇妙に揃っており、何やらブツブツと念仏のようなものを唱えている。
人影はゲートの前で膝をつくと、うやうやしく何かを――今回は、綺麗に磨かれたアルミホイルの球体だ――供え始めた。
「今だ! 確保!」
レドリックの合図と共に、四人が一斉に飛び出した。
カッ!
アレンたちが手にした軍用の強力な懐中電灯が闇を切り裂き、不審者たちの顔を強烈に照らし出した。
「うわっ! 眩しい!」
「ひいいっ!」
狼狽える男たち。その数、十名ほど。
ボロボロの布を頭から被っているが、武器は持っていない。
暗闇に慣れた目に、ライトの直撃は強烈な目くらましとなる。
アレンはクロスボウを突きつけ、誰何した。
「動くな! 貴様ら、何者だ! こんな夜中に何を企んでいる!」
すると、集団の中から一人の男が、目を手で覆いながらもおずおずと進み出てきた。
痩せこけた長身に、ギョロリとした目をした男。
アレンには見覚えがない。ただの薄汚い放浪者にしか見えない。
男――ライオネルは、突きつけられた武器を見ても怯むことなく、むしろ人の良さそうな、卑屈な愛想笑いを浮かべて揉み手をした。
「お、お待ちください! 我々は怪しい者ではありません! ただの『隣人』です!」
「隣人だと? こんな夜中にゴミを捨てに来るのが隣人のすることか?」
「滅相もない! これはゴミではありません、友好のしるしです!」
ライオネルは必死に弁明を始めた。
「あなた方もご存知でしょう? この世界はあまりにも過酷で厳しい。一人では生きられず、孤立すれば野垂れ死ぬだけの地獄です」
ライオネルは、さも常識を説くように両手を広げた。
「だからこそ、我々人間は手を取り合うべきなのです! 我々はこの近くの廃墟に住み着いたコミュニティ。あなた方の立派な拠点を拝見し、ぜひ『良き隣人』として、助け合って生きていきたいと……ご挨拶に伺った次第で!」
「……挨拶ねえ」
アレンは警戒を解かずに睨みつけた。
言っていることは正論だ。この荒野で孤立は死を意味する。
だが、その笑顔の奥には、理屈だけではない異様な執着が見え隠れしていた。
ライオネルは決して、自分がかつてここを襲った生き残りだとは口にしなかった。
ただ、「立派なご近所さんと仲良くしたい」という、善意の押し売りを装っている。
「それで、この泥人形は何だ? 俺たちへの嫌がらせか?」
プリスキンがナイフを弄びながら問う。
「ととと、とんでもない! あなた方のお住まいには、可愛らしいお嬢さんがいらっしゃると聞きまして! お近づきの印にと、我々が不器用ながら丹精込めて作った玩具でございます!」
「……我々の内部事情を探っているのか?」
レドリックの声が一段と低くなる。
「まさか! ただの隣人愛です! 困った時はお互い様、それが人の道でしょう?」
ライオネルは地面に額を擦り付けんばかりに頭を下げた。
後ろの男たちも一斉に倣う。
その姿は、あまりにも必死すぎて、逆に不気味だった。
「……どうする、ボス。一番厄介なタイプだぞ」
プリスキンが呆れ顔で囁く。
敵意は見えない。理屈も通っている。だが、生理的に受け付けない「何か」がある。
「追い払え。気味が悪い」
レドリックが冷たく言い放つ。
「ここは慈善施設じゃない。供物も挨拶もいらん。さっさと消えろ。二度と来るな」
レドリックの言葉を受け、ネイバー達は去って行った。置き土産を残して。
――
だが、彼らは諦めたわけではなかった。
翌日。
拠点のゲートから見える範囲――クロスボウの射程ギリギリの外側に、ボロテントの村が出来上がっていた。
「……なんだあれは」
「見張り番、のつもりらしいですよ」
双眼鏡を覗いたアレンが、げんなりした声で報告する。
テントの前には『ネイバー教団・相互扶助隊』と書かれた看板が掲げられ、ライオネルたちが頼みもしないのに周囲をパトロールしている。
こうして、エンジェルステーションと、その門前に居座る狂信者集団との、奇妙な共同生活(?)が幕を開けた。
――
彼らの日常は、アレンたちの常識を斜め上に超えていた。
朝。彼らは拠点の排気ダクトに向かって一斉に「おはようございます! 隣人!」と挨拶をする。
昼。彼らは荒野でスカベンジ(ゴミ漁り)を行い、発掘品をゲートの前に積み上げる。
「本日の共有物資です! お使いください!」
腹立たしいことにそれらは意外と役に立つ物ばかりで、レドリックが渋い顔をしながら回収ボックスから回収する。
その際、見返りとして畑でとれた食料や、濾過した水を置いてやると、彼らは「隣人の慈悲に感謝!」と涙を流して受け取るのだった。
「……完全に餌付けされた野良犬だな」
「まあ、ゴミ処理と資源回収を代行してくれるなら、安いコストですよ」
ファルケンバーグが冷ややかに分析する。
害がないうちは放置する。それがギーグスたちの出した結論だった。
だが、ある日の夕暮れ。
アレンたちは、彼らの「隣人愛」の真価を目の当たりにする事となる。
――
「おい! なんだこいつらは、乞食の集まりか?」
ゲートの外から、下卑た笑い声が聞こえてきた。
アレンたちが監視塔へ上がると、10人ほどの小規模なテイカー(野盗)グループが、テント村を取り囲んでいた。
彼らは錆びた鉈や棍棒を手にし、ネイバーたちを威嚇している。
「おい、持ってるもん全部出しな! あと、後ろの立派な建物への入り方を教えろ!」
テイカーの一人が、ライオネルの胸倉を掴み上げる。
アレンはクロスボウを構えようとした。
「……待て」
レドリックが制止した。
「様子が変だ」
普通なら悲鳴を上げるか、逃げ惑う場面だ。
だが、ネイバーたちは誰一人として声を発していなかった。
彼らは無言で立ち上がり、ゆらりとテイカーたちを取り囲み始めていた。
「あぁ? なんだてめえら、やる気か?」
テイカーがライオネルを殴り飛ばす。
ライオネルは口から血を吐きながらも、ニヤリと笑った。
「……困りますねえ」
ライオネルが、しわがれた低い声で囁く。
「ここは静かな住宅街だ。騒ぐような『悪い隣人』は、お引取り願わないと」
それが合図だった。
「――掃除だ」
一瞬の出来事だった。
ネイバーたちが、懐から鋭利に尖らせた鉄屑や石を抜き放ち、テイカーたちに飛びかかった。
雄叫びはない。怒号もない。
あるのは、ご近所トラブルを解決するかのような、事務的かつ徹底的な「排除」の意志だけ。
「ぐっ!? なんだこいつら、離せ!」
「目が! 目がああ!」
一人のテイカーに対し、三人がかりでしがみつく。
腕を噛み、足を刺し、喉元を掻き切る。
自分たちが殴られようが、切られようが、痛みなど感じていないかのように、彼らは止まらない。
「ひっ、ひいい! イカれてやがる!」
数で勝るはずのテイカーたちが、その異様な気迫に押され、恐怖に顔を引きつらせる。
だが、逃げることすら許されなかった。
逃げようとする背中に、無言の信者たちが音もなく追いすがり、地面へと引きずり倒す。
ものの数分で、動くテイカーはいなくなった。
ライオネルが血を拭いながら立ち上がり、倒れた死体を見下ろして衣服の汚れを払った。
「……やれやれ。マナーの悪い客人は困る」
彼らは無言のまま、テイカーの死体や武器を引きずり、荒野の彼方にある亀裂(ゴミ捨て場)へと運んでいく。
その手際は、ゴミ拾いと同じくらい手慣れたものだった。
監視塔の上で、一部始終を見ていたアレンたちは、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「……訂正しよう」
レドリックが顔をしかめて言った。
「あれは野良犬じゃない。狂犬だ」
「ああ。我々に牙を剥かない保証はないが……少なくとも、『番犬』としてはこれ以上なく優秀だな」
ファルケンバーグも、少し青ざめた顔で同意する。
彼らは危険だ。
だが、彼らが「良い隣人」であろうとする限り、彼らは最強の防波堤となる。
翌日。
ゲートの前には、綺麗に磨かれたテイカーたちの武器や物資が、山のように積まれていた。
『お庭の掃除をさせていただきました。落とし物をお届けします』という、妙に丁寧な手紙を添えて。
こうして、エンジェルステーションとネイバー教団の間には、奇妙で歪な「共生関係」が成立した。
ギーグスたちは、彼らを心からは信用しないが、便利な戦力として黙認し、拠点内での収穫物などを提供する。
ネイバーたちは、血に濡れた手で笑顔を作り、聖域に近づくあらゆる危険を闇に葬り去る。
それは、「互助」という名目で築かれた、血と狂気のバリケードだった。
そんな奇妙な日常が、彼らの当たり前になりつつあった頃。
シェルターの中では、静かに、しかし劇的な変化の時が訪れようとしていた。
守られるだけの時間は終わる。
蛹が蝶になるように、天使の羽化はすぐそこまで迫っていた。




