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第十話 キャッチワールド

 宇宙コロニー『アヴァロン』。

 人工太陽の光が降り注ぐこの場所は、ナノマシンとAIによって管理された完璧な箱庭だ。

 だが、環境再生局の特別研究室だけは、空調が効きすぎているかのように冷ややかな空気に包まれていた。


「……今日も、ただのノイズか」


 クラークは、充血した目をこすりながらモニターを睨んでいた。

 映し出されているのは、地上から送られてくる気象データ。

 かつて世界を回していたナノマシンの「魔法」が解け、機能停止した残骸が降り積もる、寒冷化した死の大地だ。


 あの日――コードネーム『天使』が廃棄ポッドで地上へ射出されてから、地上の時間で約一年が経過していた。

 コロニー評議会は「プロジェクト・エデン」の失敗と凍結を正式に決定。

 クラークの権限は縮小され、この研究室も近日中に閉鎖される予定だった。


 合理的に考えれば、生存は絶望的だ。

 文明の崩壊した過酷な環境で、メンテナンスを受けられない乳児の検体が生き延びる確率は、限りなくゼロに近い。


 だが、クラークはデータしか信じない男だった。

「死亡が確認されていない以上、生存の可能性は残る」。

 その一点のみを根拠に、彼は地上の電波ノイズを監視し続けていた。


「局長、休息を推奨します。パフォーマンスが低下していますよ」


 事務的な口調と共に、アロウェイが栄養ゼリーのパックをデスクに置く。

 彼女の表情も硬い。研究対象を失った喪失感は、研究員としての彼女のモチベーションを著しく低下させていた。


「ありがとう、アロウェイ。だが、この周期的なノイズパターンが気になる。あと少しだけ解析を……」


 クラークがキーボードに指を伸ばした、その時だった。


 ピリッ。


 平坦だった波形グラフの端が、鋭角に跳ね上がった。

 自然界のノイズではない。明確に意図を持った、高周波のエネルギー干渉。


「……! 今の波形は!」


 クラークの表情が一変した。

 瞬時に解析モードへと切り替える。指が鍵盤を叩く速度が上がり、画面上の数値が滝のように流れる。


「局長、これは……地上からの高出力エネルギー反応? 旧時代の兵器でしょうか?」

「いや違う! 見ろ、このシグネチャ(固有波長)を!」


 『解析完了:一致率99.998%』

 『識別コード:ANGEL-01』

 『ステータス:AI-LIMITER OFF(自律防衛モード)』


 画面に表示された文字列を見た瞬間、クラークは息を呑んだ。


「適合した……いや、進化したのか」

「そんな……生きているんですか? あの環境で、一年も?」

「データは嘘をつかない」


 クラークは震える手で眼鏡の位置を直した。

 

「彼女の体内ナノマシンが活性化している。これは、何かを守るための反応だ。……天使が大事に思うような『誰か』が地上には存在すると言う事だ」


 それは数日前(地上の時間で)、マリアがその力を解放した瞬間の残滓が、分厚い雲を突き抜けて宇宙まで届いたものだった。


「信じられません……。ですが、すぐに評議会へ報告を! 天使が生存しているとなれば、回収部隊が……」

「待て! 通信を切断しろ!」


 アロウェイがコンソールに手を伸ばした瞬間、クラークが鋭い声で制止した。

 普段は温厚な局長の剣幕に、アロウェイが動きを止める。


「……どうしてですか?」


「思考しろ、アロウェイ。現状を分析するんだ」

 クラークは声を潜め、周囲の監視カメラを警戒するような視線を走らせた。

「天使を捨てたのはコロニストだ。彼らの思想は『地上との断絶』もし、地上で独自進化を遂げたナノマシン適合体である天使が生存していると知ったら、彼らはどう動く?」


 アロウェイの顔から血の気が引く。

 

「……『未知のリスク』として、排除します」

「その通りだ。回収などしない。天使を排除したやり口を考えるに、どんな事をしでかすか分からない。」


 コロニストにとって、管理外のテクノロジーは脅威でしかない。

 暴走ナノマシンに影響されない『天使』が地上で生きているという事実は、彼らにとって福音ではなく、排除すべきエラーなのだ。


「では、どうすれば……」

隠蔽マスクする」


 クラークは迷わずコマンドを入力した。

 今しがた受信したシグナルを「太陽風による通信エラー」として偽装し、メインサーバーの監視ログから該当データを削除する。


「天使の生存を知っているのは、我々のみとする。アロウェイ、協力してくれるな?」

「勿論です! データの改竄処理、私が引き継ぎます」

 アロウェイも即座に状況を理解し、コンソールに向かった。


 クラークはモニターに映る、ノイズ混じりの地上の地図を見つめた。

 信号の発信源は、何もない荒野の一角を示している。


「地上には、彼女の生存を可能にしている『保護者』がいるはずだ。そうでなければ、乳児の状態で一年も生きられるはずがない」


 誰かは知らない。だが、少なくともポッドを捨てた我々よりは、遥かに優秀な管理者だ。


「我々は、空からの『観測者』に徹する。コロニストに気づかれないよう、あのエリアの情報だけをフィルタリングし、守り抜くんだ」


 クラークはコーヒーを一口啜った。

 科学者としての探究心と、生みの親としての責任感が、静かに燃え上がっていた。


「こちらからの地上への干渉は最小限に留める。下手に手出しをすれば、位置を特定されるリスクになるからな」


 クラークはモニターの向こう、見えざる地上の友へ向かって呟いた。


「頼むぞ、地上の誰か。……天使は、君たちに預けた」


 その時だった。

 無機質な電子音と共に、研究室の気密扉が開いた。


「クラーク局長。退所する片付けは済んだかな?」


 凍りつくような声と共に現れたのは、純白の制服に身を包んだ男だった。

 ヴァンス博士。

 コロニストの急先鋒であり、地上の監視業務を「予算の無駄」と公言して憚らない男だ。


 アロウェイが息を呑み、背筋を硬直させる。

 彼女の背後にあるメインモニターには、偽装工作が終わったばかりの「ただのノイズ画面」が映っているはずだ。

 だが、もしコンソールのログを直接覗かれれば、改竄の痕跡が見つかるかもしれない。


 クラークは、動揺をオクビにも出さず、わざとらしく肩をすくめて振り返った。


「やあ、ヴァンス君か。歓迎したいところだが、出せるのは古いコーヒーくらいのものだよ」

「お気遣い結構、それより――」

「ああ、片付けだったね。これからアロウェイ君に手伝ってもらい進める予定だよ」


 クラークは、あくまで「無能な好々爺」を演じた。

 ヴァンスは疑わしげな視線を部屋中に走らせる。その視線が、アロウェイの青ざめた顔で止まる。


「……助手の顔色が悪いようだが?」

「連日の徹夜続きでね。ブラックな職場ですまないと思っている」

「フン、今のうちに休んでおくことだ。どうせ来月には、この部屋の電源は落とされる」


 ヴァンスは侮蔑の色を隠そうともせず、白い手袋で机の上の埃を払う仕草をした。


「地上はもう獣と変わらない文明レベルになっている。我々が関わらない事こそ、自然の摂理なのだよ」

「……そうか。君たちとはやはり相容れないのだな、残念だ」


「残念なものか。君のような『地上かぶれ』が予算を食い潰す時代は終わったんだ。荷物をまとめておくんだな」


 ヴァンスはそう言い捨てると、踵を返して出て行った。

 プシュウ、と扉が閉まる音が、死刑宣告のように響く。


 部屋に、重苦しい沈黙が落ちた。

 アロウェイが膝から崩れ落ちる。


「……寿命が縮まりました。バレたかと……」

「ああ、ギリギリだったな」


 クラークもまた、脂汗を拭った。

 だが、その瞳から恐怖の色は消え、代わりに鋭い光が宿っていた。

 研究室の閉鎖まで、残り一ヶ月。

 それはつまり、彼らが自由に動けるタイムリミットでもある。


「アロウェイ。すぐに『裏口バックドア』を作るぞ」

「裏口、ですか?」

「この部屋が閉鎖された後も、私の個人端末から監視衛星にアクセスできる隠しルートだ。公式には観測終了でも、我々だけは天使を見守り続ける」


 クラークはキーボードを叩き始めた。

 先ほどまでの疲労困憊した様子はない。かつて「天才」と呼ばれた男の顔に戻っていた。


「ヴァンスの言った通りだ。奴らは地上を忘却するつもりだ。……それが好都合だ」

「好都合?」

「ああ。奴らが地上から目を背けている間こそ、天使が育つための猶予期間モラトリアムになる」


 クラークは、モニターの隅に小さく表示させた、マリアのいる座標を示す光点を見つめた。


「我々の戦いはここからだ。どんな手を使ってでも、あの光を守り抜くぞ。……それが、あの子を捨ててしまった我々の、せめてもの贖罪だ」


「はい、局長……いえ、クラーク博士!」


 アロウェイが涙を拭い、力強く頷く。

 

 冷え切った研究室に、熱が灯った。

 閉ざされた宇宙の檻の中で、二人の共犯者は、遥か遠い地上の家族へと思いを馳せた。


 いつか、その天使が翼を広げ、この閉ざされた空をこじ開けてくれる日を信じて。

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