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辺境下水道台帳  作者: 神矢幻太


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7/7

エピローグ 辺境下水道台帳

 ヴェロニカ(田中)は王都に凱旋した。

 彼女が最初に行ったのは、疫病の蔓延で恐慌状態にある民衆を(前世の演説スキルで)鎮静化させ、王都の衛兵を組織して「インフラ整備部隊」を編成することだった。


 聖女リリアが建てさせた「記念教会」の資材は、そのまま「隔離病棟」の建材に転用された。

 王太子が進めていた「美観整備(役に立たない噴水)」の予算はすべて凍結され、即座に「下水道の浚渫しゅんせつ」と「浄水場の再建」の費用に充てられた。


 元聖女リリアは、「偽聖女」として民衆から糾弾され、インフラ破綻の主犯であるギルベルト商会と共に、辺境の修道院(ヴェロニカがいた場所よりもさらに辺鄙な場所)へと追放された。


 元王太子カールハインツは、ヴェロニカ(田中)との契約通り、王位継承権を放棄した。

 彼は、ヴェロニカから「罰」として、一つの役職を与えられた。

「王都下水道・第三工区現場監督官」。

 最も汚染がひどく、最も過酷な、下水道の浚渫作業の最前線だった。彼は、そこで泥と汚物にまみれながら、自分が捨てた「現実」の重さを知ることになる。


 一年後。

 王都は、ヴェロニカ(田中)の冷徹で合理的なインフラ改革により、かつてないほどの清潔さを取り戻していた。

 疫病は完全に終息し、彼女は民衆から「救国の聖女(ただし、泥まみれの)」と呼ばれるようになっていた。


 その日、ヴェロニカ(田中)は、侍女アンナだけを連れ、再整備が完了した浄水場を視察していた。

 彼女(彼)は、今や最も信頼する側近となったアンナに、満足げに語る。

「どうだ、アンナ。これで、わたしが疫病で死ぬ確率は、限りなくゼロに近づいた。前世の二の舞は、もうごめんだからな」

「はい、ヴェロニカ様。本当に、素晴らしい『政治』でございます」

 アンナは、もはや主人の言葉(俺)や行動(ズボン姿)に、一切の疑問を抱いていなかった。


 その時だった。

 視察ルートの物陰から、一人の男が飛び出してきた。

 神官服の残骸のようなものをまとった男が、狂気に満ちた目で叫ぶ。

「悪魔め! 聖女リリア様の奇跡を汚し、神殿の予算を奪った、不浄の女!」


 男の手には、鈍く光る「刃物」が握られていた。

 前世で、田中健吾が演説中に見た、あの刃物と、まったく同じ種類の――。


 ヴェロニカ(田中)の全身が、凍り付いた。

(あ……)

 時間が引き伸ばされる。

 刺された腹部の、あの「熱さ」と「痛み」。内臓がこぼれ出る、あの「生々しい感覚」。

 五十八歳の市議会議員の最期が、鮮明なフラッシュバックとして蘇る。

(またか! 俺は、また……!)


 刃物が振り上げられる。


 だが、それがヴェロニカの腹部に達する寸前。

「ヴェロニカ様!」

 侍女アンナが、いつの間にか護身術で鍛えていた身体で、刺客に体当たりを食らわせた。

 刃物が宙を舞い、男は取り押さえられる。


「……はっ……はぁ……っ」

 ヴェロニカ(田中)は、その場にへたり込みそうになるのを、必死でこらえた。

 震える手で、自分が今世で手に入れた清潔な「ズボン」を強く握りしめる。


(……助かった、のか)

(ああ、そうだ。インフラを整備し、疫病で死ぬ恐怖は、消せた)

(だが……)


 彼は、取り押さえられてもなお「神の罰を!」と叫び続ける刺客を見た。

(前世で俺を刺した、あの市民も)

(今、俺を刺そうとした、この狂信者も)

(結局は、同じだ)


(どれだけ「正しい」統治(インフラ整備)をしようとも、あるいは前世のように「怠慢」な統治をしようとも)

(人間の『非合理な感情(怨恨や信仰)』からは、決して逃れられない)

(政治家である限り、『刺される恐怖』からは、決して……)


 ヴェロニカ(田中)は、冷たい汗が背中を伝うのを感じながら、ゆっくりと立ち上がった。

 彼女(彼)は、王都の青い空を見上げ、五十八歳の現実主義者として、皮肉な笑みを浮かべた。


「……アンナ。次の現場へ行くぞ」

「は、はい!」

下水道台帳このせかいのせいしょの改訂版を、今日の昼までに仕上げねばならん」


 彼女(彼)の戦いは、まだ始まったばかりだった。


(了)

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