第五章 主役の交代(ざまぁ)
王都が疫病で機能不全に陥ってから、一月後。
辺境領ベルクの、今や清潔な広場に、一頭の馬が倒れ込むようにして到着した。
転がり落ちたのは、高価な(しかし汚泥にまみれた)騎士服をまとった男。
王太子カールハインツ、その人であった。
彼は、お付きの者をすべて疫病で失い、あるいは見捨てられ、単騎でここまで逃れてきたのだ。
彼は、ズボン姿で領民に指示を飛ばしていたヴェロニカ(田中)を見つけると、よろよろと駆け寄り、その足元に膝をついた。
泥まみれの額を、清潔な地面にこすりつける。
「……ヴェロニカ! 頼む! 国を……いや、私を助けてくれ!」
「……」
ヴェロニカ(田中)は、かつて自分を断罪した男の、無様で現実的な姿を冷ややかに見下ろしていた。
侍女のアンナが、汚れた王太子を警戒するように、ヴェロニカの前に立つ。
(ああ、そうだ。思い出したぞ)
田中は、前世のリビングで見た「ゲームの結末」を、鮮明に思い出していた。
(あのゲームでは、王都で小規模な疫病が流行する)
(聖女リリアが、華やかな『聖魔法』でそれを瞬く間に浄化し、王都の英雄となる)
(そして……追放された悪役令嬢ヴェロニカは、この辺境の地で、誰にも看取られず、汚水が原因の疫病にかかって惨めに死ぬ)
(それが、リリアのハッピーエンドであり、悪役令嬢への『罰』だったはずだ)
ヴェロニカ(田中)は、目の前の「現実」を見る。
土下座する元王太子。健康そのものの領民。そして、泥まみれだが疫病とは無縁の自分。
(だが、現実はどうだ?)
(俺が、前世の知識(インフラ整備)で『死』に抗った結果、ヴェロニカは死ななかった。それどころか、辺境は王都より安全な場所になった)
(逆に、王都では『聖魔法』などという非現実的なものに頼った結果、根本的な汚染(インフラの崩壊)を止められず、ゲームでは描かれなかった『本当のパンデミック』が起き、国が滅びかけている)
「……カールハインツ殿」
ヴェロニカ(田中)は、五十八歳の市議会議員としての冷徹な声で言った。
「貴様は、主役を間違えた」
「……え?」
王太子が、意味が分からないという顔で顔を上げる。
「この国を、その疫病(という名の現実)から救うのは、聖女の『祈り』や『奇跡』などではない」
ヴェロニカ(田中)は、懐から取り出した一冊の分厚い台帳――辺境領ベルクの、この一年間の『汚物処理記録』と『井戸台帳』――を、王太子の目の前に叩きつけた。
「この『数字(台帳)』と、『予算書』だ」
「ヴェロニカ……君は、一体……」
「助けてやる。だが、これは『取引』だ。政治家の流儀でな」
ヴェロニカ(田中)は、王都を救う対価として、現実的な「要求」を突きつけた。
一、王都の「上下水道インフラ整備公団」を設立し、その全権限(予算執行権含む)を、ヴェロニカ・フォン・ベルケンハイムに委譲すること。
二、聖女リリアの「聖女」認定を取り消し、彼女の縁故者(ギルベルト商会)をインフラ破綻の主犯として逮捕すること。
三、王太子カールハインツは、今回の国家機能不全の全責任を取り、王位継承権を放棄すること。
「そ、そんな……! それは、国を差し出せと言うのか!」
「そうだ。貴様が『理想』のために捨てた『現実』のすべてを、今から私が引き受ける。……イエスか、ノーか?」
カールハインツは、王都に残してきた父王や、聖女リリアの顔を思い浮かべた。
そして、この辺境で見た、健康的な領民の顔を思い浮かべた。
彼は、自分がゲームの「主役」の座から引きずり降ろされたことを、この瞬間、完全に理解した。
「……わかった。要求を、すべて……呑む」
彼は、自分が見下し、追放した「悪役令嬢」に、国(と自分の未来)のすべてを差し出し、再び額を地面にこすりつけた。
「ざまぁみろ」という言葉は、田中の口には出なかった。
ただ、その現実に、政治家としての冷たい満足感を覚えるだけだった。




