第一章 断罪と現実分析
次に目覚めた時、田中健吾は、自分が豪奢なドレスを着た見知らぬ少女になっていることに気づいた。
(……何だ、これは)
視界に映るのは、磨き上げられた大理石の床。シャンデリアの眩い光。そして、自分を見下す、金髪碧眼のいかにも育ちが良さそうな青年。
「ヴェロニカ・フォン・ベルケンハイム公爵令嬢! 貴様という女は!」
青年が、聞くに堪えない甲高い声で叫ぶ。
ヴェロニカ? ベルケンハイム?
その名を聞いた瞬間、田中の(今は少女のものになっている)脳裏に、霞がかった記憶が蘇った。
(……ああ、そうか)
娘だ。大学生の娘が、日曜のリビングで、大型テレビに繋いで遊んでいたゲーム。
『王都の聖女と水利権』。
そして、娘が「お父さんそっくりで嫌われてる」と笑っていた、あの悪役令嬢。それが、ヴェロニカ。
目の前の青年は、確か王太子の……何とか、だ。
彼が今、自分に向かって指をさし、糾弾している。
ゲームの知識によれば、これは「ヒロインを井戸に突き落とそうとした」という罪状で、ヴェロニカが婚約破棄と追放を言い渡される、物語のクライマックスシーン。
(……なるほど。これが走馬灯というやつか)
田中は妙に冷静だった。
(刺された腹の痛みはどこへ行った? 意識が冷えていく、あの鉄の味も消えている。……夢、だな)
死ぬ間際というのは、随分と手の込んだ幻覚を見せるものだ。
(くだらん)
夢の中だと認識しているからこそ、田中健吾は、五十八年の政治家人生で培った冷徹さで、この「茶番劇」を瞬時に分析した。
(恋愛のもつれ? 嫉妬? 馬鹿を言え)
これは「政治」だ。
ベルケンハイム公爵家は、王都の水利権と、その「汚水処理」という、最も地味で最も儲かるインフラを代々牛耳ってきた。
目の前の王太子は、それを快く思わない対立派閥。あの、か細い「ヒロイン」とやらは、王太子が担ぎ上げた、公爵家を潰すための「スキャンダル」の道具に過ぎん。
(雑な潰し方だ……前世と何も変わらんな)
「何か言うことはないか、ヴェロニカ!」
王太子が叫ぶ。
少女の身体に宿った田中健吾は、怯えるどころか、冷然と目の前の王太子を見据えた。
「……恐れながら、王太子殿下」
少女のものとは思えない、低く、落ち着いた声が出た。
「その『罪状』とやらを裁くのは、王太子殿下個人の感情ではありますまい。法的な手続きと、証拠の提示を要求いたします」
「なっ……!」
王太子は、悪役令嬢が泣きわめくか、あるいは逆上してヒロインに掴みかかるとでも思っていたのだろう。予想外の「正論(現実論)」に言葉を詰まらせた。
だが、彼はすぐに権力者の笑みを浮かべる。
「黙れ! 聖女リリア(ヒロイン)の証言こそが証拠! そして、この場での私の言葉こそが『法』である!」
(……ああ、詰んだな)
田中は内心でため息をついた。
権力が「法」だと言い出した時点で、もう交渉の余地はない。これは「裁判」ではなく、ただの「排除」の儀式だ。
「ヴェロニカ・フォン・ベルケンハイム! 貴様との婚約を、ただ今をもって破棄する!」
「そして貴様には、公爵家の全財産没収の上、最果ての辺境領への追放を命じる!」
王太子の宣言が、ホールに響き渡る。
周囲の貴族たちが、冷たい嘲笑を浮かべている。
前世で刺された時の、あの冷えていく感覚が蘇る。
(……辺境、か)
五十八歳の市議会議員は、十六歳の悪役令嬢の姿で、ただ静かにその「現実」を受け入れた。




