【書籍化記念短編】もふもふ!おおかみ皇子の継母は最高です
もふもふ×継母な短編です。
シャルロッテ・ベルテには秘密がある。
「ママ〜!」
シャルロッテの三歳の継子――アッシュが覚束ない足取りで、シャルロッテの元まで走ってくる。
頬が緩む。
(可愛い……!)
今すぐこちらから抱きしめに行きたいほど可愛い。
しかし、一所懸命に走る姿をずっと見てたい気持ちもあった。
シャルロッテは両手を広げてアッシュを迎え入れる。アッシュはシャルロッテの腕の中に飛び込んだ。
「えへへ」
アッシュは宝石のように目を輝かせて、シャルロッテを見上げる。そして彼は少し恥ずかしそうに笑う。
ふくふくとした柔らかそうな頬。サファイアをはめ込んだような綺麗な瞳。父親にそっくりなアッシュグレーの柔らかな髪。
「アッシュはすごいね~。もう耳も尻尾も隠せるんだね」
「うんっ!」
シャルロッテはアッシュの頭を撫でる。
アッシュは嬉しそうに目を細めて笑ったと同時に、彼の頭からぴょこんっと三角耳が生えた。
お尻からはふさふさを尻尾が。
「ああ~……」
アッシュは両手で三角耳を掴む。そして、アッシュは眉尻を下げた。
「ごめんね。ママが触ったせいだね」
落ち込んでいる姿すら可愛くて、シャルロッテは耳を撫でる。ふわふわの耳の触り心地は最高だ。
ああ、可愛い。
つい、口から本音が漏れそうになり、シャルロッテは口元を引き締めた。
シャルロッテには秘密がある。
いや、正確にはシャルロッテが嫁ぐ予定の皇族の秘密だ。
それは――……。
「ぼく、もっと頑張ってお外に出る!」
アッシュが強い声で言った。
そう、皇族には秘密がある。彼らが狼獣人の血を引いているということだ。
この秘密は誰にも言ってはいけない。もし、誰かに知られてしまったら、このニカーナ帝国が大変なことになってしまう。
ニカーナ帝国は、かつて獣人に奴隷として虐げれた人間たちが作った国だ。
そのため、ニカーナ帝国の人間は獣人のみならず、犬や猫などの動物まで毛嫌いしている。
そんな帝国の皇族が実は狼獣人の血を引いていると知ったら、ニカーナ帝国は大波乱となってしまうだろう。
皇族は長い歴史の中、ずっと人間のふりをし人間たちを守ってきた。
なぜ、そんなことをただの人間のシャルロッテが知っているかというと、シャルロッテが人間には珍しい動物好きだったからだ。
動物好きであることを買われ、皇弟カタルと婚約をしたのがつい数ヶ月前。
まだ婚約者でありながら、継子になる予定のアッシュのために、カタルの屋敷に住んでいた。
「そんなに焦らなくてもいいんだよ。ママはアッシュと屋敷の中で遊ぶのも好きだな」
「でも……。お外に行けたら、ママとパパとずっと一緒だから……」
アッシュは眉尻を下げ、少し寂しそうに言う。
「そうだね。上手に隠せるようになったら、ママとパパとお出かけしようね」
シャルロッテはアッシュの頭を撫でる。すると、彼は嬉しそうに耳をピンッと立てると、強く頷いた。
「うんっ!」
その瞬間、彼の身体が狼へと変化する。
まだ幼いアッシュは人間の身体には慣れていない。だから、気が緩むとこうやってすぐに狼になってしまう。
「キュウ~ン」
悲しそうにアッシュが鳴く。
慰めるふりをして背中を撫でる。触り心地にシャルロッテはうっとりと目を細めた。
アッシュにとっては人間の姿を維持できないことは悲しいことだ。しかし、シャルロッテとしてはこの姿はご褒美だった。
なにせシャルロッテは大のもふもふ好きなのだから。
「ああ~可愛い~~~~」
つい、本音が口から出てしまう。
このひとときがどれほ幸せか。シャルロッテは両手でアッシュを撫で回す。
アッシュはくすぐったそうに目を細めながらも、ごろんと転がり腹を見せた。
ふわふわのお腹の毛を撫でるのは至福だ。
◇◆◇
シャルロッテはベルテ伯爵家の長女として生まれた。
優しい両親と少しシスコンの気がある弟に囲まれ、呑気に暮らしていたごくごく普通の令嬢だ。
一つ、「動物が大好き」という部分を除いては。
歴史的背景から動物が嫌われているこの帝国で、「動物が大好き」というのは変人に分類される。
しかし、変人だったからこそ、皇弟カタルの後妻に選ばれたのだから幸せだ。
「カタル様、そろそろアッシュとおでかけに挑戦したいのですが……!」
シャルロッテはカタルの執務室に行くと、カタルの机に身を乗り出して言った。
カタルはペンを置き、難しい表情でシャルロッテを見返す。
鋭い黄金の瞳がシャルロッテを突き刺した。
「まだ、不安定だろう?」
シャルロッテはグッと言葉を詰まらせる。
カタルの言い分もよくわかるから困ってしまう。
皇族にとって、狼獣人であることは誰にも知られてはならない。だから、気が緩むと耳や尻尾が出てしまうアッシュは、いまだ別邸で暮らしている。
会えるのは、シャルロッテとカタル、そして皇族の人間だけだった。
「人のいないところでもいいんです!」
「それなら、別邸の中と変わらないだろう?」
「ぜんぜん違いますよ。 パパとお出かけしたということが、アッシュにとって重要なんです」
皇弟だけあって、カタルは忙しい。いつも屋敷には来客が押し寄せ、仕事ばかりしている。
アッシュと一緒に過ごせるのは、朝と夜だけだ。
時々時間を作って、昼の時間にピクニックをすることもある。
しかし、ピクニックと言っても、別邸の塀で仕切られた裏庭だった。
アッシュはシャルロッテに対していつも笑顔だ。けれど、毎日必死に耳を尻尾を隠す練習をしていることを知っている。
そんなアッシュのためにシャルロッテができることといえば、たった一つ。
外に連れ出してあげることだ。
「アッシュにとって、別邸から出ることができたという成功体験がそろそろ必要だと思うんです」
拒絶を示す黄金の瞳に負けじと、シャルロッテはカタルを見つめた。
しかし、カタルは頑なだ。
彼は頭を横に振る。
「だめだ。もしも何かあったとき対処できない」
シャルロッテは唇を尖らせた。
それがカタルの愛であることはわかっている。息子を守るため、最善を考えているのだ。
とはいえ、やはり新しい世界を見せてあげたいというのが親心。
「そんな顔をしてもだめなものはだめだ」
「わかりました。今回は諦めます……」
シャルロッテはとぼとぼと執務室を出た。
強行突破したいところだが、カタルが納得していない以上、シャルロッテの出番ではない。
(だからって、元気がないアッシュに何もしないってわけにはいかないよね)
まだ婚約者とはいえ、いずれは正式な母になる。アッシュが落ち込んでいるのであれば、元気を取り戻さなければ。
アッシュはカタルの屋敷の中にある別邸で暮らしている。
カタルの執務室である本邸とは大きくて丈夫な扉を一枚隔てていた。
別邸の中で耳や尻尾を隠し、人間の姿で生活しても平気になるまで訓練を積む。
皇族の子は、みんな同じような経験をしてきているらしい。
(耳と尻尾を隠せないと外に出られないなんて言われても、困っちゃうよね)
生まれて三年。ずっとあったものを隠さなくてはいけない。
そして、耳と尻尾の存在がバレたら国の一大事など、三歳の子に背負わせる問題ではない。
それでも外に出たい一心で、アッシュは毎日練習をしていた。
廊下をとぼとぼと歩いていたシャルロッテは足を止める。
(そうだ! いいこと考えた!)
シャルロッテは鼻歌を歌いながら、調理場へと向かった。
◇◆◇
アッシュが大きな目を何度も瞬かせる。
頭の上の耳がピコピコと動き、尻尾もフリフリと揺れた。
「おかいも、ごっこ?」
「そう! お外にはお店がたくさんあるから、今から練習しよう?」
別邸の広いホールのど真ん中。
シャルロッテは敷物を広げ、アッシュの前に品物を並べた。
先ほど調達してきたものだ。クッキーを可愛くラッピングしてもらった。
ついでに値札も作った。
アッシュと遊ぶと言うと、使用人たちが手伝ってくれたのだ。
シャルロッテは本物のコインをアッシュに握らせる。
「お外では、このお金で色んな物が買えるんだよ」
「キラキラしてる!」
アッシュはコインを空にかざした。太陽の光を受けて、コインがキラキラと輝く。
彼の瞳も同じくらい輝いていた。
なんて愛らしい姿だろうか。シャルロッテは思わず頬を緩める。
「ママがお店の人だよ」
「どうやるの?」
好奇心いっぱいの目で目の前に広げられた品物を見る。
尻尾はぶんぶんと左右に大きく揺れていた。
「ほしい物を選んで、お金と交換するの。でも、その前に重要なことがあるわ」
「なぁに?」
「この可愛い耳と尻尾をしまってくださ~い」
シャルロッテはアッシュの耳を撫でながら言う。
アッシュは「うん!」と言って大きく頷くと、一人で部屋に走って行った。
耳と尻尾を隠すのは至難の業らしい。アッシュは誰もいない場所で集中する必要があった。
数分後、耳と尻尾を消したアッシュがひょこっと顔を出す。
シャルロッテは満面の笑みを浮かべる。
「いらっしゃいませ~」
アッシュがコインを手に品物の前まで走ってくる。
そして、シャルロッテの言葉を真似するように言った。
「しゃいませ!」
(はあ……。可愛い。この可愛い姿をずっとずっと、目に焼きつけておきたい~)
緩む頬を引き締めることはできなさそうだ。
結婚がこんなに幸せだとは知らなかった。
シャルロッテはアッシュの顔を覗き込んだ。
「何になさいますか? お客様」
「おきゃ?」
アッシュが大きな目を瞬かせ、首を傾げる。
「お買い物に来た人のことだよ。アッシュは何が欲しいかな~?」
アッシュはう~んと唸り、しばらくの間悩んだあと、ピンクのリボンのかかった大きな林檎を指さした。
「これ!」
アッシュは果物が好きだ。
果物をただ並べるだけではつまらないと思って、調理場にあった果物にリボンをかけて持ってきた。
そのうちの一つが選ばれて少しだけ嬉しい。
「じゃあ、アッシュの持っているお金と交換だよ」
シャルロッテが手を差し出すと、アッシュはキラキラと輝く金色のコインをシャルロッテの手にそっと置いた。
けれど、少し寂しそうだ。
よほどコインが気に入ったのだろう。
シャルロッテはポケットから銀色のコインを数枚取り出すと、アッシュの手に置く。
「これはおつりだよ」
「こっちもキラキラしてる!」
アッシュは嬉しそうに銀色のコインを見つめた。
「お買い上げありがとうございます」
シャルロッテはリボンのついた林檎をアッシュに手渡す。
彼は慌ててコインをポケットにしまうと、両手で大きな林檎を受け取った。
「アッシュ、すごいね」
シャルロッテの言葉にアッシュはキョトンとした顔を見せる。
「お買い物中、お耳も尻尾も隠したまんまだったよ。すごいねぇ」
シャルロッテが言った瞬間、アッシュの顔がパッと明るくなった。そして、嬉しそうにはにかむ。
すると、奥から足音が聞こえて来た。
別邸に来ることができる人は限られている。おそらく、カタルだろう。シャルロッテとアッシュは足音のするほうを向いた。
カタルはホールの真ん中に敷物を広げるシャルロッテを見下ろして、眉をひそめる。
「何をしているんだ?」
「お買い物ごっこです。外に出たときの練習に」
シャルロッテはカタルに向かって、にへらと笑った。
アッシュは嬉しそうにカタルの元に走り寄ると、高々と戦利品の林檎を掲げる。
「パパ! おかいもした!」
自信に満ちた顔。
初めての体験にアッシュの顔は輝いていた。
シャルロッテは思わず、期待の眼差しでカタルを見つめる。
カタルは少しばかり不器用だ。愛情表現が乏しいところがある。こういうときにどう褒めていいかわからないのではないか。
カタルは小さく息を吐き、床に膝をついた。
カタルとアッシュの視線がそろう。
並んでいるのを見ると、父子だなと思う。同じ色のアッシュグレー髪。
「これをアッシュが買ったのか?」
「うんっ! ぼく、お耳もないの」
「そうか。すごいな」
「えへへ」
アッシュの頬が緩む。
カタルの大きな手がアッシュの頭を撫でた。
「アッシュ、外に出たいか?」
アッシュが恥ずかしそうに頷く。
「では、行こう」
カタルはアッシュを抱き上げる。アッシュが嬉しそうに声を上げた。
「えっ!? 今からですか!?」
シャルロッテは驚きに目を丸める。
アッシュにとって外に出るということは一大事だ。
(普通、もっと準備とかするものじゃないの!?)
カタルは眉を寄せる。
「君が外に連れ出したいと言ったんだろ?」
「そうですけど……」
「アッシュ、耳と尻尾はまだ頑張れるか?」
「うん!」
アッシュは強く頷く。その顔は嬉しそうだ。
「アッシュは大丈夫だと言っている。行こう」
カタルは言うとすぐ、別邸と本邸を隔てる大きな扉の前に立った。
「アッシュ、いいか? この扉の向こう側にいるときは、私たちが狼の一族であることは秘密だ。みんなが怖がってしまう。怖いのはいやだろう?」
「うん」
「いい子だ。アッシュ、帰りたくなったら言いなさい」
「うん」
カタル言葉に、アッシュは神妙な面持ちで頷く。
シャルロッテはアッシュ以上に緊張していた。
言い出したのはシャルロッテだ。だから、止めるつもりはない。しかし、もっと入念な準備が必要だと思っていたのだ。
もしもの時のために、帽子を用意することだって考えた。
それなのに、カタルはなんの準備もなし、外に出ようとしている。
カタルがゆっくりと扉を開く。
アッシュの顔がキラキラと輝いていた。
「ここがお外? おうちといっしょ」
開いた扉の先を見て、アッシュは小さく首を傾げた。
アッシュが不思議がるのも仕方ない。別邸と本邸は扉を隔てて繋がっている。長い廊下は、別邸の廊下にすごく似ていた。
「ああ、似てるけど違う。やめるか?」
「いく!」
カタルはアッシュの言葉に頷くと、アッシュを本邸の床に下ろした。
アッシュはキョロキョロと興味深そうに見ると、廊下を走り出す。
「あっ! アッシ――……!」
「大丈夫だ」
シャルロッテは慌てて止めようとした。しかし、それをカタルが静止する。
「でも、もし誰か来たら……」
「大丈夫だ。君は案外、心配症なんだな」
カタルは小さく笑った。
シャルロッテは頬を膨らませる。
先に心配していたのはカタルのほうだ。それなのに、なぜか形勢逆転していることが悔しかった。
「大丈夫だ。誰もいない」
「へ?」
「今日はみんなに休暇を与えた。だから、誰もいない」
「本当ですか!?」
シャルロッテは目を丸めて、カタルを見上げた。
本邸には数多くの使用人が働いている。その全員に休暇を与えてこの屋敷を空にしたというのか。
カタルは真面目な顔で言った。
「まだ、人のいるとろこに出すのは難しい。だが、別邸の外に出ることが成功体験に繋がるかもしれない。……だろう?」
「はい。ありがとうございます。見てください。アッシュ、嬉しそう」
シャルロッテは目を細めた。
アッシュのはしゃぎぶりが背中だけでもわかる。
「パパ~! ママ~! はやく~!」
アッシュが遠くで手を振っている。
あんなに嬉しそうな姿は久しぶりだ。最近は難しい顔をすることが増えていた。
「君のおかげで、アッシュは幸せだ。ありがとう」
カタルが小さな声で言う。
彼が素直に礼を言うのは珍しい。
シャルロッテは頬を緩ませた。
「私も幸せをたくさんもらっていますし。それに、最強のママになる予定なので!」
「ママ~」
アッシュがシャルロッテを呼ぶ。
「アッシュ、待って! 早いよ~」
シャルロッテは駆け足で、追いかけた。
振り返ると、カタルが苦笑しながら追いかけてくる。
別邸に戻るまで、アッシュは一度も耳と尻尾を出さなかった。
きっと、今日の経験はアッシュにとって大きな経験となるだろう。
「あれ?」
シャルロッテはベッドに眠るアッシュの手首を見る。
アッシュの手首には、林檎につけていたピンクのリボンが巻かれていた。
「アッシュに頼まれてつけた」
アッシュの隣で横になっていたカタルが言う。
「お買い物ごっこ、楽しかったのかなぁ?」
シャルロッテはアッシュの頬をつつく。子どもらしいふにふにとした柔らかい頬。
もふもふの次にシャルロッテが好きなものだ。
「アッシュ、林檎が本当に好きなんですね」
少し悩んだあと、林檎を手に取った。美味しそうなお菓子もたくさんあったというのに。
「好きなのは林檎じゃないさ」
カタルが小さく笑う。
そして、シャルロッテのピンクの髪をひと束取る。
「アッシュが好きなのは君だ」
カタルの黄金の瞳がランプに照らされて優しく光る。
シャルロッテは目を丸めた。そして、破顔する。
「カタル様、うちの子、可愛いですね」
シャルロッテはぐっすりと眠るアッシュに抱きつく。彼は遊び疲れてしまったのか、その程度では目を覚まさなかった。
カタルから返事はない。彼はシャイなところがあるから、照れ隠しだと思う。
今に始まったことではない。だから、シャルロッテの耳にはカタルの声で、「ああ、うちの子は可愛い」という同意の言葉まで聞こえてくる。
「ああ、幸せ」
思わず口から気持ちがもれた。
シャルロッテとアッシュ、そしてカタルは三人並んで眠った。
FIN
お読みいただき、ありがとうございます。
楽しんでいただけたら幸いです。
シャルロッテとアッシュ、そしてカタルのお話は、『婚活難民令嬢の幸せもふもふ家族計画~愛のない結婚で狼皇子の継母になった私のはなし~』でも読めます。(リンクを貼っておきます)
この短編より前の時間軸のお話です。
【お知らせ】
この三人の物語の書籍化が決定しました!
絶賛書籍化作業中でございます。
ぜひぜひ本編と合わせてお読みいただけたら嬉しいです。
感想などもお待ちしております。
そして、★★★★★をつけて応援していただければ、作者の励みになります。