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「フォウくん! どこだ!」
呼ばわる和彦の目の端に、赤いものがひらめいた。
ハッとして、和彦はそちらを見た。
雪が流れ込んで半ば埋もれてしまった公園。
雪の合間から古びた滑り台やジヤングル・ジムの尖端がのぞいている。
その雪の上で。
フォウとフレイムの炎が、今しも二度目の衝突を起こして弾け散るところだった。
闘いは、もう再開されていたのだ。
二人は少し離れた距離で互いに睨みあっていた。
フレイムの右腕はだらりと下がったままだったが、見たところ二人とも、たいしたダメージは受けていないようだ。
「フォウくん! 無事か!」
「和彦さん、来るなっ!」
フォウが叫んだ。
同時にフォウは、両手で空中に複雑な図形を描いた。
見れば、指の先から真っ赤な血がほとばしっている。
雪崩で怪我をしたのではなく、フォウが自分で食い切ったものだった。
その血を使って、フォウは真っ赤な呪文を空中に浮かせた。
「せえええい!」
掛け声と共に、フレイムが左手の拳を突き出した。
その拳にまとわりついていた炎が蜘蛛の巣のように広がり、フォウを包み込もうとした。
「そうはいくかよ!」
フォウの血の呪文が、フレイムの投げた炎の網を切り裂いた。
炎がフォウの眼前で二つに分かれて、雪の上に飛び散った。
じゅう、と音を立てて消えていく。
「くそっ」
フレイムが歯噛みした。
「なら、これはどうだ!」
今度は手の平を天に向けてかざす。呪文を口の中で唱えている。
たちまち、そこに黒い渦が生まれた。
ただの黒さではない。
見ている者の魂を吸い込みそうなくらいの深い闇だ。
「ばかっ、やめろ!」
血相を変えてフォウが怒鳴った。
「冥界の門を開ける気か!」
「ああ、そのとおりだ!」
目をぎらぎらと光らせてフレイムが怒鳴り返した。
「わかってるよ、これはお前の師匠が禁じ手にしていた技なんだろう? だからこそ、それを使ってお前を倒してやろうっていうのさ!
俺があの世からどんな悪霊を呼びだすか、震えながら待っていやがれ!」
呪術の応酬。
和彦は、そういうのを見るのは初めてだった。今まで、敵がフォウと同じ霊幻道士だったことはなかったからだ。
だが、この違和感は。
未体験だから、というだけではない。
機械人形が呪術を操る姿は、やはり不自然でしかなかった。
何より和彦はついさっきの槍による攻撃で、フレイムの体内が機械で構成されているのを目の当たりにしている。
機械で作ったものが、精神力を操るとは。
やはりおかしい。
和彦は目を凝らしてフレイムを観察した。
彼はどんどん闇を広げていく。彼の頭上の漆黒の渦巻きも勢いを増している。
じっと見つめていたせいだろうか。
ふと、奇妙なことを発見した。
ずれている。
フレイムとフォウは相変わらず、悪態を付き合っている。そしてどちらも悪態の合間に忙しく呪文を唱えている。
だが、フォウの炎が彼の呪文と同時に動いているのに対して、フレイムのそれには時間差がある。
まるで、フレイムの呪文を受けた誰かが、改めて正しい呪文を唱え、彼が呪術を使っていると見えるように演出している……といったふうに。
「……そうか!」
疲れた身体に鞭打って、和彦は足を踏ん張った。
素早く周囲に視線を巡らせる。
雪に埋もれた公園の惨状。ひとけのない裏通り。その向こうに続く、うらぶれた家々の軒先。
どこかこの近くに、きっと。
いや、相手は呪術を使うのだ。目には見えない可能性がある。
和彦は目を閉じ、腕輪に神経を集中させた。
ゆっくりと、静かに。
精神を細いこよりの形に研ぎ澄まし、それをいくつも作って四方八方へ伸ばす。
ほんの少しの感触も逃がすまいと、意識を集中させる。
いた。こいつだ。
和彦はパッと目を見開き、己の精神が捉えた方角を見た。
そこには何もない。
元は何かがあっとしても、雪崩ですべてが埋もれてしまっている。今の和彦の目に見えるのは、だだっ広い、雪に埋められた空地だけだ。
しかし和彦は迷わなかった。
腕輪に命じて、足元の雪で剣を作らせる。今度の剣は両刃で、槍代わりに投げつけることもできる大剣の形にした。
息を整える。
「やあっ!」
両手で構え、心が示したところを目掛けて投げ付けた。
一瞬。
声のない悲鳴が響いた。
次には。
がくん、と機械人形が膝をついた。
頭上の黒い渦はすでに消え去っている。拳の炎も失われた。
信じられない、という顔をして、フレイムはあたりを見回した。
やがて、和彦の大剣が貫いたものが、じわりと姿を表した。
巨大な髪の毛の塊。最初はそう見えた。
じっと見ているうちに、その中心に顔のようなものが現れてきた。
和彦の大剣は、その顔の真ん中に突き刺さっていた。
あ。あ。あ。
不気味な塊が呻いた。
音としては形をなしていなかったが、和彦にもはっきりとその断末魔の声は聞こえた。
「ゼ……ゼーラダイトが……」
少し離れた雪の中に半分埋もれて、シラドもまた唖然としてこの光景を見守っていた。
「馬鹿な……ゼーラダイトがやられるなんて……しかも霊力じゃなくて、剣で倒されるとは……」
その言葉を耳にして、和彦は改めて確信した。
やはり、霊力と機械人形は別のものだったのだ。
機械人形はそれだけでもすごい科学力のたまものである。
しかしシラドは、それに霊力を加えなくては、フォウに似せたとはいえないと考えたのだろう。
だから、どこからかこの得体の知れない代物を連れてきて、機械人形を影からバックアップさせていたのだ。
たぶん、デュアルの配下にある、どこかの世界からやってきた魔物といったところだろう。
数限りない平行世界のうちには、霊力を主とする生き物もいるはずだから。
呆然としている一同の中で、最初に我に返ったのはフォウだった。
フォウもまた、すぐに事情を飲み込んだらしかった。
「くそ、なんだ。あの化け物から霊力を借りてるだけの、まがい物の呪術師だったってえわけかよ」
吐き捨てるなり、攻撃の姿勢を取った。
「覚悟しやがれ! 本物の霊幻道士の力を見せてやらあ!」
両手の中の炎がぐうんと大きさを増していく。
怒りをそのまま呪術につぎこんでいるので、桁違いの勢いだ。
機械人形が高熱と極寒に弱いことも、フォウは以前の闘いで学んでいる。
もちろんシラドもそのことはわかっているだろうが、対抗措置を考え出すにしては、今度の襲撃は拙速にすぎた。
以前に負けたことがよほど悔しかったのだろう。それとも、自分がいかに役に立つ存在かを鼓舞したかったか。その両方が理由なのかもしれない。
「偽物の機械人形野郎め! 一撃でぶっ壊してやる!」
そのとき。
雪山の向こうでちらりと何かが動いた。
子供だ。
まだ幼稚園に上がったか上がらないかという年齢に見える、幼い男の子だった。
雪崩にびっくりして逃げまどい、ここまで迷い込んできてしまったのだろうか。
「フォウくんっ」
とっさに和彦は警告の叫びを上げた。ほぼ同時に、フォウも子供に気が付いた。
けれどもフォウはすでに、炎の球を発射する態勢になっていた。止められない。
次に動いたのは、意外にもフレイムだった。
フレイムはフォウの炎に目もくれなかった。
和彦とフォウの気づいたものに自分も目を向けると、その位置から、子供に飛びかかった。
自由になる左腕に子供を抱え込んでかばい、フォウの炎を背で受けた。
炎に巻かれて、守った子供もろともに吹っ飛ぶ。
「う、ああああっ」
全身を黒こげにして雪の上をのたうちながらも、フレイムは抱え込んだ子供から手を放さなかった。
胸のところにしっかりとひきつけて、自らを焼く炎から子供を守っている。
「炎よ、引けっ」
フォウが慌てて命じた。
フレイムを襲っていた炎が宙へ溶けて消え去った。
和彦とフォウはフレイムに駆け寄った。
彼はまだ全身からぶすぶすと黒い煙を上げていた。
あちこちが燃えてしまった衣服の隙間から、焦げた人工皮膚や、その下の機械組織がのぞいていた。
うわわあんと、今頃になって子供が泣き出した。
腕の中で暴れる子供に苦笑しながら、フレイムがフォウへ目くばせした。
その目も、片方はすでに焼け焦げてつぶれてしまっている。
フォウが震える手で、フレイムから子供を受け取った。
泣いている子供の背中を叩いて、よしよしとなだめてやる。子供はフォウにしっかりとしがみつき、泣き続けた。
和彦は茫然とフレイムを見下ろした。
「……なぜだ?」
「さてね」
苦笑のようなものを、フレイムは片頬に浮かべた。
「たぶん……俺が、あいつのデータを元に作られてるから、じゃないのかねえ」
子供をあやしていたフォウが、驚いたようにフレイムを見下ろした。
その視線を受けて、フレイムはまた笑った。
「ばーか、そんな顔すんな。別に、俺に人間の心があるとか、そういうわけじゃねえや。俺はただの、お前のコピーだぜ。お前なら、子供が危険だと思ったら、自分の危険も忘れてすっ飛んでいっちまうんだろ?」
そう言っているフレイムの顔は。
半分焼け崩れているというのに、今までのどの瞬間よりもフォウに似ているように、和彦には思えた。
さっきまで泣いていた子供も、その場の雰囲気を感じ取ったのだろう。
しゃくりあげながらも涙は止まったようで、フォウの腕の中できょとんとしてフレイムを見つめている。
「あれは、お兄ちゃんのお兄ちゃん?」
あどけない口調で、フォウにそう尋ねた。
今にも作動を停止しそうな状態だというのに、その子供の言葉を聞いたフレイムは、ぷっと笑い出した。
「ああ、そうだよ」
意外なほど優しい声で、子供に話しかける。
「俺が兄貴で、こいつは俺の弟なんだ」
「なっ、なんでそうなるんだよ」
抗議しつつも、フォウは今にも泣きそうになっていた。
「俺のほうがオリジナルで、あんたはコピーなんだから、俺が兄貴であんたが弟ってほうが筋じゃねえか」
「とか言いながら泣いてるんだから、どう見てもお前のほうが弟だろうがよ」
フォウはフレイムの脇に膝をついた。
地面におろされた子供の世話は、和彦がかわって引き受けた。子供も和彦と手をつないで、黙っておとなしく立っていた。
フレイムがフォウに手を伸ばした。
ギギ、と関節がきしんだ。
指の制御もうまくできなくなっていて、危なっかしい手つきだったが、なんとかフォウの頬に指の先が触れた。
その頬は涙で濡れていた。
「まったく。困ったもんだな、俺の弟は」
声が次第に、不明瞭になっていく。
「俺は……泣け……ないん、だ……ぜ……?」
動きが止まった。
フォウによく似た笑みを、顔に残したまま。
フレイムはただの機械の塊に戻った。